第9話 危機の理由
「はぁ……はぁ。あっぶねぇ~~……」
大樹の枝に足を掛けてしがみ付くミヤビは、崩壊した大地を見下ろして安堵の息をついていた。
タイタンボアのコロニーがあったのは、どうやら小高い丘の地下だったらしい。それが内側から破壊された今、丘は見る影もない土砂と岩石の荒野と成り果てていた。
当然、中にいたタイタンボアは生き埋めになっている。大量の落盤の下敷きになっては身動き一つ取れず、これではさすがのタイタンボアも――。
――というのは素人の甘い考えで、少しすると荒野の一部が盛り上がり、タイタンボアが姿を現した。久しいであろう外界の空気の中でふらつきながらも立ち上がり、身震いして砂や岩を落とすその様には、目立った外傷など一つも見受けられない。
「まあ、そう簡単に死んでくれたら世話はねえよな……しかし、あれだけの崩落があって無傷かよ。ナイト級ってのは、ああいう化け物と戦ってるんだな……」
威張ってばかりのナイト級だが、威張れるだけの苦労を背負っているのだな、と思わず同情してしまうミヤビである。
地上で出たタイタンボアは
(俺を見失っている……のはありがたいが、このままじゃヤツは俺を求めて地上を彷徨い始める。そうなったら、被害に遭うのは訓練生や麓のルーク級たちだけじゃない。域内の村すべてが危機に
予想される最悪の展開を危惧し、ルイワンダを大きく振り被るミヤビ。
しかし、そこで動きを止めてしまう。
(だが! 俺に何が出来る?! 今、ヤツの目の前に現れたところで! 第二世代を倒すなんて俺には不可能だ! 何か、何か手は…………今、このエレフト山でタイタンボアを倒すことができるのは……!)
悩んでいる間に、いよいよタイタンボアが地響きを立てながら下山を開始した。
「くそ! こうなりゃ出たトコ勝負しかねえ!」
腹を決めたミヤビはルイワンダを振り、上空にキューブを飛ばす。それはタイタンボアの後方で爆発し、驚いたタイタンボアは足を止めて後ろを振り向いた。
すかさずミヤビは両手を広げ、自身の存在をタイタンボアにアピールする。
「おーい! 俺はここにいるぞー! かかってこいやコラー!」
「ヴォオオオッ!!!」
ミヤビを発見したタイタンボアは、忙しなく脚を動かしながら体を切り返し、走り出した。
――のも束の間、すぐに脚がもつれて前のめりに転倒。地面を抉りながら転げ回り、ミヤビがいた木もろとも森の一部を押し潰した。
「
タイタンボアの巨体が押し寄せる寸前、ルイワンダを使って地面に避難していたミヤビは、言葉尻と同時にルイワンダを払い、近くにそそり立つ大木の頂点の
その結果、大木の梢が太い枝ごとミチミチと音を立てて曲がっていく。
片やタイタンボアは、短い脚をジタバタと動かしながら体を起こし、傍にいるミヤビを見つけて荒い鼻息を立て始めた。ミヤビに相当、苛立っているようだ。蹄で三度ほど地面を蹴った後、
そして、迫りくる巨体が自身を踏み潰す瀬戸際に、ミヤビはルイワンダの収縮を維持しつつ、全身の力を解いた。
その瞬間、ルイワンダの収縮に曲がった大木が元に戻る反動が加わり、ミヤビの体は圧倒的な速度で上空へと打ち上げられる。
「ぅおぉぉおぉおおおぉおおおおおおおぉお!?!?!?」
体中に圧し掛かってくる凄まじい重圧。空気の壁をぶち破る衝撃と息苦しさは十秒足らずで消え失せ、運動量と重力が等しくなる無重力の狭間に、ミヤビは目を開けた。
視界いっぱいに広がる、エレフト山を埋め尽くす森の海。その壮観な景色と、空中を浮遊する束の間の爽快感に心を躍らせるミヤビは、間も無く、緩やかな下降に入ったと同時に本来の目的を思い出して、慌てて森全体を見渡す。
どこまでも続く緑の中、なぜか多くの木々が倒されてはげ山になっている一帯があった。それをしっかりと把捉し、ミヤビは拳を握り締める。
「見つけた! フィオたちはあそこだ!」
アンテレナの部隊がレオラルボア率いるピギーボアの群れと交戦したのは、ほぼ確実。だとしたら、必ずどこかに戦闘の形跡があるはずだ。
予想は当たり、思惑どおりその場所を発見したミヤビは、落下の途中で木の枝にルイワンダを振り、振り子の要領で再び空へと飛び上がる。
「全ててめえが
そうしてはげ山の一帯を目指し、どんどん森を進んでいくミヤビ。
直後、ミヤビの後方で木々が吹き飛び、タイタンボアが森の中から現れる。上空に打ち上がったミヤビを今度はちゃんと見逃さなかったようだ。何度も何度も転び、それでも懸命にミヤビを追いかけ続ける。
「へっ。いいぞいいぞ! そのまま俺を追いかけてこい!」
