第4話 聖伐軍の嫌われ者
それから何度か目覚めと寝入りを繰り返し、待望の朝がやってくる。やはり体が冷えては熟睡などできず、しかもほとんど身動きが取れないハンモックもどきでは姿勢が固定されるために、体の至る所が寝違えている状態になっていた。
無論、昨日の疲れが取れるはずもなく。
筋肉痛に加えて、寝違えたことによる節々の痛みと寝不足による片頭痛。そうした
ボトルの水を飲み、ついでにそれで顔を洗い、パンパンと両手で頬を叩いて気合を入れてようやく、ミヤビはルイワンダを使って下に降りることになる。この時点ですでに七時を回っていた。
ミヤビは慌てて下山への途に出る。さすがにピギーボアたちも早朝から活動しているわけではないようで、山中で問題は起こらなかった。しかし、
麓には数台の大型車両が停まっており、本部テント前には訓練生たちが整列している。夜遊びから戻ってきたマルクたちを始めとするルーク級たちもまたテントの周りに集まっており、その中でひとり声を張っているのが、野営訓練の監督を務めるアンテレナだ。
発言内容は本訓練における概要で、訓練の意義やエレフト山の説明、それに付随して想生獣についての簡単な口述をしたのちに、彼女の後ろのテントを示すように手招きした。
「さて、それじゃあ野営する座標を印した紙を渡すから。各班のリーダーは前に出てきてー」
アンテレナの号令によって訓練生は行動を開始し、マルクたちもまたその場から解散していく。
そうして人の輪が広がっていく様子を森の影から眺めていたミヤビは、その機に乗じてマルクの許へと急いだ。自分が森で体験したこと、すなわちレオラルボアの存在とピギーボアの群れの危険性を訴えるために。
しかし、間が悪いことに、マルクは本部テントの近くでアンテレナとの話し合いの真っ最中だった。今回の任務は、エレフト山の事前調査を兼ねていることは行きのトラックの中で聞かされていた。あくまでその後の本格的な調査の前の下調べに過ぎないものだが、アンテレナは調査報告を聞くために訓練生よりも先に本部に訪れている。今もそれ関連のことで意見を交わし合っているのだろう。
ここで下手に介入すれば、また一昨日のように責められかねない。なので、ミヤビは2人に気付かれないうちに離れることにした。
まだ訓練が始まるまで時間がある。その前にマルクに相談すればいい。
そう思って、本部テント前の人混みに待機するミヤビ。
しかし、これが悪手だった。
「ん?」
なんとなく視線を感じて、ミヤビは顔を横に向けた。
こちらを呆然と見つめるフィオライト=デッセンジャーと、目が合った。
(しまった……!)
瞬間、ミヤビは自分の迂闊さを呪った。こうならないように、なるべく目立たずに移動していたのに。
完全なる油断だった。訓練生たちは山の西側へと移動し始めているから、てっきり彼女もそちらに向かっているものだと判断していた。
だが、フィオライトはなぜかこの場に残っていた。その後ろにいるレンヤと、彼女のチームメイトであろう数人の訓練生と共に。
そして、フィオライトは一度、レンヤに振り返って頷くと、硬い笑顔を浮かべてゆっくりと近づいてきた。
まずい。ミヤビの胸中に恐怖色の焦りが満ちる。
半壊状態の訓練場の出入口でフィオライトとの和解への道を諦めた時。ミヤビは、もう二度と彼女とは会わないことを自分に誓った。変に関係を再開させて親しくなるよりも、仲違いを継続してこちらに近づかせない方がなにかと都合が良い、と判断したからだ。
それに、フィオライトも自分に失望していると思っていたから。同じ基地内にいたとしても、わざわざ会いに来ることは無い、と考えていた。
だからこそ、躊躇いがちではあるが、それでも近づいてくるフィオライトにミヤビは激しく動揺した。
