第10話 失われた未来



 それからどのくらいの時間が経ったのか、分からない。ミヤビが目を覚ました時、すでに雨雲は消え去っていて、空は赤みがかった黄金色に染まっていた。

 

 紛れもない夕方。恐らく、数時間は経過している。

 

 「…………そうだ。レンヤは……!」

 

 時間について考えが至った瞬間、監視しなければならない相手の事を思い出し、ミヤビは体の上に乗っかっている木の枝や葉っぱを払い落としながら立ち上がった。

  

 そこは、ミヤビと一緒に吹き飛ばされた大量の木々が横たわる森の中。エレフト山のどの地点なのかはよく分からないが、頂上が遥か上空に見えることから、かなり下の方まで飛ばされたようだ。

 本来なら命を失っていてもおかしくないはずだが、積み重なった木々の枝葉がクッションになってくれたのだろう。体中のあちこちに小さな怪我があるだけで、動くのには支障なかった。

 

 そうして、とりあえず麓に目指して森の中を歩いていると、どこからか人の声が聞こえてきた。さらに、動物の鳴き声や車輪が土道を走るような音も続く。そちらの方角へと歩の先を向けたミヤビは間も無く、荷車を引きながら山道を下る想生獣らしき大型の獣の群れを発見した。

 

 獣たちを操っているのは、荷車の御者台に座る軍人だ。荷車で運ばれているものは動物の巨大な牙や切り取った肉体の一部で、大きさや見た目からタイタンボアのものであることが分かる。


 「解体したタイタンボアを運んでいる……? 確かに、あんな巨体をそのまま基地まで持っていくのは現実的じゃない……って、いや待て。ということは、レンヤはタイタンボアを倒したってのか?! たった1人で!」

 

 理由はともかく、アンテレナは戦える状態ではなかった。状況から考えれば、倒したのはレンヤしかいない。

 しかし、いくら勇者候補とはいえ、訓練生が1人の力で原種や第二世代の想生獣を仕留めるなんてあり得るのだろうか。もし、それが事実ならば、前代未聞の偉勲いくんだ。


 だが、いくら理屈をこねたところで、目の前を流れていく解体品が何よりの現実で……。

 

 「マジかよ……」

 

 決してレンヤの力を侮っていたわけではなかったが。


 けれど、こうして彼の実力をまざまざと見せつけられると、自分がいかに途方もない道を選んだか。そのことを痛感させられる。

 果たして、自分の力が通用するのだろうか。自分にできることなど、本当は何一つ無いのではないか……そんな不安が頭の中を駆け巡る。

 

 ともあれ、ここでくよくよしていても始まらない。

 

 獣の行列をしばらく眺め、やがて終わりが見えてくると、ミヤビは走り出して最後尾の荷車に飛び乗った。そうして登山口の近くまで移動すると、荷車から降り、森の中に紛れて離れた場所から麓に出る。

 

 荷車は本部テントの前に集められており、その周りには人だかりができていた。登山用の装備を身に付けているのは訓練生たちだろう。どうやら野営訓練は中止になったようだ。

 その他、ナイト級やルーク級の面々も群がっており、みな、タイタンボアの大きさに驚きの声を上げていた。

 

 「タイタンボアを1人で?! レンヤだけで倒したってのか?!」

 

 唐突に大声が上がる。声がした方に顔を向けると、本部テントの入り口には調査隊の面々とマルクがいた。大声を上げたのはアンテレナのようだ、レンヤに詰め寄るその素振りに怪我の鈍さを感じない。体に大事は無いようである。

 

 そして、今のアンテレナの発言から、やはりタイタンボアを倒したのはレンヤであることが分かった。その事実が今、アンテレナによって知れ渡り、荷車の周囲にいた人々がレンヤへと振り返る。

 

 レンヤに惜しみない称賛の言葉を贈る人の輪。その中心にいるレンヤはどこか得意げで。

 そして、そんな彼を見守るフィオライトは誇らしげで。

 

 そして、そんな2人を、人だかりから離れたところで1人、眺めることしかできない自分がいて。



 ――お前に出来ることは、愛した女を侍らせるあの勇者候補様を羨ましそうに指を銜えて見てることくらいだ。

 


 不意に、マルクの言葉が頭の中で響く。その通りだ。自分は、指を銜えて2人を眺めることしかできない。

 そう、ミクリスが想生獣に襲われた、あの日のように。

 

