第5話 燃える想い


 

 しばらく川の流れをぼんやりと眺めていたミヤビは、出し抜けに背中を蹴られて草原に倒れ込んだ。驚いて振り返ると、自分を冷たく見下ろすマルクたちが並んで立っていた。

 

 「うまくさぁ、誤魔化しとけっつったよな? ああ? 亡霊よぉ?」

 

 ミヤビを睨み付けて、マルクはやぶから棒に因縁いんねんをつけてくる。しかし、言われている意味が分からず、ミヤビは眉根を寄せて見返すことしかできない。

 

 それが気に食わなかったのか、マルクはミヤビの背中を踏みつけてさらに吠えた。

 

 「護衛役のナイト級のことだよ! アレクとかいうクソ野郎……部下をちゃんと教育しろだの偉そうに言ってきやがって! 危うくオレたちが山に入ってないことが周りにバレちまうトコだったろうが!」

 「あぁ……」

 

 そこで完全に意味を把握したミヤビは、倒れてる状態で「すみませんでした」と頭を下げた。

 

 「ちっ……役立たずが。ああ、ったく。まあいいや、それは」

 

 経験上、ネチネチと嫌味を言われるものだと覚悟していたが、意外にもマルクはすんなりと怒りを静めた。

 と、思ったのも束の間、マルクはイヤらしい笑みを浮かべてミヤビに顔を寄せる。

 

 「それよりも、お前。第六世界ゴルドランテの巫女の幼馴染だったんだって?」

 

 最悪だ。ミヤビは思わず引き攣る顔の筋肉を抑えることができなかった。よりにもよって、こいつにその事実を掴まれてしまうとは。

 

 ミヤビの反応を目にしたマルクは、張り付けた笑顔をさらに色濃くした。

 

 「マジなのかよ。お前みたいな愚図ぐずがソラリハと幼馴染? 嘘じゃねーの? はははっ、笑えるわそれっ!」

 

 マルクは腹を抱えて笑い出す。それに釣られてアンドラとマハトも爆笑を始めた。


 穏やかな川辺に響き渡る、不快な笑い声の三重奏トリオ

 

 一頻ひとしきり笑ったマルクは、倒れるミヤビの背中をバンバンと叩きながら言う。

 

 「そりゃ腐るわなぁ? 幼馴染が人類の希望であるソラリハなのに、お前は誰からも必要とされていないクズ。その上、今までゴルドランテでは出てこなかった勇者候補が急に現れて。そいつに横取りされてさぁ。お前、あの子のことが好きだったんだろ? あの勇者候補様がそう言ってたぜぇ~?」

 「…………っ、」

 「ははっ、なにその顔。図星ってカンジ? わっかりやすいわお前」

 「無様だねぇ。自分より遥か上の男に好きな人を奪われて、そんな男に乗り換える女を逆恨みして。んでさっきの騒ぎってか? 哀れすぎて泣いちゃうそうだよ~ぅ。ひはははははっ」

 

 そして、また馬鹿笑いを重ねる3人。

 

 目尻に溜まった涙を指で拭い、マルクはミヤビの頭をポンポンと軽く撫でる。妙に馴れ馴れしい顔が、とにかく気持ち悪かった。

 

 「まあ、諦めるこった。幼馴染か知らねえが、あの女はもうお前じゃ手の届かない高嶺の花になったんだよ。お前に出来ることは、愛した女をはべらせるあの勇者候補様を羨ましそうに指を銜えて見てることくらいだ」

 

 分かっている。もう、彼女の隣に立つことすら許されないことは。

 だから、彼女を悲しませることになっても決別の道を選んだのだ。

 

 「どう考えたって釣り合わねえもんな。お前は能無しで相手は高いマギナを持つソラリハ。だから、今回の調査隊にも選ばれたんだし」

 「……は?」

 

 何気ないマルクの発言に、ミヤビは静かな衝撃を受けた。マルクの手を振り払うように起き上がり、彼の服を掴む。

 

 「調査隊に選ばれた? あいつが?」

 「あ? あれ、言ってなかったっけ? アンナが率いる今回の調査隊は、ソラリハと勇者候補のレンヤを中心とした訓練生で構成されるって」

 

 聞いてない。一昨日に聞かされたのは、訓練生の実力を測るために、特に優秀な者たちで構成した部隊で任務に当たらせる、というむねだけだ。

 まさか、人類にとって重要な存在である勇者候補とソラリハを起用するとは、誰が思おうか。ましてや、フィオライトは戦闘能力など無いのだ。

 

 だが、これで合点がいった。訓練生たちがエレフト山の西側登山口に向かう中、どうしてフィオライトやレンヤがあの場に留まっていたのか。きっと、アンテレナから任務の説明を受けるために残されていたのだろう。


 そこまで思考が至った瞬間、ミヤビは飛び跳ねるように立ち上がった。そして、驚いているマルクに詰め寄る。

 

 「すぐにその任務を中止してください!」

 「はあ?」

 

 いきなりの進言に、マルクは怪訝けげんな顔をした。ミヤビは続ける。

 

