第6話 過去編 花畑の結婚式



 きっかけすら思い出すこともできない。誰かに恋をする。その始まりも今や忘却ぼうきゃくの彼方。

 

 いつも傍には彼女がいた。いつの間にか心の中に彼女がいた。いつだって彼女の近くにいたかった。

 

 それが誰かを好きになる事なんだと、失ってから気付いた。

 

 

 

 ミヤビには親がいなかった。それは捨てられたとか、病死とかではない。なんでもない日常の最中、住んでいた村が想生獣ガルディアンズの群れに襲われ、両名とも死んでしまったのだ。

 救援要請を受けて駆けつけたナイト級の駐屯軍によって辛うじて助け出されたが、ミヤビは一瞬にして両親も生まれ育った故郷も失ってしまった。そして、孤児みなしごとなったミヤビは駐屯軍に保護され、『ミクリス』というゴルドランテ最大の町に連れていかれることになった。


 第七世界アースレディア以外の六世界には女神から守護されし土地が存在する。その一帯は世界に蔓延る想生獣から感知され辛く、また、人類に危害を加える者の侵入を阻む力がある。人々はこれを聖域としてその地に拠点を作り、すなわち、ゴルドランテにおけるミクリスがそれだった。


 聖伐軍は聖域を増やして人類の活動域を広めていくことを重要課題としている。だが、王に支配されて日が浅いゴルドランテでは、王の支配圏にあってもまだ発見されてない集落がいくつか存在する。ミヤビの村もそのうちの一つだった。

 本来ならば、そこの村人たちをミクリスに避難させるべきである。しかし、聖域に絶対的な限界がある以上、全ての人を受け入れるのは不可能だった。せめて、王に見つからないように細々と暮らしていくしかない。

 だが、どれだけ慎ましく生活していたとしても、聖域の無い土地ではいずれ想生獣に突き止められてしまう。そうなった場合、待っているのは『死』しかなかった。

 

 なんとも無慈悲で……しかし、ありふれた世界の事実。

 だが、それを7歳の子どもが受け入れられるはずもない。ミクリスに届けられたミヤビは教会に引き取られることになったが、その時の彼は物言わぬ人形になっていた。ご馳走を食べても同世代の子どもたちと遊んでも、まるで感情を表さず、ただ言われたことだけを履行する生きた屍。


 心が壊れている――人は、ミヤビをそう評価してあわれんだ。


 フィオライトと初めて出会ったのはそんな時である。子どもたちはミヤビを気味悪がり、大人たちはどう彼と接していいか考えあぐねて、ちょうど誰も近寄らなくなった頃。彼女はひょっこり目の前に現れた。

 

 当時、すでに聖痕が肉体に顕現していたフィオライトは、ソラリハになるための修行に従事するべく、親元を離れて教会で暮らしていた。アマミラ教の発信地である教会は村の中心にある高台の上に築かれ、神聖な場所とされているそこに住むことを許されるのは聖職者のみである。つまり子どもは基本的に立ち入れず、だからこそミヤビに興味を持ったのだろう。

 

 フィオライトは積極的にミヤビに話しかけた。彼に無視されたり、機械的な反応しか返ってこなくても、めげずに関係を持ち続けた。時には強引とも言える行動で引っ張り回し、物を壊して2人して大目玉を喰らったこともある。

 それでも大人たちが2人の間を引き裂こうとしなかったのは、フィオライトの持ち前の明るさがミヤビの心に届くことを願ったからだ。あるいは、人々を救済する巫女として、越えなければならない試練と考えていたのかもしれない。

 

 どのような事情があれど、大人たちに打算があったのは間違いなかった。けれど、フィオライトに後ろめたい気持ちなどは無い。彼女はただミヤビと仲良くなりたかったのだ。

 そして、フィオライトの一途な想いはやがて、空っぽになったミヤビの中に小さな種を植え付けた。それは彼女と過ごす時間を養分として成長し、ついに感情が芽吹き始める。

 

 少しずつ、少しずつ。


 ミヤビは変わっていった。無視することが少なくなった。受け答えもちょっとだけ長くなった。自分から挨拶をするようになった。自分から話しかけるようになった。

フィオライトは、どんな時でも楽しそうに笑っていた。

 

