第7話 滝の奥に潜むもの
大きな穴はその広さを保ったままの洞窟に繋がり、半分、水に浸かっていた水路はやがて陸路に通じた。その道中は、洞窟の規模にしてはほぼ一本道で、迷う心配が無いのは
「……ん?」
入り口から出発して五分ほど経った頃である。どこからか漂う悪臭が鼻を突いて、ミヤビは顔を顰めた。工廠の解体室で作業する者ならば一度は嗅いだことがある、動物の腐敗臭。それが洞窟内に充満していて、しかも、前に進むほど強くなっていくのだ。
そして、ミヤビは悪臭の元を発見する。
それは、道の途中にあった短い袋小路。そこには大量の骨が敷き詰められ、山のようになっていた。
「これは……まさか、
ミヤビはズボンのポケットから取り出したハンカチで鼻と口元を覆いつつ、その骨を手に取って確認する。
骨には肉らしき残骸がこびり付いており、これが悪臭の発生源のようだ。ピギーボアたちは捕らえた動物を巣まで運び、その残りカスをここに廃棄しているのだろう。
(だが……ピギーボアやレオラルボアにそんな習性なんてあったか? 確かに、餌を仲間同士で分け合うことはあるが、それを巣に持ち帰るような性質はない。警戒心が強いこいつらは特定の場所に定住しないんだから)
さらに言うと、骨の量もおかしい。確かにピギーボアは悪食で、果物や穀物はもちろん、肉も食べるが、基本的には大人しい生き物なので、生きている動物を襲うことはしない。食べるとすればせいぜい、その死骸だ。
だが、この骨塚にある骨の量から分かる数は、百匹は下らない。積極的に捕食しなければ考えられない量だ。もしかして、エレフト山に動物がいないのはピギーボアたちが狩り尽くしてしまったせいなのか?
「……ん? これは!」
そして、骨塚を漁っていたミヤビは、ついに決定的な証拠を発見する。
大きく湾曲した楕円形を描く骨。それには二つ並んだ大きな窪みと、その下に一つのハートを逆にしたような小さな穴があった。下あご部分はないが、これだけ形が残っていれば間違えようがない。人間の頭蓋骨である。
さらにその周辺を漁ると、人間の体のものらしき大きさの骨がいくつも転がっていた。ざっと見ただけでも数体分の量がある。
「こいつら人間も食ってたのか……! いや、じゃあっ。俺がきのう襲われたのは、俺の荷物が目的ではなく、俺を捕食するため? ということはやっぱり連続失踪事件の犯人はこいつら――がはっ、ごほっ」
大声を出した拍子に空気を思い切り吸ってしまい、口の中に広がる悪臭に
「はぁ、はぁ…………なるほどな。ようやく事件の全貌が掴めた。今回の連続失踪事件の犯人はあのピギーボアたちだったんだ。ヤツらは山に入った人間を襲い、巣に持ち帰って食ってやがったんだ」
しかし、ここで一つの疑問が出てくる。なぜ、人間を捕食対象に選んだのか? いくらレオラルボアがいたとしても、ピギーボアたちが積極的に人間を襲うとは考え辛い。
「考えられるとすれば……エレフト山に食べるものが無くなったから? 今のエレフト山には動物はおろか自然の作物も無い。ヤツらが食い尽くしたんだ。なぜなら、この山には今、あいつらしか生息していないんだから。果樹がへし折られていたのもヤツらの仕業だ」
とは言え、エレフト山は広大な山だ。動植物に恵まれたこの地の食材を全て食い尽くすとなると、相当な数が必要になる。
もしも、そうであるならば、ピギーボアが急増した理由は何だ? 確かに、この山にはピギーボアの天敵はいない。ナイト級の調査によって想生獣はもちろん、熊や狼などの人間に危害を加える動物も一掃されたからだ。
しかし、それが直接の原因であるなら、
「…………人間が、いない。ピギーボアを唯一、狩猟している人間が山に入れなかった。そうか……! 活動域が絶対的に制限される域内の人間にとって、ピギーボアの肉は重要な動物性たんぱく質の摂取源だ。貨幣制度が定着しているフロントーラと違って、物々交換が主流である村同士の取引では、ピギーボアの肉がしばしば貨幣の代わりとして用いられるくらいの、重要な交易資源。だから近隣の村の猟師たちによる狩猟が頻繁に行われてきた。だが、軍がエレフト山への入山を禁止したことで、狩りができなくなった」
考えてみれば単純である。ピギーボアは高い繁殖力を備える想生獣だ。それでもエレフト山がピギーボアで溢れ返らないのは、増えた分だけ人間が狩っていたに他ならない。
もし、人間が狩猟を止めた場合。増えたピギーボアはさらにたくさんの子を産み、その子が成長してさらにたくさんの子を産む。そうして総体は短期間でも指数関数的に激増していく。
なんてことはない。生態系を維持するのに益と判断してピギーボアの生存を許した人間だが、人間もまた生態系を維持するサイクルの歯車の一つに過ぎなかった、という話だ。
「おそらく……トリガーとなったのは、最初の犠牲者。行方不明になった山菜採りの女性だ。ピギーボアに襲われたのか、事故で死んだのかは分からない。だが、彼女はエレフト山のどこかで息絶え、その死体をピギーボアたちが食ったんだ。そこでヤツらは人間の味を覚えた。動物には、一度、捕食した相手を獲物と認識して襲う習性を持つものもいる。ヤツらは人間をエサと見做し、継続的に襲っていったんだ。そして、唯一の敵である人間がいなくなり、その数を爆発的に増やしていった……」
考察をまとめる間に呼吸を落ち着かせていったミヤビは、不意に踵を返し、再び骨塚へと近づいていく。
(このことを急いで皆に伝えないといけない……そのためには証拠が必要だ。ナイト級を出動させるに十分な動機。……頭蓋骨でも持っていけば、マルクも俺の意見を無視することはできないだろう)
そうした打算の上で頭蓋骨を手に取ろうとし……ピタリと動きを止めた。
おかしい――直観に似た不信感がミヤビの脳を叩いたからだ。
(ここに骨塚があるということは、ヤツらの根城はすぐ近くにあるはずだ。でも、未だピギーボアの一匹も見かけていないどころか、その気配すら感じない……おかしいだろ。この山の食料を全て食い尽くすだけの数だぞ? 鼻息とか、蹄の足音とか。何か存在感を示すものがあってもいいはずだ)
その時、ミヤビの頭の中にふと蘇ったのは、この洞窟を見つけた際の記憶。
どうして自分は滝の裏に隠された洞窟を発見することができたのか? それは、滝から森へと続いている足跡を発見したからだ。
それはつまり、洞窟から外に出てきたピギーボアたちが最後にそこを通った、ということ。
(まさかっ、あいつらはすでにここにいない?! もう外に出て獲物を探してるのか?! まずい、だとしたらフィオたちが危険だ!)
