第18話 名も無き犠牲者たち



 ミヤビは声がした方へと顔を向ける。司令本部全体を支える柱を備えた中央広間は、一階から二階までの吹き抜けた構造になっており、その上部には二階の通路を繋ぐ空中廊下が設けられている。声の主は、その欄干から顔を出してこちらを手招きしていた。


 「そこにいると危険だ。こっちに来い。早くっ」


 喉の奥を使わない発声法で、しきりにこちらに呼びかける三十代手前くらいの男性。肉塊にバレないための処置のようだが、どんなに抑えても声はだだっ広い空間にどこまでも残響していく。

 しかし、なぜか肉塊はその男性に注目することはなかった。柱の間を抜けていく木霊を無視して室内の徘徊はいかいを続けている。

 

 「人間を探しているわけじゃないのか? いや、もしかして……耳が聞こえないのか? というか、そもそも聴覚器官が存在していない?」

 

 確かに、外見上は、耳に該当する部位は見つからないが。

 

 知れば知るほど不思議な生態である肉塊だが、とりあえず今は情報収集のために、あの男性の許へ向かうことにしよう。

 そう判断したミヤビは、肉塊に見つからないように柱の影を経由しながら部屋の端の階段まで移動する。さらに頃合いを見計らって階段の欄干に潜り込み、第三匍匐だいさんほふくのような体制でゆっくりとミヤビは階段を上っていった。

 

 そしてミヤビは、空中廊下の上に隠れていた、男性を含めた4人の男女のグループと合流を果たした。

 

 「あ~、よかったぁ。この棟にもまだ生き残りがいたんだね」

 

 グループの1人、柔和な顔立ちの女性が両手を合わせ、安堵の息を漏らす。人数が増えたことで、少しは心の負担が軽くなったのだろうか。輪に入ったミヤビの手を握り、嬉しそうに頬を実らせた。

 

 その様子を眺め、ミヤビを呼びつけた精悍な男性が小さく頷く。

 

 「ああ。でも、いつまでもここにはいられない。なんとかして脱出しないと……」

 「って言ってもよぉ、脱出するってどこにだよ? 今、この基地内に安全な場所があるとでも言うのかよ。あ?」

 

 精悍な男性の言葉に、赤毛の男性が食って掛かった。この状況下に平常心を保てないのか、見て分かるほどに苛立ちを募らせている。

 

 「な、無いよ、そんなの。この基地は終わりだ。み、みんな、死ぬんだ。あの化け物に食われて死んじゃうんだっ」

 

 そして、最後の1人、気弱そうな男が、震える声で絶望を語った。

 次の瞬間、赤毛の男性がその男の胸倉を掴んで自身に引き寄せる。

 

 「ああっ?! てめえコラ! ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞ!」

 「ひぃっ」

 「おいバカ! やめろ!」

 「ケンカしちゃダメだよ!」

 

 慌てて精悍な男性と柔和な女性が間に割って入った。そのおかげで辛うじて暴力沙汰は防げぐことができたが、羽交い絞めされる赤毛の男性はさらに感情を爆発させる。

 

 「放せよ! こいつがふざけたこと言ったからだろ?!」

 「落ち着け! いいから落ち着け! 大声を出すな!」

 「構いやしねえよ! あいつらは耳が聞こえねえんだからよお!」

 「だからって騒いでいいわけないだろうが! 何が切っ掛けで見つかるか分からないんだぞ! 軽はずみな行動は取るな! 死にたいのか?!」

 「……っ、っ……ちくしょおが……!」

 

 精悍な男性に諭されて、赤毛の男性は大人しくなる。そうして肩で息をする彼を解放し、精悍な男性は他の4人を見回しながら言った。

 

 「とにかく、早くこの場から動いた方がいい。ここにいたら、いつかはあいつらから見つかってしまう」

 

 と、下で徘徊する二体を顎で示す精悍な男性。

 

 「……だからよ。逃げ場なんてあるのか、って話だろ。ここから逃げるとしてもよぉ」

 「そうだね……逃げるとしたら、やっぱりアンテレナ様の言ってた通り、基地の外側かな?」

 「基地の外側?」

 

