第8話 過去編 奪われた居場所



 レンヤ=ナナツキと名乗るその男は、自らを女神セルフィスに命じられて異世界より転移してきた勇者だとのたまった。確かに、見慣れない異国の服やゴルドランテには見かけない人種、そして生活習慣や一般常識の決定的なズレ。多くの面で、レンヤが異世界からやってきたことを物語っていた。

 

 あとは〝らのべ〟がどうとか、〝あにめ〟で見たとか、理解しがたいことを言っていたみたいだが、とにかく、教会の人間や町民が彼の言葉を信じてしまうのも分からない話ではない。

 

 しかし、だからといって、町に壊滅的な被害を与えた罪が無くなるわけではない。ミヤビがその点にこだわったのは、故郷を滅ぼされてしまった彼自身の苦い経験ゆえだった。


 いや、それは正しくない。ミヤビが本当に危惧していたのは、そのような野放図のほうずな力を持つ男がフィオライトの傍にいることだった。何かの弾みでその力が暴走でもしたら? それに彼女が巻き込まれてしまったら?

 

 すぐにレンヤを町から追い出すべきだ。ミヤビがその結論に至ったのは、自然な思考の流れだった。まずは里親たちにそのことを主張したが、2人は難色を示して逆にミヤビを叱りつけた。それでもめげずに説得を続けていると、次第に2人はミヤビを煙たがるようになっていった。

 

 両親は駄目だ。そう判断したミヤビは、今度は町民に訴えかけることにした。郊外にあるミヤビの家は無事だったが、ミクリスの中心地は多大な被害を受けている。そうした人間の中には、絶対にレンヤに対して反抗心を持っている者がいるはずだ。

 

 そうした打算を根拠に、ミヤビは街頭に出て演説したり、各家を訪ねて宣伝したりと、精力的に活動した。

 しかし、結果は散々たるものだった。ミヤビの考えに同調してくれる者は1人もおらず、それどころか「不届き者め!」、「不信心者が!」と罵倒され、石を投げつけられることもあった。

 

 ミヤビはまだ知らなかったのだ。ミクリスに住む人々はほとんど第七世界アースレディアからの出戻り組だと。第六世界ゴルドランテの者は戦闘能力に乏しく、大抵がポーンクラスに配属される。そうした背景により、ゴルドランテ出身者という理由だけで不当な扱いを受けてきた過去があるのだ。

 だからこそ、塗炭とたんの苦しみを舐めてきた彼らにとって、レンヤという存在は一縷の希望だった。それをそしるミヤビの行為は、絶対に受け入れられない所業なのである。

 

 まだ兵役していないミヤビがそんな事情を知る由もなく、その後も空回りを続け、やがて町中の厄介者と見做されるようになってしまった。もはや、誰も彼の言うことに耳を貸さない。近づいたら逃げられる。話しかけても無視される。

 

 いよいよ窮地に追い詰められたミヤビに残された頼みの綱は一つしかなかった。ソラリハであるフィオライト。彼女の声ならば、町民どころか司祭でさえ無視することはできないはずだ。

 

 そのためには、なんとか彼女とコンタクトを取らなくてはならない。幸いにも、そのチャンスはすぐにやってきた。

 ミヤビは今年で15歳。人類皆兵制度の対象者だ。その日時がいつになるのかは安全性の問題によりまちまちだが、アースレディアへの移動の段取りの確認や、入隊後の人事がスムーズにいくように、決まった時期にアースレディアからの使者との事前ブリーフィングが行われる。そのために入隊予定者は教会に集められるのだ。

 

 そして、ブリーフィング当日。数年ぶりに教会内へと入り込めたミヤビは、案内役の目を盗んで入隊予定者たちの集団から抜け出すことに成功した。あとは勝手知ったる教会内。誰にも会わないように気を付けながら、フィオライトの部屋までの道のりを駆け抜ける。

 

 「ルナちゃん!」

 

 だが、目的の人物との再会は思いもよらぬ形で実現した。

 そこは、教会堂バシリカと聖職者居住区画の間にある中庭。期せずして、ミヤビが初めてフィオライトと出会った場所である。彼女はそこにいたのだ。

 

 「フィオ!」

 

