最終話 立ち上がる理由
かくして、フィオライトに手を上げた、というミヤビの所業は町中に広まることになり、ミヤビは完全に村八分状態になってしまった。里親からも勘当されて、ミヤビは郊外だった家よりもさらに離れたほったて小屋で、
それから一月後の
誰からも見捨てられた、正真正銘、天涯孤独の男。
そんな不遇を背負って、どこのどいつが正気を保っていられるというのか。
フロントーラに送られたミヤビは、完全に自暴自棄になっていた。訓練はサボり、命令に背き、同期の訓練生や教官と衝突しては問題を起こす。そんなことを続けていれば、当然、周囲には誰も寄り付かなくなって。
ここでも皆から見捨てられたミヤビは、今や誰も利用していない旧寮舎に逃げるように移り住み、それから外部との交流を
恨んで。呪って。憎んで。
だけど、そんな日々にも疲れてしまって。
次第に怒りは薄れ、悲しみも絶望も離れていって……最後に残っていたのは、フィオライトへの感謝と罪悪感だけだった。
思えば、ミヤビがこの世界に生まれたのは、フィオライトと出会った時だった。実の親と故郷を同時に失い、自分すら見失った孤児。意思も感情も無く、ただ人に使われるだけの空っぽの人形に命を吹き込んでくれたのは他でもない、フィオライトだ。自分が抱いた怒りも悲しみも憎しみも、源泉である心なくしてはありえない。それをくれたのは彼女じゃないか。
それなのに、そんな大恩人を恨んだ。「裏切られた」という身勝手な思い込み……いや、被害者意識にのめり込んで。
確かに、フィオライトは約束を破った。ミヤビと契った将来を捨てて、他の男に
けれど、それは所詮、子ども同士の口約束だ。まだ愛も恋も結婚の意味や重さも知らない子どもの稚拙な青写真。それに責任を持て、という方が理不尽な話だ。
ミヤビと同じようにフィオライトも成長する。その過程で、心が移り変わることもある。
そして、フィオライトは選んだのだ。ミヤビよりも遥かに優れたレンヤ=ナナツキという男を。そいつは、世界の人々が待ち望んだ勇者であり、彼女はその者のパートナーとなるソラリハだった。
出会うべくして出会った2人が恋をした。それに何の罪があるのか。当然、皆は祝福した。自分1人だけが、過去の思い出に
――情けない。
彼女の優しさに思い上がって、ありもしない未来に夢を見て。どれだけの人に迷惑を掛けた? フィオライトを傷つけた?
――情けない。
結局、自分のことしか考えられない子どもの癇癪。そんな男に用意された末路は、孤独を背負う破滅への道。哀れすぎて笑う気にもなれない。
――本当に……情けない……!
どうしてフィオライトの気持ちを考えようとしなかった? 彼女の想いを受け入れることができなかった?
本当にフィオライトを愛しているのなら!
彼女が見つけた幸せを一緒に喜んでやるのが男ってモンじゃないのか?!
