終章
終章
あかりちゃんたちが、製鉄所にやってきて、三週間がたった。
その日も、水穂さんは布団で静かに眠っていた。其れはよかったのだが、
「水穂さん、本当に大丈夫なんでしょうかね。」
ブッチャーは、頭をかじりながら言った。
「なんだか、以前よりも弱ってしまいましたな。」
ブッチャーの隣で、花村さんが言った。その隣に、赤く染まったタオルとか、襟の汚れた着物などが置いてある。
「でも、今回は、布団迄汚すことはなかったんですから、それは良かったんじゃありませんか。悪いところばかりほじりだしても、仕方ありません。そういうことより、良いことに目を向けましょう。」
花村さんは、指導者というか、教育者らしくそういうことをいうのだが、ブッチャーは、そういう気にはならなかった。
「其れよりも、ますます、弱っていくのが気になりますね。」
「俺も、そう思っています。」
と、二人は顔を見合わせるのだった。
丁度このとき、また、女の子の泣き声が聞こえてきた。多分、友美ちゃんだろう。あれ、あの二人は、庭で遊んでいたはずなのにな、とブッチャーはつぶやく。多分、石に躓いて転んだんじゃないですか、と花村さんが言った。ブッチャーが急いでふすまを開けると、確かに庭にはあかりちゃんと、友美ちゃんがいて、花村さんの言う通り、泣いていたのは友美ちゃんだ。あかりちゃんが、一生っ懸命慰めている。
「あかりちゃんたち、どうしたんだよ。」
ブッチャーが聞くと、
「そこの敷石にぶつかって転んじゃったの。」
と、あかりちゃんが答えた。同時に、花村さんが四畳半から出てきて、
「あかりちゃんたち、転んだんだら、手当しないといけないでしょう。転んだところ、一寸見せてくれます?」
と、あかりちゃんたちに言った。ほら、と、あかりちゃんは友美ちゃんのスカートをめくりあげる。確かに膝にけがをしているが、特にひどく出血しているわけでも無い、ただのかすり傷だ。そんなもの、水穂さんの症状に比べたら、ぜんぜんましじゃないか、とブッチャーは思ったが、
「須藤さん、絆創膏か何かありませんか?」
と、聞かれて、
「ガーゼならありますよ。」
と答え、ブッチャーは、ガーゼと、医療用のテープを花村さんに渡した。
「じゃあ、ここに貼りましょうか。けがをしたときは、こういう風にしないといけませんからね。」
花村さんは、友美ちゃんの膝に、ガーゼを貼り付けてやった。
「よし、これで大丈夫でしょう。かすり傷でよかったですね。二三日すれば治りますよ。」
「おじさん、有難う。」
あかりちゃんがにこやかに笑って、そう言い返した。泣いていた友美ちゃんも、これでやっと、楽になったと思ったのか、にこやかに笑った。
「あ、それより、水穂さんの食事を用意しなくっちゃ!」
ブッチャーは大事なことを思い出して、すぐに立ち上がる。本来は、自分が勝手に忘れていた事なのだが、このときは、あかりちゃんたちのせいで、忘れさせられたという気がしてしまった。急いで、ブッチャーは、台所に向けて走っていく。あかりちゃんの方は、一寸申し訳なさそうな顔をしたが、
友美ちゃんの方は、花村さんと一緒に、おててつないで野道を行けば、なんて歌を歌っている。
まったく、反省としているような、そんな様子はない。
子どもであれば、それは普通の事なのだが、ブッチャーは、なぜか、それを許せなくて、二人の事を、ぎろりとにらんだ。
そんなことがあって、水穂さんに晩御飯を食べさせた後に、ブッチャーは、花村さんに、ちょっと食堂へ来てくれないかといった。
「どうしたんですか。急にそんな、深刻な顔になって。」
花村も、出来るだけにこやかさを保ちながら、ブッチャーにそう聞いた。
「花村先生。俺、もう疲れちゃいましたよ。」
「疲れたって何に疲れたのですか?」
ブッチャーがそういうと、花村さんは、そう聞き返した。
「だからあ、あかりちゃんたちの事です。あの子たちが居ると、水穂さんが療養するのに邪魔になりますよね。だって、いくら年齢的に仕方ないとは言っても、ああしてうるさく泣かれては、水穂さんだってゆっくりできないでしょうし、俺たちも、そっちに手をまわしていたら、水穂さんの方は置き去りになってしまいますし、、、。」
「そうですね。」
と、花村さんも、感慨深く言った。
「確かにそうだと思いますよ。そこをうまくやるのが、母親という物でしょうけど。」
「だけどねエ、花村先生。其れは親がすることで、俺たちは、他人なんですから、そこまでしなくてもいいんじゃありませんか。俺たち、本来することを、忘れてしまいますよ。」