 どうして彼女がここにいるのか? ここで何をしていたのか? 疑問点はいくつもあるが、それよりも再会の喜びが遥かに勝った。自分が単独行動をした目的すら一瞬で吹き飛び、ミヤビは急いでフィオライトの許に駆けつける。

 

 「フィオ……久しぶりだな……」

 「うん。五年ぶり、かな? ずいぶんと逞しくなったね。見違えたよ」

 「フィオだって……」

 

 月下に映し出される、思い出でしか会えない人。あの頃の面影を残しつつも、より綺麗に、より華やかに成長した姿。

 あなたに再び会える日を、どれだけ心待ちにしていただろう。里親の許で辛い農作業に従事した五年間の日々は全て、この瞬間のためにあった。

 出来るならこのまま2人の時間に浸っていたい。今は無き花畑の上で寄り添い合ったあの夜のように、一緒にいるひと時を共有したい。

 

 でも、それはできない。自分には果たさなければならない使命がある。

 胸の底から無限の如く湧き上がってくる感情を歯を食いしばって抑え込み、ミヤビは言葉を走らせた。


 「お前にまた会えて、本当に嬉しい。でも、今はお喋りしている時間は無いんだ。単刀直入に言う。フィオ、あのレンヤって男は危険だ。お前からここの人たちに伝えて、早くこの町から追い出すように働きかけてくれ」

 「………………」

 

 すると、フィオライトの笑みが消える。薄暗いせいか、それとも久しぶりの再会に緊張しているのか、彼女が浮かべていた笑みはどこかぎこちないものだったが、それが今、完全に無表情へと変貌した。


 そして、力無く俯いたフィオライトは、小さく零した。

 

 「どうして……そんなこと、言うの?」

 「え?」

 

 フィオライトの反応にミヤビは戸惑う。

 いや、心構えはしていたのだ。レンヤを追い出せと、いきなり言われたらフィオライトもさすがに動揺する。たとえ親密な間柄であっても、すぐに呑み込める要求ではないことくらい、ミヤビとて理解していたつもりだった。


 だが、彼女の反応は明らかに動揺ではなく、ミヤビに対する怒りだった。その出所の分からない感情の断片が、ミヤビの心を激烈に掻き乱す。

 

 「ど、どうしてって……分かるだろ? あいつのせいで町がメチャクチャになったじゃないか」

 「それは仕方がないことでしょう? あんなに大きい想生獣をやっつけるためだったんだから」

 「仕方が、ない? なに言ってんだよフィオ……げ、現にたくさんの人が家を失って困ってるじゃないか。それにっ、あんなデタラメな力! もし、暴走とかしたらどうするんだよ?!」

 「大丈夫だよ。それをコントロールするための訓練をしているところなんだから。……確かに、あの時のレンくんはいっぱいいっぱいで。感情をセーブできずに思いっきり力を解放した、って言ってたけど……今はもう同じようなことにはならないよ、きっと」

 「レンくん……?」

 

 なんだその親しい呼び方は。

 どうしてそんなにあの男の肩ばかり持つ?

 

 「レンくんはね、私を助けてくれたんだよ。それと一緒に逃げている子、2人。レンくんの力はね、誰かを守るためのものなの。女神様から授かった、勇者の力。ルナちゃんが思うような危険な力じゃないんだよ」

 「危険じゃないって…………おかしいだろ。考えてもみろよ、今回の事件。想生獣が来たこととレンヤが町に現れたのは全くの同時だ。仮に! ……仮にあいつの話が本当だとして。あいつが女神によってアースレディアに送られたとして……その時に聖域になんらかの影響を与えたのかもしれない」

 「……レンくんが来たせいでミクリスが襲われた、って言いたいの? そんなの、言いがかりもいいところだよ。ルナちゃん、どうしちゃったの?」

 「どうかしてんのはお前たちの方だろ! なんで無条件にあいつのことを受け入れてんだよ?! どいつもこいつも! あいつを信じられるんだよ?! 全ての辻褄が合うだろうが! 俺の考えの方が! レンヤが来なければ想生獣に襲われることもなかったんだよ!」

 「いい加減にしてよルナちゃん!!」

 

 混乱がいよいよピークに達して、ミヤビはひたすら怒鳴り声を張り上げる。しかし、フィオライトはそれよりも大きな声で彼を叱りつけた。

 普段の温厚な彼女には考えられない激情。その迫力に圧倒されて、ミヤビは言葉を失う。

 