たとえ、その相手が自分じゃなくても。彼女が幸せになれるのなら、それでいい。
そのくらいの度量を、なぜ持てなかった? 自分を
思い出せるのはもう、自分を見つめる彼女の怯えた瞳だけ。
――謝ろう。
フィオライトは来年で15歳。もし、フロントーラに来た彼女と再会することができたなら、その時は心から謝ろう。そして、今度こそ彼女の幸せを喜ぼう。別に許してもらわなくても構わない。これは自分のケジメだから。
そのためには変わらないといけない。今の愚かで幼稚な自分から、彼女の前に立つに相応しい立派な男に成長しなければならない。
ミヤビは決心した。一度、覚悟を決めた男の行動は早かった。ずっと引き籠っていた部屋を飛び出し、その日から訓練に参加したいと上官に申し出た。
周囲の人間は、ミヤビの突然の行動を嘲笑った。このまま訓練を無視し続けると、いかに人手不足でもさすがに除隊させられてしまう。そのことを察して、慌てて上官に泣き付いたのだろう……と邪推したのだ。
そうでなくても、ソラリハに危害を加えた、という前科を同郷の人間に広められていた状況である。なんとか上官からの許しを得て、それから熱心に訓練に取り組むが、同期や上官たちの風当たりは強かった。
しかし、そんな逆境の中でもミヤビは諦めなかった。悲しいかな、誰からも必要とされない境遇には慣れている。それよりも今はとにかく実績が欲しかった。特にミヤビが力を注いだのは、アルニマの技術学習である。
ミヤビはマギナが圧倒的に少ない。すなわち、ナイト級はもちろん、フィオライトが配属されるであろうビショップ級にもなることはできない。残された手は、ルーク級に入ること。そして、ナイト級に配属されるレンヤを全力でサポートする。
なぜなら、フィオライトは、レンヤがサティルフとして世界を救うことを望んでいるから。
それが彼女の幸せならば、なにも迷う必要は無い。全てを
そして、全てが終わり、レンヤとフィオライトがただの恋人同士になったなら。その後も順調に愛を育み、ついに結ばれる時が来たら、誰よりも盛大に祝おう。愛した人と、その人が選んだ人が歩む未来を、心から祈ろう。
そして、できるなら。
もし、叶うのならば……そこに自分の居場所があってほしい。2人が歩く未来予想図の中に、ルナサノミヤビという存在がいることを許してほしい。
自分とフィオライト、そしてレンヤ。3人で一緒にゴルドランテに帰り、無事に生還したからこその日々を、昔のように笑い合って過ごすことができたなら……。
その想いだけを心の支えにし、今を必死に磨き続けるミヤビ。
しかし、現実は、彼のそんなささやかな夢すら容赦なく打ち砕いた。
それから約一年後。地道な努力が認められ、辛うじてミヤビがルーク級に配属されてから三か月後の世界徴兵の当日である。
ライゼンのアルニマをマルクに渡し、完徹の疲れから作業台に突っ伏して束の間の休眠を取っていたミヤビは、突如として発現した膨大なマギナの気配と、続いて発生した工廠全体を揺れ動かすような爆発音よって飛び起きた。すぐに外に出て、工廠の隣にある『訓練場』を目にし、唖然となる。
その建物はあらゆる環境を室内で実現できる兵士用の訓練施設だった。戦闘を想定しているため、基地内の建築物の中でもかなり強固に設計されているはずだが、それが今、半壊状態になっていたのだ。
一体、何があったのか。確か、予定では現在、ナイト
訓練場の出入口は、すでに自分と同じく騒ぎを聞きつけた野次馬でごった返していた。ミヤビもその集団の後ろに移動し、人垣の隙間から内部の様子を覗き見る。そうして目にしたのは、床にへたり込むライゼンと、その前で仁王立ちするレンヤの姿だった。
(なんだ? どうしてここにライゼンがいる? まさか……戦ったのか? ここで)
ライゼンの左側のナグマデは壊れている。この状況では、やったのはレンヤで間違いないだろう。ということは訓練場を破壊したのも彼なのか?
「あの新入りがやったんだよ」
ミヤビの疑問に答えるかのように、前にいる男がレンヤを指し示して言った。
「みんなが噂してた、ゴルドランテ初の勇者候補。まさかここまでぶっ飛んだヤツだったなんてな」
「へぇー、アレが。でも、なんで? あいつらなんで戦ってんの?」
「なんでもライゼン様からケンカふっかけた、ってよ。さっき、中でバトってるの見てたヤツが言ってた。どっちがサティルフに相応しいかー、的なカンジらしい」
「あー、あの人らしいわ。で、返り討ちにあったと?」
「ん。なんかライゼン様、新しい勇者候補様のパートナーであるソラリハ様のことを悪く言ったみたいでさ。自分の目的のためならあの女を犠牲にするとか、そんなん。で、それにぶちギレた新しい勇者候補様がとんでもない力を解放したんだと」
「すごかったもんなぁ、さっきのマギナ。はぁ~。それで訓練場をぶっ壊したってのか。すげーなぁ、今度の勇者候補様はよ」
訓練場が使い物にならないくらい破壊されたというのに、楽し気な雰囲気で会話をする目の前の男2人。それは多分、ナイト級のトップという社会的ステータス故の傲慢と狭量、その二つを併せ持つライゼンの圧政から自分たちを解放してくれる、というレンヤへの期待のせいだろう。
しかし、ミヤビには到底、レンヤへの期待など抱けなかった。それどころか、目が眩むほどの既視感が襲ってきた。
――ぶちギレて、とんでもない力を解放した?