 (すごい……本当にすごいよ、お前は……)

 

 怒りも憎しみも後悔も嫉妬も羨望せんぼうも、彼に対する想いは、かび臭い部屋のベッドの上で飽きるほど繰り返したはずだった。

 でも、思い知らされてしまう。孤独な自分と皆に褒め称えられる彼の差を、考えさせられてしまう。

 

 (俺にはどうすることもできなかった。ただ、お前の所にタイタンボアを連れていくのが精一杯だった……フィオを危険な目に遭わせることだと分かっていたのに。どうしてこんなに違うんだろうな…………やっぱり、俺にできることなんて何も……)

 

 ズタボロの体を抱き締め、ミヤビは改めてレンヤに目を向けた。ちょうどその時、アンテレナが彼に何かを話しかけるところだった。そして、レンヤの返答を聞いているうちに、彼女はだんだんと表情を険しくしていく。

 

 何か問題でも起こったのだろうか。ミヤビは気配を消しつつ、集団へと近づいていった。幸いにも衆人の称賛は長く続くものではなく、人の輪の外でも2人の話し声は届いてくる。

 

 「――タイタンボアがどこからかいきなり現れて、俺たちに襲い掛かってきたんだ」

 「いきなり? 襲い掛かってきた?」

 「そうだ。俺たちのところまで一直線だったな。で、アンナは戦えないし、仕方がないから俺が相手をする……ってことになって」

 「それで、アンタがタイタンボアと戦ったんだな?」

 「ああ。火は使えないから、山の頂上におびき寄せて、天候を操作して雷を落として倒した」

 「…………信じられない話だが、だが、こうやって現実に戦利品が出てきてるんだ。認めないわけにはいかないよな。しかし……」

 「どうした? 何か分からない事でも?」

 「いや……タイタンボアは確かに凶暴な想生獣だが、敵と認識した対象が現れない限り、暴走したりしない。ヤツらは攻撃する時は、自身に危機が迫っている時か、仲間が襲われた時だ。でも、タイタンボアはどこからかいきなり現れて、襲い掛かってきたんだろ?」

 「ああ。そうだったよな?」

 

 レンヤは振り返って、調査隊のメンバーたちに確認する。彼らはすぐに頷いて、レンヤの主張に賛同した。フィオライトだけは、何やら険しい顔付きだったが。


 そして、彼らの反応を見たアンテレナは、さらに疑念の色を濃くする。


 ――まずい。

 

 それと全く同時に、彼女の疑念の趣旨しゅしを見抜いたミヤビは危機感を滾らせた。

 

 「だとしたら妙な話だ。何がタイタンボアの闘争心に火をつけたのか……その事も含め、改めてエレフト山の調査をする必要があるな。近隣の村には悪いが、引き続きこの山への入山を禁止し、正式な調査隊を派遣する。タイタンボアの潜伏先を特定し、暴走した原因を探る。それと並行して、第三世代以上の想生獣が他にいないか捜索。発見次第、討伐し、エレフト山の安全性を確固たるものにする。はぁ……これからさらに忙しくなるな。頭が痛いよ、ホントに」

 

 手の平で頭をトントンと叩きながら嘆くアンテレナに、ミヤビは内心、激しく舌打ちする。

 

 調査が開始されれば、タイタンボアのコロニーはすぐに発見されるだろう。そこにはレンヤによってぐちゃぐちゃに潰されたレオラルボアの死体がある。それがタイタンボアの暴走を引き起こしたことは、子どもでも分かることだ。

 

 無論、落盤の下敷きになり、見つかったとしても、落石によって潰れた、と結論付けられる可能性もある。


 しかし、そうならなかったら? 奇跡的に落盤から免れられていたとしたら? 


 あの死体は明らかに人為的なもので、しかも、同様の死体がコロニーと調査隊が戦闘を行った川辺の間を結ぶようにいくつも転がっている。それらの証拠と、レンヤや調査隊の供述が加われば、彼が今回の事件の原因である、という事実に行く着くのは必然だ。

 

 レンヤの評価や人望は間違いなく失墜する。軽はずみな行動で多くの人命を危機に晒したと、責任を追及される立場に追いやられる。


 それすなわち、レンヤがサティルフになる未来が遠ざかる、ということ。最悪、未来そのものが絶たれてしまうかもしれない。

 

 それだけは、なんとしても阻止しなければならない。


 ならば、どうするか?


