第8話 誰が事件を招いたのか
カチカチと歯が鳴る。寒くもないのに全身の震えが止まらない。
第一世界の王が創り出したと言われる、人類に対して強い敵愾心を持つ存在、想生獣。その第二世代は第一世代の原種に近しい生態と特質を有しており、原種と並んで人類に甚大な損害を
「タイタンボア……! なんでこんな化け物がエレフト山に……」
図鑑や映像の中でしか見たことが無い存在。それが今、目の前に現存している事実に、ミヤビは気を失ってしまいそうなほどの衝撃を受けていた。
こんなもの何がどうこうできるような相手ではない。生物としてのレベルが根本的に違う。戦うとか、逃げるとか、その選択肢が自分にはあると思うことすら傲慢。そう諦めざるを得ないほど絶望的な状況だった。
タイタンボアは忙しなく鼻を鳴らしながらミヤビを見下ろしている。嗅覚を頼りに彼の素性を測ろうとしているのだろう。息を吐く度に、顔を顰めてしまうような酷い臭いが全身に叩きつけられるが、それでも逃げることはできない。巣に侵入してきた者へタイタンボアが下す処罰を、ただ震えて待つだけである。
(終わった。なにもかもおしまいだ……!)
死期を悟り、目を閉じて歯を食いしばるミヤビ。
――が、いくら待っても次のアクションがやってこない。そのうち、ズズンと深く重い地響きが起きて、ミヤビはそっと目を開けた。
そうして目の当たりにしたのは、襲いかかるどころか腰を落として寝そべるタイタンボアの姿だった。満腹なのか、それとも機嫌が良いのか。一応、視線はミヤビに注がれているが、どうやら彼に危害を加える気は無いようだ。
(……どうなってるんだ? ここまで接近した人間を放置するなんて。例え、満腹状態だとしても、根城に侵入者が入ってきたんだぞ? 攻撃なり威嚇なり、何かしら
不審に思いながらもミヤビは、タイタンボアの顔を見つめつつ、静かに後ずさりを始める。何はともあれ、九死に一生を得た。タイタンボアの気が変わらないうちに安全圏まで退避するのが先決だ。
動くことで相手を刺激するかどうか、そこはもう賭けだった。幸いにもそれは功を奏し、タイタンボアはジッとミヤビを凝視していたものの、追いかけるような素振りは見せなかった。
そうして無事、入り口付近まで引き下がることができたミヤビは、額から流れる冷汗を
「ふぅ~~~~……あぁ、寿命が十年は縮んだぜ」
途端、緊張の糸が切れて、膝がガタガタと笑い出す。背後の壁に背中を預けてなんとか倒れずに済んだが、これでは走るどころかまともに歩くこともできないだろう。
肉体の復調まで休憩することを余儀なくされたミヤビは、改めてタイタンボアに目を向けた。
タイタンボアはもう、離れたミヤビから完全に意識を断っており、眠っているのか目を閉じて微動だにしない。目が慣れた今だからそれがタイタンボアだと認識できるが、事前情報がなければ岩と見間違えても仕方がない体たらくだ。
「というか、ここに第二世代がいるなんて考えもよらねえよ。でも、あのタイタンボア……なんかおかしいよな。俺を襲わないのもそうだし……それに、こうして離れた場所から見ると、なんとなく迫力が無い、というか……」
映像で見たタイタンボアは、もっとふくよかで、画面越しからでもその圧力を感じられた。しかし、目の前にいるタイタンボアからは全くそれが伝わってこない。体も痩せているように見えるし、動きもどこか鈍重だった。
(……よくよく考えると、この巨体でどうやってここまで来たんだ? 洞窟の通路に入れるような体格じゃない。ってことは……そうか、まだ肉体が成長していない子どもの頃に来たのか)
レオラルボアと同様に、この個体も幼少期にナイト級の手を逃れてこの洞窟に辿り着いた。そして、細々と今日まで生き抜いてきたのだ。
「そう考えると全ての辻褄が合う。そもそも、ピギーボアだけでこのエレフト山の豊富な動植物をほぼ全てを食い尽くすなんて不可能だ。ヤツらはただ山の幸を食い漁っていたんじゃない。このタイタンボアを中心とした一つのコロニーを形成し、外に出れない女王様のために、働き蟻のようにエサをここまで運んでたんだ。人間を巣に持ち帰る習性はそこから生まれたのか」
タイタンボアと原種のグランドボアは、普段、自身を頂点としたコロニーの中で生活している。その中には厳密な上下関係があり、ピギーボアがレオラルボアの指示で動くのもそれが由来だ。
そして、敵が現れた時は、一族が総出で立ち向かう。まず、コロニーの主であるボアが雄叫びを上げて配下のボアたちを高揚させ、闘争心を煽る。それが終わると、敵に向かって一斉に突撃。主人が先頭に立って始まる大行進は、相手が死ぬか、一族
「だとしたら、目の前に現れた据え膳の俺を襲わないのも納得だ。あいつは多分、生きた人間を見たことがないんだ。与えられるのはこの山の食材か、人間を含む動物の死骸。そうではない俺をエサと認識できなかった……はっ、図体がでかいだけで、中身は温室で育てられた薔薇ってわけだな」
一時は死ぬことすら覚悟したミヤビ。しかし、それが
「だが、腐ってもあいつはタイタンボアだ。その特性は変わることが無い。一度、闘争本能を呼び起こしてしまえば手が付けられなくなる。……ここは慎重に、ヤツを刺激しないように静かに離れていこう……」
そして、ミヤビは音を立てないように振り返り、忍び足で洞窟へと歩き出した。
――突如として天井が砕け散る!
