第7話 過去編 異世界から来た男


 

 その日は突然やってきた。そう、ミヤビの両親が帰らぬ人となったあの日と同じように。

 

 理由は定かではない。なぜか聖域の力が弱まり、3体の想生獣の侵入を許してしまったのだ。数は少ないものの、一匹いっぴきが非常に大きく、駐屯軍のナイト級だけでの制圧は困難。町民は全員、教会に避難するように呼びかけられた。

 

 村の最も外側に住んでいるミヤビは家族と共にいち早く家を出て、無事に教会へと辿り着いていた。教会内は蜂の巣をつついたような騒ぎであり、避難所として開放された礼拝堂はすでに大勢の人たちが集まっていた。そこまで義親を送り届けたミヤビは、休む間もなく外に駆り出される。なおも押し寄せてくる避難者をうまく誘導するために人手が必要だったからだ。

 

 遠くからは想生獣の地鳴りのような足音が響いてくる。時折、聞こえてくる獣の悲鳴や破壊音は、ナイト級が応戦している証だろう。それでも足音は止むことなく、次第に大きくなってくる。

 

 もう時間が無い。早く町民たちを全員、教会内に収容しなければ。

 

 焦燥感を覚えたミヤビは、人が殺到する階段へ向かうため、礼拝堂入り口の前に立っている2人組の修道士の脇を駆け抜けた。

 

 「フィオライト様がまだお戻りになってないぞ!」

 

 だが、すれ違い様に聞こえてきた声がミヤビの足を止める。


 フィオライトが……戻ってない?


 ミヤビはゆっくりと振り返る。黒人の修道士が若い修道士の胸倉を掴み、すごんでいた。

 

 「どうしてフィオライト様を引き止めなかった?! 司祭様と一緒に安全な地下豪にお連れするよう命じられたはずだろう!」

 「わ、私のせいじゃない! 私はちゃんと止めた! しかし、フィオライト様は私の声を無視して行ってしまったんだ! ソラリハである私の呼びかけなら、みんなの危機意識が高まる。もっと早く避難してくれるようになる。そう言って村に行ってしまわれたんだ!」

 「それをなんとか止めるのが貴様の役目ではないのか?! あの方にもしもの事があれば――」

 

 修道士の怒声はそこで途切れた。それよりも大きな地響きが教会を揺れ動かしたからだ。

 音がした階段の方を見遣る。獅子の面相をした四足歩行の想生獣が、ついに階段前まで迫っていた。

 

 「「「「「キャアアアアアアアアアアア!!!」」」」」

 

 町民たちは悲鳴を上げ、それが想生獣の暴走のトリガーとなった。

 大勢からなる大音声を受けた想生獣は、鼓膜をつんざかんばかりの咆哮を上げて、大地を蹴る。そうして人々を踏み潰しながら階段を駆け上がり、大きく飛び跳ねて教会の敷地内に着地した。

 

 そこは礼拝堂前の広場。ミヤビの、目の前。

 

 「ひっ、ひいぃぃぃっ?!」

 「おい、馬鹿!」

 

 人をさんざん食い殺したのか、口から漏れ出る熱い吐息は血生臭い。それに恐怖を抱いた若い修道士は悲鳴を上げ、その場から逃げ出した。

 

 その突発的な行動が、皮肉にも想生獣の注意を引く。目の前のミヤビや周囲の人々を放置して、それは森に消えていった若い男を追っていった。

 

 「い、今のうちだ! 皆の衆! 早く階段を上ってくるんだ! 怪我人は我々で運ぶぞ! 急げ! 他の想生獣がやってくる前に!」

 

 黒人の修道士の声に全員が我に返り、それからはもう地獄のようだった。階段はパニック状態に陥った町民で阿鼻叫喚となり、その狂騒に煽られて人々は敷地内に雪崩れ込んでくる。

 