ブッチャーは、花村先生に、一寸強めに言った。
「ですが、他人がどうのこうのという立場の事ではなく、彼女たちをいつまでも、放置したまま帰ってこない、母親のほうが気になります。」
確かに、花村さんのいう事も確かであるが、ブッチャーは、自分の負担を何とかしたかったのである。
「ですけど、俺、もう疲れちゃいましたよ。由紀子さんも、すでに彼女たちには、冷淡な態度で接していますし、俺も正直にいえば、彼女たちの面倒を見切れるかという自信はありません。古臭い考えを押し付けるわけでも無いですけれども、子供さんはやっぱり親御さんの下へ返してやるべきなんじゃないでしょうかね。俺、そう思うんですけど、どうでしょうか。」
ブッチャーは、そういう事を言った。
「そうは言いますけどね、須藤さん。既にこちらへあの二人がきて、三週間たっています。其れなのに、連絡すら一度も入ってこない。そういうような女性のところに戻して、あの子たちはどうなると思いますか?きっと放置されたままで、寂しい人生を送るしかできないんじゃありませんか?それよりも、こちらの方が、まだましだと思うんですけどね。」
花村さんは、耳の痛い話を始めた。
「それでは、俺たちの負担とかそういうことは、何も労をねぎらうようなことはないという事ですか。俺、姉ちゃんの時もそうだったけど、報酬も何もなく世話をするってのは、本当に疲れますよ。」
ブッチャーが思わず本音を漏らすと、
「確かにつかれるかも知れないですけど、其れはしょうがないことなんじゃないですか。事実、彼女たちの母親は、それに耐えられなくて育児放棄をしているんです。そんな母親の下へ、彼女たちを戻したら、彼女たちはひどい目に会う可能性がありますよ。そうなったら、本当に、悲しいじゃないですか。」
と、花村さんは言った。
「先生は偉い人だから、そういうことを言えるんですね。でも、先生もお体がご丈夫でないんですから、やっぱり、ご自身の事を考えないと。」
ブッチャーは急いでそういうことを言うと、花村さんは、
「他人の子だからとか、自分には関係ないとか、そういう言い訳が、子どもの居場所を失くしているのではないでしょうか。」
といった。確かにそれはそうだ。でも、ブッチャーは、そういう気にはなれなかった。そういうことがあれば、当のむかしに、こういうことは、解決できているはずではないだろうか。
「じゃあ、俺はどうしたらいいんですかね。あかりちゃんたちの事を、どうやって、うまく処理していけるでしょうか。」
「まあ、そういうことは、ほかに、一緒に話せる人を探すのが一番なんでしょうけど、、、。」
ブッチャーの質問に花村さんもそういうのであるが、実はこの答えこそ、一番難しいのであった。普通の人なら、保育園を用意するとか、誰か手伝い人をつけてもらうとか、親戚の誰かに頼むとか、出来るのだが、、、。そういう事は出来ない。
「でも、俺、思うんですが。」
と、ブッチャーは、花村さんに言った。
「やっぱりねエ、子供さんは、母親の下で育てるのが一番いいんじゃないでしょうか?実の母親に敵わないものはないと思うんですよ。それに、俺たちが説得すれば、お母さんだって、改心してくれる可能性もあるじゃないですか。其れに、あかりちゃんたちも、それが一番うれしいんじゃないかなあ。」
「そうですねえ。でも、自分の母親が、育児をする能力がないのなら、自身の身を守るために、母親から離れることもありだと思います。現に、私たちは、芸養子として、他人の子を引き取るという例は、いくらでもありますし。」
「つまり、花村先生は、里親とか、そういうのに出せというのですか?」
その答えを出した花村に、ブッチャーはそう聞いた。
「其れはやめた方がいいと思いますよ。俺は、やっぱり家族は家族で、一つになっていた方がいいと思います。それに、急に新しいお母さんができて、いくら優しくしてくれたとしても、実のお母さんには、勝るものはありませんよ。」
「其れは昔の話ですよ。もう家族という単位では、やってはいけない時代なんですよ。実の家族でなくても、それ以上に強い絆を持っている義理の家族だってあるんですから、そういう風にして、あの二人に本当の幸せというものを、早く感じさせてやる方が、彼女たちがこれからを生きていくのに、ふさわしいと思うんです。だって、彼女達は、これから何十倍も時間があるわけですし。そのためには、やっぱり、幼いころに愛されたという経験を作らせなきゃ。」