「なんだ?!」
咄嗟にミヤビは頭上を仰ぎ、天井に開いた穴から落ちてくる物体を見て、慌てて飛びのいた。
直後、それはミヤビがいた場所にダン! と落下し、その衝撃で血と肉片が周囲に飛散する。さらに血煙が舞い、辺りに広がる血生臭さにミヤビは顔を顰めた。
「なんなんだ? いったい、上から何が……」
天井から降り注ぐ陽光の下に横たわる、ぐちゃぐちゃの肉塊と成り果てた茶色の何か。露出した臓器や噴き出す鮮血のおかげで辛うじて生物だったことが分かるだけの、まるでプレス機で押し潰されたかのような有様は、ただの落下の衝撃によるものだとは到底、思えない。
そして、ミヤビにはこの肉塊に心当たりがあった。ほとんど原形を留めていないものの、その表面を覆う毛皮の模様ははっきりと識別できる。
「これは、まさか…………レオラルボアか? なんでレオラルボアが空から?!」
それがレオラルボアの惨殺死体であることに気付いたミヤビは、再び天井を見上げた。しかし、穴には地盤から生える木の太い根が見えるだけで、この状況を作り出した原因を示すヒントにはなりえない。
(この死体の荒れ様はどう考えても落下によるものじゃない。レオラルボアはピギーボアたちを率いて外に出ていた……順当に行けば、フィオたちの部隊と遭遇したはずだ。ということは、アンテレナの仕業か?)
そう推理したミヤビだったが、急いで首を横に振った。
(いや! 確かにアンテレナの実力ならレオラルボアを捻り潰すなんて朝飯前だろうが、彼女はこれまでナイト級の調整役として軍内の問題を
脳裏に1人の男の顔が浮かび上がり――
ズドン!
――地面を激しく振動させる衝撃がやってきたのは、それと全くの同時。
ミヤビは恐る恐る振り返る。
起き上がったタイタンボアが、血走った眼をミヤビに向けていた。
ヒクつく鼻先は、仲間の血の臭いを嗅ぎ取ったから。ボアたちの強い連帯感は、グランドボアやタイタンボアが作るコロニー内での上下関係に由来する。彼らが敵を認識するのは、自身か仲間が襲われた時。
そう。タイタンボアはミヤビを敵と認識したのだ!
「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」
「まずい!」
壁の岩にヒビが入るほどの雄叫びを張り上げて、タイタンボアが前傾姿勢を取る。前脚の蹄で激しく地面を打ち鳴らすのは、これから突進を開始する合図だ。
そして、タイタンボアは地面を蹴った!
……が、しかし、何故か一歩目から大きくよろめいて、そのまま壁に激突して荒々しく転倒した。
「…………あ?」
ルイワンダを構えていたミヤビは、思いもよらない展開に唖然となる。
タイタンボアは仰向け、いわゆる『へそ天』状態になっていて、みっともなく脚で空中を蹴るばかりであった。狭い部屋の中では起き上がることも難しいらしく、悲鳴のような雄叫びを上げてもがき苦しんでいる。
「……そっか。考えてみれば、あいつはずっとこの狭い部屋の中で暮らしてきたんだ。外には出られず、ほぼ寝たきりの状態。そんなのが、いきなり運動しようとしたところで体がついてくるはずないわな」
四本の脚をバタつかせるタイタンボアを見ながら得心し、ルイワンダの構えを解くミヤビ。
しかし、気を抜くのはまだ早かった。もがくタイタンボアの力に耐えられなくなった部屋の壁や天井が、徐々に崩れ始めたのだ。
「やばい。このままじゃ洞窟が崩落しちまう!」
ミヤビはルイワンダにマギナを注ぎ、それを上に振った。急速に伸びていくルイワンダの先端は、レオラルボアが落ちてきた穴から露出する木の根に絡みつく。
そして、ミヤビは一気にルイワンダを収縮。その勢いを以て穴から外へと飛び出した。
次の瞬間、タイタンボアのコロニーがあった部屋の天井が轟音を立てて崩れ落ちた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます