第2話
クラリスとその祖父であるカラムはドラクルの森とサリバーン平原の境目にある小さな村ドラクル・リーチで生活を営んでいた。
クラリスの両親は彼女が赤ん坊の頃にどちらも他界しており、カラムは父親代わりとしてクラリスを育ててきた。
決して裕福な暮らしではなかったが、カラムの献身に応えるように、クラリスはよく笑う女の子に育った。
クラリスが十二才を迎えたぐらいの頃から、彼女は祖父の仕事である狩猟に同行したがりだした。
最初は渋っていたカラムだったが、やはり自分の生業に可愛い孫娘が興味を持ってくれることに嬉しさが勝り、よく二人で森に入っていくようになった。
そんな折に、彼らはソレ──イオンに出会ったのだ。
黒檀のような髪に、まるで人形のようなに美しい顔立ちをしたその少年は言葉をほとんど喋ることが出来なかった。
川でのやり取りの後、イオンの詳しい素性がわかるまで、二人の家に迎え入れることにした。これは弟という存在に憧れていたクラリスの提案である。
家に迎え入れてからのクラリスは今まで以上に活発になった。
今ではまるで教師かのように周辺の説明をしている。
「イオン!ここがどこかわかる!?」
「?」
不思議そうに首を傾げるイオンにクラリスは地図に書かれている地名を指さした。
「ここは、ドラクルの森!こっちはサリバーン平原!そしてその間にある村が私たちの住むドラクル・リーチよ!」
「どらくるりーち?」
「そう!ドラクル・リーチ!あの英雄イオンが作ったんだから!その割にはちっさいし貧乏だけど!」
「いおん」
「言っとくけどあんたじゃないからね!大昔の人!ドラクルの森にいた悪い龍を倒しちゃうくらい強いの!」
何故か誇らしげにしてるクラリスをイオンはおー、と感心したように眺める。
するとクラリスはどこからか少し厚めの絵本を持ってきて、テーブルの上で開いた。
「その英雄さまはね、すごいの!絵本になるぐらい偉いんだから!」
「今よりさらに小さい頃から好きじゃったもんなぁ。夜になったら『じぃじぃ〜よんでぇ』って必ずねだってきたもんなぁ」
「おじいちゃんうるさい!」
真っ赤な顔をして怒るクラリスとケラケラと笑いながら昼食を作るカラム。
一方、イオンは開かれた絵本をじっと見つめた。
絵本には剣を持った騎士風の男と黒い龍が戦っている挿絵が左半分に書かれており、右半分は文字が羅列していた。
イオンはなんとなく、なにが書いてあるのかわかることに気がついた。
意味が理解できない。だが、読める。
「えいゆうりおんはゆうきをふりしぼりじゃあくなりゅうにたちむかった」
「えっ!?」
イオンの朗読に、クラリスはまるで頬を叩かれたかのような勢いで振り向いた。
さっきまで真っ赤だった顔も呆気にとられたせいで、元の顔色に戻っていた。
「あ、あんた字読めるの!?」
「ほうこりゃたまげたわい。言葉がわからないくせに文字は読めるときた。しかも先生がまだ読めない難しい文字まで読めとるわ」
「読めるし!ほっんとうるさい!」
クラリスは必死に言い返してはいるが、実際のところ絵本にはまだまだ読めない字が多数存在していた。
今でこそ一人で読むようにはなったが、それは決して読めるからそうしているわけではなく、祖父に絵本を読み聞かせてもらうという行為に対して恥ずかしさを感じるようになったからだ。
だがイオンが今読んでみた箇所は普段、クラリスが読めないため飛ばしているところだった。
つまり、カラムが言う通り識字だけ見ればクラリスはイオンに完敗しているのだ。
「ね、ねぇ。ここなんて書いてあるかわかる?」
クラリスは小刻みに震える指で絵本に書いてある一節の文章を差した。
そこはクラリスがずっと読めないでいる部分だ。
イオンはしばらく、黙って絵本を見つめぽつりぽつりと口を開いた。
「ごうよくなじゃりゅうはせいぎのみはたのまえにほろびさられたのだ」
クラリスはひどく吃驚仰天したようで、口をだらしなく開けたまま固まってしまった。
カラムはそんな孫娘を呆れたような目で一瞥し、狩猟用のクロスボウを磨くのをやめて、イオンの前に対座した。
「字は人並み以上に読める癖に、まとものに話すことが出来ず、自分がどこの誰かもわからないとは何事じゃ」
カラムは獲物を見定める時にするような目付きでイオンを観察した。
まるで教会にある聖画像に書かれている女神のような顔立ちはどこか非生物的ななにかを感じさせた。
「しばらくは面倒みちゃるが、なにがしでかしたらすぐに出て行ってもらうけの」
「?」
厳しい眼差しを向けられているイオンはまっまく萎縮した様子もなく、不思議そうにカラムを観察している。
しばらく温度差の激しい見つめ合いが続いたが、やがて、カラムはまるで赤ん坊に睨みをきかしているような錯覚に陥り、馬鹿らしくなってしまい溜息をつき、隣で口を開けたまま固まっているクラリスの後頭部を軽く叩いた。
