最終話 恐怖の種



 「はぁ…………」

 

 病院へと続く階段の上で、リリエットはこれで何度目か分からない溜息を零した。

 

 地下街のとある街区の端に位置するアドミリック病院。キングリデックらの生活スペースを兼ねた宿泊施設や研究施設を地下に備える関係上、高台に築かれたこの地からは、石造りの広大な街並みを一望することができる。

 

 地下であるため、碌に緑など無く、人工光で照らされる景色は極めて殺風景だ。それでも、変化の無い閉塞的な生活の中では、中心街を彩る人々の往来を眺めることでも数少ない娯楽になり得る。

 

 リリエットは、暇を持て余した時は、常に階段の一番上に腰掛け、中心街の賑わいを観覧することにしていた。基本的に病院に訪れる者は少なく、入院している者もいない。つまりはほぼ毎日、こうやって時間を潰している。

 そして、いつものように1人の来院も無い本日もまた、最上段の上で膝を抱いて、ぼんやりと闇市場を眺めていた。

 

 「ミヤビさん……だいじょうぶかな……」

 

 流れゆく人波を瞳に映しながら溜息混じりに吐き出したのは、敬愛する人への懸念。

 ここで彼を見送ったあの日から、リリエットの中で心配が途切れることはなかった。この退屈な時間はもちろん、食事中や仕事中、ベッドに入ってから寝入る寸前まで。どんな時も、ふとした瞬間にあの人の顔が蘇ってくる。

 

 そう。あの時、最愛の幼馴染を語る時に浮かべた、彼の寂しそうな笑顔が。

 思い出す度に胸がキュッと締め付けられて、どうしようもなくなる。涙なんて出ないのに、鼻の奥がツンとして、行き場の無い怒りと悲しみが心の中を彷徨い続ける。


 せめて、誰かを本気で愛することができたなら、この痛みを受け入れることができたのだろうか。

 幼馴染のために犠牲になり、それでも構わないと健気に笑う彼に納得することができたのだろうか。

 

 まだ若干、8年程度の生涯を経ていないリリエットには分からなかった。

 自分にできるのはただ、彼が無事でいることをひたすら願うだけ。そして、再び出会えるその日をここで待ち続けるだけである。

 

 「ケガとか、してないかな……誰かにひどいことされてないかな……ちゃんとごはん、食べてるのかなぁ。つぎは、いつ来てくれるんだろう……会いたいなぁ……」

 

 独り言にしても小さすぎる声で呟き、リリエットは膝のスカートに顔を埋めた。

 

 「…………ん?」

 

 そうやってしばらくジッとしていると、視覚を閉ざしたがために鋭敏になった聴覚が何かの騒動を捉えた。顔を上げると、近くの通りでちょっとした人だかりができている。その中心にいるのは、遠目からでも際立つ美しい白馬だ。

 

 「あ。お馬さんだ……」

 

 通常、地下街で馬を目にすることはほとんど無い。走力と持久力を併せ持つ馬は地上での移動手段に用いられるのが専らで、商品を運搬する荷車はよく見かけるが、それに用いられるのは牛や中型の想生獣である。時たま、窓をカーテンで完全に閉ざされたキャリッジを引く馬を目撃することがあるが、その場合は大概、特殊な欲求を満たしたい地上の権力者が乗っている、とはルルティエンコの談。

 

 とにかく、この地下街において馬はそうとう珍しい存在なのだ。それが、たった一頭、パカパカと通りを歩いている。人々が騒ぐのも頷ける奇妙さだ。

 

 「なんでこんな所にいるんだろ? キレーなお馬さん…………んぅ? 誰か、乗ってる?」


 白馬はゆっくりとこちらに近づいている。その様子をジッと目で追いかけていたリリエットは、距離が縮まったことにより、それまで馬の頭によって隠れていた存在を認識することができた。

 

 馬の背中で、乗るというよりしがみついているような体勢で、ぐったりと手足を垂らす人物。その者は、病院下の絶壁に辿り着き、馬が足を止めた拍子で地面にずれ落ちてしまった。

 

 そうして、白馬が連れてきた人物はごろんと仰向けに横たわり、

 

