第19話 終わりなき異変



 ミヤビはぎこちない動作で振り返る。後ろの茂みがガサガサと蠢き、間も無く闇の中からチャヤが姿を現した。

 

 「ケルベロスの鳴き声とか、爆発音とか聞こえてて……でも、急に静かになって。だけど、ケルベロスの足音とかしないから、変だなって思って来てみたら……」

 

 よろよろと頼りない足付きでミヤビまで歩み寄り、目の前の巨体を唖然と見上げる。

 

 「死ん、でる……のか? 死んでるんだよな、これ。ど、どうやって……もしかして、お前が……倒したのか?」

 

 そして顔を下ろし、見開いた目をミヤビに向けた。

 

 (…………まずいな)

 

 猜疑に満ちた眼差しを浴びて、ミヤビは心の中で舌打ちする。

 

 チャヤの存在を完全に失念していた。ケルベロスに怯えるチャヤが、リスクを冒してまで自発的な行動をするはずがない。そのような思い込みが、最悪の展開を招くことになってしまった。

 

 (どうする? 誤魔化すことができるか、これは……)

 

 現場を見られていなければ、それも可能だっただろう。早急に解体を済ませ、チャヤに声を掛けることなくオグリに帰還する。

 その後、ケルベロスの存在と、その死が明るみになったとしても、知らぬ存ぜぬを決め込んでいればいい。ミヤビが戦闘能力の無い木偶でくぼうであることは周知の事実だし、誰も彼の功績だと思わない……認めたくないはずだ。

 

 だが、こうして見られた以上、そんな言い逃れは通用しない。域内に第二世代の想生獣が出没した今回の大事件は徹底的な調査が行われ、現場に居合わせた2人にも事情聴取が実施されるだろう。

 そこでチャヤは、確実にミヤビとケルベロスの死体の関係性に言及するはずだ。

 

 (それだけは絶対に避けなければならない……なんとか俺のことを黙ってもらえるよう、説得することはできないか?)

 

 そう考えるミヤビだが、思考の末に限界を覚えて首を振った。

 

 (いや……恐らく無理だ。特にこいつは変なところで真面目だ。それは、マルクたちに利用されていると知りながらも、下された命令を諦めきれないさっきの様子からよく分かる)

 

 人間と言うのは、基本的に嘘が苦手だ。マルクやキスカのように、普段から多用している者ならまだしも、ろくに人を騙したことが無い人間がつく嘘など、軍の査問委員会は容易く見破る。だとすれば、嘘を持ち掛けること自体がリスクだ。

 

 (だとしたら、残された手段は一つ……)

 

 最後に残った選択肢。それを呑み込んだミヤビは、チャヤから視線を外してケルベロスの死体を見上げる。

 

 「ああ、俺が倒した」

 「どどっ、どうやって?!」

 「まあ、いろいろと頑張ってな。死ぬ気でやれば何事も結構できるモンだぞ」

 「いや、いやいやいや……そんな、根性論みたいな話じゃないだろ。だってこれ、第二世代の想生獣だろ? ナイト級が10人がかりでやっと、ってレベルの化け物だろ? そいつを、なんでお前なんかが……」

 

 釈然としない心持ちを言葉にしながらよろよろとミヤビの横を通り過ぎ、さらにケルベロスの死体に接近していくチャヤ。

 

 そうして呆然とケルベロスを見上げるチャヤの背後に、ミヤビは足音を立てずに忍び寄っていく。そこで、ルイワンダをゆっくりと構えた。

 

 (ここでこいつを消すしかない…………俺の目的の障害となり得るのなら!)

 

 この選択は、たった今、ひらめいた思い付きではない。ミヤビがケルベロス討伐にチャヤを誘った時、この展開はすでにミヤビの頭の中にあった。


 裏方にてっし、全ての物事を秘密裏に済ましたいミヤビにとって、自身の暗躍が他者にバレることは死活問題も同義。

 けれど、戦わなければ生きられない状況で、それにこだわるがあまりに命を落とすことになればまさしく本末転倒。

 

 それ故、チャヤの存命を知ったミヤビには、二つの選択肢しかなかった。

 チャヤを犠牲にしてケルベロスを倒すか。

 チャヤを巻き込まず、1人でケルベロスを倒すか。

 

 前者の犠牲とはすなわち、囮や身代わり。嗅覚という絶対的なアドバンテージを持っているケルベロスを討ち取るためには、こちらも相応の何かを懸けなければならない。ミヤビはそれに、チャヤの命を使うことを想定していたのだ。

 

 自分には、フィオライト以外の人間を思い遣れるほどの力なんて無いから。たとえ外道に成り果てても、叶えたい夢があるから。

 

 チャヤを犠牲にしようとした。

 

 結局、チャヤは拒絶したので、1人で戦うことになったが。

 あの時、彼に投げつけた言葉は、ただの憤りだったのか。それとも、別の気持ちがミヤビに紡がせたのか。



 ――今となっては、どうでもいい疑問だが。

 

 

 (こいつを殺す……死体はキューブで爆散させた後、肉片をケルベロスの口や牙に擦り付ければいい。鑑識かんしき班はケルベロスに食われたと判断するはずだ)

 

 心を薄く、細く、氷柱つららのように凍らせて、ミヤビはルイワンダを大きく振り上げる。

 

 「……でも、なんでケルベロスなんて化け物がこんな所にいたんだろうな? 大して大きくない森の中だってのに……」

 

 少し心に余裕が出てきたのか、チャヤは別の疑問を口にする。まだ背後のミヤビには気付いていない。

 そんな彼の後頭部を睨み付け、ミヤビは両手に力を込める。

 

 「いや、ケルベロスだけじゃないんだよな、想生獣は。他にもまだいるみたいだぜ?」

 「……なんだって?」

 

 そして、振り下ろそうと歯を食いしばった瞬間、チャヤから聞き捨てならない発言が出てきて、ミヤビは思わず両腕を止めた。

 

 「だから、ケルベロスの他にも……って、近っ。なんだよ後ろに立って。何するつもりだよ」

 「それよりも、なんて言った? 想生獣が他にも?」

 

 狼狽うろたえるチャヤを制し、ミヤビは詰問する。「あ、ああ」とチャヤはぎこちなく頷き、とある方角を指差しながら答えた。

 

 「木の上にいた時にな。向こうの方からでっかい鳥が現れて、域外に向かって飛んでいくのが見えて。あれは間違いなく上位の想生獣だったな」

 「向こうの方?」

 

 チャヤの指に沿って顔を動かすも、森の中では木々が邪魔をして見通せない。なので、ミヤビは急いで森から抜け出し、改めて彼が指し示した方向に目を向けた。

 

 ジッと見据える視界の果てにあるのは――――オグリ。

 

 「ウソだろ、まさか……!」

 


 それに気付いた瞬間、湧き上がる危機感に駆られてミヤビは夜の草原を走り出した。


 

 

 



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