「いたっ」
「いつまで蓬けとるんじゃ。
今から仕事なんじゃからしっかりせい」
「えっ!あっそっか!忘れてた!」
「イオン、お前も儂らについてこい」
自分の部屋に狩猟道具(子供用の簡素なもの)をドタバタとりにいったクラリスを横目に、カラムは先程とは打って変わって優しい口調でイオンを仕事に誘った。
イオンは誘われたことを理解しているか否かは傍目からは分からなったが、何も言わずじっとカラムの目を見つめた。
カラムは何も言わず、クロスボウ等の得物を肩に担ぎ一人で外に出ていた。
そしてイオンもそれに黙まって、それに同行した。
やがて少し遅れて、外に出くる少女も一緒に3人のパーティは森に入っていった。
ドラクルの森はかなり深い森林地帯である。
生息する獣は多岐にわたり、その多くは人間を敵とする動物がほとんどを占めていた。
カラムのような狩人は基本的に森の浅い領域で狩猟を行うのが通例である。
何故ならばドラクルの森の奥の多くは未まだ人類未踏の地であり、歴戦の狩人でさえ一度入ってしまっては生きて帰れないとされる禁断の地とされていた。
「よしついたぞ」
カラムはそう言い、座り込み、背負っていた薪を地面に置いた。
「ね!おじいちゃん!私今日はうさぎ狩りたいんだけど!」
「おめーにうさぎははえぇわい。
調子乗んのは焚き火をちゃんと炊けるようになってからにしな」
「は!?炊けるし!」
「ほ〜?
じゃあやってみぃ」
クラリスは顔を真っ赤にした後、焚き火をせっせと炊きだした。
最も、その手際は極めて不器用で時間が掛かりそうなのは明らかだった。
「ほれ、これがお前の得物じゃ」
「?」
イオンはカラムから差し出された得物(子供用の弓と矢)をじっと見つめ、カラムの顔を一度見たあと、弓矢を手に取った。
「使い方はわかるか?」
「?」
首を傾げるイオン。
やはり、渡された弓矢が何をするために存在を為しているのか理解していないようで、興味深そうに眺めながら弦をもう伸びなくなるというところまで伸ばした。
イオンほどの年頃の子供が弦を引っ張れば大抵はちゃんとした引き方がわかっていないので、殆ど伸びないというのが普通だ。
が、イオンはそういった効率の良い筋力の使い方や姿勢などを一切合切無視し、純粋な腕力で引いてみせたのだ。
その証拠に弦を限界まで引いているイオンの腕はビクともしてないが、とてつもない負荷をかけられ続けている弣の方は絶えず震えていた。
「こら!弓が壊れてしまうわい!やめんか!」
カラムの叱責にイオンは一瞬身体をビクッと震わせたあと、渋々、弓を引くのをやめ、即席のイスの上に置いた。
その後しばらくイオンは餌をとりあえげられた仔犬のような目付きでカラムを見つめた。
「…立ってみぃ」
だが、イオンは立たない。
カラムはイオンまだしっかりと言葉を解さぬことを己が完全に失念していたことに気づきため息をついた。
ほれ、とカラムは手を伸ばした。
イオンは何も言わずその手をとり、無理矢理立ち上がらさせられた。
そしてしばらくカラムは弓を引くための姿勢、矢の番え方、狙い方などをできるだけ分かりやすく実演してみて、所々でイオンにもやらせてみていた。
しばらく射型を教え、今度は実際に的を狙わせてみせた。が、どうやら何かを狙うということは苦手のようで、矢はすべて地面や的から外れ木に刺さったりしている。
そうこうしている内に仕事を終えたクラリスも弓の練習に混ざった。
クラリスは何も言わず一生懸命、弓を構えカラムが即興で作った的を狙っているイオンの隣に立ち、同じように的を狙い、矢を射てみせた。
矢は綺麗に的の中心の黒点えと吸い込まれて言った。
「どうよ」
と誇らしげなクラリスに、イオンは何も発さないが、どこか尊敬したような目を向けた。
クラリスはカラムも認める弓術の持ち主だ。
まだ十になったばかりの幼女ではあるが弓に関してだけ言えば、その腕は大人の狩人に匹敵する域なのだ。
そして、今度はクラリスに触発されたのか、イオンも先程のクラリスのように弓を構え、外していた時よりも長い時間をかけて狙いを絞っている。
そして、射った。
カァーン!という音が森に響いた。
イオンが放った矢は先程クラリスが的中させた矢の筈を両断し、的へと刺さった。
「ほぉ」
「え、えぇ?」
驚嘆したように唸るカラムと、初心者ら凄技を見せつけられたクラリスは酷く戸惑っている。
「なんじゃい、クラリス、おめぇイオンに勝ってるところ言葉が喋れるくらいじゃねぇか」
その日、森で一人の少女が吠えたという。
屍肉の魔王~孤独な獣の成り上がり~ 九環 兎盧 @kuwatotoro3
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