第3話 地下街の病院



 「何か用かい?」

 

 受付に立つ店主の男がミヤビをふてぶてしく迎える。店はと言ったが、この地下街に商品を陳列して客を呼び寄せる経営をするような命知らずはいない。無法地帯であるこの地では窃盗や暴力が日常茶飯事であり、商品は店舗の倉庫に保管され、店主との交渉で売買するのが一般的である。

 

 「想生獣の素材を売りたいんだが」

 「買取ね。で、ブツは?」

 「これだ」

 

 ミヤビは腰に付けたスパスを持ち出し、中から大量の牙を受付台に並べていった。

 

 「ピギーボアの牙だ」

 「へえ。こりゃあ大量だな。よくこんだけ集めたモンだ」

 「採取できる機会に恵まれてな」

 

 それは、マルクに命じられて、エレフト山に設置された動体検知器を回収していた時である。山には大量のピギーボアの死体がまだ放置されている状態で、物資調達班が来る前にいくつか採取するのは簡単だった。要するに、ちょろかましたのだ。

 

 しかし、山積みに置かれた牙を前にして、店主はせせら笑うように溜息をつく。


 「だが、残念だがこれに値打ちはねえな。最近、ピギーボア関連の商品が大量に市場に出回ってねえ。どこも有り余ってる状態で価格が暴落してんだわ」

 

 エレフト山の事件で倒したタイタンボアたちは、物資調達班が全て回収している。それらは工廠で解体され、必要な素材以外の部位はフロントーラや、域内の各村に配給された。

 そういった経緯があり、フロントーラではちょっとした好景気を迎えている。どうやらその流れはこの地下街にも波及しているようだ。

 

 「だから、わりぃがこれらは買い取れねぇな。他を当たってくれや」

 「待ってくれ。商品はこれだけじゃない」

 

 奥に引っ込もうとする店主を呼び止め、ミヤビはもう一度、スパスに手を入れた。そうして取り出したのは、ピギーボアのそれよりもさらに大きく立派な二本の牙。

 

 「これは……」

 「レオラルボアの牙だ。これも査定に加えてくれ」

 

 これも、動体検知器を回収する際に採取したものだ。さすがにレオラルボアは数が限られるため、一体分しか採ることはできなかったが、その中でも一番、価値が高そうな物を選んだ。

 その甲斐あってか、先ほどとは明らかに違う目付きで、店主はレオラルボアの牙を鑑定している。

 

 「ふむ……こりゃあ立派なモンだ。これは買い取れるぜ?」

 「どのくらいになる?」

 「ん~……待ってな。えー……この大きさ。硬さ。質……ん~~~~。このくらいでどうだ?」

 

 と言って、店主は三本の指を立てた左手を掲げる。

 

 「3000フロルか?」

 「いや、一桁余計だ」

 「300フロル?! そりゃあいくらなんでも足元を見過ぎだろ!」

 

 フロルというのは、フロントーラと域内の一部の村で通じる通貨の単位である。1フロル硬貨、5フロル硬貨、10フロル硬貨、50フロル硬貨、100フロル紙幣、1000フロル紙幣、10000フロル紙幣の七つの貨幣で成り立っている。ちなみに、パン一つの値段が大体、2~5フロルだ。

 

 「第三世代のものだぞ。上じゃあそうそうお目に掛かれない代物だ。最低でも2000フロルくらいにはなるはずだろ」

 「でもなあ、兄ちゃん。市場価格ってモンがあってなぁ。レオラルボアの牙なんてそんな価値のあるモンじゃないぜ。精々、物好きの金持ちが壁に飾るくらいだ」

 「装飾品としての価値は低くても、アルニマの素材にはなる」

 「あのなあ。市場にはピギーボアの牙が溢れ返ってんだよ。それとこの品質はそう変わらねえ。つまり、武器としての価値もねえんだ。これが原種や第二世代なら、希少価値がついて価格は跳ね上がるだろうがよ」