 思えば、それを見ていたかったから頑張れたのかもしれない。屈託なく笑うフィオライトの、太陽のようなその笑顔。まるで陽だまりの中にいるみたいで、とても心が落ち着いた。あまりに眩しすぎて、たまに目を背けたくなる時もあるけれど、それでもずっと傍にあってほしいと思うようになった。

 

 ミヤビは変わった。フィオライトの隣にいられるように。彼女がずっと笑顔でいられるように。そのためなら、どんな事でもできるような気がした。

 フィオライトはそんなミヤビを優しく見守っていた。時間さえあれば彼に付き添い、成功すれば自分のことのように喜び、失敗すれば優しく慰めて次の機会を諭した。そうして微笑んでくれる彼女がいたからこそ、変わることが出来たのだ。

 

 喜び。怒り。悲しみ。慈しみ。フィオライトと過ごす時間の中で、ミヤビはそんなありふれた感情を自由に表現できるようになった。

 だけど、ミヤビが普通の子どもに近づいていくにつれ、大人たちは彼とフィオライトの関係に口を出すようになっていった。ソラリハとしての立場がある、という曖昧な説明で終始し、それ以上、2人が親密になることを許さなかった。


 「フィオライト様は世界に安寧を齎すサティルフの相方となられるお方。あなたのような女神様に愛されなかった子があまり深く関わってはいけません」――ミヤビが疑問を投げかけた際、聖職者は叱るような口調でそう答えた。

 

 ミヤビには意味が分からなかった。ずっと仲良く過ごしていたのに。そんな2人をみんな微笑ましそうに眺めていたのに。それが、今になってまるで悪いことのように言い付けられる。

 

 その想いはきっとフィオライトも同じだったのだろう。教会の管理下に置かれている彼女だったが、しばしば侍女の目を盗んでは部屋を抜け出した。

 向かう先は、教会の傍にある花畑。教会は周囲を森に包まれており、そこを抜けた先にある崖の出っ張りにはいろんな種類の花々が咲き乱れている空き地がある。大人たちも知らない2人だけの秘密基地だ。

 

 ミヤビもまた、皆が寝静まった頃に部屋を抜け出し、その花畑でフィオライトと落ち合う。

 しかし、2人でいられる時間はほんの数十分。あまりに短すぎる逢瀬。

 

 それでも2人にとってはかけがえのない一時だった。共にいられなかった時の出来事を話し合い、話題が尽きると肩を寄せ合って、崖の下に広がる銀色の村を眺める。何かしたいことがあるわけではない。ただ傍にいたかった。それだけで満足だった。

 

 でも、次第に数十分では物足りなくなってくる。もっと時間が欲しくなる。

 

 「おれ……ずっとフィオと一緒にいたい」

 

 素直な気持ちは、正直な言葉となってミヤビの口から零れた。

 フィオライトが彼をそう変えたから。

 

 「わたしだって……でも、ダメなの。知ってるでしょ? わたしはソラリハ。司教様がお決めになられる勇者候補のパートナーにならなきゃいけないの」

 「だったら……だったら、おれが勇者候補になる!」

 

 ミヤビは吠えた。正直、勇者とかソラリハとか意味はよく分からない。でも、それで彼女の傍にいられるなら、なんだってやってみせる覚悟があった。

 けれど、フィオライトは寂しそうに頭を振る。

 

 「ルナちゃんの気持ちは本当に嬉しい。わたしだってルナちゃんがそうなってくれたらって……でも、無理なの。ルナちゃんが勇者候補に選ばれることは無い。それも分かってるでしょ?」

 

 勇者候補は、選ばれたらそこで終わりの存在ではない。最終目標であるサティルフになるためのスタートラインに立っただけに過ぎない。そして、そのためにはナイト級として戦果を上げる必要がある。つまり、純粋な戦闘能力が勇者候補に求められる大きな要素だった。

 

 この戦闘能力を計る目安として、最も重要視されているのが『マギナ』の量だ。

 

