第5話 二つの月と晩餐(ばんさん)

 用意された服に着替えた私の前には、妙に迫力がある人たちが並んでいる。

 汚れたセーラー服は洗っているからと、渡された服はやはり中華ファンタジー漫画みたいな服だった。ちょっと胸を強調するような上着は恥ずかしいが、シフォンのスカートとペタ靴は動きやすい。

 けれども! 私は、今、ふんわりとした袖も桃色の愛らしい刺繍も意味をなさないくらい冷や汗を流している。


 なんだこの、面談的な座り方! 高校だって、こんな圧迫面談形式なんてしないよ! これが世に聞く圧迫面接というやつなのだろうか。


 いやね。長机に豪勢な中華料理が並べられているのはありがたい。

 ただ、状況が圧倒的におかしい。だって、星斗が誕生日席にいて、私以外の人たちが長辺の向かい側にいるのだ。何か音がしないと居たたまれない程度には静かだ。


「助けていただいた、だけない、食事まで、恐縮です」


 頬が引きつったまま顔をあげると、対面にはこの屋敷の娘だと挨拶されたせい ぼうという美少女が微笑んでいた。体はとても幼いのに毅然とした雰囲気を纏っている。

 加えて、彼女はどう見ても最年少だが、星斗に次いだ席に堂々と腰かけている。大の大人――神荼しんとさんと郁塁うつるいさんより上座にいるので、身分も高いのだろう。だから、へらりとは笑い返さずに、出来る限りの無表情で会釈をしておく。


「あら。あなたを助けたのはわたくしどもの道楽ですもの。あなたが委縮する必要はなくてよ?」


 美少女は淑やかに口元を隠し鈴を転がすように笑った。親友と正反対の姿にか、上品な仕草を何故か怖いと感じたのか。私の体は余計に強張った。

 というか、助けてもらっておきながらも人の一大事に『道楽』なんて言葉を引っ張ってくるって、どうなんだろうと思わずいられない。


「お心遣い、痛み入ります」 


 それでも、この場で彼女に噛みつくのは賢明でないと私にもわかる。声にも感情を出さず、耐えられたと思う。

 私はただの高校生だけど、お父さんがすごくお世話になった上司を何度か家にお招きしたことがある。その際に、失礼があってはいけないと上座など色々勉強した記憶が残っていたのだ。その知識が役に立っているかはともかく、少なくとも年下っぴからと馴れ馴れしく話しかけるのを控えられたという点では覚えておいて良かった。


「念のため、もう一度、名を」


 望が銀の杯を置き、口を開いた。どう見ても十六の私より年下の少女が食前酒とはいえ、アルコールを口にして良いのか。そう尋ねる空気ではないのは、いくらコミュ障な私にもわかる。わかるが、気になる。だって……それは、ここが日本なのかという疑問の答えに繋がるから。


「おぬし、望嬢が尋ねているのだ。こたえろ。目を逸らすな」


 髭男性の神荼さんが無茶を言う。なんとか再び望に視線を向けるが、三秒がやっとだ。

 ただの美少女ならまだしも、彼女は親友のノゾミに瓜二つなのだ。この状況で向けられる冷たい視線は結構堪える。


「馬鹿者。間諜スパイを相手にしているのではないぞ。脅してどうする」


 ぴんと、豆らしきものが神荼さんの額で跳ねた。三国武将みたいに結い上げた額に、赤い跡が残る。

 飛んできた方向からして、投げたのは星斗だったようだ。もうすでに髭男性を見ておらず、肩頬をついてつまらなそうにあくびをしている。


「私は、定月 朔、言います」

「そう、朔様とおっしゃるのですね。とてもお似合いなお名前です」


 間髪入れずに満面の蕩ける笑みを浮かべたのは、郁塁さんだ。やたらと名前が強調されていたのは気のせいだろうか。というか、この人は友好的過ぎて怖い。死別した恋人か身内にでも似ているのかというレベルの愛想の良さがある。

 一方、私を暴漢から助けてくれた髭面の、いかにも武人という煌びやかな鎧を身に着けている神荼さんは、それはそれは身がすくむような眼光を私に向けてきている。ぎろりと音付きで。