 その土石流のような人の流れに、修道士や修道女たちは成す術が無かった。大勢からなる悲鳴には抑止の声も届かず、もう満杯に近い礼拝堂の入り口で、すでに中にいる集団と新しく来た集団とで言い争いが始まっていた。このままではいずれ、暴動に発展しかねない。

 

 しかし、今のミヤビには、そんなことに構ってる暇なんて無かった。フィオライトはどこにいるのか。頭の中はそのことでいっぱいだった。

 

 すぐにでも彼女の許へ駆け付けたい。そう思っても、階段は大勢の町民で塞がっている。ここを突破して下に向かうのは不可能だ。

 

 しかし、このまま手をこまねいてもいられない。せめて、フィオライトが無事なのか、それだけでも確認できれば……!

 

 「こうなったら……!」

 

 言い争いの仲裁に励んでいる修道士たちの目を盗み、ミヤビは森へと走り出した。向かうは崖の上の花畑。村を一望できるあの場所からフィオライトを見つけようと考えたのだ。

 

 想生獣によって薙ぎ倒された木の一本道を進み、ミヤビは花畑に辿り着く。あの頃と変わらず、そこには色とりどりの花が咲き乱れていた。だが、今は感傷に浸っている場合ではない。

 

 若い修道士を追っていった想生獣はもう崖から下りたのか、どこにも姿は無かった。もし、鉢合わせたらどうしようか、と危惧していたミヤビはホッと胸を撫で下ろし、花畑を通って崖の縁に足を掛けた。


 そうして眼下の村を見下ろし…………教会前の階段へと続く道を疾走する2人の女の子を発見する。

 

 「あれは……フィオ? フィオだ! 間違いない!」

 

 五年という歳月があったとしても、その人がフィオライトであることはすぐに判別できた。純白の祭服に身を包み、美しいセミロングのブロンドを二つに束ねたヘアスタイル。忘れるはずがない。

 

 フィオライトは小さな女の子の手を引いて、ふらつきながら必死に走っていた。親とはぐれた子どもを連れていたから遅れてしまったのだろうか。


 そして、その背後に迫る、一匹の想生獣。

 

 「まずい!」

 

 家屋を破壊しながら突き進む想生獣はその勢いのまま飛び上がり、フィオライトたちの進む先に着地した。ズズン、と高台の上まで伝わるほどの地響きが起こり、発生した風圧によってフィオライトたちは地面に投げ出される。

 

 そうして動けなくなる2人に、想生獣がにじり寄っていく。

 

 「立て! フィオ、立って逃げろ! ああくそっ! ナイト級はどうした?! 何をやってんだよ?! くそお! フィオに近づくなあああっ!」

 

 崖の上から叫んでみても、その声が届くことは無い。石や木の棒を投げてみても、その巨体では蚊に刺されたようなものだろう。

 

 自分では、フィオライトを救うことはできない。

 

 「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 無力感に打ちひしがれ、絶叫するミヤビ。

 


 と、その時である。

 


 崖を囲む森の中から1人の男が飛び出し、想生獣の前に割り込んだ。その出で立ちは、この村の人間とは思えない見慣れない服装。この小さな村の中では誰もが顔見知りのはずなのに、その男だけは全く面識が無かった。


 なんだ、あの男は?

 

 フィオライトの窮地に駆けつけてくれたことに感謝しつつも、突如として現れた人物にミヤビは警戒心を抱く。目前の想生獣はそれ以上の刺激だろう。

 

 想生獣は足を止め、前傾姿勢になってその男を睨み付けていた。そして、弾かれたように後ろ脚を蹴り、一気に襲い掛かる。

 

 (ダメだ! やられる!)