そこまで言った花村さんであったが、一寸肩で大きな息をする。
「大丈夫ですか?」
ブッチャーが聞くと、
「すみません。ちょっと頭がふらふらとして。でも、大丈夫ですから。」
という花村さんであったが、まだ肩で大きな息をしている様子だった。元に戻るのは時間がかかりそうだ。
「花村さんだって、本当に大変なんですから、無理しないでくださいよ。それでは、先ほど言ったようなことは、とても実現できる筈がありませんよ。」
ブッチャーは、花村さんの言葉を、偉い人が言う特有の理想論だと思いながら、もう、現実として、こういう風にしてしまおうと思った。
「もう、俺たちは、あかりちゃんたちの様子を見てやることはできませんよ。水穂さんも、由紀子さんも、俺も、先生も。だから、お母さんに来てもらいましょう。俺たちは、もうするしか方法もありませんよ!」
花村さんが何を言うかも考えず、ブッチャーは、スマートフォンをとった。彼女達のお母さん、つまり山口朱美さんの電話番号は、ブッチャーも知っていた。花村さんは、その前に、つながるかどうかも疑わしいと言ったが、ブッチャーは取り合えず、かけてみることにした。
ベルが、三回なった。やっぱり出ないかなとおもったが、電話の奥で、
「はい、山口でございます。」
と、静かな女の人の声で、そう声が聞こえてきたのである。
「あ、あの、山口朱美さんでいらっしゃいますか!」
ブッチャーがそう聞くと、
「ええ、そうですが。」
と答える彼女。
「あの、山口朱美さん。俺、須藤聰と言います。製鉄所を時々手伝っているものですけどね。」
ブッチャーは、こういう時に、口が上手かったらなあと思うのだが、相変わらず、自分は口が下手なままなのであった。
「はい。なんでしょうか。」
なんだ、普通の女性じゃないか。水商売をしているという事で、もっと乱暴な口調をしているのかと思った。
「あのですね。御宅、あかりちゃんと友美ちゃんという二人の用事を預かっていますよね。もう、それで三週間が経ちました。そろそろ、迎えにきていただけないでしょうか。」
ブッチャーは、ざっくばらんに本題を話した方がいいと思って、急いでそのように言ってみた。
「ああ、すみません。仕事が忙しくて、なかなかそちらに行けませんでした。申し訳ないですよね。すみません、長期にわたって預かっていただいて。有難うございました。」
意外な答えが返ってきた。ちゃんとわかっているじゃないか、とブッチャーは思った。
「じゃあ、すぐに、こっちへお迎えに来ていただけますか?」
ブッチャーがまた言うと、
「ええ、わかりました。明日の10時に迎えに行きます。」
と、朱美は、そういうにこやかな声で、返答した。
「本当に長く預かっていただいて、有難うございました。」
ブッチャーは、やっと肩の荷が下りた!とため息をついた。
翌日の朝十時。予定時間より少し遅れて、山口朱美が、製鉄所にやってきた。二人の子供たちは、待ち焦がれていたようで、彼女がやってくる、何時間も前から、玄関先で待っていたほどだ。
ガラガラっと玄関の戸が開くと、
「ママが帰ってきた!」
と、あかりちゃんたちは、朱美の体に縋り付く。それを見てブッチャーは、やっぱり俺のしたことは、間違いじゃなかったんだなと、考え直した。
「ママ、遅いよ、ママ。」
そう言いながら、あかりちゃんたちは嬉しそうである。でも、朱美の服装は、以前とは全然違っていた。以前は、肩を出したりとか、フリルのついたスカートは履いていなかったなあと、ブッチャーは、思う。
まあでもとにかく、母親が帰ってきてくれたから、それは良かったと思いなおして、ブッチャーは、車に乗って、製鉄所の方など振り返りもせずに、かえって行く彼女たちの姿を見送った。その日は、水穂も花村さんも具合が悪くて、あかりちゃんたちとは、接見できなかった。そのほうがかえってよかった。かえって、誰かがいると、こういう感動的な再会の、邪魔になってしまうだろう。
ただ、お世話になった製鉄所のメンバーたちへとか、ブッチャー個人へのお礼というモノはなかった。その時は、特に何も気にかける者はいなかったのだが、、、。
彼女たちが製鉄所を去って、また製鉄所は静かな日常に戻っていった。利用者たちも、自分の居場所として、あるいは、ちょっとリフレッシュするため、など、いろんな目的で製鉄所に宿泊したり、日帰りで勉強させてもらったり、そんなメンバーに限られるようになった。ブッチャーも、また水穂さんの世話をしたり、庭の掃除などを手伝ったり、松の木の世話をしたり、いろんなことをする立場に戻った。