 「……え? え、あ……え? み、やび、さん……? ミヤビさんっ?!」


 その者が、今まで自分がずっと思い浮かべていた人物と知った時、リリエットは弾かれるように立ち上がった。


 「なっ、ナース長! ドクターーーーっ!!」


 さらに踵を返し、キングリデックたちを大声で呼びながら院内に駆け込んでいったのだった。




 

 

 その後、リリエットの報告を受けたキングリデックたちによって、ミヤビは病院の地下施設に運ばれた。


 そこは地下二階の手術室。何かと治安が悪い地下街では、患者によっては襲撃の恐れもあり得るので、安全性のため、そして、も考慮して、地下に造られている。

 ちなみに地上の病院も含めて全四階で、地下一階は病室、地下三階は研究施設となっている。

 


 「では、手術台に移動させマス。リリエット、あなたはそっちを持ちなサイ」

 「う、ぐ。ひっく……」

 「泣いていても怪我は治りまセン。ミヤビさんに早くよくなってほしいのでしたら、泣きべそをかくよりも先に手を動かしなサイ」

 「ひぅ。は、はいぃ……」

 

 ストレッチャーでミヤビを手術室に運び入れたルルティエンコは、号泣しながら後ろについてきたリリエットと協力してミヤビを部屋中央の手術台に移す。

 

 「うぅ……っ」

 「あぅ。ご、ごめんなさいっ。だいじょうぶですか? ミヤビさんっ」

 「あ、ああ……大丈夫だ。ありがとな」

 

 しかし、力の弱いリリエットでは、大人の体格であるミヤビを完全に支えきることはできなかった。ただでさえマギダスワンの副作用で自由が利かない体を台に打ち付けて、ミヤビは小さな呻き声を上げる。

 

 それに、再びリリエットはしくしくと泣き出し……。

 それを見て、使い物にならないと思ったのだろう。ルルティエンコが彼女の肩に手を置いた。

 

 「手術の邪魔にならぬよう、ストレッチャーを戻してきなサイ。その後は、ドアの前で待機してなサイ。私が呼んだらすぐに来るよウニ」

 「……はい……」

 

 項垂れるように頷いて、リリエットはストレッチャーを押しながらトボトボと部屋を出ていく。それと入れ違うように、手術着に着替えたキングリデックが入ってきた。

 

 「まさか、こんなに早い再会になるとはねぇ。わたしの愚かなモルモット君」


 ルルティエンコにゴム手袋を嵌めてもらいながら、キングリデックは手術台に寝かせられたミヤビに不敵に笑いかける。

 

 「一度、来たら最低一か月は音沙汰が無い癖に。自分の出不精さに気付いて反省したのかな? 見た目の趣味もずいぶんと変わったようじゃないか。こんなに真っ赤な服なんて今まで着てこなかったのに。その上、小指まで無くすなんて。目指すファッションが前衛的すぎて眩暈めまいがしそうだよ」

 「ぐう……!」

 

 皮肉をつらつらと並べながらキングリデックはミヤビの左腕を掴み、自身の顔の前まで持ち上げる。血と止血薬の軟膏に汚れた、小指の無い左手。それを見つめ、ミヤビに視線を戻した。

 

 「キミはアレか? 説明書を読まずに、とりあえず使ってみて理解していくタイプなのかい? こぉんな乱暴な使い方して。応急処置も粗雑なものだ。あんな小汚い布を使うなんて、感染症にでもなりたいのかな?」

 「そうするしかなかったんだからしょうがねえだろ……話はいいから、とにかく手術だ。小指がなけりゃ、碌に物を持つことができねえ」

 「その通り。指には様々な役割があるが、小指は特に物を掴む時のストッパー的な役割を持つ。小指を失うと、握力が半分まで低下するとも言われているくらいだ。しかし、肝心の小指はちゃんと保存できているのかね?」

 「いいや。そんな暇は無かったし……それに、無くたって別に構わねえ」

 「構わない?」

 「ああ。なぜなら、これからやるのは治療じゃない……改造手術だからな」

 

 ミヤビの発言に、キングリデックはニヤついた笑顔を消した。

 

 再度、瞳をミヤビに向け、薄い笑みを形成する。

 

 「……改造手術は受けないんじゃなかったのかい?」

 「言っただろ。今のところは、ってな。人間離れしたサティルフ様の尻拭いをしようなんて、分不相応な野望を抱いてんだ。五体満足でいられるなんて端から思っちゃいねえ。むしろ、小指だけで済んで今回はラッキーだったと言える」