 「だからって300はあんまりだろ。これだけじゃない。このたくさんのピギーボアの牙も含めて、なんだぞ?」

 「だからじゃねえか。こんなの、本来なら廃棄モンだぞ。それを買い取ってやろう、ってのはこの地下街で俺くらいのモンだからな? 兄ちゃんだって、大量にあるこれらを処分したいんだろ? むしろこっちが金を払ってほしいくらいだ」

 「いいか、オヤジ。よく聞いてくれ」

 

 ミヤビは受付台に身を乗り出し、店主に顔を近づけた。

 

 「肉や毛皮ならともかく、牙はちゃんと保管しておけばそう簡単に劣化はしない。軍は、というか人類は慢性的に物資不足にいつも悩まされている。今は供給過多であるピギーボアの素材も、すぐに不足するようになる。その時、暴落していた価値も絶対に復調するはずだ」

 「言いたいことは分かるがなぁ。今までだってピギーボア関連の商品は安定的に供給されてきたんだ。戻ったとしても、前と同じくらいじゃ大した利益はねえよ」

 「それは順当に繁殖したピギーボアを猟師たちが定期的に狩っていたいたからだ。しかし、今はエレフト山のピギーボアの数は激減している。オヤジは聞いたことないか? エレフト山にタイタンボアが現れた事件を。その時に、たくさんのボアたちが狩られたんだよ」

 「ああ、その事件か。なるほど、だから今、市場にピギーボアが……」

 「つまり、ピギーボアが以前の数に戻るまでの数年間、ピギーボア関連の商品は品薄になる。商品価格は急騰するはずだ」

 「…………んん~~~~……」

 

 ミヤビの話に耳を傾けていた店主は、眉間にしわを寄せて悩み始めた。すっかりとハゲた頭を撫でて、それからミヤビに顔を上げる。

 

 「分かった。じゃあ……500でどうだ?」

 「300と変わらねえだろ。この後、牙富豪になれるんだぞ? せめて2000くらいつけても罰は当たらねえはずだ」

 「800なら?」

 「全然」

 「……900」

 「まだまだ」

 「1000!」

 「もっと!」

 「ええい! だったら1200でどうだ?! これ以上、吊り上げるんなら取引は無しだからな!」

 「あともう一声!」

 「…………」

 「…………」

 「………………ちぃっ。1250だ。もう、譲歩はできねえ」

 「…………………………」

 

 ここらが潮時か。

 

 「……はあ。分かったよ。1250で手を打とう」

 「ふぅ、そうかい。だったら交渉成立だ。金を持ってくるから大人しく待ってな」

 

 言うが早いか、店主は席を離れ、店の奥に消えていった。それから一分後、金を持って受付に戻ってくる。

 

 「ほら。確認してくれ」

 「ああ」

 

 カルトンに置かれた札と小銭を手に取り、手の中で勘定する。1000フロル紙幣が一枚と100フロル硬貨が二枚と50フロル硬貨が一枚。間違いない。

 

 「確かに」

 「そうかい。それじゃあこれで取引は終わりだ。とっとと消えな」

 「ああ。精々、夜道に気を付けろよクソ野郎」

 

 地下街ならではの挨拶を交わし、ミヤビは店舗から離れた。そして、通りを歩きながら手に入れたばかりの金に視線を落とす。

 

 「意外といい金になったな」

 

 元から3000フロルなんて大金になるとは思っていなかった。ピギーボア関連の商品が市場に溢れているのならなおの事である。本来ならば1000フロルも行かずに取引は終わっていただろう。

 

 初めは途方もない要求をし、そこから徐々に規模を小さくして妥協案を引き出させるドアインザフェイス。そもそも元手がゼロであることを考えれば、今回はかなりの大金星である。

 

 「ただ、これでも心許ないがな……」

 

 1250フロルをポケットに突っ込んで、ミヤビは迷い無く次の角を右に曲がった。

 

 それからしばらく歩き続け、商店街から離れた地下街の壁側にやってくる。そこは石造りの建物が密集する地域で、住宅街というよりは、スラム街のような退廃的な雰囲気を漂わせている場所だった。

