第2話 出会い

 目の前には何処までも果てしなく続く海。背後には草原と森林、その向こうに霞む山脈。

 澪は先程いた場所とは全く違う、大自然あふれる光景に思わず呟いた。

「ロビンソン漂流記か神秘の島みたい」

 どちらも有名な冒険・サバイバル小説だ。無人島に漂着した人間が知識と技術を駆使して生活基盤を確立し、最終的に島を脱出するというストーリーである。澪はそれを小学生の頃図書館で借りて夢中になって読んだ覚えがあった。

 ただし、澪は両作品の主人公たちのようにはなれない。残念ながらロビンソン・クルーソーのように一人で何でもこなせる知識も技術もなく、神秘の島の四人(最終的に五人と一匹)のように協力しあえる仲間がいないのだから。

「人のいるところに行こう」

 これから先の身の振り方を考えるためにも、まずは人のいる村か街に行って安全を確保したい。【異世界の神】の話によればこの世界にはモンスターがいるらしいのだから。

 その前に現状確認のため、持ち物チェックをする。白いシャツとシンプルなデザインのワンピースに革のブーツ。一見すれば歴史の本の挿絵での中世ヨーロッパの庶民のような恰好である。腰回りにベルトが巻かれ、そのベルトに革のポシェットが下げられていた。入っていたのは見た目から判断して金貨一枚と銀貨と銅貨が数枚。

 足元に転がっていた革の肩掛け鞄の中には少量の食糧と大型ナイフ、皮袋。皮袋には細い管が通されその口に木の栓がしていた。手に取って振ってみるとちゃぽちゃぽと音がしたので多分水筒だろう。その他に外套と薄手の毛布、タオルのような布が一枚。必要最低限の旅装が揃っているようだ。

 澪は【異世界の神】とのやり取りを思いだし、目のあたりに手をやった。眼鏡のフレームが当たる感覚が無く、そしてそんな状態でもはっきり見えているから本当に【異世界の神】は視力を回復してくれたのだ。

 そしてもう一つ。

 澪は何かに動かされるまま近くに生えていた草に手を触れた。タンポポの葉に似たギザギザの葉を持つ何かの植物だ。季節が違うからか花も実もついていない。

「【鑑定】」

 口をついて出た短い呪文のような言葉を発した瞬間、澪の脳裏に植物の名前が浮かび上がった。


 ・ケイミラ草

 春に白い花をつける草。

 葉に回復の力を持つ。


 名前と一緒に特徴と効能まで分かるようだ。RPGゲームでの鑑定スキルなのだろう。

 他にも試してみたくて、今度はその近くに生えていた紫色の花をつけた植物に手を触れる。


 ・シリナ草

 秋に紫の花をつける草。

 特に効果は無い。


 薬草とそうでない草はやはり存在するようだ。見た目がそっくりで片方は食用、もう片方は毒草という植物は現実にもあるし、間違って食べた人が中毒を起こしたというニュースはたまに聞く話だ。この異世界も多分そういうことはあるだろう。

 そう考えたら鑑定スキルは澪のように異世界生まれではない人間が異世界で生きるには必須スキルに違いない。

 澪は【異世界の神】に素直に感謝した。

 このまま近くの植物を片っ端から鑑定したいところだけれど、そんなことをしたら多分日が暮れてしまう。陽はまだ天頂まで届いていないから昼になってはいないだろう(異世界の物理法則が地球と同じであれば)が、大自然の中で一人野宿というのも心細いものがある。

 とりあえず何かに使えるかもしれないと、鑑定したケイミラ草の葉っぱを摘みとってカバンの中にしまう。入れ替わり外套を取り出して羽織った。

 それから村を探すため澪は歩き出した。


               *  *  *


 人の集落と言うものは川の側で発展するものだという。

 四大文明などはその典型だ。エジプト文明はナイル川、メソポタミア文明はチグリス・ユーフラテス川、中国文明は黄河だし、インダス文明はインダス川。どれも大河の近くで発生し、発展してきた。

 山で遭難したら川沿いに下れば人里に辿り着くともいう。

 そんな訳で澪もまずは川を探すところから始まった。幸い海岸のすぐ近くに河口があったので、そこから上流に向かって歩いていく。

「あー、何かこうして自然を歩くのっていつ以来だろう」

 土の道を踏みしめながら澪は思わず口に出した。

 大学進学を機に上京したが、澪は元々田舎町の出身だ。家はいわゆる半農で、小さい頃は両親を手伝って田んぼの手伝いや畑仕事をしたことがある。家の近くには森があり、近所の子供たちとの遊び場だった。こうして草原を歩いているとドングリを拾ったり虫取りをしていた、大自然の中を走り回っていた幼少の頃を思い出す。

