第8話 北辰国の事情と朔の決意

「準備は整っているわ。国を蝕んでいる正体を、一緒に突き止めて欲しいの。あとは、宮入するわたくしの御守りと偽り、星斗様とわたくしの力になって欲しい」


 呆然とする私を前に、望ちゃんはより深く頭を下げた。

 牡丹色の長い髪が地面に着くほど下に流れている。両袖はあわされ、桃色の綺麗な着物が地面にゆっくりとつく。

 てっきり、神荼しんとさんあたりが止めると思ったのに、誰も動かない。ので、逆に私が動揺して右往左往してしまう。


「えっ。いやいや、なに? どうしました?」

「朔。清家の望ではなく、わたくしとして言っておきたいのです」


 望ちゃんの華奢きゃしゃな肩がより小さくなっている。

 そこに触れようとして、躊躇ちゅうちゅした。触れたら、彼女が泣いてしまうと思ったのだ。変な話だが、彼女に近づいた掌がそう伝えてきている気がした。


鬼門きもんの奥からきたばかりか、女性として恐ろしい目にあったばかりの貴女に、このような使命を負わせること、心の底より申し訳なく思っておりますわ。わたくし、正直申し上げまして『御守り』が人であると理解はしていましたが、わかってはおりませんでした」


 声は凛としている。姿勢も相変わらず綺麗だ。

 でも、それが、精いっぱい彼女が気を張っているからだと感じた。どこか身に覚えがある強がり。

 しゃんを背を伸ばしていないと、自分を大切に想ってくれる人を守れないと思っていた自分と重なった。


「我が家が用意した料理を美味しそうに食べて、笑って、怒って。貴女という人を前にしてはじめて、わたくしは自分の予言がひとりの少女を不幸にしたのだと知りました。けれど、どうか」


 頭の片隅で、私を懐柔かいじゅうする演技である可能性を考えてみる。

 演技であったとして、元より私は二進にっち三進さっちもいかない立場である。それに、親切にされるだけは性に合わない。さっき怒ったのだって一方的だったからであって、きちんと説明してくれた上でなら冷静に考えられる。


「いっいいから、顔を、あげてよ。別に、えーっと、望ちゃんが、わざと、企んで、私をこっちに、呼んだのじゃないんでしょ?」


 彼女がいいとこのお嬢さんであることもすっかり忘れ、頭を撫でていた。それは軽く指先が触れるだけだったが、触れた後、しまったと血の気が引いていった。ぴくりと動いた望の肩に、馴れ馴れしかったと自覚する。

 実際、神荼さんの太い眉がぴくりとはねたのが横目に映った。


「わたくしを、恨んでいませんの?」

「っていうか、逆に、助けてもらった、立場だし。美味しいご飯も、食べさせて、もらったし。一方的なのは、嫌だけど、ちゃんと説明してくれるなら、私、頑張るよ? 望ちゃ――えっと、貴女が、必要としてくれるなら。星斗様の発言、全然、傷ついては、いないけれど、さっきも、庇ってくれたでしょ? ありがとう」


 早口の最後に、へらりと笑う。よくよく考えなくても、この子は最初からずっと私を怖がらせることも、傷つけることもなかった。

 もう一度、「助けてくれてありがとう」とお礼を口にして笑うと、なぜか! 望はぼろぼろと大粒の涙を流した! やっと顔をあげてくれた可愛い頬を流れる涙にぎょっとしたのは、全員だ。女性の涙には慣れているでしょっていう、星斗様や郁塁様まで動揺している。


「イケメンズ! ここは、貴方たち、華麗に、優しく、慰めるところでしょ!」

「この子がこんな風に泣くなんて、見たことがない!」


 叫んだのは誰か。

 いやいや、動揺していないでイケメンズが華麗に涙を拭うところだよ!

