第20話 二択



 雑木林から全力疾走すること約十分。おぼろげに見えていたオグリの町並みがしっかりと視界に浮かび上がってきた。

 

 「はぁ、はぁ……もうすぐだ。見たところ、村に何か異変は起きてないように……いや、」

 

 安堵あんどしかけた矢先、村の中に揺らめく巨大な青い影をミヤビは確かに視覚する。足を止め、細くした目でそれの正体を確認していると、後ろから足音が迫ってきた。

 

 「はあ、はあ……や、やっと追いついた……!」

 

 息も絶え絶えにやってきたのはチャヤだった。ミヤビの隣に辿り着くと、彼は崩れ落ちるようにひざまずき、荒い呼吸を繰り返す。

 

 「なん、だよ……急に。走り出して、なんだってんだよ……!」

 

 文句を訴えかけてくるが、それに構っている暇は無い。ミヤビはチャヤを無視して、一途にオグリを見据え続ける。

 

 揺らめく青い影はやがて、闇の中にその描線びょうせんをぼんやりと浮かび上がらせてきた。長い鼻口びこう部になだらかな首筋と山の稜線りょうせん彷彿ほうふつとさせる壮大そうだいな背中のライン。ズシン、と大地を踏みしめるのは雄々しく太い四本の脚。青く揺らめくは、幻想的に燃え盛る紺青こんじょうたてがみ

 

 『グラシュティン』――身に纏う炎をエネルギーに変えて大地を駆け抜ける、巨大な馬型の想生獣であった。

 

 「ヒイイイィィィンっ!!!」

 

 馬車に使われるキャビンのような大きな荷車を牽引けんいんしながらオグリを後にしたグラシュティンは、地の果てまで届くようないななきを上げ、ズガンと両前脚を振り下ろす。そして、容易く砕けた地面を蹴り上げながら疾走を開始した。

 

 大きな荷車がありながらも、鬣を激しく燃え上がらせるグラシュティンはどんどん加速していき、やがて一筋ひとすじの青き閃光となって視界の果てへ消えていく。

 

 「な、なんだよあれ?! なんであんなデカい想生獣がオグリから出てくるんだよ?!」

 「俺が知るか。今、分かるのは、オグリに何か尋常じんじょうじゃない事態に見舞われている、ということだけだ」

 

 チャヤに応えながら、ミヤビは青い閃光の行き先を視線で辿った。あの方向では、東部周衛基地の付近を通ることになるだろう。

 

 続けて、ミヤビは空を仰ぐ。月光を浴びて、カラフルな翼を羽ばたかせる巨大な怪鳥らしき影が、ゴンドラのようなものを足に吊るして星空を飛んでいくのが見えた。チャヤが目撃したのは恐らく、あの想生獣だ。

 

 「あいつもオグリから出現した……? オグリで一体、何が…………くそっ!」

 「あ、ちょ、待てよぉ!」

 

 ここで突っ立っていても何も分からない。

 

 (フィオは……フィオは無事なのか?!)

 

 胸の奥から止めなく溢れ出てくるたった一つの想いに突き動かされて、ミヤビはひたすら草原を全力で駆け抜けていく。

 

 オグリの周辺には、アレクたち防衛班の姿は無い。そのことでさらに不安が掻き立てられるが、妙な詮索せんさくを受けずに村に戻ることができたのは幸いというべきか。

 

 門番のいない門を通り抜け、不気味な静寂に満ちたあぜ道を、月明かりを頼りに邁進まいしんする2人。


 「なんだ、この静けさ……まるで、村に人が誰もいないような……。ナイト級の人たちもいなかったし…………一体、どうなってんだ?」

 

 辺りをキョロキョロ見回しながらチャヤは疑念を口にする。確かに、この村は元から閑静ではあったが、今回の静けさはその域を完全に超えている。

 まるで、この世にはミヤビとチャヤしかいない。そんな錯覚すら覚えてしまうほどの、強烈な寂寥せきりょう感。

 

 「とにかく、村の中心を目指すんだ。きっと誰かが……っ、あれはっ?」

 

