第3話 真夜中の逃走劇



 それからは何事も起こらず、ミヤビは無事に山頂に辿り着いた。そこに建築されている休憩所兼宿泊施設である小屋の中に荷物を置き、動体検知器一式を持ってさっそく作業に取り掛かる。


 渡された動体検知器は八組。迷わないように目印をつけながら森の中を進み、地図に印されたポイントに動体検知器を設置していく。


 全ての作業を終えた頃になると、案の定、空は黄昏色に染まっていた。今から山を下りても、中腹に着く前に辺りは闇に沈んでしまうだろう。急いで帰ったところで、同僚たちから邪見にされるのは目に見えているので、ミヤビは小屋に戻り、当初の予定通り宿泊の準備をすることにした。

 

 宿泊施設でもあるため、小屋の中には三段ベッドと毛布が用意されている。しかし、長らく誰も利用していないのか、ベッドは軋み、毛布はカビて変色していた。とても使えそうではないが、山頂の冷たい夜風をしのげるだけでもありがたい。寝袋もあるし、寝る分には問題ないだろう。

 

 問題があるとすれば、夕食か。

 

 「まいったな……まさかここまで何も無いとは……」


 エレフト山は食材が豊富だから現地で調達すればいい、と必要以上の食料は持ってこなかった。それが災いした。

 しかし、こうも何も見つからないものだろうか。山頂まで踏破して見かけた動物と言えば、さっきのおかしなピギーボアの群れくらい。それ以外は小動物もおらず、川には魚の一匹も泳いでいなかった。挙句の果てには木の実の一つも発見できない、という、エレフト山にはあるまじき現状。


 木の実に関してはつくづく不可解だった。本来なら野イチゴやビワ、サクランボ、旬ではないがアケビなどの山の幸に溢れている時期である。それが全く無いどころか、果樹に至ってはことごとくがへし折られていたのだ。幹を執拗に攻撃した痕があり、たかだか果実を取るためだけに木を倒したのか、その執着心は異常である。


 仕方がないので、ミヤビの夕食は昼食の残り物になった。動体検知器を設置した帰り道で集めた枝を小屋前の空き地に整え、調理器具コッヘルの小鍋と焚き火台を用意してから着火機器で火をつける。

 まず小鍋にスープジャーの残りを入れ、それだけでは少ないので水を足す。そうすると味が薄まるので、携帯用調味料の固形バターを投入し、さらに、山中で見つけた野草を水洗いしてから食べやすい大きさに千切り、ぐつぐつと煮込む。野草が煮えたら堅パンの残りを砕いてバラまき、一煮込みして完成。

 

 エレフト山の野草入り特製スープ。鍋を焚き火台から降ろし、スプーンで掬い取って、息で冷ましてから含んだ。途端、ミヤビの眉間にしわが寄る。

 

 「まっず……」

 

 バターの分量を間違えたか、野草独特の苦みか、辛みと苦みが交じり合う複雑な味。横着せず、野草はアク取りすべきだったか。堅パンも、クルトンのようになるかと思ったが、スープを吸い込んでしまい、失敗である。

 

 でもまあ、食べられないことはない。なにより他に食べられるものはないし、下山のための体力を回復するためにも、贅沢を言わずに我慢するしかない。

 

 麓の方からは大人数の喚声が微かに聞こえてくる。キャンプに浮かれたルーク級の面々がナイト級と一緒に宴会でもやっているのだろう。連中の遠い馬鹿騒ぎを聞きながら、ミヤビはスープを全て飲み干した。

 

 砂を被せて火を消し、小屋に戻って寝支度を始める。腕時計で確認した時刻は午後9時過ぎ。寝るには少し早いが、訓練生が到着するのは明日の昼過ぎである。それまでには山を下りておきたいから、日が出てくる頃には出発できる状態にしておきたい。


 小屋のダイニングに敷いた寝袋に潜り込み、それまで室内を照らしていたランプを消す。さすがに小屋の中にまで外の騒ぎは届いてこない。漆黒に窓からの月明かりが差し込む静寂しじまの中、登山の疲れが意識を速やかに夢へと引き込んでいく心地良さに身を委ね、ミヤビはゆっくりと瞼を落としていった。

 


 カラン、と乾いた音が響く。

 


 「なんだ?」

 

 まどろみの中にあった意識が急速に覚醒する。

 

 乾いた音はなおも続いていた。どうやらそれは明朝に片づけようと放置したコッヘルによるもののようだ。山頂の強い風に煽られて地面を転がっているのか?

 

 ――いや、それにしたって忙しない。カランカランカランと、まるで食器同士を叩き合わせているような金属音。


 しかも、音はそれだけではない。土を蹴るひづめの音や低い唸り声。それに荒々しい鼻息まで聞こえてくる。

 

 ミヤビは寝袋から出て、静かに壁に近寄り、窓から外の様子を確認した。月光の下、うごめくたくさんの影。たとえ、夜の闇が隠そうとも見間違えるはずがない。ピギーボアの群れだ。

 

 「あいつら、ここまで追ってきたのか? なんなんだ、あの――っ?」

 

 ドン! 