 一人っ子の私には、年下を慰める方法なんてわからない。おろおろしながら、望ちゃんの目元をぽんぽんと軽く叩くことしかできない。より一層悪化して、ついには声が漏れるほどになってしまった。


「見たことなくても、想像つくでしょ! こんな、年の子が、自分の発言で、人の人生、背負う、そうとう人に無関心で、図太くないと、ちょっとでも、気にする!」


 かくいう私も、貴族なら人を道具として使い慣れてでもいるのだろうと、ちらっと考えたこともなくもない。けれど、先見なんて言葉を知らなかった自分でさえ、今の彼女を前にしたら想像がつく。自分が見た未来に、人をのせることの責任の重さを。

 っていうか、それに誰も気が付かなかったって方がむかつく!


「望は清家の娘として、これまでも重圧に耐えてきて――」

「星斗様。耐えてきた、自分で、言ってしまっていますよ」


 巻き込まれた側のはずの私なのに、どうしてか望ちゃんの気持ちがわかる気がした。もしかしたら、いつも『平気そうだね』とか『自立して大人だね』って言われ続けた自分と重なったのかもしれない。

 望ちゃんがどうかはわからないけれど、少なくとも私は独りぼっちで平気だったことはないし、大人だったこともない。

 ただ、そうあらなければならなかったから、そう振る舞っていただけだ。お父さんを亡くして、ようやく理解した。自分がそう努めていただけで、実際は違った。私の周りには、気が付いてくれる人は誰もいなかった。


「私は、先見、よくわからない。だから、間違って、怒ってたら、ごめんね?」


 気にするとしたら、ここだ。

 体を離しそっと望ちゃんの両頬を撫でると、それまで大人びた顔しか向けてこなかった彼女の瞳が一気に私を捉えた。


「朔っ」


 いたたた痛い!! 華奢な少女のどこにこんな力があるのかという程、強く抱きしめられた。体はきしむが、ちゃんと名前を呼んでもらえたのが嬉しくて、にやにやしてしまう。星斗が呼んでくれたのも嬉しいが、甘えるような声にめちゃくちゃ頬が緩む。

 肋骨への痛みに耐えていた私に盛大なため息をついたのは、星斗だった。


「望はそのままでもいい。ただ、朔、お前が俺たちに気を許すのは、お前の役割と聞いてからにしろ」

「もちろん、です。望ちゃんは、可愛い。まっすぐ、向き合ってくれる。二度言うけど、可愛い。男性は、警戒、基本」


 望を抱きしめたまま、きりっと答える。美少女を抱きかかえたまま離さない私に、星斗は思いのほか優しい笑みを向けてきた。正確に言うと私にじゃない。望ちゃんにだ。

 驚くべきは、床に座る私たちにあわせ、星斗もどしっと音を立てて床に腰を下ろしたことだった。ちょうど食器を下げにきていた使用人らしき人達は、大慌てでクッションみたいなのを持ってきた。

 最終的には、クッションに座る面々と、私にしがみつく望の図という使用人さんたちを戸惑わせる図が完成した。なんだこれ。


「すべてを話すことはできないが、誠意を尽くして話す」

「へんな、いいかた。どんと、こいです。精一杯、誠心誠意、つくしてください」


 笑った私に、望ちゃんは肩を震わせ、星斗は首筋を掻いた。

 星斗の静かな声が語ったのは、以下の通りだった。


◆ ◇ ◆ ◇


 北辰国はとても大きな国らしい。


 国の成り立ちでもある神と人の交わり、そして分け隔てなく交わってきた民と仙人たちのおかげで、国は繁栄し続けている。

 そして今では周辺諸国に追随を許さないほど大国となった。その百何代目かが星斗の父親である帝。つまり、彼は王族どころか王子なのだ。ただ、彼の母は帝の絶対的な寵愛を受けたものの、庶民の出のために身分が低かった。そのため、第三公子でありながら、星斗の継承権は低かったそうだ。