「おぬし、本当に朔というのだな」

「はい。両親がつけてくれた、私の名です。ここでは、変ですか」


 あまりの迫力に足が震える。震えすぎて丸椅子から落ちかけた。恥ずかしい。何をやっているんだ。威風堂々と背を伸ばしている少女を前に。

 情けなさに全身が熱を持っていく。


「二つの『月』、か」


 意味ありげな星斗の声が部屋に響く。

 確かに、苗字と合わせると月が二つ入るが、そんな何かのフラグみたいに呟かれることだろうか。まぁ、昔の暦である『定月』はともかく、新月という意味の『朔』は不吉と考えられてもしょうがないのかな。ファンタジーぽいとは言え、古代中華っぽいし。


「そうか、朔と、いうのか……お前が」


 神荼さんは思いのほか、敵意を向けてこなかった。

 それどころか寂しそうな声を絞り出した神荼さんに、なぜか申し訳なくなった。武骨な様子に異なり、卓上で小さく指を遊ばせている。遣る瀬無さを感じて、ずくんと胸の奥が痛んだ気がした。

 眼があって眉が下がってしまう。神荼さんがおもむろに口を開いた。


「端的に問いましょう」


 が、実際に声を発したのは牡丹色の髪を持つ華麗な望だった。

 真っ白な肌に華奢な体。ちょっと不思議な中華風のドレスを纏った少女は、私を射抜くように見つめてくる。


「朔、貴女は何者ですか。なぜ、北辰国ここに存在するのでしょうか」


 通るはっきりとした声を耳にした瞬間、かっと頭に血が上った。気が付けば、長机を両手で叩いて立ち上がっていた。自分でも驚く行動だった。私、こんなに感情的に動く方の人間ではない自覚はあったから。


「――っ!」


 神荼さんと郁塁さんが、腰の剣に手を掛けて立ち上がる。肌に感じる気配から、私が一歩踏み出せば彼らは躊躇ちゅうちょなく剣を抜く。そう、思った。

 まるでドラマか映画のワンシーンじゃないか。

 私はそんな人たちに抵抗する術を持たないし、弁が立つわけでもない。それでも、せめても睨み返す。


「そんなこと、私、聞きたい。ここ、どこ。なに! 私、しらない、場所! あなたたち、好き勝手、私、いう、聞く、ばっかり! あなたたちだって、名乗るべき!」


 あまりにひどい表情だったのだろう。少女の両脇にいた男性はびりっと体を震わせて一歩後ずさった。

 気のせいか、実際に自分の肌から青い電気めいたものが出た……ように、見えた。ううん、ありえない。幻覚だ、絶対に。


「神荼、郁塁。よいのです」


 望は二人の大人を交互に見て、ため息をついた。そして流れるような仕草で立ち上がると、長い裾をもろともせず私の隣に腰かけなおした。梅が描かれた長い衣を胸の前であわせ、じっと無言で見上げてくる。

 目が合ってたっぷり十秒は経ったと思う。望はようやく、にこりと音を立てて笑った。


「朔の言う通りですわね。あまりに一方的でした。わたくしは北辰国の上位貴族である清家の娘の望。あることに纏わる予言ゆめで貴女を視ました。数日で十四になります」


 やっぱり年下だったのかっていう納得と、十三歳にしては大人びているという印象が半々だ。威圧感を薄めるために、心の中では望ちゃんと呼ばせてもらおう。

 じゃなくって、そういえば最初から『予言』って口にしていた気がする。巫女のような能力を持っているのだろうか。夢見っていうやつかな。


「そして、わたくしの隣にいる髭の男性が武官の神荼。こう見えてもまだ三十手前ですの」

「ふっ――大人っぽいです、ね。さすが、お鬚効果」


 老けているとは言わずに済んだ。が、星斗は顔を背けて口元を押さえたので、ばれてはいるのだろう。「ひげこうかってなんだ」って震えてる星斗よ、髭はプラス十歳の老け効果はあるんだよ。

 神荼さんは、望ちゃんにか私にか不明だが苦虫を噛み潰したよう顔をしている。


「望嬢……」


 筋肉隆々な男性から出たとは思えないか細い声が部屋に響いた。

 どうやら、望ちゃんにだったらしい。まぁ、私に対する理由はないものね。望ちゃんは年相応に、むんと鼻を鳴らした。

 