 

 そして、ミヤビはキングリデックたちを睨み付けた。

 

 「お前たちだってそれは重々、承知していたはずだ。だからこそ、こうなることを想定して、俺はここにを納入していたんだ」

 「…………ふっ」

 

 キングリデックは一笑を噛み、ルルティエンコに振り返る。それを受けて、ルルティエンコは部屋の奥に移動し、壁の取っ手を引っ張った。

 その結果、壁がスライドし、たくさんの円筒形のガラス製ケースを仕舞った棚が出現する。ルルティエンコはその内の一つを取り上げ、壁を元に戻した。

 

 ケースの中に収められているのは、人間の左腕の骨格を模したような金属製の骨組み。それを抱えて、ルルティエンコは手術台へと引き返していく。

 

 


 ――(あれは……!)――


 

 

 その様子をドアの隙間から覗き込んでいたリリエットは、脳裏を過る過去の出来事と現在が重なった驚きに、息を呑む。

 

 あの骨組みは、自分がミヤビに拾われた日。

 そう。奴隷商たちから解放し、この病院に連れてきた際、彼が自分とついでにキングリデックに手渡していた物。

 

 「なんであんなものを、今……?」

 

 混乱するリリエットの視界の先で、ケースを受け取ったキングリデックが愉悦に肩を揺らす。

 

 「この小指のパーツを使おう、と言うのだね?」

 「ああ。全く忌々しいが、マルクの馬鹿の仕事の押し付けも無駄じゃなかった。ライゼンの義手を整備していく中で、義肢ぎしの作り方を学ぶことができた。自身の肉体の一部を使ってアルニマを作成する、第二世界サカムツキの技術。それを完全に模倣することは不可能だが、それに近い機構の着想を得ることができた」

 「それが、コレということかい?」

 

 マルクがケースを掲げると、ミヤビは「ああ」と得意げに口角を吊り上げる。

 

 「それのおかげで俺はまた強くなれる。俺はまだまだフィオの力になることができる!」

 「おかげ、ときたか。狂ってるなぁ、本当に」

 「はははっ。正気でやってられるかよこんな事。ただじゃ起きねえぞ。俺は、ただじゃ起きねえ! 何度転んでも、必ず次のヒントを掴んで立ち上がる! 指が吹き飛ぼうが腕を失おうが足を切り落とされようが! その度に強くなって立ち上がってやる! ははははははははははははっっっ!!!」

 「あははははははは!!! 決して報われず、決して認められない事に己の命を捧げるというのか!! 愛という不確定事象のためだけに!! なんと不毛!! なんと無意味!! これが人間か! なんと無様でみっともなく……そして面白い生き物なのだろう!! 第一世界アマニチカイから遠路はるばるやってきた甲斐があったというものだ!!!」

 

 狂ったように笑い始めるミヤビとキングリデック。

 そんな2人を、無表情で見つめるルルティエンコ。

 

 


 (――こわい)

 

 その異質な手術室の光景を目にして、リリエットはドアから静かに後ずさりしていく。

 

 (……だれ? あの人は、だれなの?)

 

 悲しそうで、寂しそうで、でも、優しくて、穏やかな、自分がよく知る人はそこにはいない。

 

 瞳孔を開き、顎が外れんばかりに大口を開けて笑いこけるあの人は。ドアの隙間から響くこの奇声を歌っている、あの男は。

 


 誰だ?


 

 (あんな人しらない。あんなの、ミヤビさんじゃない……)

 


 通路の壁まで下がり、リリエットは崩れ落ちるように床にへたり込む。


 

 (こわい……こわい、こわいよぉ。やめて……もぉやめてぇ……!)


 

 笑い声はいつまでも途切れない。ずっとずっと、この静寂な通路の中に木霊し続ける。

 その現実から逃れたくて、リリエットは目を閉じ、両手で耳を塞いで奥歯を噛み締め、この孤独な世界を必死で耐え忍んでいた。

 

 

 

 少女の心に植え込まれた恐怖の種。

 

 それが芽吹き、成長し、何かの形に咲き誇った時。自身に何を招くのか、ミヤビは知らない。







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