ルイワンダで移動する片手間で、ミヤビはタイタンボアへの挑発を忘れない。ここで
地上には、まるで道しるべのようにピギーボアやレオラルボアの死体が点在していた。彼の犠牲になったのはあのレオラルボアだけではなかったらしい。
仲間の無残な成れの果てを目にする度に、タイタンボアは怒りの雄叫びを上げ、ぐんぐんと走るスピードを上げていく。その力強い足さばきに、先ほどまでの不安定さは微塵も感じない。そう言えば、転倒することも少なくなってきている。
「まさか、この短時間で肉体が順応したのか? そんなこと……いや、相手は超常の力を持つ想生獣だ。人間の常識の範疇に収まるようなヤツじゃねえ!」
猛烈に湧き上がる危機感に駆られ、ミヤビはルイワンダでの移動に集中する。
徐々に強まっていく背後からの脅威。葉で皮膚を切り、枝が腕に刺さり、虫が顔にまとわりついてきても、決してスピードを落とさずに、一心不乱に前進する。
やがて、木々の合間から、川辺を行進するレンヤを先頭とした調査隊の姿を捉えた。
「いっけえええええええ!!!」
その瞬間、ミヤビは思い切りルイワンダを引き、真上に飛び上がる。
刹那、ミヤビがいた空間をタイタンボアの巨大な牙が突き抜け、しかし誰も貫くことはなかったそれは、森を抜けた先に現れた岩盤へと吸い込まれていった。
ズゥゥゥン……。
タイタンボアは山肌に激突し、その結果、発生した局地的な土砂崩れが茶色の巨体を呑み込んでいく。だが、その程度でどうにかなる相手ではないことを、ミヤビは理解していた。
案の定、瓦礫の山から無傷のタイタンボアがのっそりと現れる。体を揺すって砂や岩を落とす仕草からは、全くダメージを感じられない。しかし、眼下にいるレンヤたちに気付いてないようで、周囲をきょろきょろと見回していた。
高い木の樹冠の中に降り立ったミヤビは、タイタンボアの感知に引っかからないよう、幹の影に隠れる。そのうち、レンヤが地面から飛び立ち、タイタンボアの眼前まで浮かび上がった。恐らく、風を操って浮いているのだろう。なるほど、あの力でレオラルボアを吹き飛ばしたのか。
そして、タイタンボアの顔に小さな爆炎をお見舞いしたレンヤは、手招きしながら上空へと飛んでいった。その後を、顔を
(よし、希望通りの展開だ。あの化け物に立ち向かえるとしたらレンヤかアンテレナしかいない。……だが、アンテレナも続くと思ったが、意外だったな)
訓練生の身を案じていたアンテレナなら、絶対にレンヤを放っておかないと踏んでいたのだが。
気になって調査隊の方に目を向けると、隊員の1人である大柄の男に抱き上げられたアンテレナの姿が目に入った。遠くてよく分からないが、気を失っている様子だ。
(どうしたんだ? まさか、ピギーボアの群れにやられたってのか? 完っ全に予想外だ。レンヤとアンテレナ、あの2人で退治してもらおうと思ってたのに)
一般的に、原種や第二世代の想生獣は、ナイト級が10人がかりで倒せるかどうか、とされている。もちろん、種族によって危険度や難易度は変動するが、ナイト級10人分の戦闘力を基準にして考えるのが聖伐軍の常識だった。
勇者候補やソラリハは、ナイト級の中でも特に高いマギナを有している。レンヤとアンテレナならば、2人だけでもなんとか対応できると講じて、ミヤビは彼らの許にタイタンボアを誘導したのだ。
だから、アンテレナが戦闘不能状態になっていることは、ミヤビにとって大きな誤算だった。レンヤを単独で行動させれば何をしでかすか分からない。その事は、現在の状況が克明に証明している。だからこそ、彼女に監視役になってもらおうと考えていたのに。
アンテレナが動けないとなると、他の誰かがレンヤを見守るしかない。
そして、いざという時は、自分がその役目を請け負うとミヤビは決めていた。
ミヤビはすぐにルイワンダを構える。その前に、なんとなくもう一度、調査隊の方に目を向けた。
こちらを見つめるフィオライトの視線とぶつかった。
(フィオ……)
自分の存在に気付いているのか、それは分からない。ただ、彼女はずっとこちらを凝視していた。他の隊員に呼びかけられることでその眼差しは途切れ、フィオライトは仲間と一緒に下山の途についていく。
そうして森の中に消えていくフィオライトの背中を見送って、ミヤビもまた、レンヤを追いかけるために出発した。
レンヤの追跡は非常に容易で、タイタンボアが森を踏み荒らした跡に従っていればいい。その道は真っ直ぐ続いていて、どうやら頂上を目指しているようだ。
(頂上に行って何をする気だ? ――っ?)