 ミヤビが訊ねると、柔和な女性は「うん」と頷いた。

 

 「あなたは前衛関地にいなかったのね。えっとね、あの肉塊って私たち回収班が回収した想生獣の素材が変化したものだったの。それで、関地内がパニックになって……その時、アンテレナ様が命令を出したの」

 「基地の外側に逃げるように、と?」

 「実際には、あの肉塊たちを基地の外側に引きつけろって……あいつらは人のいる場所に集まる習性があるみたいだから」

 「恐らく、アンテレナ様は前衛関地から敵を追い払いたかったのだろう。外にいるナイト級たちが安全に戻ってこれるように。そして、俺たちは建物の中に避難しろ、と命じられた。だが……今、そこに向かうのはリスクが高すぎる」

 

 精悍な男性は悔し気な顏を力無く左右に振った。

 

 「え? どうして?」

 「お前が今、言っただろ。あの化け物共は人がいる場所に集まるって。今、あいつらの大半は人間たちが逃げ込んだ中心地から外れた建物の周りに集まってるはずだ。そこに向かうなんて自殺行為でしかない」

 「そんな……じ、じゃあ、どこに逃げるって言うの?」

 「簡単なことさ。外側がダメなら真ん中にいればいい。すなわち、この建物の上階さ」

 

 と、天井を指差して精悍な男性は得意げに述べる。

 

 「あっ、そっか。わざわざ危険な外に出る必要はないんだね」

 「そう。司令本部になら隠れる場所はたくさんあるし、大きな肉塊は上に上がることも難しいだろう。アンテレナ様たちがあいつらを倒すまでどこかに身を隠して、それから――」

 「それは止めておいた方がいい」

 

 饒舌じょうぜつな精悍な男性の弁。それを遮ったのは、ミヤビの冷厳な一言だった。突然、横やりを入れられて、彼は不快そうな眼差しをミヤビに向ける。

 

 「なんでだ? 俺の考えは間違っているか?」

 「残念ながら。この建物はもうじき、巨大な肉塊によって潰される。ここにいたらそれに巻き込まれて死ぬことになる」

 「巨大な肉塊?」

 「ああ。それと、アンテレナに期待しても無駄だ。あいつはもう肉塊に食われてしまった」

 「はあ?!」「ええっ?!」「くわっ……!」

 

 その光景を目にし、さらに立ち直ったミヤビからすれば、特に感傷を覚えない情報の共有。しかし、それを知らない者にとっては、一切の望みを断つ絶望の事実でしかなかった。

 話に参加していた3人は揃って驚愕の表情を張り付け、精悍な男性がミヤビに怒鳴りつける。

 

 「ま、待て! アンテレナ様が、食われた?! そんな馬鹿な話があるか!」

 「事実だよ。現に今、ヤツのマギナを感じられるか? 戦闘音でも聞こえてくるか? あの女の気配なんてまるで感じないだろう」

 「……っ、いや、まあ。それは……変だと思ってたけど。でもっ、アンテレナ様が食われるなんて……!」

 「事実だ。俺はこの目ではっきりと見た。あいつが肉塊に食われる光景を。そして、アンテレナのマギナを吸収した肉塊は巨大化し、今、この建物へと接近している。それをどんなに否定しようが……」

 

 そこで話を止め、ミヤビは天井を見上げた。

 巨大な肉塊が地面を削る音は先ほどよりもさらに大きく、それから伝わる振動が司令本部棟を揺らし、天井から吊るした照明機器を揺らしている。

 その様子を見つめた後、ミヤビは顔を下ろし、ミヤビに釣られて天井を見上げている3人に告げた。

 

 「……この現状を否定することはできない。それに、アンタたちも感じてるんだろう? この建物に近づいている正体不明の馬鹿でかいマギナの存在を。ナイト級じゃなくても、これだけのマギナだ。分からないはずがない」

 「「「………………」」」

 

 ミヤビに完全に論破され、閉口するしかない3人。

 そんな彼らに腕を振り、ミヤビは叫ぶ。

 

 「だから、早くこの建物から逃げろ。死にたくなかったら今すぐにだ!」

 