再会したところで無視されるか避けられるとばかり考えていたのに。ぎこちないながらも笑顔を浮かべて近づいてくる状況など想定外で、思考回路が完全に停止してしまった。
何も考えられない白紙の頭。明確な答えを見つけられず、目の前までやってくるフィオライトをただ見つめることしかできない。
ただ、一つ。
拒絶しなければならない。ここで彼女と和解してしまえば……生半可な立場に落ち着いてしまえば、そこで全てが終わってしまう。再び築いた細い絆を手放したくなくて、自分が抱いた目標への歩みを止めてしまうだろう。
そんな漠然とした確信だけが、胸の奥から自分に訴えかけていた。フィオライトの唇が動いた時、その想いは言葉となって口から放たれた。
「ひ、ひさし――」
「おぉー。これはこれはゴルドランテの巫女様ではないですか。あなた様のような遥か雲の上の存在が、こんなゴミ虫に何の御用でしょうか?」
フィオライトの声を上から潰す、当てつけのような言葉の刃。
理性的に選んだ語句ではない。ただ、彼女を拒絶しなければならない。その想いが先走り、ひたすら威圧的で卑屈な言葉を生み落としたのだ。
硬い笑顔はたちまち崩れ去り、フィオライトの表情が悲しみに染まる。
ああ、また彼女を傷つけてしまった。
涙を滲ませる瞳が。悔しさに噛み締める口が。小さく震え出す肩が。ミヤビの心をズタズタに掻き毟る。
しかし、今さら後戻りはできない。吐いた言葉を呑み込むことはできないのだから。
後はもう、自分の覚悟だけ。
フィオライトの異変に気付いたレンヤが駆けつけ、彼女の体を後ろから抱き締める。その行為によって湧き上がる嫉妬心をも自身を奮い立たせる原動力に変え、ミヤビはフィオライトを睨み付けた。
「なんだ? あからさまに見せ付けてきて。2人して俺を馬鹿にし来たのか?」
「ち、ちがっ……私はっ」
「なんだよ? ヘラヘラと笑いながら近寄ってきやがって! この一年、俺がどんな想いでいたか分かってんのか?! 分からねえだろうなあ! 幼い頃から付き合ってきた男を平気で捨てて、ぽっと出の男に愛想を振りまく尻軽女にはなあ!」
「――っ。ひ、どい……っ」
ついにフィオライトの目尻から涙が零れ落ちる。そして、それがレンヤの限界だった。
「いい加減にしろ! フィオに謝れ!」
「レンくん! 待って、落ち着いて!」
レンヤが拳を振り上げたポーズで迫ってくる。もし、咄嗟にフィオライトが止めていなければ、その拳は間違いなくミヤビに振り抜かれていたはずだ。
「どうした? 何かあったのか?」
騒ぎを聞きつけたマルクがアンテレナを伴ってやってくる。気が付けば、周囲の人間がミヤビたちに注目していた。
ここらが引き際か。そう瞬時に悟ったミヤビは踵を返し、早足で人垣の中に退散していった。幸いにも、マルクとアンテレナは事情説明するレンヤに気を取られているため、その隙にまんまとその場から抜け出すことができた。
そうして人混みから抜け出たミヤビは、さらに歩いて近くの川沿いの河川敷のような草原に辿り着く。周囲に誰もいないことを確認し、崩れ落ちるように近くの岩に座り込んだ。
「はぁ~…………助かったぁ……」
その感想は、マルクとアンテレナたちが来てくれたことに対してである。あるいは、殴りかかろうとしたレンヤに対してか。
誰でもいい。とにかく、あの場から逃げ出すチャンスを与えてくれたことに感謝したい。
もし、あのまま、フィオライトの顔を見続けていたら。
覚悟とか、誓いとか、なにもかも忘れて、泣いてしまいそうだったから。
「…………ごめん。ごめんな……フィオ……」
誰もいない優しい時間が、今だけ全てから解き放って、込み上げてくる。
零れないように、咄嗟に上を向いて、太陽の眩しさに目を細めた。
潤んだ声は誰にも触れられることなく、川の
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