 そうして道を突っ走るミヤビの目に飛び込んできたのは、公民館の傍に佇む黒くて大きな何か。

 

 ミヤビたちは足を止め、建物や木の影を渡りながらゆっくりと公民館に忍び寄っていく。

 すると、獣の鼻息や複数人の足音が耳に届いてきた。ミヤビとチャヤは周囲に気を配りつつ、公民館のすみから広場の方を覗き込む。

 

 避難所と救護施設がある広場には、たくさんの村人が列を成していた。誰も言葉を交わすことなく無表情に並び、前から順に配られていく銃器を受け取ると列から離れていく。

 

 そうして村人が向かう先は、先ほどのグラシュティンが引いていたそれと同型の大きな荷車であった。その傍らには、流線りゅうせん系の肉体を持つ筋肉の塊のような黒牛が寝そべっている。荷車の綱は、その牛の体に固定されていた。

 

 「あいつは『オニキスバイソン』……並外れた速力と持久力を誇る、第二世代の想生獣。そのスピードを生み出す発達した筋肉は非常に硬く、刃物や牙を通さない。その頑丈さ故に、どんな障害をも突破して走り続けることができる」

 

 まさに、逃走には持ってこいの想生獣。そんな生物が、なぜこのオグリにいるのだろうか。そして、村人たちとの関係とは?

 

 自然、村人たちの動向を目で追いかけるミヤビは、キャビンの傍に位置する台の上に座り込んでいる奇妙な老人を発見する。周囲を囲む村人たちとは異なり、しわだらけの顔に感情を灯している、この村では見かけたことのない人物だ。

 

 「誰だ? あいつは……」

 「あっ、おい。亡霊、あっちを見てみろよ」

 

 チャヤに肩を叩かれて、ミヤビは彼が指差す方向に顔を動かした。

 公民館の裏手に築かれたルーク級の宿舎前には、アレクら防衛班と、マルクら作業員たちが、両手を縛られた状態で放置されていた。全員、気を失っているのか、誰もが地面に寝そべったり力無く項垂うなだれている。

 

 「あいつら……やっぱり、捕まっていたのか……」

 

 アレクたちが持ち場にいない時点で、捕まったか殺されたかのどちらかであると悟っていた。そして、防衛班がやられたとなれば、マルクたちにも危機が及ぶのは至当しとうである。


 だからミヤビは大して驚くことは無かった。しかし、チャヤはそうではなかったようだ。

 

 「も、もしかして……みんな殺されたんじゃ……」

 

 震える声で呟き、すがるような目でミヤビを見上げるチャヤ。想生獣の出現から村人の異常行動、捕まった仲間たちなど、この怒涛どとうの展開に思考が追い付いていないようである。


 いや、この事態を即座に受容し、冷静に順応しているミヤビが異端いたんというべきか。

 

 「殺したのならわざわざ縛る必要なんてないだろ。ただ拘束しているだけだ」

 「そ、そっか。それなら……いやでもっ、なんで拘束されないといけないんだよ。これやったの多分、ここにいる人たちだよな? おれたちはオグリを守るために来たのに、なんでこんな事されないといけないんだよ」

 「…………」

 

 ミヤビもそこが不思議だった。

 

 オグリの住人がフロンズ聖伐軍に対して反感を抱いているのは、キスカからすでに聞かされている事実である。だが、それを理由にこのような反逆的な行為を、しかも 村人たちが総出で敢行かんこうするとは考え辛い。

 

 第一、村人だけの力で上位種の想生獣を扱うことなど……そもそも、域内ではお目にかかることすら生涯しょうがいに一度、有るか無いかである。確実に、何か巨大な組織が裏で関与しているとしか思えない。

 

 そして、そのような後ろ盾が存在するとすれば、今回の任務のことを踏まえて考えると、レジスタンス以外に有り得ないだろう。

 

 「……つまり、あそこにいる老人はレジスタンスの兵士か? オグリで発生した想生獣たちは、あいつが……?」

 

 自らの呟きに応えるように、ミヤビは老人に視線を戻した。宿舎に目をやっている間に、村人たちの行列はかなり消化されたようだ。ミヤビが二度目に彼の姿を捉えた時、周囲の人だかりは消えていて、先ほどまでは隠れていた台の上まで窺えるようになっていた。