 そうして閉口するミヤビを、フィオライトは悲しげな瞳に宿した。

 

 「何があったの……ルナちゃん。どうしてそんな人になっちゃったの? 知ってるんだよ、私。ルナちゃんが町でレンくんの悪口を言い触らしまわってるって。ショックだった……ルナちゃんは、そんな人の悪口を言うような人じゃない。優しくて、頑張り屋さんで、いつも私を笑顔にしてくれる……私の大切な幼馴染だったのに……」

 「フィオ……だって、だってあいつは町をメチャクチャにして……お、俺たちの花畑も無くなって!」

 「花畑?」

 「花畑だよ! 子どもの頃、夜に2人で抜け出して会ってた! 俺たちの秘密基地だよ!」

 「……ああ。なんかあったね、そんなの。忘れてた」

 「わす、れ……てた……?」

 

 フィオライトが軽く呟いたその言葉。しかし、ミヤビにとっては最大級の衝撃となって脳みそをぶん殴った。

 

 忘れていた? あの花畑の存在を?

 ならば、あそこで毎日のように会っていたあの夜のことも。互いの体温を感じながら眺めたあの見た光景も。月だけが見守っていた2人だけの結婚式も。

 全て……もう彼女の中からは消えてしまったまぼろしなのか?

 

 だったら、あの時の誓いを信じて今まで懸命に生きてきた自分は……!

 

 「もういいだろう、フィオ」

 

 呆然としている最中、新たな声が中庭に生まれた。

 そこでミヤビは初めて気付く。近くの木の陰に、1人の男が立っていたことを。それが、話題のレンヤ=ナナツキその人であることを。

 

 「レンくん……」

 「そいつの態度を見て分かっただろ。そいつは全く反省してない。それどころか、自分が正しいと勘違いしている。俺はそんなヤツと仲良くする気は無い」

 「ま、待ってレンくん!」

 

 体を返してどこかに行こうとするレンヤを、フィオライトは必死に呼び止める。

 

 ミヤビには意味が分からなかった。レンヤがここにいることも。レンヤの発言の内容も。そして、フィオライトが腕を引いてまで彼をこの場に留まらせようとしていることも。

 

 「お願い! 私が説得するからルナちゃんを見捨てないであげて! ほら、ルナちゃん! 早くレンくんに謝って!」

 「謝る……?」

 

 ミヤビの前まで駆け寄ってきたフィオライトは、憤懣ふんまんとした顔を上下に揺らす。

 

 「そうだよ! レンくんの悪口を町中に言い触らしたこと! 今、謝ってくれたらレンくんは許してくれる、って言ってくれたんだよ?」

 「フィオにそう懇願されたからな。お前がデタラメを流して俺をおとしめようとして、そのせいで逆に町の人たちから嫌われてしまった。俺からすれば自業自得だが、フィオはお前を心配してたんだ。お前みたいな最低なヤツでも見捨てることができない、優しいヤツなんだよフィオは。そんな彼女の心意気に打たれたから、俺もお前を許すチャンスを与えたんだ」

 「……ね? ルナちゃんは誤解してるんだよ。レンくんは本当に良い人で……今だって、私のために自分の気持ちを呑み込んでルナちゃんを助けようとしてくれてる。それだけじゃないんだよ? 私って今、パートナーとしてレンくんのお世話係をしてるんだけどね。レンくんってホントにすごいのっ。私たちゴルドランテの人たちが生み出した技をどんどん吸収していって、しかも、普通は複数人が何時間を掛けてやるような術を1人で簡単にやってのけちゃうの! さすが女神様に認められた勇者様だよね! 正義感が強くて、思いやりがあって、度胸もあって、相手の悪いところも受け止められる心の広さもある、本当に頼りになる人っ。まぁ……ちょっ~とムッツリなところがあるのは玉にきずですけど?」

 「おい。フィオまでデタラメを言い出すんじゃないよ」

 「なぁにがデタラメなものですか。レンくんったら、隙あらば教会内のおっぱいが大きい女の人を目で追いかけてるし。町で女の子たちに言い寄られた時も鼻の下伸ばしまくってるし。それに、私のお風呂だって覗きに来たじゃない。一緒に暮らし始めた最初の日に」

