第6話 滝壺の秘密


 

 山に入ったミヤビは、上着のポケットに仕舞っていた地図を取り出した。


 (レオラルボアの痕跡を見つけるんだ)

 

 訓練を中止にするためには、レオラルボアがいた、という証拠をマルクに提示しなければならない。

 地図には動体検知器を設置するポイントが記されている。それらは、行方不明者が向かった場所を参考に、アンテレナたちが設定した場所だ。

 仮に、連続失踪事件がピギーボアの群れによる犯行だった場合、それを指揮したであろうレオラルボアの何かしらの物証が現場には残されているのではないか。そう睨んだミヤビは、地図を頼りにいちばん近いポイントまで登ろうとしたのだ。


 そうして地図をくまなく確認していると、ある事に気付く。

 

 (動体検知器を設置する場所……ほとんどが川べりだな)

 

 エレフト山にはいくつかの川が流れている。ポイントの多くは、それに沿うように付けられていた。

 

 (行方不明者はどんな人たちだったっけ? 確か、工廠で聞いた話では……親子連れに猟師、山の管理人とかだったな……)

 

 親子は川魚を釣るために。猟師は水を飲みに来た獣を狙うため、川の周辺に罠を設置していた。管理人が常駐する休憩所も、生活用水を得るために川沿いに建てられている。

 

 「……そういえば、俺がピギーボアと初めて会ったのも、休憩所を出てからすぐの小川が傍にある山道だったな」

 

 ほころび始めた謎の全貌。その一端を掴んだミヤビは、ハッと顔を上げた。

 

 「今回の事件を紐解くカギは川にあるのか……?」


 自然と足が止まる。このまま、有るかどうか定かではないレオラルボアの痕跡を求めて山の中を巡る。それよりも、もっと期待値の大きい可能性を思い付いたからだ。

 

 そもそも、地図のポイントには、昨日のうちに仕掛けられた動体検知器がある。訓練はすでに始まっているので、それらも稼働しているはずだ。つまり、そのエリアに入れば自分の独断専行はマルクたちに筒抜けになってしまう。

 

 その上、森の中をあちこちと歩き回っていれば、先行して山に入ったフィオライトたち調査隊と出くわしてしまう可能性だってある。後の事を考えても、このまま闇雲に行動するより、目星をつけた場所に賭けた方がまだ生産的というものだ。

 

 「よし。行こう……休憩所に」

 

 ミヤビは一つ頷くと、ルートを変えて昨日と同じ山道を歩み始めた。

 

 

 

 それから約一時間後。ミヤビは休憩所に到着する。

 しかし、そこが目的ではない。休憩所は飽くまで通過点である。

 

 昨日から歩きっぱなしの体はひたすら重かったが、ミヤビは休憩所を通り過ぎ、さらに山道を進んだ。

 

 間も無く、道の横に小川が現れて、それは前進していくに従って大きくなっていく。今回はピギーボアたちも現れず、何事もなくその先にある分岐点まで辿り着くことができた。

 

 一方は川に沿う直進のコース。もう一方は右手に折れる頂上へのコース。

 頂上を目指していた昨日は右のコースを選んだが……。

 

 「この先には何があるんだ?」

 

 ミヤビが立つのは、直進のコース。事件に関りがあると思われる川を従えた、右のコースよりも鬱蒼とした草木に覆われた一本道だ。

 その先は木々の枝葉に覆われて、日中であっても薄暗い。そのせいか、どことなく怪しい雰囲気を漂わせている。

 

 ミヤビは腰に付けたスパスからルイワンダを取り出すと、それを構えたままゆっくりと歩き出した。いつ、何が起こっても対処できるように。

 

 深緑に包まれた道は、登山道よりも冷たい静寂に満ちていた。まるで別世界に迷い込んでしまったかのような孤独感。枯れた枝を踏んだ音が、やけに大きく感じる。

 

 一歩を刻む毎に、高まっていく緊張と恐怖。それでもミヤビは足を動かし続けた。

 

 その足に、何かが引っかかる。

 

 「ん? これは……俺のリュックサック!」

 