 「現在のエレフト山は危険です! 自分は昨日、ピギーボアの群れに襲われました!」

 「ピギーボアの群れ?」

 「はい! しかも、群れの中にはレオラルボアもいました! 今回の事件も、もしかしたらそいつらが犯人かもしれません!」

 「レオラルボアって、お前。第三世代のヤツだぞ。マジで言ってんのか?」

 「はい! 早くアンテレナ様に掛け合って、今回の調査……いえ、訓練そのものを中止するべきです! そしてナイト級で正式な討伐隊を組んで、改めてエレフト山を調査するように言ってください! お願いします!」

 

 矢継ぎ早に捲し立て、ミヤビは深く頭を下げた。

 

 ミヤビがマルクに対して、ここまで真剣に向き合うことは無かった。だからこそ、この願いを聞き届けてくれる……そう、期待して。


 しかし、それは浅はかな考えだった。

 

 低頭し続けるミヤビをしばらく眺めていたマルクは、何かを閃いたかのように目を見開くと、肩をすくめてにんまりと笑った。

 

 「あ~あ~……なるほどね。今度はそういう作戦ってことか」

 「は?」

 

 作戦? なんのことだ?

 ぽかんとするミヤビをせせら笑い、マルクはしたり顔で言う。

 

 「有りもしない事件をでっち上げて、あの2人の訓練を邪魔してやろう、って魂胆だろ? お見通しなんだよバーカ」

 「なっ、違います! 俺はそんな――」

 「見苦しいんだよ! あの2人が調査隊に加わってる、って知った途端に言い出したのが何よりの証拠だ。ホンット根性腐ってるよなぁ、お前は。そこまで人の邪魔をして楽しいのか?」

 「そん、な……ち、違います。俺は、本当に……」

 「レオラルボアを見たって? 嘘つけ、域内にいる想生獣は第四世代しかいねーんだよ。それとも何か? お前が見たっていうそれが本当にレオラルボアだった、っていう証拠でもあんのか? ああ?」

 「それは……」

 

 そう指摘されると弱かった。あの時は逃げるのに精一杯だったし、目撃したのも夜で視界は悪く、外見を根拠にしても信憑性は薄い。翌朝も下山するのに夢中で、レオラルボアがいたという物証を確保することまで頭が回らなかった。

 

 マルクの要求に応えられず、憮然ぶぜんとなるミヤビ。そんな彼を見て勝ち誇ったように胸を張り、マルクはさらに続ける。

 

 「というかよお、ナイト級に改めてエレフト山を調査するように言えって? それってつまり、ナイト級の調査にケチをつける、ってことなんだぞ? ルーク級とナイト級の関係をぶち壊すつもりか」

 「で、ですが……」

 「しつけーんだよ! おら! いつまでもグダグダ言ってねーでさっさと戻るぞ! んで、お前は基地に帰るまで詰所に引き籠ってろ! また他のヤツとトラブルを起こされたなメーワクだからな!」


 ミヤビを頭ごなしに怒鳴り付け、マルクたちはエレフト山の方へ行ってしまう。その後ろ姿を茫然と目で追っていたミヤビは、彼らの姿が見えなくなってから、ふらふらと歩き出した。

 

 本部テントの裏手には、近隣の村人たちが寄合よりあいを行うために造られた集会場があった。そこは今回、ルーク級の詰所として利用されている。

 

 その建物を目指す道すがら、頭の中を駆け巡るのは無力な自分への苛立ちと、フィオライトの悲しい眼差し。

 

 (また、泣かせてしまった……)

 

 彼女の幸せを願っていながら、彼女を傷つけてしまう矛盾。

 

 否、果たしてそうなのだろうか。自分は本当にフィオライトの幸せを願っているのだろうか?

 愛した人には幸せになってほしい。そう口では言いながら、心のどこかで彼女への憎しみをくすぶらせているのではないか。

 

 そんなことはない! ――と、真っ向から否定できない自分がいた。

 

 フィオライトに突き付けた突発的な言葉。真っ白な頭とは裏腹によどみなく立て並べたあの言葉こそ、混じり気の無い自分の本心ではないのか?

 

 「俺は……あいつのことを、まだ……? いや、違う。ちがうっ。俺は……おれ、は……!」


 辿り着いた集会場の入り口。その戸に手を掛けて、ミヤビは動きを止める。

 

 中からは、扉越しに大勢の活発な話し声が聞こえてくる。本部テントの設営作業をしていた組と、動体検知器を設置するために派遣された今回の組が全員、ここに集められているようだ。

 

 この建物に入ってしまえば、中央司令基地に帰る時まで外に出ることは許されないだろう。奇妙なピギーボアたちが徘徊する山に入ったフィオライトたちを残して、自分は安全な基地へと。

 


 ――そんなこと、できるはずがないだろう!


 

 「フィオ……!」


 ミヤビは手を下ろし、エレフト山に向かって駆け出した。自分の本心がどこに向かっているか、わからなくても構わない。



 この胸で燃える想い。それだけがミヤビの体を突き動かす。

 



 そうして山の中に消えていった男の姿を見た者は1人もいなかった。

 






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