第2話 ブラックマーケット



 それから数日後のことである。

 

 罰として命じられた清掃期間も終了し、通常業務に戻った頃。ミヤビは基地の正門に向かっていた。フロントーラの市街地に外出するためである。

 

 ブラック企業も真っ青の勤務体制に準じているミヤビだが、一応、休日は認められている。いや、認められている、というよりも、作り出せる、と言った方が正しいか。

 

 同僚との関係が希薄で、専属契約も結んでいないミヤビが工廠に必要な理由など一つも無い。ストレス発散の道具として、何より、自分の負担を減らすためにマルクが手元に置いているに過ぎないのだ。

 そのマルクにしたって、仕事の押し付けは毎日の事ではない。急ぎでない用事を、3~4日くらいのサイクルで大量に持ってくることが常である。通常勤務に加え、残業をして、それらを処理できた頃に、ちょうどマルクが次に仕事を持ってくるので、残業時間を増やし、その上で普段よりも集中して仕事に取り組めば、半日程度の時間は捻出できる。

 

 後は、マルクから外出許可書を発行してもらうだけなのだが、意外にもマルクはここについては割かし融通が利く。そもそも、自らの都合で直近の部下にしているくせに、彼はミヤビが工廠にいることを好まない。あくまで、自分が必要とする時にいつでも呼び出せる人材が理想なのであって、それ以外ではむしろミヤビは目障りな存在でしかないのだ。

 

 だからこそ、マルクはミヤビを工廠奥の大きな作業部屋に追いやった。なるべく人目に出てこないように。その条件を満たすならば、旧寮舎に引き籠ろうが、街に繰り出そうが、同じ事なのだった。



 そうしてミヤビは、マルクのサインが書かれた外出許可書を正門の受付で提示し、門衛の侮蔑の視線を浴びながらフロントーラの街に出ていった。

 


 フロントーラは中央司令基地を礎にする軍都であり、基地周辺の一帯は無人の空き地が広がっている。フロントーラが攻撃されるとしたら、その標的は間違いなく基地になるので、市街地と一定の距離を設ける必要があったからだ。

 

 そこを抜けると、商店街や繁華街などの商業地域に入る。ここは一般市民のためというよりは、軍人のための施設が多い。無論、一般市民も利用可能なのだが、仕事終わりの軍人が通う飲食店や酒屋、風俗街などが軒を連ねている。

 ちなみに、この先には住宅街。そして街の外周は聖伐軍管轄下の治安維持部隊や役所などの行政機関が密集している。

 

 そして、商業地域の中でも特に華やかで、かつ治安があまりよろしくない歓楽街に入ったミヤビは、大通りから路地裏に入ると、羽織っていた深緑の外套がいとうのフードを深く被ってから歩き出す。

 入り組んだ路地を何度も折れ、やがて大通りの喧騒が聞こえなくなった頃、辿り着いたのは薄暗い袋小路。

 

 普通に生活していたら、まず辿り着くことはないだろう、三階建ての建物の入り口がそこにあった。しかし、その周りには身形みなりの悪い男たちがたむろしている。彼らはミヤビを見つけると、厳つい顔をさらに強くしかめて近づいていった。

 

 「なんだテメェは? ここはオレたちの縄張りだ。とっとと失せろ!」

 「俺は客だ。に用がある」

 「…………ふん」

 

 ミヤビがそう答えると、男たちはあっさりと身を引き、路地の左右に分かれた。

 

 「建物の下」――この文言がここを通る合言葉だ。三階建ての建物に対し、上階ではなく、下について言及する。あらかじめ知っておかなければ、まず通ることはできないルールである。


 そうしてミヤビは男たちの視線を浴びながら建物の中に歩を進めた。

 

 建物は住居でも会社でもないようで、玄関から入ったホールのような広い部屋は、雑貨を詰め込んだ数個の木箱や作業机がいくつか並んでいるだけの、ひどく殺風景な内情だった。二階に続く階段は壁際にあり、上の階には誰かいるのだろう、大勢の話し声が聞こえてくる。

 

 だが、ミヤビの目的は上階には無い。階段を無視して直進し、奥にある扉に向かう。その隣にあるテーブルには2人の屈強な男たちが控えていて、近づいてくるミヤビに気付くと席を立ち、彼の前に立ちはだかった。

 

 その2人を前にして、ミヤビはフードを下ろし、顔をさらけ出す。

 

 「ああ、アンタか」

 

 ミヤビの顔を見て男たちは納得したように頷くと、腰に付けた鍵束で扉の錠を解除した。そうして開け放たれた戸口を潜り、ミヤビは再び外に出る。

 

 建物の裏手には都市部の道路によって隠された暗渠あんきょが通っており、扉から続く階段を下ると、人工河川に沿う通路を進むことができる。フードを被り直したミヤビはそこを通り、壁に設けられた排水管らしき大穴の前で足を止めた。

 

 街路の下に位置する、一般市民が知る由も無い大穴。その前には、小さな木箱に腰掛ける浮浪者のようなみすぼらしい格好の老人がいた。

 階段を下ってきた時からミヤビに注目していたその老人は、彼に右手を差し出して言う。

 

 「右に3。左に2。右に4」

 

 ミヤビは頷くと、老人の右手にある小石を取って、大穴に進んでいった。

 

 緩やかな下り道に通じる穴は、間も無くレンガの階段に繋がり、それは踊り場のような平地の行き止まりで終わる。

 そこでミヤビは先ほど貰った小石を右手に握り、壁の前に構えた。それから腕を大きく動かすと、小石から発せられる光が空中に刻まれていく。そのまま右に三回、左に二回、もう一度、右に四回、回して、最後に、幾重にも重ねられた円の光を、振り被った右手で縦断した。

 

 半月に断ち切られた円は粉々に砕け散って光の結晶となり、周囲のレンガに溶け込んでいく。


 その途端である。レンガの壁が生き物のように蠕動ぜんどうを始めたかと思うと、前方の壁を構成するレンガがからくり細工のように動いていき、さらなる地下への階段を形成した。ミヤビはその階段を下り、薄暗い通路を脱する。

 

 行き着いた先に広がるのは、そこそこの人々が行き交う大きな商店街。一般的な生活を送っている者ではその存在さえ知ることができない、フロントーラの地下に築かれた闇市場ブラックマーケットである。

 

 ミヤビは、改めてフードを深く被り直し、目抜き通りを歩き出した。ここにある店で取り扱われている商品は全て、軍に認められていない違法な薬物や、表の市場では出回らない想生獣上位世代の素材など、取引を禁止されているものばかりだ。一応、現役の軍人であるミヤビが大っぴらに行動していい場所ではない。

 

 故に、ミヤビは己の身分を隠す必要がある。とはいえ、ここに用事がある者は大抵、訳ありの身空なので、地下街を利用する時は素性を隠すのが常識だ。だから、全身が深緑に包まれたミヤビを怪しむ者は誰もいなかった。

 

 そうして何事も無く街に溶け込んだミヤビは、ある店に立ち寄った。

 そこは、想生獣の素材を扱っている店だった。


 





 

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