 

 その結果、老人の傍に寝かされている2人の人物が目に入り、ミヤビは今度こそ驚愕する。

 

 「……っ、フィオ……!」

 「え? ……あっ、あれは、チェルシーっ?」

 「ばっ……」

 

 大きく前に踏み出したチャヤを、ミヤビは慌てて引っ張り戻す。その迅速な対応により、村人たちの前に姿を現すという失態を招かずに済んだ。

 

 ――までは良かったが、その際に足元にあったバケツを蹴飛ばしてしまい、大きな音が広場に響き渡ってしまった。

 

 「ん? なんだ? 誰かいるのかい?」

 

 胡坐あぐらをかいた姿勢で村人たちを見守っていた老人が、背筋を伸ばしてこちらに顔を向ける。ミヤビはさらに奥に引っ込み、そのまま公民館の中へと入っていった。

 

 公民館の内部は、会議用の大部屋と、給湯室を兼ねた小さな歓談エリアが築かれている。ミヤビたちは身を屈め、窓の下に潜り込むように進み、歓談エリアの奥にある本棚の裏に隠れた。

 

 少しして複数人の足音が公民館に近づいてくる。その足音はミヤビたちがいた場所で止まり、しばらくして玄関に入り込んできた。

 そのまま、複数人は大部屋へと歩を進めていく。大部屋には広いものの隠れられるスペースが無いため、愚直ぐちょくにそこを選んでいれば確実に見つかっていた。やはり、歓談エリアの方を選択して正解だったようだ。


 そして、村人たちは歓談エリアを覗き込むだけに留め、公民館を出ていった。足音が遠ざかり、ミヤビとチャヤは同時に重たく息を吐き出す。

 

 「ど、どうなってんだよ……何が起こってんだよ、このオグリで。あそこにいたのはチェルシーだったよな?」

 「ああ。それと、フィオ……ライト様もだ」

 

 ミヤビは改めて、先刻の光景を脳内に蘇らせる。老人の傍で寝かされていた2人の人物。顔は見えなかったが、あの頭髪と服装からして、フィオライトとチェルシーで間違いないだろう。

 

 だが、なぜあの2人だけ、マルクたちとは違う場所で寝かされているのか。

 

 考えられるとしたら――

 

 「……誘拐?」

 「え? なに、誘拐? 誘拐って……チェルシーとフィオライト様を誘拐しようってのか?!」

 「バカ、声が大きい」


 急いでミヤビはチャヤの口を抑える。その後、ゆっくりと腰を上げて窓の端から外の様子を覗き込んだ。

 広場にいる村人たちの中で、こちらに注目している人物はいない。それを確認し、ミヤビは姿勢を戻してチャヤに人差し指を突き付ける。「静かにしろ」というサインだ。

 

 ミヤビに口を封じられているチャヤは、コクコクと小さく首を縦に振って同意する。そうしてミヤビの手から解放されると、彼はかなり控えた声量で言った。

 

 「で、でも、どういうことだ? 誘拐って、どこに連れていくってんだよ」

 「そりゃあ、さっきの怪鳥やグラシュティンの行き先からして、域外だろうな。域外にあるレジスタンスのアジトに」

 「え? なんだよそれ……ってことはつまり、あいつらはレジスタンスってことか? なんでレジスタンスがオグリに?」

 「だから、声を抑えろ。見つかるだろうが」

 

 どんどんと声量を上げていくチャヤに再度、忠告してからミヤビは答える。

 

 「それは分からん。連れていく理由もな。だが、フィオライト様が人類にとって重要な存在であることは連中も認識しているはず。彼女を軍との交渉の道具として利用するのが目的なのかもしれない」

 「そしたら、なんでチェルシーまで……」

 「恐らく、保険。もしくは、フィオライト様を自分たちに従わせるための人質なのだろう。自分だけならまだしも、他の人間が傷つくことに耐えられない性格だからな、あいつは……」

 「……それって、フィオライト様のこと? あっ、そういえばお前はフィオライト様の……」

 