「よくある話だ」


 星斗は無表情のまま、口の端だけに笑みを乗せた。いやな笑い方。

 帝は星斗を溺愛していた。そのせいで、星斗は守られるのと同時に度重なる命の危険を幾度も体験することになった。

 五つになる頃の大きな事件をきかっけに、星斗は同腹の兄弟と腹違いの一人の弟と共に辺境の地に移住した。郁塁うつるいさんと神荼さんとも、その土地で出会ったらしい。

 そこで異民族相手に功績をあげ、数年前に王都に呼び戻されたんだって。正直、星斗は栄転など、どうでもよかったらしい。

 ただただ、弟たちのためになればと思い首都召還に応じたらしい。さてさて。彼らを待ち受けていたのは所謂、洗礼だ。


「洗礼? そのような大した話ではない。退屈しない遊戯ゲームが自ら向かってくるのは、なかなかの刺激だったな。まぁ、辺境の異民族の方がよほど手応えがあったが」


 とは、星斗の言葉である。綺麗な紫の瞳が三日月型だ。実に真っ黒な笑顔なのに、さっきの笑みより好感度高いってどういうことだ。

 私の印象はさておき、神荼さんと郁塁さんいわく、鉄仮面ときおり偽微笑王子は、それはそれはうまくのし上がったとのこと。もとより、人望を得ることと、人の弱みを握るのが得意だったそうだ。後半、どうなの。さらりと語った郁塁さんと反して、神荼さんは視線を逸らして胃の辺りを摩っていたよ。

 星斗は、その辺りの使い分けがすごいらしい。営業スマイルを見てみたいとお願した私が受けた報復は、頬をめいいっぱい引っ張られるというものだったのは別の話だ。めちゃくちゃ痛かった。おまけに、表情筋をほぐされる程に、もみくちゃにされてしまった。


「望と出会ったのは、俺が遊戯に飽きていた頃だったな」

「えぇ。宰相である父が面白い方を連れてくると申していたので、わたくし楽しみにしていたのですよ? 実際、我が家にいらっしゃった星斗兄さまは、試すような意図ばかり垣間見えましたので、つい暴言を。おほほ」

「望に欠点があるとすれば、唯一、娘馬鹿ファザコンなところだな」


 ファザコンの何が悪い。悪いわけがあるか‼ まぁ、彼氏のハードルが上がるとは聞いているので、そういった点では問題あるかもだけれど個人の事情だ。

 私が噛みつく勢いで星斗を睨んだせいか、星斗は口を尖らせて呟いた。


「別に悪いとは言っていない。身内を尊敬できるのは良いことだからな」

「悪いわけない。私も、お父さん、大好きだった。死んじゃったけど。お母さんは、知らない。私を生んで、すぐ死んじゃったらしいから」

「わたくしも幼い頃に母をなくしておりますの」


 すったもんだの中で出会った物おじしない幼い望ちゃんは、星斗のおめがねに叶ったらしい。すぐに仲良くなったとのこと。

 ちなみに望ちゃんのお気に入りは、当時から既に髭面の神荼さんだったらしい。星斗に暴露され、真っ赤になり必死に言い訳する望ちゃんは非常に可愛かった。望ちゃんいわく、めったに会えないけど、可愛がってくれるお父さんは文官ながらに神荼さんは似ているのだという。

 恥ずかしがる望ちゃんに「お父さん大好き、同じ」と親指を立てたら、ぱぁっと花を咲かせてくれた。が、当然のごとく星斗に「その話題はもうあとにしろ」と叱られた。っち。


「事情は、わかりました」


 大まかな部分は省かれたが、話をまとめると、辺境の地で武官である神荼さんと文官である郁塁さんと仲良くなった星斗。その三人は王都に呼び戻され過ごす間に、王政を蝕む異変に気が付いた。不自然な重臣の死に、後宮での幼児の死など。

 そんな折、北辰国の有力貴族である望ちゃんが予言を視た。予言の間は自我がないらしく、仙気も溢れるので秘密裏に出来ないらしい。どうしても、一部にじゃ漏れる。結界というのは敷いているみたいだけど。


――侍りし闇は、いずれ国を亡ぼす。今は種なれど、確実に根を張り私欲のままに国を堕落に貶める。されど、鬼門より現れし少女が光と闇をもたらす。

 その者、異界の衣を纏い、弱き者なれど強き仙功を纏う。月は星と希望の御守りとなり、いずれは世を正す仙女に戻り、北辰国を救わんとする。――


 とかなんとか。え、その予言、私の死亡フラグじゃないよね?