 レンヤに責任が及ばない方法。レンヤが犯人である、という結論に至るまでの理論を根本から覆す、前提の転換。

 




 要するに、だ。


 レンヤが犯人と判明する前に、他の人間が名乗り上げればいい。




 

 「くっそおおおおおおおおおおおおおおおおっっっ!!!」


 

 極めて冷徹に、冷酷に、そうした思考の変遷を辿ったミヤビは、声が裏返るくらいの音量で絶叫した。

 

 突然の男の発狂に、全員が目を剥いてこちらを見遣る。

 大勢から注がれる怪訝な眼差し。それに臆せずミヤビはレンヤを指差して叫ぶ。


「なんでてめえがまだ生きてんだよ! あの化け物に踏み潰されたんじゃなかったのかよ!」


 感情的に発する、タイタンボアを臭わせる言葉。まともな知能があれば、ミヤビと事件の関係性に気付くはずだ。

 

 期待通り、目の色を変えたアンテレナが、人垣を押し退けて近づいてくる。

 

 「おい、お前。今のはどういうことだ? タイタンボアについて、何か知ってることがあるのか?」

 

 怒りと蔑みが混ざり合う攻撃的な瞳。対応を一つ間違えれば、何をされるか分からない、危うい空気。

 

 それを前にして、どう答えるのが的確か。

 

 高速で思考を回転させるミヤビ。その最中さなか、なぜか唐突に歩き出したフィオライトがアンテレナの隣に立った。

 

 「やっぱり…………あの時の声は、あなただったんだね」

 

 ミヤビを見上げ、フィオライトは言う。

 

 あの時――それが何を指しているのか、ミヤビには心当たりがあった。調査隊にタイタンボアをぶつけた、あの時だ。


 レンヤがタイタンボアを連れて去っていった後、フィオライトはずっとミヤビを見つめていた。口ぶりからして、実際は漠然と森を眺めていただけのようだが、ミヤビの気配には薄々、気付いていたのだろう。

 

 「フィオ、どうしたんだ? あの時の声って……」と、レンヤ。

 

 「……タイタンボアが森から現れる直前、誰かの声が聞こえたの。男の人の声が。レンくんは聞かなかった?」

 「…………そういえば……じゃあ、まさか、その声がこいつだったのか?!」

 「……うん。ずっと心の中でもしかして……って悩んでたんだけど……今の絶叫を聞いて、確信した」

 「おい、どういうことだ? オレは、訓練が始まったらルーク級は全員、詰所で待機、って伝えたよな? お前、詰所にいたんじゃなかったのか?」

 

 フィオの言葉を聞き、マルクが慌ててただしてくる。

 しかし、ミヤビはそれに答えなかった。アンテレナを納得させられる矛盾の無い台詞を構築するのに必死で、彼ごとき小物に構ってる余裕など無かったのだ。

 

 痺れを切らしたマルクは、周りの部下に矛先を向ける。その気迫に怯んだ連中から「気付かなかった」だの「いてもいなくてもどうでもいい」だの心無い証言が挙がるが、全く耳に入ってこなかった。

 

 レンヤを睨み付け、ミヤビは不敵に笑う。あたかも自暴自棄になったかのように。

 

 「……はっ。そうだよ、俺は山に入ったんだよ。タイタンボアをお前らに襲わせるためにな!」

 「なっ、タイタンボアを襲わせるだと?!」

 「そうだよ! そこの泥棒勇者様と、そいつの尻にベッタリ張り付いているクソ女になあ!」

 

 レンヤに叫び、そしてミヤビはフィオライトにも目を向ける。哀れな男を宿す瞳が、今にも零れ落ちそうなほどに揺れていた。

 

 アンテレナが一歩を踏み出し、低い声調でミヤビに問う。

 

 「お前は、知ってたのか? この山に、タイタンボアが、いることを」

 「……ああ、そうさ。昨日、動体検知器を設置している時にヤツらの住処をたまたま見つけてな」

 「どうしてすぐに報告しなかった?!」

 「はっ、決まってんだろうが。こいつらをうまく利用すれば、あいつらを殺せると思ったからだよ! だから訓練が始まった後、密かに山に入ってヤツらの住処に侵入し、タイタンボアを焚きつけてあいつらの許に向かわせたんだ! 検知器の設置で山の地理は頭の中に入ってたからなあ! なのに……うまくいくと思ったのに! どうしてまだ生きてんだよくそったれがあああっ!!」