 

 ミヤビがそう思った瞬間だった。男がいきなり両手を前に突き出す。すると、彼の手の平からマギナの洪水が発生し、それは周辺の家屋もろとも想生獣を呑み込んで、断末魔を上げさせる間も無くその巨体を完全に消滅させた。

 

 しかし、敵を滅ぼしても尚、マギナの洪水は収まらず。


 本人でも制御できないのか、男は両手を振り回した挙句、地面に倒れ込み、その拍子で打ち上がったマギナの塊が崖に向かって飛んできた。

 

 「やばい!」

 

 ミヤビはすぐに花畑から逃げようとしたが、手遅れだった。マギナの塊は崖にぶつかり、大爆発。その余波によって吹き飛ばされたミヤビは木に体を打ち付け、そこで意識を手放した。

 



 

 それからどれくらいの時間が経ったのだろう。

  

 空があかね色に染まる頃、ミヤビは目を覚ました。鈍い痛みに全身がうずく。余程、激しく体を叩きつけられたのだろう。後ろの木を頼りに起き上がり、そうして目にした光景にミヤビは絶句する。

 

 花畑が無くなっていた。崖の出っ張りごと、完全に崩落していた。

 いや、それよりもミヤビの心に衝撃を与えたのは……。

 

 「なんだよ……これ……」

 

 フィオライトと眺めたあの景色が、見る影もなく破壊されつくしていた。想生獣が暴れ回ってたから仕方がない――などと、納得するにはあまりに無残な村の果て。


 少なくとも、ミヤビが気を失う前は、村はまだそれなりの形を残していた。ところが今は、村の大部分が大地ごと一直線に消失しており、また、クレーターのような大穴もいくつか点在している。

 

 何が村をここまで蹂躙じゅうりんしたのか……考えるまでもない。突然、現れた男がデタラメな量のマギナをそこら辺に撒き散らしたせいだ。確かに、そのおかげでフィオライトは助かったかもしれないが――――

 

 「そうだ……! フィオ!」

 

 記憶の糸を辿っている最中に彼女のことを思い出したミヤビは、教会に向けて走り出した。


 フィオライトは無事なのか? 想生獣はどうなったのか? 家族は、町の人たちは助かっているんだろうか?



 まさか、かつての自分の村のように、この町も終わってしまうのか……。


 

 最悪の結末が頭の中を駆け巡る。走り出したばかりなのに呼吸が乱れて汗が止まらない。何度も何度も転びそうになりながら、必死に倒木の道をひた走る。

 

 その時、複数の甲高い声が聞こえてきた。悲鳴かと一瞬、思ったが、それにしてはどこか楽しげだ。次第に男たちの低い声も混じってくる。慟哭どうこくとはかけ離れた賑やかな音色が大きくなってくる。


 それが歓声だと気付いたのは、教会の庭でひしめき合う大勢の町民を目にした時だった。フィオと、先ほどの男を取り囲んで笑い合う光景はさながら年に一度のお祭りのよう。

 

 「ついに勇者候補が……いや! サティルフ様がご降臨されたぞ! 人知を超えたそのお力で我々をお救いになってくださったのだ! 皆の者、刮目せよ! 勇者、レンヤ=ナナツキ様の御姿を! その目に焼き付けるのだ!」

 「ああ! サティルフ様! 勇者、レンヤ様! 村を救っていただきありがとうございます!」

 「よくぞ我らの世界をお選びになってくださりました! ああ……! なんという僥倖か!」

 「やはりわしらの教えは正しかったのだ……不要と蔑まれ、この日まで生きてきた。ようやく……胸を張って生きていける! 長かった……うううっ……!」

 「よかったね! よかったねおじいちゃん!」

 

 「…………なんで……?」

 

 町をメチャクチャにされたんだぞ? そいつのせいで大勢が住む場所を奪われたんだぞ?

 なのに、どうして誰も怒らない? 危機感や恐れを抱かない? そんな得体の知れない力を持つ人間を、どうして熱烈に歓迎することができるんだ?

 

 ミヤビには目の前の光景が理解できなかった。


 ただ一つ確かな事は、今この瞬間、ミヤビとミクリスの人々との間には、たとえ十年近く共に暮らしたとしても決して埋まらない大きな溝が横たわっている、という残酷な現実だった。

 



 そうして、あれよあれよと話は進み、その男はミクリスで暮らすことになった。

 

 勇者候補として、フィオライトが住む教会で。

 






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