それはつまり、感情に任せて力を振るった、ということ。
……ミクリスを壊滅状態にした時と何が違うというのか。
フィオライトは言っていた。力をコントロールする修行をしていると。あれからおよそ一年間。彼はずっと修行を続けていたはずだ。
その結果がこれか? まだ感情に任せて力を振るうのか? こいつは、ミクリスを壊滅状態にしたことについて…………反省も学習もしていないのか?
(変わってない。こいつは……あの時からまるで成長していない!)
レンヤを支えていくはずだった。彼が歩むサティルフへの道を、陰ながらサポートしていくつもりだった。
しかし今、その目標に今、大きな影が差し込む。レンヤ=ナナツキを自由にさせていいのか――という根本的な不安。
確実に言えるのは、この男は必ず同じことを繰り返す。今のうちになんとか手を打たなければ、レンヤは自分の思うがままに力を振るい、その結果、何かを決定的に破壊する。それがフィオライトではない、という保証はどこにもない!
だったらどうする? レンヤが信用できないならば。レンヤは危険な人間だと、すぐに排除すべき存在だと周囲の人たちに訴えかけるか?
いいや、ゴルドランテの二の舞だ。勇者候補であるレンヤと落ちこぼれであるミヤビとでは信頼など天と地の差。誰も取り合わず、馬鹿にされ、煙たがられ、最終的には逆にこっちが排除される。
ならば、当初の予定通りフィオライトたちと再会し、なんとか和解して、仲間の立場からレンヤを
だが、レンヤがミヤビの忠言に耳を貸す男か、
しかし、このままだとレンヤは必ず重大なミスを起こす。現に今、訓練場がそうであるように。
そうなると、レンヤはサティルフにはなれないかもしれない。それはつまり、フィオライトの願いも叶わない、ということ。
そんなのは認められない。フィオライトは幸せになるべきだ。人類の英雄であるサティルフの
その未来が閉ざされるというならば――方法は一つ。
(俺が、やる)
レンヤがサティルフになるための道を阻む障害を全て排除する。それだけだ。
(俺がレンヤのカバーをする。あいつが仕出かすミスの尻拭いを俺がやる。誰にも知られず、気付かれることも無く。レンヤをサティルフにしてみせる)
現代戦闘の重大な要素であるマギナが乏しい男には、あまりに身の程知らずの野心。しかし、一旦、覚悟を決めた男は止まらないのだ。
ミヤビはそっと訓練場の出入口から離れた。今後の準備をするために。すなわち、自分とは無縁だと思っていた戦場に向かい、生きて帰ってくるための準備。
茨の道、という表現では生温いであろう細く、脆い道を歩くと決めたミヤビは、それから一層、作業部屋に引き籠ることになり――
――そして、現在に至る。
「……ふう」
ベッドから起き上がったミヤビは、傍にある三段チェストの上にある朽ちかけた蔓の指輪を手に取った。
少しでも指に力を入れれば、抵抗なく砕けてしまうであろう、それ。
「…………未練、だな」
苦笑……いや、自嘲である。それをゆっくりと元の場所に戻し、ミヤビはベッドから立ち上がった。そして、壁際にある本棚の前に向かう。
この部屋の前の住人の遺物であろう、本が数冊おかれているだけの古い本棚。ミヤビが両手でそれを横にずらすと、壁に空いた大きな穴が出現する。屈みながらその穴を潜り、近くの台に置かれたランプに火を灯した。
そうしてぼんやりと浮かび上がる、室内の風景。そこには一台の作業台を中心に、たくさんの水槽や飼育ケース、アルニマ用の材料が
一等兵舎はともかく、一般の軍人が生活する寮の壁は非常に薄い。バールのようなもので少し殴れば簡単に穴が開いてしまう。それを利用して、ミヤビは無理やり自分の部屋と隣の部屋を繋げたのだ(そもそも勝手に住み着いているので自分の部屋も何も無いが)。
初めは工廠でちょろまかした資材を保管するための部屋。しかし、戦場に出ることを覚悟した日から、なるべく時間をアルニマ開発に割こうとサブの作業部屋として活用することになった。