 

 そして、アンテレナの限界を感じ取ったミヤビは、口論の締め括りとして声を張り上げ、

 

 「きぃさまああああああああああっっっ!!」

 「ぶほおっ?!」

 

 アンテレナから放たれた容赦ない拳が顔面に叩き込まれて数メートルほど吹っ飛び、無様に地面を転がった。


 しかし、アンテレナの怒りは治まらない。顔が痛々しく腫れ上がったルナサの襟元を掴み上げ、怒声を浴びせる。

 

 「貴様ぁ! そんな下らない理由でみんなを危険な目に遭わせたのか?! お前の身勝手な行動で! どれだけ多くの人たちが迷惑したのか分かってるのか?!」

 「う、ぐぐ……」

 「犠牲者が出ていたのかもしれないんだぞ?! レンヤがいなかったら! 2人だけじゃなく、他の訓練生や、周囲の村の人たちまで巻き込むことになってたかもしれないんだぞ?! お前は! 人の命をなんだと思ってるんだあ!!」

 

 そうしてアンテレナは拳を高く振りかぶり、

 

 「もうやめておけ、アンナ」

 

 だが、ミヤビに落とされる前に、その腕はレンヤによって止められた。

 

 「アンナの気持ちはよく分かった。少なくとも、俺たちには。だからこれ以上、自分の拳を傷つけるのはやめろ。そんなヤツ、殴る価値も無い」

 「レンヤ……」

 

 レンヤに諭されたアンテレナは悔しそうにミヤビを睨み付け、払い捨てるように襟元から手を放した。

 

 締め付けられていた喉元を解放されて、ミヤビはゲホゲホとむせながら地面に倒れる。そんな彼を、まるでゴミを見るような目付きで見下ろし、レンヤは言った。

 

 「残念だよ、ルナサ。この一年で少しはまともになっているかと期待してたのに。成長するどころか……さらに最低なヤツに成り下がりやがって」

 「…………!」

 

 お前に……お前にだけは言われる筋合いは無い!


 身代わりになることを望んでいるとはいえ、レンヤの全てを受け入れる気はなかった。言い返せずとも、せめて、睨み付けてやろうと顔を上げ――

 

 「フィオがどんな想いでフロントーラにやってきたか、考えたことはあるか? フィオはな、お前に会えることを心待ちにしてたんだ。会って、仲直りして、一緒にゴルドランテに帰りたいと思ってたんだよ。たとえ酷い事をされても、見捨てることなんてできない。そんな優しい人なんだと、幼馴染のお前なら分かってたはずだ! なのになんで! お前はフィオを信じることができなかったんだ?!」

 「…………あいつが……?」

 

 ――次のレンヤの怒号で、ちんけな憤りは瞬く間に消散する。


 その想いは。その未来は。

 かつて、ミヤビが抱いた夢。

 

 自分とフィオライト、そしてレンヤ。3人で一緒にゴルドランテに帰り、無事に生還したからこその日々を、昔のように笑い合って過ごすことができたなら。

 

 そんな、独り善がりの願い。だけど、願って止まなかった、ささやかな夢。



 ――まさか、フィオライトも同じ事を考えていたなんて。


 

 (そうか……お前が俺に近づいてきたのは……)

 

 ミヤビは呆然となってフィオライトに顔を向けた。しかし、ミヤビの眼差しから彼女は顔を背ける。

 

 そして、厳然と告げた。


 

 「……あなたともう一度、会いたいと思ってた。私と、レンくんと、あなたと、3人で笑い合える時が来ることを願ってた。でも! ……私はもう、あなたを信じることはできません。もう……二度と、私の前に現れないでください……!」 


 「…………っ」

 


 自分がこの道を選んだ。フィオライトの幸せを願って。

 でも、本当にこの道しかなかったのだろうか?


 

 「ぐうぅっ」


 

 自分は、彼女の気持ちをちゃんと考えていただろうか?

 違う選択肢が他にあったんじゃないのか?



 「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!」

 


 その道の先には、フィオライトと再び笑い合えた未来があったかもしれないのに。




 何が正しいのかなんて、誰にも分からない。

 

 ただ一つ、確かなのは。


 この道を選び、そして踏み出した以上、ミヤビに引き返す道は無い、ということだった。







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