 

 いきなり大きな音がして、背中を預ける壁から振動が伝わってくる。ピギーボアが小屋に攻撃したのか。それが二度続き、最後の攻撃と同時に何かが崩れるような破壊音。おそらく、入り口の戸を突き破ったのだろう。

 

 「まずい!」

 

 ミヤビは急いでリュックサックを漁り、スパスからルイワンダを取り出した。

 

 その直後、ダイニングのドアをぶち破ってピギーボアの群れが押し寄せてくる。ミヤビは近くの椅子の背もたれに掛けていた上着を頭から被り、窓に飛び込んだ。

 

 ガシャン、と派手にガラスが砕け、ミヤビは地面を転がる。ガラス片が降り注ぐが、登山用の丈夫なウェアのおかげで肌を傷つけることはなかった。

 

 外には数匹のピギーボアが待機していた。そして、外に出てきたミヤビへと駆け寄ってくる。ミヤビはすぐさま起き上がり、森に向かって走りながらルイワンダを大振りした。

 ミヤビからマギナを注がれたルイワンダは一気に伸び、高い木の枝に絡みつく。すかさずミヤビはルイワンダを収縮。その勢いをもって木の上に避難した。

 

 夜の森に紛れたミヤビを見失ったのか、ピギーボアたちは森に向かってしばらく吠え続ける。


 やがて、口にくわえたリュックサックを引き摺る一頭を先頭に、ピギーボアたちが小屋からぞろぞろと出てきた。その集団は外の待機組と合流すると、一斉に地面に鼻を当てながら小屋周りをうろつき始める。臭いを頼りにミヤビを見つけ出そうとしているのか、実に統率の取れた動きだ。

 

 「それにしても、なんでここまで俺に拘るんだ? 俺が食いモンを持ってると思ってんのか…………ん?」

 

 樹冠の中から頂上の様子を窺っていたミヤビは、あることに気付く。小屋の周りに散らばるピギーボアの群れ、その中で捜索に参加していない個体が数体、いる。そのどれもが他のピギーボアよりも大柄であり、動き回るピギーボアたちを監視するように見守っていた。

 

 「あれは……まさか、レオラルボアか?」

 

 レオラルボア。ピギーボアのの想生獣である。

 

 想生獣は基本的に五つの世代に分けられる。第一世代を『原種げんしゅ』とし、環境順応や既存種との交配などによって進化、もしくは退化を繰り返し、そうして想生獣は世代の層を形成していったのだ。

 

 ピギーボアは第四世代。想生獣は超常的な能力や特性、体質を有する生物だが、世代が下る毎にその特異性を失っていった。それと引き換えに、生物本来の警戒心や自己保存の本能を獲得し、比較的扱いやすい生物へと変異した。だからこそ、ナイト級に域内での生存を認められたのだ。

 

 この域内で生息している想生獣は全て第四世代以下である。つまり、第三世代であるレオラルボアがここにいることはあり得ない。

 

 だが、ピギーボアよりも優れた体格。大きく発達した牙に、異なる毛皮の模様。そして、ピギーボアを監視する立ち位置は間違いなくレオラルボアの性格を意味している。


 「ナイト級が討ち漏らしたのか……? あいつらがピギーボアを指揮して、集団で俺を追い込んだ? でも、なんのために?」

 

 レオラルボアがエレフト山にいる理由は、まだナイト級の不始末として理解できる。だが、ヤツらがミヤビを襲う理由は説明できない。想生獣は世代が若くなるほど凶暴性は増すが、それでもレオラルボアはピギーボアと同じく、非常に警戒心が強く基本的に人間に近づくことはない。

 これが原種の『グランドボア』や第二世代の『タイタンボア』なら分かる。どちらとも気性が荒く、敵を認識すると、配下であるレオラルボアやピギーボアを率いて群れで一斉攻撃をしかけるのだ。特にグランドボアの雄叫びは仲間の攻撃性を刺激し、己の命が尽きるまで突進を続けるようになる。ピギーボアの強い連帯感は、その特性の名残だ。

 

 ただ餌を求めてやってきたのか。確かに、現在のエレフト山には食べられるようなものはないが。

 しかし、人に攻撃を加える動機になるとは思えない。ヤツらが人間に危害を加える状況は、自身か仲間に危機が迫った時くらいだ。

 

 「何か他に理由があるのか。それとも……」

 

 ミヤビが見つめる中、捜索を諦めたのかボアたちが蜘蛛の子を散らすように森の闇に溶けていった。ミヤビのリュックサックを連れたまま。

 

 しばらくして静寂が戻り、ミヤビは幹に背中を預けて溜息を零す。そして、木から降りようとして、ピタリと動きを止めた。

 

 本当にいなくなったのだろうか? 帰ったと見せかけて、どこかでミヤビが現れるのを待っているかもしれない。レオラルボアにそこまでの知性があるのか微妙だが、それもあり得ると思えるほど、今のエレフト山は奇妙だった。

 

 「仕方ねえな」

 

 ミヤビはルイワンダにマギナを注ぎ、石を放るように振った。伸びたルイワンダの先端は離れた場所にある太い枝を経由し、振り子のようにミヤビの元に戻ってくる。それを何度か繰り返し、そうして出来た糸の橋に、螺旋を描くようにルイワンダを重ね、最後に足場の枝と結び付けて、簡易的なハンモックを作った。

 

 「さて、いけるかな……?」

 

 ミヤビはハンモックに手を触れ、体重をかけていく。マギナを注がれた糸はある程度伸びていくが、決して千切れない力強さがあった。

 そのままミヤビはゆっくりと体を動かし、全身をハンモックに投じることに成功する。固定できる場所が少ないため揺れが大きく、穴が大きくて寝返りも難しく、キューブがごつごつとして少し痛いが、寝られないこともない。

 

 「今日はこれで我慢するしかねえか」

 

 自分に言い聞かせるように呟き、ミヤビは目を閉じた。

 

 しかし、ただでさえ不安定で居心地が悪いのに、上も下も吹きさらしでは体が冷えて、なかなか寝付けそうにない。保温機能を備える生地で作られた上着を羽織っても焼石に水だ。

 

 ハンモックの上で丸くなり、徐々に震え出す体を抱き締め、必死に目をつぶるミヤビが眠りについたのは、それから二時間後のことだった。

 


 

 

 


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