 マギナとは、全ての生物が普遍的に持っている不思議なエネルギーのことである。王やその配下、さらに想生獣はこのマギナを用いて多種多様な特殊能力を発揮し、人類もまた、マギナを用いた戦闘法を生み出すことで連合軍と戦う力を獲得した。

 

 それ故、勇者候補を決めるにおいて、個人が生み出せるマギナの最大量はなによりも重要な要素だった。そして、ミヤビの基礎マギナ量は非常に低かったのである。

 

 個人がマギナを生成できる量は、肉体の成長や訓練によってその許容量を増大させることはできるが、先天的なところが大部分を占めている。実際、ソラリハであるフィオは、聖痕が発現した時にはすでに、ミクリスの駐屯軍にいるどのナイト級をも上回るほどのマギナを有していた。

 対して、ミヤビは同世代の中で最も低い。一応、マギナ量を増やすための訓練を一月続けてみたけれど、結果は微々たるものだった。

 

 絶対的な素質の差。努力だけでは変えられない2人の立ち位置。

 

 「それは、分かってる。分かってるけど……! フィオは他のヤツのパートナーになっちゃうんだろ? そいつとずっと一緒にいなきゃいけないんだろ?」

 「……そう、だね。教会の人たちは村の子たちを教会に受け入れる準備を始めてるよ。勇者候補になれる大きなマギナを持った子」

 「もう? 向こうの世界に行くのは15歳になった時じゃないの?」

 「今から修行を始めないとダメなんだって。わたしも……わたしと相性が良いかどうかの調べなきゃいけないから、それに付き合わないといけない。……そうなったらもう……こうしてこっそり会うこともできなくなるかもしれない」

 「そんなのイヤだっ!」

 

 ミヤビは叫んだ。でも、フィオライトに訴えたところで何が変わるというのか。

 どうにもならない現実を前に、ミヤビは俯くことしかできなかった。爪が食い込むほどに自分の腕を握り締め、奥歯が割れんばかりに食いしばり、己の無力感に打ちひしがれる。


 そんなミヤビの体を、優しく抱き締めるフィオライト。

 

 「あのね、勇者候補とソラリハがどうしてパートナーって呼ばれるか知ってる? それはね、多くの勇者候補とソラリハが結婚しているからなんだよ」

 「結婚? 結婚って……ずっと一緒にいるってこと?」

 「そうだね。でもね、わたしは絶対に結婚なんかしないよ。誰が勇者候補になったって……だって、だってわたしは、ルナちゃんのことが大好きだから」

 「フィオ……」

 「それにね、教会の人たちはいろいろ頑張ってるけど、実は今までゴルドランテから勇者候補が出たことは無いんだって。なんかね、わたしたちの力は戦闘じゃ役に立たないとかで……そのせいで他の世界の人から馬鹿にされることもあるんだって。だから、そもそもあたしにパートナーなんてできないんじゃないかな。ね? 安心したでしょ?」

 「…………でも……」

 「まだ不安? ん~…………あっ、それじゃあさ! もう先に2人で結婚式、しちゃおっか?」

 

 フィオライトは急に立ち上がると、花をなるだけ踏まないように歩いて花畑を抜け、一本の木に近づく。その幹の表面に走っているつるを引き千切ると、同じ足付きでミヤビの許へ引き返した。

 

 「左手。出して」

 「うん」

 

 言われるままにミヤビは左手を差し出す。蔓を半分に千切ったフィオライトは、片方をその手の薬指に巻いていき、両端を結び付けた。そして、余った蔓を左手でミヤビに渡し、その手の平を返してミヤビの眼前に突き出す。

 

 「はい。今度はルナちゃんの番。同じようにして」

 「薬指?」

 「そうだよ」

 

 フィオライトの返事を受けて、ミヤビは蔓を彼女の薬指に巻いた。それを確認して、フィオライトは眉根を寄せる。

 

 「ちょっと寂しいなぁ……あ、そうだ」

 

 パン、と手を叩き、近くの赤と青の花を摘み取るフィオライト。そのうち、赤い花を自分の蔓の輪に、青い花をミヤビの蔓の輪に挟み込む。

 