ぽつり、と頬を打つ冷たい感触。
ミヤビはすぐに顔を上げた。薄雲くらいしか浮かんでいなかった空が、いつの間にか稲光を孕む黒雲に覆われている。夕立にしてもあまりに早すぎる天候の変化だ。
「レンヤのヤツ、始めやがったな」
そうして、ぽつりぽつりと泣き始める
人類はマギナを用いた戦闘法を編み出した。その戦闘法、または力の
ゴルドランテのフォーラムは、女神セルフィスに祝詞を捧げることによって様々な自然現象を引き起こす力だ。ゴルドランテの民は、この力を駆使して地形や天候を操作し、外敵から身を守りつつ有畜農業を活性化させてきた歴史がある。
地震。津波。豪雨。噴火。人智など到底、及ばない大自然の力を行使できるゴルドランテのフォーラムは本来、非常に強力な能力である。
だが、フロンズ聖伐軍において、ゴルドランテの人々は役立たずと蔑まれていた。その理由は、大自然の力を引き出す過程に生じる大きな欠点にあった。
うまく発動できれば、想生獣の原種であろうが仕留めることができる自然の力。しかし、それだけの現象を発生させるには膨大な時間とマギナが必要になる。つまり、発生させる現象の規模や長さに応じて、クリアしなければならない条件が厳しくなっていくのだ。
これが非常に
さらに、人数を集めた上で、祝詞の詠唱を何時間も続ける必要がある。そんな事を戦場で悠長にやっていられるわけがない。
そのような経緯があって、ゴルドランテの人々は無能と見做され、ポーン級に追いやられてきた。
しかし、女神から勇者としてゴルドランテに送られた、と自称するレンヤは違う。フィオライトと『
すなわち、レンヤは自然の力を思いのままに行使することができる。それはただ、自然災害を引き起こすだけに留まらない。自然現象そのものを意のままに操ることができ、その力を利用すれば、風を操作して空を飛ぶのも、炎を発現させて攻撃するのもお手の物だ。
上空に分厚い雲を発現させるのも、レンヤにとっては造作もない所業なのである。その結果、降り注ぐ雨脚は瞬く間に激しくなっていき、視界を埋め尽くすほどの雨量がエレフト山を包み込んだ。
全身を打ち付ける雨に堪えきれなくなったミヤビは、木と木の間を移動する途中の枝で止まり、雨宿りを余儀なくされる。
後、もう少しで頂上なのに。雨によって閉ざされた目的地は遠く、思い通りにいかない腹立たしさに歯軋りする。
「くそっ! これじゃあまともに進むことも――っ?!」
世界を一瞬、白に染め上げる閃光。
その時、ミヤビは確かに目にした。
エレフト山の頂上に真っ直ぐ落ちた、天を切り裂かんばかりの稲妻。
そして、真っ白の世界に一つだけ浮かんだ影法師。
それからやや遅れて稲妻の轟音が鳴り響き、
「ヴャア゙ ア゙ ア゙ ア゙ ア゙ ア゙ ア゙ ア゙ ア゙ ア゙ ア゙ ア゙ ア゙ ア゙ ア゙ ッッッ?!?!?!」
稲妻の残響音を掻き消すような獣の断末魔が木霊して、
「うぉあああっ?!」
最後に、爆発的なエネルギーによって発生した暴風が、頂上の辺り一帯を丸ごと吹き飛ばした。ミヤビはその風の津波によって大量の木ごと空中に投げ出され――
そこで、意識は途絶えた。
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