 

 そこの壁沿いに高く建てられた建築物の外階段を上がっている時である。

 

 「ぎゃああ?!」

 

 階段を上がり、左に折れた先にある玄関のドアが荒々しく開き、中から成人男性が転がり出てきた。その男は石造りの階段の柵に体をぶつけ、そんな彼の許に建物の中から出てきた2人の男たちが駆けつける。

 

 「アッシュ! 大丈夫か?!」

 「クソっ! いきなり殴りかかってきやがってあのアマ!」

 「怪我人を攻撃するなんて……看護婦のくせになに考えてんだ?!」

 

 「先に不義理を働いたのはあなたたちでショウ」

 

 そして、最後に1人の女性がハイヒールを鳴らしながら玄関口から現れた。

 

 看護婦という割には、丈が短くて豊満な胸元を派手に開いた煽情的なナース服。風俗嬢と呼ぶ方がふさわしく思える格好でありながら、両手を前に添えて歩く姿は気品に満ちている。腰まで届く銀の髪は貴金属のような光沢に輝いていて、なんとも麗しい見目を期待させるが、器量良しと断ずることはできない。なぜなら、彼女には肝心の顔が存在していないからだ。

 

 その有様は、まるで透明人間。頭部に位置する場所に、炎のような青白い光の揺らめきがあり、それがぼんやりと目や鼻などを映し出して、辛うじて人らしき顔の輪郭が浮かび上がっている程度である。


 捨離人マレビトという、第一世界アマニチカイから来た人外生命体だ。

 

 「ここは病イン。そして、あなたは患者で私たちはドクターとナース。だからあなたたちは私たちを頼り、私たちはあなたを治療しまシタ。ならば、そこに料金が発生するのは当然のコト。それを請求することは正当な権利なのデス」

 「はっ、何がドクターだよ。地下街で医者を名乗ってるヤツなんて、表社会から追い出された闇医者か、碌に医術を知らねえヤブ医者のどちらかだろうが」

 「それ以前に人間ですらねえしな、この化け物どもが。人間様の真似事をして一丁前に人を助けたつもりか? こっちはただの酔っ払いのケンカで頭を切っただけなんだよ。それを10万フロルだ? ぼったくるのも大概にしとけよ!」

 「では、あくまでも代金を支払う気は無い、ということでスネ?」

 

 そう訊ねた捨離人の女性は、答えを待つまでも無く、手に持っていたモップをくるんと回転させ、両手で構えた。明らかな攻撃態勢。

 

 「はっ、オレたちとやろうってのか? 上等だ!」

 「ヴォルディス4兄弟の力を見せてやるぜ!」

 「3人しか見当たりませンガ?」

 「う、うっせえ! 覚悟しやがれバケモンがあ!」

 

 男たちは叫びながら腰に付けたケースからナイフを取り出そうと動いた。

 

 その一瞬の隙を、モップの柄が貫く。

 

 男の1人が自身のナイフケースに目を落とした瞬間だった。捨離人の女性が大きく踏み込み、その動きに合わせてモップの柄を突き出す。それは無防備な男の額を正確に捉え、衝撃に押されて男は柵を乗り越えて落下してしまった。

 

 「っ?! フィルズ!」

 

 仲間の男が慌てて柵から下を覗き込む。二階から落ちた男は地面に倒れて、ピクリとも動かない。頭から流れ出す血が地面にじわじわと広がっている。打ち所が悪くて死んだのか、単に気を失っているだけなのか。分からないが、戦闘に復帰できないのは間違いないだろう。

 

 「ちくしょおお!」

 

 激昂した男が走り出し、ナイフを振り落とす。

 しかし、捨離人の女性はその攻撃を軽々と避けて、その際にモップの柄で彼の手首を打った。そうしてナイフを叩き落とした直後、返す刀で柄を男の腕の上を滑らせるように動かして彼の顔面を殴り飛ばす。

 