 「はい。これで指輪の完成っ」

 「指輪?」

 「結婚する時は今みたいに指輪を渡し合うんだよ? あとは……女神様への誓いの言葉だね」

 「誓いの言葉? それってどんなの?」

 「ん~っとねぇ…………なんか、苦しい時も嬉しい時も2人で支え合って、汝はこの者を生涯かけて愛すと……とかいってぇ……」

 「ようするにフィオもよく知らないんだね」

 「しょーがないじゃんっ。もぉっ。いいの! 気持ちがあれば! はい! ルナちゃんはわたしのことが好きですか?!」

 「え? う、うん」

 「ありがとう! わたしも大好きです! はい、これでオッケー!」

 「いいのかなぁ……それで? これで結婚式は終わり?」

 「ううん。もう一つあるよ。目をつむって」

 「え? うん。それで、これからどぅ――っぷ」

 

 瞼を閉じた途端、唇にやってくる柔らかい感触。

 驚いて目を開ける。

 視界を埋め尽くすのは、フィオライトの顔。それはすぐに離れて、そして彼女はすっかり赤くなった頬にえくぼを作った。

 

 「えへへ。これで終わりだよ」

 「………………」

 

 唐突な展開に呆気に取られて、咄嗟に言葉が出てこない。

 指先を唇に当てる。彼女のぬくもりは確かにまだ、そこに残っていた。

 

 「これで2人はずっと一緒。何があっても……どんなに離れていようとも。だから、待ってて」

 

 フィオライトはミヤビの両手を握り、潤んだ瞳に彼を映す。

 

 「この先、わたしの前にどんな人が現れても。ソラリハとして、どこに行ったとしても。わたしはあなたのことを忘れないから。絶対に、あなたのところに帰ってくるから」

 「フィオ……」

 「そして、いつか……わたしに力が無くなって、ソラリハじゃなくなったら……普通の女の子になったその時は、今度こそ本当の結婚式をしよう! もう大人の人たちに邪魔されない! 2人で生きていこう!」

 「うん……!」

 「約束だよ……ルナちゃん」

 


 当時、ミヤビが10歳。フィオライトが9歳の頃である。



 何も知らない子どもだった。愛とか結婚とか、その意味や重さも分からずに、無責任な感情のまま心を奮わせられる年頃だった。

 しかし、当人たちは本気だった。少なくとも、ミヤビは。


 その後、ミヤビはとある家に養子に出されることになった。元々、ミヤビは心的障害を理由に教会に保護されたのであって、十人並みまで状態が回復した今、ただでさえフィオライトに悪影響を及ぼしかねない彼をこれ以上、教会に留まらせておく必要はなかったのだ。

 

 そうしてミヤビは教会から追い払われるように里親の許へ送り出された。その家が教会からひどく遠い郊外の場所にあるのは、二度とフィオライトと関わるな、というメッセージだったのか。

 

 物理的に離されたミヤビは、フィオライトに会うどころか、一目見ることすら叶わない日々を送ることになった。その家は、まだ未開拓の郊外地を耕地整理する任を受けた夫婦に与えられたものである。つまり、ミヤビを引き取ったのは労働力の確保のために過ぎない。

 

 それでも彼が腐れず、里親の言うことを聞いて真面目に働いていたのは、月夜の花畑で交わした誓いがあるからだ。いつか、きっとフィオライトに会える日が来る。彼女と一緒に暮らせる未来が待っている。その目標さえあれば、農作業の重労働など苦ではなかった。

 ミヤビは一生懸命はたらいた。里親たちはそんな彼に感激し、我が子のように愛情を注いだ。想い人に会えないこと。そして、入れ替わるように教会に招かれた男たちと彼女が共に暮らしている事実は、胸を掻き毟るほど辛いものだったが、しかし、その毎日が決して凄惨せいさんたるものではなかったのは、他ならぬ2人のおかげだった。

 

 大丈夫。自分はやっていける。

 

 フィオライトへの想いを一つずつ募らせながら、着実に一日をこなしていく。その積み重ねの先に待っているあの人に、胸を張って会いに行けるように。


 そうして月日は瞬く間に流れ去っていき、五年が過ぎた頃――

 

 



 レンヤ=ナナツキが現れた。

 


 

 

 


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