 ミヤビを見つめるチャヤの目が、少しずつ胡乱うろんな形に変化していく。

 

 藪蛇やぶへびだったか、とミヤビは反省し、話題を変えるために早口で会話を紡いだ。

 

 「それよりも、早くしないと2人が連れ去られちまう。なんとかしねえとな」

 「そ、そうだな。でも、どうする? あっ、お前ならどうにかできるんじゃないのか? なんたって、あのケルベロスを倒したんだから。あいつらを追っ払うこともできるんじゃないのか?」

 

 微妙にほころんだ顔を上げて、チャヤはミヤビにそう打診だしんする。その期待に満ちた瞳は、ミヤビの肯定の言葉を待ち焦がれているのだろうが、生憎、そんな都合の良い話などあるわけない。

 

 「無理だ。数が多すぎるし、なによりオニキスバイソンがいる。あいつを倒すなんて不可能だ」

 「で、でも、お前はケルベロスを……」

 「あれは、その……偶然とまぐれと奇跡が重なって出来たことであって。というか、アレは第二世代の想生獣なんだぞ? 簡単に言ってるけど。俺みたいな無能が相手にできるわけねえだろ」

 「ううぅ……」

 

 ぐうの音も出ずに、情けなく顔を伏せるチャヤ。これで論破されるのも、それはそれで腹立つが。


 ミヤビは気分転換がてらに溜息を吐き、うつむくチャヤに言う。

 

 「……俺たちにできるとしたら、今すぐに応援を要請することだ。この公民館には確か、アンテレナ様たちの班と連絡を取るための通信機材が設置されていたんじゃなかったか?」

 「あっ……そうだ。それで救援を呼ぶってわけだな。よし、行こうぜ」

 

 すぐさま立ち直ったチャヤは、さっそく身を屈めた姿勢で歓談エリアを引き返していく。

 

 (だが……恐らくはもう……)

 

 ミヤビは黙って後に続くが、その一方では、諦めに近い感慨が胸の内を支配していた。

 

 外の集団に見つからないように通路を進み、2人は大部屋に足を踏み入れた。だが、その内情を目にして絶句する。部屋の端に置かれた通信機材の一式。それが見るも無残に破壊されつくしていたからだ。

 

 「ひでぇ……通信機材がメチャクチャだ。こりゃあ、使い物にならないぞ……」

 「……やっぱりな」

 「え? やっぱり、って……」

 「気を失っている人たちを、さらに拘束して一か所に纏めておくくらいに慎重な連中だ。ここの通信機材も壊されていても不思議じゃない」

 「そんなぁ……じゃあ、どうするんだよこれから。このままあいつらがチェルシーたちを連れていくのを黙って見てろ、ってことかよぉ……!」

 

 絶望を噛み締め、チャヤは膝からガックリと崩れ落ちる。爪が食い込むほどに握り締める拳は、何も出来ない自分への葛藤か。

 

 「誰がそんなことするか」


 しかし、そんなチャヤの弱音を、冷然とミヤビは切り捨てる。

 

 「誰がフィオが連れ去られるのをボケっと見てられるってんだ。そんなことはさせない。絶対に阻止してみせる。この命を懸けてでも」

 「……亡霊。で、でも、どうするんだよ? あいつらを追っ払うことはできない、って言ったのはお前だぞ?」

 「ああ。皆を救うとか、村を守るとか、そんな正義心や理想論を掲げている限り不可能だ。だが、2人だけならなんとか助けられるかもしれない」

 「2人だけ……?」

 「つまり、フィオと……彼女と一緒に連れ去られるであろう、チェルシー。ただ、その場合、他の人間を見捨てることになるが」

 「…………!」

 

 チャヤの瞳が動揺で震える。

 

 「だから、今度こそ選べ」

 

 そんなチャヤの目線に腰を落として合わせたミヤビは、彼の瞳を真正面から見据え、訊ねた。


 「このまま全てを諦めるか。それとも、他の人間を犠牲にしてでも大切な人を守り抜くか。さあ、お前はどっちを選ぶ?」


 「おれ、は……」 

 


 生唾を呑み込む音が、大きく鳴った。

 

 





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