 その続きもあるっぽかったけど、望が神荼さんと郁塁さんを視た後、唇を噛んだので聞かないでおいた。

 意味的には、この国の乱れの元を探すため望ちゃんを後宮入りさせるにあたって、企みの首謀者である星斗と望を守る『御守り』役となることらしい。

 そして、『御守り』役とは、その相方というか番というか、その人の代わりに災厄を受け、幸福をもたらす人らしい。高位貴族や王族には、能力の差はあれど『御守り』役が付くのが一般的らしい。

 

「なら、異世界人の私、御守り役、どんなの?」

「とは?」

「だって、この世界で、普通なら、異世界人である、必要はない。今回の件で、私が必要は、それなりに意味ある、でしょ?」


 むしろ、異世界人の意味がないなら私ってば召喚され損だよ。


「『御守り役』なんて大層な名前がついているが、実際は護衛や呪術払いをする程度。だが、本物の御守り役は怪我や毒をその身に代わりに受けられる存在だ」


 問い詰めた私に、星斗はあっさりと答えてくれた。

 ぶっちゃけ、私の役割の『御守り』は、ふたり分の人身御供だ。率直に言って、今の北辰国には二人分の犠牲を共有できるほどの存在はいなく、それができるのが伝説の鬼門奥異国の私ということだ。


「この機会に後宮に召されるわたくしを、『あの方』は疑いになるでしょう」

「過去に望様の年齢で召し上げられた方は少なくありませんが、現帝は豊満な女性をお好みですから、疑念を抱かれるのはしょうがありません」


 郁塁さんの言葉で沈んだのは私だけだ。

 私がさらに驚いたのは、望ちゃんが現帝の後宮に姫巫女として宮入りことが決まっている点だ。

 後宮入りしたら一切男性と交流出来ないのではないか、その御守り役としていく私もと思ったのは、どうやら間違いだったようだ。

 そもそも、宮入りして一年は帝も手をつけてはいけないらしい。要は、帝の子以外を身ごもった状態で宮入りしたのではないという証を立てるためとのこと。

 逆を言えば、その一年の間に国を乱している悪玉をあぶりださなければ、望ちゃんがかなり年上のおじさま帝のいいようにされてしまうってことだ。


「でも、望ちゃんが後宮入りしてしまったら、星斗様とは、会えなくなって、情報を共有するは、大変そう」

「朔様、そこは問題ないのですよ?」


 郁塁さんによると、変な話、後宮には割と男性が立ち入ることが許されているらしい。宦官、高位の武官や文官、王族に限られるが、それでもかなり幅が広い。侍女も割と行動範囲が広い。

 これは、信用が前提だから許される制度だろう。というか、割と自由な風潮に肩透かしをくらうが、日本でも江戸時代は割と自由で、貞操観念が厳しくなったのは西洋文化の入ってきた明治以降という話は聞いたことがあるので、割とありなのかもしれない。大奥でさえ、将軍以外の男性も入っていたと聞く。


 その分、不貞が判明した際は一族極刑だけではなく、さらし首の上に若い娘息子はむろんのこと、一族全員は公の場での辱めが課せられる。

 少し具体例を聞いたが、私には耐えられるものではなかったので、星斗がすぐにやめてくれた。美味しくいただいた炒飯を全部吐きだすところだった。


 うん、総合するとよくわからない。


 ただ、わかったのはひとつ。

 私は自分を拾ってくれた人たちの役に立てるということだ。

 お父さんを幸せにするという目標を失い、ただ、お父さんの最後のあの願いをかなえるために生きてきた私。あの世界でただ生命活動を続けるよりは、きっとこっちの役割の方が有意義に生きられる気がする。

 

 だから、私は喜んで引き受けた。『御守り役』を。

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