ミヤビはすぐさま反転し、洞窟を駆け出した。ミヤビの推理通り、ピギーボアたちが活動を開始しているのなら、調査として山の東側を捜索しているフィオらの部隊と鉢合わせする可能性が極めて高い。
当然、フィオの部隊にはレンヤもいる。彼が暴走しないように、あるいはした後のカバーをするのがミヤビの、自分に課した使命だ。
その役目を全うするため全力で来た道を引き返すミヤビだが、その歩みは、なぜかすぐに途切れてしまった。
そして、骨塚からさほど離れていないところで振り返り、呆然とした目付きで呟く。
「いや……違う。今、俺のやるべきことは、それじゃない」
フィオライトの部隊にはアンテレナがいる。彼女が率いていると、マルクは言っていた。
そもそもアンテレナは訓練生で構成された部隊による調査を反対していた人間。そんな彼女が部隊の引率役を買って出た理由は、いざという時に訓練生を守るためしか考えられない。つまり、戦闘となった時、矢面に立つのはあくまでアンテレナだ。
ナイト級として各世界に何度も出征し、五体満足で生還してきた歴戦の兵士であるアンテレナが、猪を大きくしただけのピギーボアの集団に後れを取るとは思えない。レオラルボアは熊くらいのサイズはあるが、それでも戦闘の優位性はビクともしないだろう。
レンヤの暴走も、アンテレナがカバーしてくれるはずである。戦闘能力が無い自分が駆けつけても無意味だ。
それよりも、ここにピギーボアの集団がいないことは
「ここでヤツらの根城を完璧に破壊する。そうすれば、仮に今回の調査で取り逃がしたとしても、帰る場所を失ったヤツらに逃げ場は無い。よし……進もう。キューブがあれば、この程度の洞窟なんか軽くぶっ壊せる」
青白く輝くキューブを見つめ、覚悟したように頷くミヤビは、ルイワンダを強く握りしめ、洞窟のさらに奥を目指して歩き出した。
少し進むと、広い空間に出る。中央に巨大な岩が鎮座する、洞窟の中だとは思えないドーム型の広間。地上とは近いのか、天井の隙間からは陽光が差し込んでいる。そのおかげで多少、薄暗いが、内情を窺うことができた。
岩の周辺には草を敷いただけの寝床らしい場所がいくつかあった。多分、ピギーボアたちの寝床だろう。骨塚から近いことや、部屋全体に立ち込める獣臭からしても、
ここがピギーボアたちの本拠地で間違いない。
「……よし。残ってるピギーボアはいない。今のうちにキューブを仕掛けよう」
入り口からザっと周辺を見回し、脅威がいないことを確認してから巨大な岩に向かう。部屋の中心からキューブを仕掛ける場所を探すためだ。
そうして岩に近づき、何の気なしにそれへと手を伸ばすミヤビ。その手を、フカフカとした触感が包み込む。
「え?」
岩の冷たく硬い感触を予想していたミヤビは、あまりにかけ離れたその柔らかさに驚いた。
苔か、と瞬間的に思った。しかし、それにしてはチクチクとした感触もある。なにより温かく、僅かに動いているような感覚もあった。暗闇に目が慣れてくると、表面には模様みたいな柄もあり、まるで動物の毛並みのよう。
「どう、ぶつ……?」
ミヤビが呟いた瞬間、岩が突如として動き出す。その巨大な影が大きく揺れ、ミヤビのすぐ横にズドンと何かが降り立った。
それは、巨大な
さらに、ズドン、ズドンと音が響き、その度に部屋全体が激しく震える。そうして四本足で立ったそれは、天井に届くすれすれのスペースで器用に体を動かし、ゆっくりと振り返った。
「嘘だろ……」
見上げる、規格外の大きさを誇る、それ。
ピギーボアよりも大きいレオラルボア、それをさらに何十倍にもしたような体格を持つ、想生獣。
その名を、タイタンボア。
本来は、王によって支配された土地にしか生息しないはずの、第二世代の化け物である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます