第25話 小指一本分の幸せ


 

 「げほげほっ……な、何が起こったんだ……?」

 

 巨大な肉塊を吹き飛ばす程の膨大な水蒸気の中から抜け出したアンテレナは、高温にあぶられた肌を優しくさすりながら振り向いた。

 

 見上げれば、陽光を覆い隠さんばかりの入道雲が如き白煙。相当な勢いでぜたのだろう、その衝撃により司令本部棟の外壁はさらに崩れ、大量の瓦礫が中庭に積み上がっていた。

 

 肉塊は、この下敷きになったか。そもそも、爆発によって蒸発したか。

 それ以前に、爆発した理由が分からないアンテレナは、少しずつ晴れていく視界に映る瓦礫の山を茫然と眺めていた。

 すると、煙に混じって、こちらに手を振る何者かの人影がぼんやりと浮かび上がってくる。

 

 「おーい! アンナー!」

 「ん? ……マルク! おーい! あたしはここだー!」


 果たして、それは別方向に逃げていったマルクたちだった。爆発を聞きつけて引き返してきたのだろうか。応答の声に反応して近づいてくる彼らに、アンテレナもまた歩み寄っていく。

 

 そして、双方は瓦礫の山の上で合流を遂げた。

 

 「よかった。無事だったか」

 「ああ、そっちもな。いやぁー、いきなり中庭の方から爆発があったからさ。アンナの身に何かが起こったんじゃないかと……」

 「いや、あたしじゃない。爆発したのはあの巨大な肉塊だ」

 「え? あの化け物が? お前がやったのか?」

 「いや……急に、勝手に爆発した」

 「勝手に……?」

 

 訝しむマルクにアンテレナは「ああ」と頷く。


 「あんたたちから引き離そうと中庭に出て、グラウンドに向かってる途中でな。追ってこないかと思うと、突然、悲鳴を上げて爆発した。もしかしたら、司令本部棟に来る過程でなにか爆発物でも呑み込んでいたのかもしれないな……思い返してみれば、爆発する前、苦しそうにしていたカンジもするし……」

 「……それは多分、アンナの言う通り、爆発物を事前に呑み込んでいたんだろうな。もしかしたら、広間の爆弾が爆発せずに残っていたのかもしれない。それが何らかの拍子に爆発したんだ」

 「広間の爆弾……だが、今の爆発は火薬というより、どちらかというと水蒸気爆発のたぐいだったぞ?」

 

 アンテレナはまだかすかにひりつく二の腕をさすりながら反論する。火薬による爆燃ならば黒煙が発生するはずだが、今回は水蒸気だ。どう考えても広間に設置した爆弾とは種類が異なる。

 

 「……なら、他のヤツがどっかで取り込んだのかもしれないな」

 「他のヤツ?」

 「ああ。あれ? あー、そういえば言ってなかったな。さっきの巨大な肉の塊ってさ、基地内のヤツらが合体してできた姿なんだよ」

 「なんだって? 肉塊どもは合体することができるのか?!」


 驚愕するアンテレナ。事実、先ほどの肉塊は、彼女が目を覚ます前にはすでに基地内のそれらと合体を終えていた。その姿を、自身のマギナを吸収して大きくなったものと思い込んでいたのだから、驚くのも無理はなかった。


 「あれ? ということは、基地内にもう他の肉塊はいないのか?」

 「そうなんじゃないか? まあ、調査してみないことには分からないけど」 


 それはそうだな、とアンテレナは納得し、矢継ぎ早にマルクたちに向かって腕を振る。


 「よし。とりあえず、お前たちはフィオを安全な場所まで運んでくれ。あたしは基地内に肉塊がいないか安全確保をしつつ、戦場にいる兵士たちと――っ?!」

 