 最初はただのゴミかと思った。だが、拾い上げ、目を皿にしてよくよく観察し、それがボアたちに持っていかれた自身のリュックサックであると気付く。そのくらい原型をとどめていなかったのだ。

 

 一応、中身を確認する。持ち上げた時の軽さで分かっていたのだが、中には何も入っていなかった。底に開いた穴は、引き摺られたことが原因だろう。そこから零れてしまったか、あるいはボアたちが持ち帰ったのか。

 

 「コレがここにある、ということは、やはり……」

 

 リュックサックだったものを捨て、ミヤビは道の奥を見遣る。いや、もはやそれは道ではなく、動物の往来によって踏みしだかれ、土が剥き出しになっただけの林間の隘路あいろ、という表現が正しいだろう。

 

 そして、この一本道を作り出した獣たちはこの先にいる。

 ミヤビは改めてルイワンダを握り直し、さらに歩を進めていった。

 

 道は次第に緩やかな下り坂に入り、大量の水を叩きつけるような音が、冷ややかな空気を引き連れてやってくる。その正体が滝だと知ったのは、蛇行する土の道の果てにある膨大な水飛沫みずしぶきを目にした時だった。

 

 「こんなところに滝なんてあったのか……」

 

 滝壺のほとりに立ち、滝を見上げる。遥か高くの断崖から一直線に落ちる、いわゆる直瀑ちょくばく型の滝。非常に落差があり、横幅も広く、まさに名瀑と言っても差し支えない景観である。

 

 「ところで……ピギーボアたちはどこにいるんだ?」

 

 ミヤビはきょろきょろと辺りに視線を飛ばした。この道の先に事件解決の糸口があると思っていたのに、待っていたのは滝という行き止まり。連中の姿かたちはどこにもなく、住処らしき場所も見当たらない。

 

 しかし、全ての手がかりを失ったわけではなかった。

 

 それは地面にあった。ぬかるんだ土に刻まれた、無数の動物の足跡。この爪先を抉るような蹄の形は偶蹄類ぐうているい特有のものだ。大きさからして、ピギーボアたちに違いないだろう。

 

 不可解なのは、その足跡がと続いていることだ。

 

 「これらの足跡が昨日のヤツらのものとして、ヤツらが滝に来たのなら、足跡は森から滝へと向かうことになるはずだ。これだとまるで、ヤツらは滝から現れたような……」

 

 足跡を目でなぞり、そうして滝を瞳に映したミヤビは、

 

 「まさか……!」

 

 と呟き、早足で水溜まりの中に突入していった。


 滝の規模からして、滝壺はかなり深い。なるべく浅瀬である端の方から滝に近づき、鏡のように自身を映す水のカーテンへと腕を突っ込んだ。その手に何の感触も伝わらないことを確認して、そのまま全身を滝の向こうに沈めていく。


 腰と膝が砕けてしまいそうな激しい水圧を超えた先にあったのは、今まで気付かなかったのが不思議なくらいに大きな穴だった。

 

 「やっぱり……滝の奥にはまだ道があった。ここがピギーボアたちの巣だったんだ」


 半ば水没した穴を少し進み、ミヤビは振り返る。大規模な滝によって作り出される分厚い水の層は、森の色を完全に断ち切っていた。なるほど、これではこの穴の存在に気付かないのも無理はない。ナイト級もまた、同様の理由でここを見落としてしまったのだろう。

 

 やはり、ナイト級の調査には不備があった。しかし、それを今、ここで責めても事態は解決しない。

 

 「この先にいるはずだ。昨日、俺を襲ったピギーボアの群れ。そして、レオラルボアが」

 

 ミヤビは穴の奥を見据える。滝によって日の光が届かないそこは、墨で塗り潰されたかのような漆黒に閉ざされていた。ライトでもあればいいのだが、あいにく軍から支給されたものはリュックサックの中に入れていて、他の備品と一緒に無くなっている。

 

 そこでミヤビはルイワンダを岩壁に叩きつけた。そうすることで青白く輝き出したキューブを光源にして、ゆっくりと穴を進み始めた。







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