いつの間にか、松の木は新しい葉をつけ始めていた。あちらこちらで、小さな葉が生え始め、段々、茶色い部分より、緑の部分が多くなっていくような気がする。そんな風に少し季節が変わっていく様子が分かってくるようになった。利用者たちも、受験生の利用者は、それぞれの志望していた大学へ行き、就職した者は、行きたい会社に行き、製鉄所は、そんな風景に変わっていくのである。
ところが、ブッチャーが、何気なく新聞を開くと、「殺人容疑で母親逮捕」という見出しが、載っていて、大目玉を食らった。
何とも事件の始まりは、隣の人が、部屋から異臭がすると通報してきたことによるものであった。そこで、マンションの管理人が、山口朱美さんの部屋を合いかぎでこじ開けると、あかりちゃんと友美ちゃんが、目を半開きにして倒れているのが見つかった。部屋に食べ物は何もなく、冷蔵庫の中身は、すべて食べつくしてしまったらしい。冷蔵庫ものドアも開けっ放しであった。二人の遺体は、すぐに司法解剖に回されて、死因を調べてもらったところ、まず友美ちゃんの方は、消しゴムを誤って食べた事による窒息死、あかりちゃんの方は、洗剤を飲んだことによる、毒物中毒だったという。部屋のドアや窓はガムテープがすべて貼られており、二人が部屋から出ないようにする工夫がされていた。其れだけ、母親が殺意を持っていたという事か。ブッチャーは、これを見て、愕然とする。
不意にスマートフォンが鳴っているのに気が付く。誰かと思ったら、由紀子からであった。
「もしもし。」
「ブッチャーさんどうしよう!あかりちゃんたちがなくなったって、今テレビで言ってる。お母さんが殺人で捕まったって、、、。」
こういう時は男らしく何かをしなければと、ブッチャーはすぐに思った。困っている由紀子さんに、自分の回転しない頭を使ってすぐに指示を出した。
「俺も、気になってました。ちょっと待っててくれますか。すぐに俺、警察に電話してみますから。」
ブッチャーは、一度電話を切って、すぐに富士警察署へ電話をした。あかりちゃんと友美ちゃんはどうなったのか、知りたかった。警察は、いったい二人とどういう関係なのかしつこく聞いてきたけれれど、ブッチャーが、あかりちゃんたちをかつて預かっていたというと、すぐに答えを教えてくれた。
それによると、あかりちゃんと友美ちゃんの遺体は、司法解剖終了後、亡くなった彼女たちの父親の実家が喪主として名乗り出て、しっかりと葬儀を行って、父親と同じ墓に埋葬されたという。それだけでも良かった、ほっとした、あとは母親が、殺人を犯したことを明確に認めてくれて、しっかり反省してくれればいいですねとブッチャーは言って、電話を切った。
そして、結果報告のため、もう一度電話を由紀子にかける。
「とりあえず、二人が埋葬されているお寺に行ってみましょう。何だかこの事件、あたし達ももしかしたら、責任があるかもしれないもの。」
ブッチャーから連絡を受けた由紀子は、そういうことを言った。
「わかりました。寺は、東上寺というところだそうですが。」
ブッチャーはそういうが、由紀子には聞いたことのない寺で、道がよくわからなかった。それを、由紀子が伝えると、
「わかりました、俺がすぐ、タクシー会社に電話しますよ。由紀子さんはお宅で待っててくれますか。俺、由紀子さんのお宅へ回してもらうようにしますから。俺も、あかりちゃんたちの事は放っておけません。」
と、ブッチャーはそう言って、急いで電話を切った。由紀子は、のろのろとテーブルに座った。
タクシーが迎えにきてくれるのを待っている間、由紀子は思わず、テーブルの上に突っ伏して泣き出してしまった。あたしたちが、あたしたちが、あかりちゃんたちを親元へ戻したばっかりに、こんなめにあわせてしまったんだ。あたしたちは、あかりちゃんたちになんてひどいことをしたんだろう。こんな酷いこと、しなければよかったのに。
あかりちゃん、友美ちゃん、本当にごめんなさい、、、。
由紀子は泣きながら、ブッチャーが来るのを待った。
不意に、一つの考えが頭をよぎった。其れはもしかしたら、答えなんて永久に見つかることはできないかもしれない問題だった。
あかりちゃんも、友美ちゃんもなぜ生まれてきたんだろうか。
あの二人は、何をするために生まれてきたんだろう。
田園詩曲 増田朋美 @masubuchi4996
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