 その時だった。

 ドォン! と、突然、衝撃が突き上げ、瓦礫の山が崩れ始めた。


 「な、なんだ?! 地震?!」

 「違う! 瓦礫の下に何かがいるんだ!」

 「それってまさかっ……うわあああああ?!」


 嫌な予感は的中する。

 瓦礫の隙間から這い出てくる無数に伸びてくる触手。それらはアンテレナたちの足元を通過して一か所に集まっていく。

 絡み合い、凝縮し、一つとなり――そうして出来た肉の塊の表面にはいくつもの目玉が生え、裂傷のような口がぱっくりと開いた。


 「キャキャキャキャキャキャアアアアアアア!!!」


 先ほどよりも二回りほど小さいが、それでもこの場にいる全員を一飲みできるくらいの巨躯を誇る肉塊が、己の復活を歌う――。


 「なっ?! こいつまだ死んでなかったのか?!」

 「ど、どうすれば死ぬんだよぉ! 不死身っておかしいだろお!」

 「とにかく走れ! 急いでこいつから距離を取るんだ!」


 アンテレナは急いで指示を飛ばす。肉塊は移動スピードが遅い。距離さえ保てば、逃げることは容易だということは、すでに学習済みだった。

 しかし、そんな彼女を嘲笑うかのように、肉塊は幾重もの触手を周囲に走らせた。格子状に組み合って完成したのは、中庭の一部を覆い尽くす程のドーム状のおり

 そして、アンテレナたちの逃げ場を奪ったそれが、徐々に幅を狭めてくる。


 「ううっ、もうダメだ! どこにも逃げられない……」

 「どうするんだ? どうするんだよアンナ?! なあ?!」

 「…………!」


 中央に追い詰められていく状況で、マルクたちは縋るような視線をアンテレナに注いだ。

 しかし、肉塊から脱出したばかりのアンテレナの肉体には、まだ戦闘を行うのに十分な量のマギナは回復していなかった。


 「万事休すか……!」


 どうにもならない現状を覚悟し、アンテレナは観念して頭を垂らした。





 ――ドオオオオオォォォン!!!





 その直後である。前衛関地の方向から、重たくて硬いものが砕け散る轟音が響いてきたのは。


 思わずアンテレナは顔を上げる。先ほどよりも青が濃くなった空の中、バラバラになりながら何かが飛翔している。その集まりはどんどん近づいてきて、激しい物音を立てながら中庭の地面に落下した。


 「こ、これは……」


 巻き上げた砂埃の底に突き刺さるもの。

 それは、マギナを無効化する力を付与した、東部周衛基地の城門らしき分厚い木材の欠片たちだった。

 

 

 「何してんだてめえええええ!!」



 さらに上空から男の怒声が響き渡る。

 次の瞬間、肉の檻を突き破って、何かがアンテレナたちの前に落ちてきた。


 ひるがえる訓練生用の制服のジャケット。女神セルフィスの紋章を背負うその雄々しき後姿は、今防衛戦で基地の最後の砦として派遣された期待のニューフェイス――第六世界ゴルドランテの勇者候補、レンヤ=ナナツキ。

 

 「みんな! 早くここから離れろ!」 


 レンヤはアンテレナたちに言い放ち、マギナを込めた右腕を振った。そこから撃ち出されたマギナ弾が触手を突き破り、外への脱出口を形成する。

 

 「さあ! 急げ!」

 「あ、ああ!」

 「待て! あたしも……」

 

 アンテレナはレンヤに加勢しようと前進するが、

 

 「マギナが無い今のお前じゃ足手まといになるだけだ! ほら、行くぞ!」

 「くそっ、レンヤあああっ」


 マルクに無理やり引き摺られていき、集団はレンヤのサポートもあって、なんとか檻から脱出することができた。

 それまでの間、肉塊からの攻撃を一身に耐えていたレンヤは、アンテレナたちが完全に離れたことを確認してから空に飛び上がる。追ってくる触手の攻撃を回避しながら右手にマギナを溜め、それを肉塊に向けて放出した。


 「これで終わりだ! 『赤き竜の咆哮ドラガルガリア!』


 放たれた炎の龍が雷のように空を裂き、肉塊に直撃する。

 

 「ギッ――ギャアアアアアアアア!!!」


 けたたましい断末魔。

 肉塊は触手を出鱈目に振り回してのたうち回るが、それで炎を振り払うことなどできず、やがて悲鳴すら出さなくなったそれは、息絶えるように劫火ごうかの中に沈んだのだった。




 そして、全てが終わった中庭にて――




 「フィオ。大丈夫か? フィオ……」

 「…………ん、んんぅ……」



 ――レンヤとフィオライトは再会を果たす。


 

 アンドラからフィオライトを受け取ったレンヤは、地面に優しく彼女の体を横たえた後、肩を優しく叩きながら呼びかけた。間も無く、フィオライトのまぶたが少しずつ開いていく。

