第3話

待ち合わせ場所は、隣町の駅前にあるファミリーレストランだった。客はまばらで、一番奥の席で花井充さんが待っていた。

花井さんの姿も二年前とは違う。家族を失った絶望と、マスコミを始めとする世間から姿を隠すための逃亡生活、人間不信が、その風貌を衰えさせていた。

「お待たせしました」と私は言って正面に座って微笑みかけた。

やつれても彼は不思議に魅力的だ。

「大丈夫ですか?あの疋田って元刑事につけられてませんか?」という質問が花井さんの第一声だった。

「はい。クビにしてやりました。さっきメールがきて、お義兄さんがいた宿を調べたいとか」

「宿を?不破に会う、ではなく?」

「それは終わりました。でも、余計なことはするなと言ってやりました」

「本当に、あの男、疋田とかいうのに余計なことをしてほしくありません。私のことは知らないでしょうね。誰にも会いたくないんです。放っておいてほしい」

「もちろんです。私だけです。お分かりでしょう?」

「ええ、ありがとう」と花井さんも微笑んだ。「それで、不破は何と?」

「ひどい落ちぶれようでした」と私は不破氏とのやりとりを詳しく話した。

「意外ですね」と花井さんは考え込んだ。「しかし、二年も経つと…。犯人捜しはあきらめた感じですか?」

「それ以前の状態ですね。精神状態も、身体も悪そうで、多分、アルコール中毒に見えました」

「変ですね。しかし、そうですか。…残ったのは私だけですね」と花井さんは感情の高ぶりを抑えて顔を伏せた。

「私も手伝います。警察の捜査が進展する可能性もあります」と力付けた。

花井さんは、「今日のことで十分です」と不思議な笑顔を浮かべた。それから、「最近、沙和と最初に出会った頃のことをよく思い返すのです」と二人のなれ初めを語り始めた。

最初に出会ったのは病院の中だったという。そこで沙和さんを見初め、名前を知った。

間もなく自宅、次に勤務先が分かった。いくつかのプライベートに関することも分かった。最初に声をかけたのは、沙和さんが通うゴルフの練習場だった。

「私たちはすぐに意気投合しました」と充さんは得意そうに語った。

私は不安になった。「えーと、よく分かりません。偶然、病院や、家の近くとか、ゴルフ場で会うものですか?たまたま?」

充さんは落ち着いて笑った。「病院で見かけたのは必然ですよ。必然。一年もかけてあちこちの総合病院の待合室で、彼女のような循環器系の持病を持つ美人を探したんですからね」

確かに病院なら、受付の呼び出しや、不用意に持ち歩く書類を盗み見ることで、名前も受診先もすぐに割り出せるだろう。

「車を尾行すれば自宅が分かります。自宅が分かれば、勤務先や立ち寄り先。SNSの情報を組み合わせれば、趣味や友人関係も。私が最初に彼女と会話したのはSNS上でした。私は高校の後輩を名乗ってました。女子高ですがね」

「意味がよく…」言葉が震えた。

「分からなくていいんですよ」

私の携帯電話が鳴った。表示を見ると疋田だった。反射的に私は通話ボタンに触れた。疋田のだみ声が聞こえる。

「今どこにいる?ヤバイぞ。あんた、不破に多分、追けられてる。俺らの車の底にGPSを仕掛けられてた」

意味が分からない。不破氏はホテルに残してきただろう。

花井さんが手を伸ばして私の携帯電話を取り上げた。視線は私の背後に突き抜けている。

「ちょっと勝手に…」

花井さんの顔がくしゃくしゃになった。今までで最高に魅力的な笑顔かもしれない。しかし、言葉は冷たく乾いていた。

「なーに言ってんだこの馬鹿女。お前、不破に追けられてんじゃねえか!」

後ろを振り向く前に、一人の男が私の隣に座った。重みで、ソファーが軋んだ。

「案内、ここまでご苦労さん。さっきは、殺すなんて言って悪かったな」

男の顔を見た。鷲鼻と右頬のほくろ、左眉に目立たないが古い傷痕がある。痩せているが、筋肉質で骨太な体格だ。落ち着き払って、鋼鉄のようだ。さっき私が会ったのは、急ごしらえの粗悪な模造品だった。

本物の不破氏は、あの隣の部屋にいて、そこから私をつけてここまで来たのだ。

すべてはこのためだった。私への二通の手紙、二年間に渡る失踪、花井さんの無罪。

沙和さんは、あの密室のなかから、兄に電話をかけたのかもしれない。

だが、まともな会話は成立しなかったのか。いずれにしても、そこから復讐は始まっていたのだ。

「お前にチャンスをやろう」と言うと、ゴトリと音がした。不破氏はテーブルの上に大きなナイフを置いた。真っ黒なグリップから長大な刃が突き出している。

滑らかな動きで、不破氏は花井さんの耳を掴むと、ためらいのない精密さでナイフを振り上げた。そっと花井さんの前で手を開き、テーブルの上に肉片を置いた。

「こいつは耳だ。次は、はらわたを見せてやる」

店内にいくつもの悲鳴が響き渡った。花井さんが叫んでいる。私は、彼の顎からはよだれが滴っているのに気付いた。

不破氏はテーブル越しに花井さんを抱き寄せると、首を横に振った。

「俺は佐波の最後の声を聞いた。あの子の声も聞こえた。今も聞こえる。こっちに来い」

その後も、花井さんは辛うじて生きたまま悲鳴を上げ続けた。

しかし、一番叫んでいるのは多分私だ。

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被害者の遺族 北美平一 @yokohamamahoko

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