「神荼、捨てられた子犬のような顔をしないでよ。神荼の隣にいるのが文官の郁塁。二十半ばにして王都の女性を何人泣かしましたことか」

「望様。先程、星斗様にも似たような紹介をされましたが、私の印象が悪くなりますので、おやめくださいませ」


 神荼さんは長い袖で「およよ」とわざとらしく目元を拭う。残念イケメンだ。

 私が相手にされることはないと思うけれど、頭の隅には入れておこう。人間、気の迷いがないとも限らない。


「俺は星斗。それなりに高い地位にあるものだ。あぁ、聞き忘れていたな。朔、お前はいくつだ」

「私、ですか? もうすぐ、十七歳、なります」


 私の誕生日、あと一週間くらい後だったもんな。と宙を眺めて計算していると、「まぁ」と口を押えた望が映った。心なしか、男性陣の目も見開いている気がする。


「てっきり、わたくしと同じ位かと」


 そんな訳ない。年相応な外見だと思いますけど、私。

 なんだかお決まりな反応をいただき、逆に申し訳なくなる。神荼さんと郁塁さんはやけに真剣な顔をしているが、そこまで深刻に考え込むほど⁈ 違うことを考えていると信じたい。


「いや、望。お前よりはかなり胸があったぞ? しっかりと飯を食って、色んな場所に肉をつけろ」

「星兄さま!」


 うん、望ちゃんそこは怒っていいと思うよ。もうすぐ十四歳とはいえ、いや思春期の女の子だからこそ失礼極まりない。

 かくいう私は怒るどころか、真っ赤であろう顔でぷるぷる震えるしかできずにいる。


「そう睨むな。神荼がバカでかい槍を持っていたせいで、俺が馬車まで運ぶ羽目になったのだ。その際、少し触れたくらいで、礼を言われても良いくらいだ。いや、揉ませるくらいさせるべきじゃないか?」


 わざとらしく、ふぅっとため息をつかれた。

 本当に下心がなかったのは十分理解できたが、釈然としない。


「運んで、くださったは、ありがとう、ですが」


 渋々お礼をしたのに、星斗はより不機嫌そうになってしまった。納得いかない。


「お前、そんなに素直じゃ本当に揉まれて、そのまま押し倒されちまうぞ。学習しやがれ。食っちまうぞ」


 星斗の口調がかなり崩れている気がするので、本気で呆れているのだろう。

 わかっているよ。自分ではしっかり者なつもりだったけれど、お父さんが亡くなってから如何に自分が箱入り娘だったかを痛感した。お父さんが抜けて見えたのは、きっと私に『役割』を与えてくれていたからだと、今なら思える。

 零れそうになった涙を堪えるため、目元を抓る。


「星兄さまお言葉遣い。それに、そのようなこと、冗談でも襲われたばかりの者に言うものではありませんわ」


 宥める望は慣れている様子だったので、彼の素は案外こちらなのかもしれない。

 望の気遣いは嬉しいが、星斗に全くその意思がないのが伝わってくる口調のせいか、襲われたことは思い出さなかった。

 それよりも気になるのが、彼の歳。


「ちなみに、星斗――様はおいくつ、ですか」

「俺は十九になった」


 嘘だ。十九って私と二つしか違わないじゃないか。なのにその色気というか貫禄は一体何なのだ。異議申し立てである。

 視線を読んだのだろうか。星斗はお行儀悪く腕と足を組んで、鼻で笑った。


「気に病むことはない。俺とお前では経験してきたものが違うのだろう」

「別に、なにも、言ってないです」


 柄にもなく唇を尖らしたところで、私のお腹が盛大に鳴った。ぎゅーぐるぐるるなんて、お腹を壊したような音だ。

 そういえば、部屋の整理やテスト勉強やらで、買い出しだけしてろくに食事をしていなかったっけ。考えている間も、私の腹は存在を主張し続ける。


「その、なんだ。ひとまず食事にするか」


 神荼さんのやけに気遣った口調に、ものすごく情けなくなってしまった。

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