 そう命じたのは、単に彼らを助けたかっただけではない。彼らを追って室内の肉塊たちが出ていってくれないか。その無慈悲な打算が大半を占めていた。

 

 しかし、3人は少しも動き出そうとしない。異様な物を見る目付きで、ミヤビに注目するだけだ。

 

 「……お前は、いったい、なんなんだ?」

 

 そして、精悍な男性が絞り出すような声でミヤビに訊ねた。

 

 「アンテレナ様が食われるのを見たって……お前、前衛関地にいなかったんじゃないのか? それに、だったらどうしてお前はここに来たんだ? 危険だって分かってるのに、この建物の中に」

 「そ、それに、さっきからなんなの? アンテレナ様のことを呼び捨てにしたり、『あの女』とか『あいつ』とか……おかしいよ。あなた、変だよ」

 「……ん、ん? ちょっと待て、こいつって……ルナサノミヤビじゃねえか?! 第六世界ゴルドランテ神祝者ソラリハを襲った、っていう、あの!」

 

 怪訝な瞳でミヤビを見つめていた赤毛の男性が、パン、と両手を打って喚き出す。すかさず精悍な男性がそれに反応した。

 

 「ああ、なんか聞いたことあるな。それがこいつだってのか?」

 「……あ、ああっ。そうだ。そうだよ! 私、見たもん! この人が荷車をきながら基地内を歩き回ってるの! 見たことある!」

 「なあ? またなんか企んでんだぜ、きっと。アンテレナ様が食われたってのも、実はこいつがやったんじゃねえのか? そうなんだろ?! ああっ?!」

 

 赤毛の男性がミヤビに迫る。他の2人は、今度は仲裁ちゅうさいする気は無いようで、見慣れた侮蔑ぶべつの視線をミヤビに投げかけていた。

 

 (はぁ……どうしてこうなるのかなぁ)

 

 確かに肉塊を引き連れていってほしい打算はあったものの、だからといって彼らの不幸を願ったわけではない。逃げるように命じたのには、僅かながら親切心も含まれていたのだ。

 だが、その思いやりが報われることなく、むしろ逆境に追いやられることになって、ミヤビはやるせない気持ちで一杯になる。

 

 「あははははははは!!!」

 

 その時だった。

 欄干にもたれて押し黙っていた気弱そうな男が突然、立ち上がり、狂ったように笑い始めたのだ。

 

 「終わりだ! もう終わり! やっぱり死ぬんだ! おれたちはみんな死ぬんだ! あはははは!! ひゃっっっははははははは!!!」

 「おいっ、しゃがめ! 何をやってんだ! あいつらから見つかるだろ!」

 「うるさい!! 触るな!! 今さら隠れたってよお!! みんな終わりなんだよおおっ!! 死ぬっ、死っ、しぃはははははは!!!」

 「やめてえ! お願いだから伏せてよお!」

 「ふざけんなよテメエ! 今度こそぶっ殺してやろうか!!」

 「ああ! 殺せよ! どっちにしたって死ぬんだからさあ! 今すぐ――」 

 

 気弱そうな男の声は、姿は、刹那とも言える時間の切れ間に消失する。

 ズドン! と空中廊下を破壊しながら現れた触手の束によって、彼は下へと連れ去られていったからだ。


 「ひゃはははははははははははは!!!!!」


 されど、気弱そうな男はその間もずっと笑いを止めることなく、

 

 「うわああああっ?!」

 「いやっ、いやあああああああ?!」

 

 精悍な男性と柔和な女性もまた、触手の束に囚われ、急速に下へと消えていく。

 

 「助けっ、助けてっ! 誰か!! こんなのいやだああああ!!」

 「やめてよお!! 放して! いやっ、お母さん! お母さんおかあさああああああんんんっ!!」

 「ひひひ!! そうだそうだ!! 殺せえ! もっともっと殺せえええ!! みんなみんな殺してしまぁ――」

 

 3人の悲痛な断末魔は、間も無く、くぐもって消え去り――

 

 残されたのはミヤビと赤毛の男性。中頃が砕けた廊下の穴の両端に位置する2人は、ほぼ同時に目を合わせる。

 