 あまりにキレイに入ったのか、悲鳴を上げずに吹っ飛んだ男は以後、起き上がってくることはなかった。

 

 「ひいぃっ」

 

 その光景を見ていたアッシュという男は、柵を頼りに立ち上がり、階段を駆け下りてくる。

 

 「邪魔だあ! どけええええ!!」

 

 腰のナイフを振り回し、ミヤビを威嚇するアッシュ。

 

 対してミヤビは、腰に付けたスパスからルイワンダをゆっくりと引き出す。そして、アッシュが振り落としたナイフに合わせて体をずらし、彼の懐に入ったと同時にルイワンダを腹部に叩きつけた。

 

 「うげえっ」

 

 ひしゃげた声を上げて、アッシュの体がくの字に折れる。このままだと階段を転がり落ちていってしまう。

 

 だが、ミヤビが伸ばしたルイワンダでアッシュの体を確保したので、そうはならなかった。そのまま流れるような手さばきで手足を拘束し、アッシュを完璧に捕獲する。

 

 「お見事デス」

 

 称賛の声は、階段を降りてくる捨離人の女性からだった。

 

 「お久しぶりでスネ、ミヤビサン。息災のようで何よりデス」

 「ああ。そっちも変わりないようだな、ルルティエンコ」

 

 ミヤビが応えると、ルルティエンコと呼ばれた捨離人の女性はおぼろげな面相に仄かな笑みを宿らせた。

 

 「で? この男はどうする?」

 「お支払いにならなかった代金分、働いてもらいマス。申し訳ありませんが、その方を病院まで運んでもらいませンカ? ドクターにお渡ししていただければ結構ですカラ」

 「上の男もか?」

 「いえイエ。それには及びまセン。リリエット!」

 「はい!」

 

 ルルティエンコが名前を呼ぶと、階段の上に1人の少女が登場した。大きさがあっていないブカブカのメイド服を着た、垂れたイヌ耳とくるんと丸まった尻尾が特徴的な7~8歳くらいの女の子だ。

 

 「上の殿方をドクターのところまで届けなサイ」

 「かしこまりました!」

 「では、ミヤビサン。その方をよろしくお願いしマス。私は下の男を回収してきますノデ」

 

 そうしてミヤビに一礼したルルティエンコは、凛と胸を張った姿勢で階段を降りていった。

 

 ミヤビは拘束したアッシュを背負うようにして持ち、再び階段を上り始める。腹に喰らった一撃のせいで気を失ったのか、身じろぎ一つもしない。

 

 「んっしょ……んっしょ……」

 

 階段を上がり切ると、病院の入り口へと続く歩道の上で、気絶した男を引き摺っているリリエットの姿を見つけた。まあ、子どもの力で大人の体を院内に運ぶには両手で引っ張っていくしかないが、それにしてもやり方が乱暴である。そのうち、意識を回復しかねない。

 

 ミヤビは小さな溜息を零すと、徐に彼女の許に近づいた。そして、空いている手で倒れた男の襟元を掴み、引き上げる。

 

 「あっ……ミヤビさん」

 

 そんなミヤビを見上げて、僅かに頬を染めるリリエット。

 

 「も、申し訳ありません……」

 「気にするな。それよりもあのサイコ野郎を呼んできてくれ」

 「サイコ……? あっ、ドクターのことですね! 今すぐ!」

 

 リリエットは溌溂とした返事した後、診察室と書かれた部屋に駆け込んでいった。

 

 そして、ミヤビが院内エントランスに着いて間も無く、診察室のドアが激しく開け放たれ、中から血塗れの白衣を着た捨離人が現れた。ルルティエンコと同じく、青白い炎に淡く映し出される男性の表情。

 

 その顔が今、愉悦と嘲弄に歪む。

 

 「やあやあやあ! ずいぶんとご無沙汰じゃないか! とっくの昔にくたばったかと思ったよ。わたしの愛しい愛しいモルモット君!」

 

 狂った男の笑い声が院内に木霊した。

 

 





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