 そうしてレンヤを目にしたフィオライトは、安堵するように頬を緩ませた。


 「レンくん……」

 「ああ、フィオ。よかった! 大丈夫か? 俺が分かるか?」

 「うん。また……レンくんが助けてくれたんだね……」

 「ああ。俺やアンナ、それにマルクたち。みんながお前を守ってくれたんだ。まったく……アンナを助けるためとはいえ、自分からニュクスの中に飛び込むなんてムチャしすぎだぞ」

 「えへへ……アンナさんを助けなきゃ、って思ったら体が勝手にね。それに、怖かったけど……不安じゃなかったよ。だって、絶対にレンくんが助けてくれるって信じてたもん」

 「フィオ……」


 弱々しく微笑むフィオライトに、レンヤもまた微笑みを返した。


 数々の困難を乗り越え、無事に再び会うことができた2人。お互いを想いを確かめ合う大切な時間を、その場にいる全員が優しい顔つきで見守っていた。






 ――そして、その光景を、ミヤビは砕けた広間の壁の影から覗いていた。





 

 「はあ……はあ……はあ…………よ、よかった。フィオは、無事、なんだな……」

 

 気怠い体。痛む全身。報われない覚悟と張り裂けそうな心。

 それでも、彼女が無事だった。その事実が、波立つミヤビの感情を穏やかに治めていく。自分の判断は間違いじゃなかった。そう、安心させてくれる。

 


 肉塊と共に自爆した時――

 


 分厚い肉が守ってくれたのか、ミヤビは爆発の衝撃や高温の水蒸気の被害を受けることはにほとんどなかった。激しく建物の壁に打ち付けられたが、それも体を覆っていた肉片がクッションとなり、意識を失わずに済んだ。

 

 そのおかげで、水蒸気と瓦礫の粉塵が混ざり合う白煙の中に紛れ込み、なんとか見つからずに広間の中に隠れることができたのだ。そうでなければ、アンテレナたちに見つかり、余計な騒動を招いていただろう。

 

 だが、何もかもが都合よく転がったわけではなかった。

 

 「うぅううぅ……!」

 

 ミヤビは左手に走る痛みに、膝から崩れ落ちる。その拍子に大量の血液がボトボトと零れ落ちて、床を真っ赤に染めた。

 

 爆発の衝撃で吹き飛んだのか。砕ける肉片に引き千切られたのか。その原因は定かではない。

 ただ、現実として、ミヤビの左手の小指は、根元から完全に無くなっていた。その断面からはささくれ立った肉と折れた骨が剥き出しになり、鮮血が湧き水のように溢れ出てくる。

 

 「いてぇ……っ。いてえ、いてぇよぉ……チクショウ……! ひっ、ぐ……ぅ」


 左手どころか肘に掛けてまで伝わる激痛。どれだけ歯を食いしばっても涙が止まることはない。どんどんと床に広がっていく赤が、どうしようもなく不安感を掻き立てる。

 

 本当なら、子どものように泣き叫んでこの痛みを訴えたかった。

 

 でも、近くにフィオライトがいる。彼女とレンヤの逢瀬を邪魔するわけにはいかない。自分の存在を知られてはならない。そう、自分に誓ったから。

 

 だから、ミヤビは歯を食いしばって痛みに耐え、右手に絡みついていた糸を、震える手付きで左手首に巻いていった。その糸は、ルイワンダを構成する素材の一つ、『アマ糸』であり、何周かした後にマギナを注いで収縮させれば、簡易的な止血帯の完成である。

 

 その先端を巻いた部分に引っ掛けてから固く結びつけ、ミヤビは次にスパスに手を突っ込んだ。そうして取り出したのは『フルブラディ』。地下の病院でマギダスワンと一緒に購入した止血薬である。


 その小瓶の蓋を開け、作業服の端を引き千切る。それに軟膏であるフルブラDを塗りたくり、その部分を患部に当てた。

 

 「ぐううぅぅ……っっっ!」


 左手を突き刺す、焼けるような痛み。なんとか悲鳴を上げずに堪え、その勢いで一気に布地を左手に巻いていく。この止血薬の正しい用法は知らない。確かめる時間も無い。とにかく今は止血し、この場を離れなければならない。ミヤビの頭の中にあるのはそれだけだった。

 