 「あ、あれは、誰もいないと思ったから……いわゆるラッキースケベというヤツで。ってゆうか! 一緒に暮らしてるからって風呂も共同なのはおかしいだろ?!」

 「よく言うよね、そのラッキースケベっての。でもさ、偶然という割には、けっこう浴場の中にまで入ってきたよね? 私が湯船にいるのに」

 「だから、湯気でよく見えなかったって言っただろ? ぶっちゃけ男湯と思ったんだよ。だって、めちゃくちゃ広いし……それに、な? 湯気に浮かぶシルエットが、その……」

 「ほほぅ? 私が男に見えたってことですか? 悪かったですね! おっぱいがあんまりおっきくなくて!」

 「うおっ?! やめろフィオ! 叩いてくるなって!」

 

 言い争いからケンカにまで発展する2人。しかし、ミヤビからすればそれは、仲睦まじい人たちのじゃれ合いにしか見えなかった。なぜなら、フィオライトは怒りつつも、ずっとはにかんでいるのだ。

 

 そう、まるで町の女子たちが想い人について話す時の、恋する乙女のような……。

 

 (恋……?)

 

 何気なく思い付いたその言葉が、期せずしてミヤビを混乱の極致から救い出した。

 

 どうしてたった数十分の逢瀬を心待ちにしていたのか。

 フィオライトの傍に自分以外の男がいることに胸を掻き毟るほどの情感を覚えたのはなぜか。

 そして、彼女との誓いを胸に紡いできた今までの五年間。あの長く苦しい日々を耐え忍ぶことができた理由とは――全ての糸が今、一本に繋がった。

 

 ミヤビは、フィオライトのことが好きだったのだ。

 それは五年前に交わした幼稚な言葉では決して伝えきれない、本当の気持ち。友人としてではなく、1人の女性として、ミヤビは彼女のことを愛していたのだ。



 そして今、その想いは自分の目の前で儚く砕け散ってしまった。

 


 「だから、ね? レンくんに謝ろう? お願い、ルナちゃん。私、2人に仲良くなってもらいたいの。変な誤解でケンカとか……そんなのイヤだよ、私。ルナちゃんとまた昔みたいに仲良くお喋りしたいの」

 

 そう言いながらフィオライトが近づいてくる。レンヤとの会話の中で生まれた笑顔の明るさを残したまま。

 瞬間、ミヤビの心は壮絶な怒りと絶望に色せる。自分に見せるその笑顔は、あんなにも恋しかったはずのそれは、レンヤに向けられたものの残りカスでしかない。お前はその程度の存在なのだと、言われたような気がして。

 

 フィオライトがミヤビの手を取る。レンヤのところへ連れていくために。ミヤビを謝らせるために。


 ずっとずっとそのためだけに生きてきた。欲しくて欲しくてたまらなかったはずのぬくもりは今、毛虫が這っているような嫌悪感でしかなかった。

 

 「やめろ!!」

 「きゃあ?!」

 

 一旦、火が付いた感情はもう収まらない。マグマのように沸き立つ怒りに任せて、ミヤビは思いっきりフィオライトの手を振り払った。そのせいでバランスを崩したフィオライトは地面に倒れ込む。

 

 「フィオ! 貴様ぁ! フィオに何をする?!」

 

 それに激怒するレンヤ。ミヤビがフィオライトを殴ったと勘違いしたのだろうか。ミヤビを両手で突き飛ばし、うずくまるフィオライトの体を抱いて支えた。

 

 「何事だ?!」「レンヤ様!」「フィオライト様! どうされました?!」


 レンヤの大声を聞きつけて建物から聖職者たちがぞろぞろと湧いてくる。

 

 その後はもう、レンヤの独壇場だった。ミヤビは有無を言わさず取り押さえられ、そうした中でレンヤの説明だけが浸透していく。元々、ミヤビを快く思ってなかった聖職者たちはその言葉を全面的に聞き入れ、容赦なくミヤビを責め立てた。

 

 しかし、大勢からの罵詈雑言をもってしてもミヤビの心を打つには至らない。彼が一心に見つめる先は、レンヤの胸の中にいるフィオライト。自分を見つめる彼女の、怯えた瞳。

 

 フィオライトを悲しませてしまった。我に返り、自分の仕出かした事を冷静に客観視した後、その罪悪感だけが胸中をぐるぐると駆け回っていた。

 






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