 「ひ、ひ、ひぃ……」

 「…………」

 

 ガチガチと歯を鳴らす赤毛の男性を落ち着かせるため、ミヤビは高さを合わせた両手を小さく上下に振る。

 その意図に気付いたのか、赤毛の男性はグッと歯を食いしばり、ぎこちない動きで頷いた。

 

 だが、

 

 「ぎゃああああああっっ?!」

 

 再び急速に動いた触手の束が、廊下の瓦礫ごと彼を呑み込んだ。

 

 「いやあああっ?! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!! 食べないでえ!! 食べっ、たっ、た、たべ、った、たたたたったたっったたた」

 

 そうして捕らえた赤毛の男性を、二体の肉塊が奪い合うように左右からゆっくりと呑み込んでいく。そのじれったい行為が精神の崩壊を速めたのか、やがて彼は暴れなくなり、常軌を逸した声を垂れ流しながら姿を消していった。

 

 「くそっ……完全に居場所がバレているのか……!」

 

 その様子を壊れた欄干から覗きつつ、ミヤビはスパスからルイワンダを引き抜く。

 肉塊たちの動向から目を離さず、攻撃の気配を感じ取ればすぐに天井の照明にルイワンダを振るう。そう服膺ふくようしながら身構えて、意識を高く維持し続ける。

 

 ところが、赤毛の男性を完全に取り込み、そのままくっついて一体の生物になった肉塊は、次の攻撃を仕掛けることもなく、なぜかドアの方向へ移動を始めた。ミヤビに手を出すつもりはない……というよりかは、全く存在に気付いていない様子だ。

 

 「…………? 俺は、バレてない……のか?」

 

 一応、構えは解かずにいたが、その後も何事も無く、肉塊は通路に出ていく。ミヤビはぼんやりとした心持ちで立ち上がり、おもむろに腕を組んで首を捻った。

 

 「どういうことだ……? あの4人の存在には気付いたのに、近くにいた俺には気付かなかったってのか?」

 

 気弱そうな男は立ち上がったことで、その姿を肉塊に見られたのだろう。精悍な男性と柔和な女性は、そのとばっちりで捕まってしまったのだ。

 そこまでは理屈が通る。しかし、ミヤビと同じように欄干に身を潜めていた赤毛の男性はどうにも説明がつかない。何か、彼とミヤビで決定的に異なる点があるのだろうか。

 

 「あいつらには特殊な感覚器官でもあるのか……? たくさんある目玉から、基本的に視覚を用いて獲物を探すのは分かるが……待てよ。あいつらには、人がいるところに集まる習性があるんだったな。確かに、ルーク級がたくさん集まっている工廠にあいつらは群がっていた……つまり、決して視力だけに頼ってるわけではない。他の感覚器官がある。考えられるとすれば…………マギナか?」

 

 考察の果てで思い付いた答えに、ミヤビは大きく首肯する。

 

 「そうか。それだったら今のも説明がつく。ヤツらにはマギナを感じ取る器官が備わってるんだ。それで人が集まっている場所を突き止めることができる。さっきの二体がこの部屋を這い回っていたのも、隠れていたあの4人のマギナを感じ取っていたからだ。でも、ナイト級ではない彼らが発するマギナは弱く、その正確な位置までは掴めなかった。俺の存在に気付けなかったのは、そんな彼らよりもさらに弱々しいマギナだったから…………はっ。まさか、マギナ量が人よりも少ないおかげで命拾いするなんてな」

 

 言いながら、醜く自嘲するミヤビ。そんな卑屈な想いを、強く頭を振ることで追い出し、前衛関地に続く広間正面の扉へと目を向ける。

 先ほどまで陽光が差し込んでいた窓は、すでに暗い影にまみれていた。あの巨体がもうそこまで迫っているのだ。

 

 「とにかく、これで邪魔者はいなくなった。もう時間がねえ。急いで準備に取り掛からねえと!」

 

 建物の壁を突き抜けてやってくる威圧感と破砕音に圧されて、ミヤビを走り出す。階段を駆け下り、通路から荷車を室内に引っ張り込んでから、作業を開始した。


 

 

 

 

 

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