「皆元気かな……」

 懐かしい幼馴染の顔を思い出して澪はちょっとしんみりした。今頃彼等にも澪が死んだと耳に入っているだろうか。

 そう思いながらてくてくと歩いていたその時。

 突然近くからがさがさと草をかき分ける音がした。はっとして振り向くと、現れたのは巨大なイノシシだった。

 澪の実家の近くでも目撃例はあったけれどそれとは比べ物にならないくらいの巨大なイノシシだ。体長は澪と同じくらいだろう。

 そんな巨大イノシシが突然目の前に現れた。驚きと田舎育ちだからこそ知識として持っているイノシシへの恐怖に澪は思わずその場に固まってしまった。

 こちらの世界のイノシシにも猪突猛進という四文字熟語は当てはまるだろうか。

 ちょっとだけ恐怖を覚えながら頭の片隅でそんなことを思っていると、イノシシは澪の姿を認め、地面を前足で蹴った。

 あ、これはいけない感じだ。

 思った瞬間、イノシシは文字通り猪突猛進澪をめがけて突進した。軽自動車に撥ねられたのと同じくらいの衝撃を感じるらしいとこれまた田舎育ちの知識が澪の頭によぎる。

 異世界に飛んで一日目で、『死因:巨大イノシシの体当たり』は切ない。そう思った矢先だった。

 黒い影が澪の前に躍り出た。きらりと白い何かが煌めき、獣の鳴き声が周囲に響き渡る。

 どすん、と地響きを立てて巨大イノシシが横倒しになった。四肢がびくびくと痙攣し、やがてその動きが止まるのを澪はその目ではっきり見た。生き物の命が失われたのだ。

 澪の前に現れたのは背の高い人物だった。

 まだこちらに背を向けているから顔は見えない。巨大イノシシを一刀の下に退治した剣には血が少しだけ着いていた。ぶん、と振って血を払うと鞘に納める。

 それから気づいたように澪の方へ顔を向けた。

 まだ若い男だった。青年といっても差し支えないだろう。

 顔も服も土埃で汚れ、外套の裾はほつれたり破れたりしている。背中に大きなリュックを背負っているから多分旅をしているのだろう。

「あ……助けてくださってありがとうございました」

 青年と視線が合った瞬間、澪は言葉を紡ぐことができた。まず出てきたのは助けてもらった感謝の言葉だった。

 青年はああ、とだけ言って地面に倒れる巨大イノシシにまた視線を向けた。あまりにつっけんどんな態度で澪は目を丸くしたが、助けてもらった手前何も言わない。

 澪が見ている前で青年は腰に下げていた短剣を鞘から抜いた。

「あの……どうするんですか?」

 その言葉に青年の動きが止まった。また澪に視線を向ける。

「どうすると言われても……解体するに決まっているでしょうが」

「あ……そう、そうですよね」

 当り前の事を何を質問するのかと言外に問われ、澪は曖昧に笑って見せる。そんな澪を青年はちらと見ただけで次の瞬間には巨大イノシシの方へ向き直った。

 慣れた手つきで毛を剥ぎ、頭を落とし、内臓を抜く。

「珍しいですか」

「え?」

 手は止めずに青年が声をかけた。じっと見ているのを珍しいからだと思われたようだ。澪は首を横に振った。

 珍しいとは思わない。なぜなら澪の祖父は猟銃を持って獲物をとっていたし、その獲物を家に持ち帰っては庭先でさばいていたからだ。気持ち悪いとか残酷だとかそんなことも思わなかった。きちんと処理されたシカやイノシシの肉はとてもおいしかった。

 青年は解体したイノシシ肉を一塊ごとに分けると、背負っていたリュックサックから布切れを取り出し、肉を包んだ。衛生、という言葉が一瞬浮かんだが黙る。

「それどうするんですか? 一人で食べるには量が多い気が」

「近くに小さな町があります。そこで売りますよ。残りは自分の食糧ですが」

「町あるんですか?」

「そんなことも知らずに歩いていたんですか」

 青年の顔に呆れが浮かんだ。ちょっとどころじゃなく馬鹿にされている気がしたが、それに腹を立てている暇はない。澪は乗り掛かった舟とばかりに勢い込んだ。

「一緒に町まで連れて行ってください」

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異世界に行ったので色々作りながらのんびりしたいと思います まるり @e_maruri

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