 布地の上に、さらにアマ糸を重ねて固定したミヤビは、壁を支えにしてなんとか立ち上がる。フルブラDの作用により、肉体は限界に近かった。すでに効果は切れているとはいえ、爆発に巻き込まれた後では体力の回復も見込めない。

 

 正直、今すぐにでも床に倒れたい気持ちでいっぱいだった。

 それでもミヤビは、「休む」という選択肢を認めなかった。

 

 「フィオ……」

 

 最後に、もう一度、愛しい人の名前を呼ぶ。振り返ることはないと分かっていても。気付かれてはいけないと自覚していても。他の男に微笑むあなたに今一度、決心を誓う。

 

 「……う、っく」

 

 目から流れ落ちる涙を呑み込み、ミヤビは徒歩を開始した。疲労困憊の体では、たった数十メートルの距離でも一分を費やす。肉塊を恐れて皆が基地の端に逃走したため、道中で誰とも会わなかったことが唯一の幸いだった。

 

 そうして左腕を庇いながら漸進ぜんしんし、辿り着いたのは、広間奥の通路に面する部屋。そう、隠し通路がある倉庫だ。


 そこに入り、ウリタリアの手順を必死に思い出しながら本棚を操作して、鹿の剥製の角を下に倒した。

 不安だったが、無事に壁の一部がせり上がり、その先に伸びるランタンの道をミヤビはゆっくりと歩き出していった。




 「よ、ぃしょ……っ」

 

 通路はやがて階段に続き、その果てにあった蓋を頭と右肩で押し上げると、光が差し込んでくる。左手が使えないため、なんとか隙間をこじ開けて、そこから転がるように通路を出たミヤビは、辺りを見回して驚いた。

 

 「はぁ、はぁ……こ、こは、馬小屋?」

 

 そう。そこは、ミヤビも馬の世話のために訪れたことのある、東部周衛基地のバックヤードに築かれた馬小屋だった。抜け道の先は、空の木箱の下に隠されていたマンホールと繋がっていたのである。

 

 「ここに、繋がって、いたのか……なら、ちょうどいい」

 

 青ざめた顔でミヤビは笑い、さっそく手頃な馬に近づいた。今なら誰も見ていない。この機に乗じて、一頭、拝借しようと企んだのだ。

 

 しかし、馬は人の感情に敏感な生き物。それも血の臭いを漂わせながら接近してくる、悲壮な顏をした男に誰が心を開くものか。

 

 「ヒイイィィィンッッッ!!」

 「うわっ、お、落ち着け。た、頼む、頼むよ。ああ……」

 

 扉を開けた途端、その馬はミヤビを拒絶するように暴れながら馬房ばぼうから抜け出し、全速力で馬小屋から走り去っていった。

 

 「もぅ……なんなんだよもぉ……っ」


 馬にすら嫌われてしまうのか。

 何もかもが限界状態だったミヤビに、この出来事はさすがにショックが大きかった。僅かに残っていた覚悟の残滓すら消え失せ、抜け殻のように床に座り込む。

 

 「ブルルルル……」

 「え?」

 

 その時、生暖かい空気が頭頂部を撫でた。顔を上げると、美しい白馬が馬房から首を出し、ミヤビに顔を近づけている。

 

 「……お前は、俺が、怖くないのか?」

 「…………」

 

 その鼻先に手を伸ばしながら、ミヤビは問いかける。

 ミヤビに顔を撫でられ、しかし馬は答えない。ただ、黙ってミヤビを見つめるだけだ。

 

 「…………ありがとう……」

 

 そこに白馬の意思を感じ取ったミヤビは、最後の力を振り絞って立ち上がり、馬房の扉を開ける。

 白馬は、老人のようにヨタヨタ歩くミヤビの後ろを、歩調を合わせながら大人しくついていった。そして、外に出ると、彼の隣に立って自ら頭を下げる。ミヤビの怪我を察して、乗りやすいように気遣ってくれたのだろうか。

 

 「……本当にお利口だな、お前は」

 「ブルル」


 お礼に背中を優しく撫でたミヤビは、なんとか白馬の背中に乗ることができた。訓練生の修業過程で乗馬の技術は一通り学んでいる。踵で白馬の腹を蹴り、緩やかに動き出した白馬に振り落とされまいと、ミヤビは上体を倒して背中にしがみつく。


 目指す場所は一つ。

 

 へと続く最も近い避難経路、その入り口がある林へと。







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