そのために、もう使われていないベッドを玄関へと続く通路に押し込んでスペースを作り、元々あった勉強机を作業台に改造して、日夜、自分用のアルニマを研究・開発している。ルイワンダもその一つだ。
本来はキューブ単体の予定だった。小型の爆弾としてレンヤに使ってもらうために開発したものである。
しかし、自分が使うことになった今、戦闘能力がほぼゼロであるミヤビには攻撃の手段だけでなく、機動力や応用力も必要になった。今の形になったのは試行錯誤の末である。その鍵となったのは、とある想生獣の〝糸〟だった。
「さーて、晩飯だぞー」
ミヤビは水槽や飼育ケースが並んだ棚に近寄り、そのうちの一番大きな水槽の蓋を開ける。中にいるのは、小型犬くらいなら食い殺せそうなほどのサイズの蜘蛛だ。
住処を動かされて、大人しかった蜘蛛は前脚を上げて威嚇を始める。ミヤビは後ろのボックスのガラス戸を開いて一つのタッパーを取り出し、その中にある丸型の肉のようなものを蜘蛛の前にいくつか放った。
「ほら、秘蔵の一品を加えた特製肉団子だ。食え食え」
すると、蜘蛛は威嚇を止めて、そそくさと団子の一つに飛びついた。
そうして食事を始める蜘蛛を見受けたミヤビは、作業台の引き出しから一本の細い鉄の棒を取り出す。それを指で持ち、蜘蛛の腹部後方に位置する小さな突起部分を先端でトントンと軽く叩いた。そして、鉄の棒を突起部分に密着させて三秒ほど待ち、ゆっくりと引いていくと、肉眼で辛うじて見えるほどの糸が突起部分から伸びていく。
さらに棒を回転させて、糸をどんどん回収していくミヤビ。だが、十周もしないうちにそれは途切れてしまった。
「……今日はここまでか。ま、いつもくらいか」
本当はもっと欲しいところだが、無理強いをするとこちらに敵対心を持ち、糸を出さなくなる可能性がある。せっかくここまで
ミヤビは棒を作業台に置くと、蓋を閉じてケースを元の位置に戻した。それから椅子に座り、棒に巻き付いた糸を千切らないように丁寧に外していく。
この糸こそ、ルイワンダを構成する要の素材である。『首狩り蜘蛛』という想生獣が生み出す『アマ糸』は、マギナを通すことで自在に操作できる性質を持ち、それを用いて獲物を捕まえるのだ。この糸が非常に優秀で、マギナを通すとピアノ線以上の強度を獲得し、それでいて通常のおよそ10倍以上の
そうして完成したのがルイワンダ。36個のキューブを数珠繋ぎにして杖のように扱うアルニマである。外部からの衝撃によって発光するキューブは、内部を通るこの糸の束から外されることで爆発するようにモデルチェンジした。
作業台横の壁には三本のルイワンダが立てかけられている。通常業務の合間や深夜の時間でコツコツと製作したものだ。工廠から持ち出せる資材はほんの少しなので、量産はなかなか難しい。
無論、資材の横領や流用は立派な犯罪である。摘発されれば軍法会議はやむを得ず、物資不足が深刻である今では最悪死罪か、それ相当の厳罰に処されてしまうだろう。
しかし、その程度のリスクなどミヤビは気にしない。何が何でもレンヤにはサティルフになってもらう。それが叶うのなら、命を失うことになっても構わない。
『ルナサノミヤビ』という存在は、フィオライトと出会ったことで誕生したのだから。
ならば、彼女がくれたこの命を彼女のために使おう。きっとそれが、もう誰にも必要とされていない自分の最も効率的な使い方のはずだから。
あの陽だまりのような笑顔を、彼女がいつまでも輝かせていられるように。
そのためなら、たとえ全ての人間から忌み嫌われても。どんなに過酷な待遇を強いられようとも。その最期を、誰にも看取られることがなかろうとも。後悔はない。きっと歩み続けることができる。
それが、ミヤビの覚悟。
あるいは、怨念じみた執着。
もしかしたら――
もしかしたら、ミヤビは、フロントーラに来てから今もずっと、正気を取り戻していないままなのかもしれない。
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