第5話 幼馴染 フィオライト=デッセンジャー


 

 終業時間となり、工廠の明かりが落とされる。作業員たちは仕事終わりの時間を過ごすために工廠を後にし、残業に勤しむ者の個室だけが淡く灯る静寂の中、ミヤビは人知れず部屋から出た。


 暗闇に紛れるようにして通路を歩き、ロビーへ。本来なら作業員は自分用作業部屋の鍵を受付の係員に渡さなければならないのだが、ミヤビは例外である。無論、それは良い意味ではなく、仕事量によっては一週間以上も作業部屋に引きこもることもあるため、鍵はミヤビが自己責任で管理する方が何かと都合が良い、と判断したマルクの差配さはいだった。

 

 ただ、ミヤビにとってもこれはこれで都合が良い。誰とも会うことなく、作業部屋を自由に出入りできるのだから。

 

 そうして今日も受付の係員と目も合わすことなく、ミヤビは玄関を通って外に出た。

 工廠から伸びる渡り廊下は、非常灯の心許ない光源だけが点在する暗闇に沈んでいる。しかし、一年以上も通い続けたという経験が、ミヤビを滞りなく寄宿舎への帰路に導いていった。

 

 『寄宿舎』というのは、この基地に所属する軍人が寝泊まりする寮棟全体を指す。いくつか種類があり、訓練生のための『学生寮』や一般兵のための『兵舎』、さらに上級兵のための『一等兵舎』が区分されて建てられている。

 そして、これからミヤビが向かう場所は一般兵の寮舎なのだが、その中でも特に老朽化が激しい棟。長い戦争によって多くの兵が亡くなり、もはや住む者がいなくなった寮舎にミヤビは1人、暮らしていた。旧寮舎の亡霊という渾名はここに由来する。

 

 これはマルクが指示したことではない。ミヤビが人と関わらないようにしていった結果である。上司への報告も許可も無い、極めて独善的な行為だが、誰もがそれを見て見ぬ振りをしているのは、彼らもまたミヤビに関わりたくないからだ。今ではほとんど倉庫代わりになっている建物に、厄介者が1人住み着こうと、基地運営になんら支障は無い。ミヤビの孤独な寮生活はそうした諦念と妥協の上に成り立っている。


 「ただいま……」

 

 現在、自室として使っている一階の部屋に帰宅したミヤビは、着替えることもせずにベッドに近寄り、その上にごろんと横たわった。

 

 「……訓練の準備、か。明後日……いや、もう明日か。で、仮にそれに一日かかるとしたら……訓練生と当日に居合わせることになるな……」

 

 呟き、そしてミヤビは顔を手で覆った。

 

 「ってことは、あいつと会うかもしれねえ……ってことか……」

 

 指の間から見えるのは、窓から差し込む月光によって朧げに映るカビだらけの天井。もうそこにはいない、今朝のあなたを探すように、ミヤビはゆっくりと瞼を落としていった。




 フロンズ聖伐軍の目的。それは王連合軍を壊滅させ、七つの小世界を元の一つの世界に戻し、人類に平和を齎すこと。勇者サティルフ神祝者ソラリハの発見はそのためのプロセスに過ぎない。


 それら二つのうち、ソラリハの発見は極めて簡単である。ソラリハは女性で、体のどこかに『聖痕』という傷痕がある。それですぐに判別できるのだ。

 

 しかし、サティルフに関してはそう簡単に決めることができなかった。問題は、女神セルフィスが遺した予言である。

 

 《女神に祝福されし乙女たち》――これがソラリハの定義だ。すなわちソラリハは複数そん在する、ということになり、それを裏付けるように聖痕を持つ女性は第七世界以外の六世界に1人、必ず誕生する。これが神託の信憑性を確定的なものにし……それと同時に、サティルフ選びが難航する原因になった。

 

 その理由は非常に単純かつ、極めて愚かしい。とどのつまり、第一世界を除く五世界の為政者いせいしゃたち――アマミラ教の各宗派の司教たちによる覇権争いなのである。

 サティルフはフロンズ聖伐軍を率いて王連合軍と戦い、人類を勝利に導く者のこと。つまりは人類の英雄。戦後の世界は間違いなくその者を中心に動いていくだろう。だとするならば、サティルフが持つ権力はどれほどのものか。

 

 もし、自分の世界から送り出された者がサティルフとして選ばれれば、我ら教団が戦後の世界を牽引できる……五世界の為政者たちの目標は完全に一致した。

 

 自分の世界の者がサティルフになるべきだ――しくも当時、予言の《時空の彼方より勇者現る》という一節を人類皆兵制度と照らし合わせ、「サティルフは世界徴兵によって他の世界から第七世界に渡った者を表している」と説かれていたことにより、この争いは激化の一途を辿った。そして、事態はいよいよ聖伐軍内での死傷事件にまで至ってしまう。


 このままでは王連合軍と戦うどころか、人類同士の殺し合いが始まるかもしれない。さすがに危機感を覚えた五世界の教団は会合を開き、一つのルールを設けた。

 各世界から1人のソラリハが出てくるように、各世界で擁立ようりつする勇者も1人とする。その者たちを『勇者候補』としてナイト級に配属し、訓練や任務に当たらせる。その結果いかんで正式なサティルフを決定する、としたのだ。

 

 この時に勇者候補とソラリハは2人で一組と見做す考え方が生まれ、各世界で 『縁結の儀エーロス』という儀式が執り行われる切っ掛けとなった。

 

 それ以前における勇者候補とソラリハの関係は非常に不純なものだった。女神の予言にある《勇者は乙女たちと共に平穏の世を見守り続ける》という一節から、ソラリハとはサティルフにかしずく者とされ、複数の勇者候補が輩出できる時代では、ソラリハはその者たちの間を自由に行き来できた。なんとなれば、任務の達成や討伐数などでナイト級での地位が変動するため、当時の最も有力な者に鞍替えできるが必要だったのである。


 しかし、勇者候補は一世界に1人、と決められたことで、その緩さはむしろ邪魔になった。そこで誕生したのが『縁結の儀』という、勇者候補とソラリハが結ぶ、2者のパートナーシップを築く儀式だ。


 ソラリハは、縁結の儀を交わした勇者候補をサティルフとするべく、全力でサポートする。

 なにより、ソラリハが他の勇者候補と特別な関係に陥らないように。自分たちが選んだ勇者候補と絆で縛り付けたい……という、権力者たちの偏狭へんきょうな意図。

 そうした大人たちの打算の末に成り立つパートナーという関係は、今や婚礼や夫婦の意味として捉えられつつあった。


 勇者に関する協定が結ばれてから早数十年。多くの勇者候補やソラリハが出てきては死に、また新たな世代が生まれ、何事も成せぬまま死んでいく。

 しかし、無駄死にではない。彼らの経験や知識、技術は確実に蓄積され、次の世代の武器となる。その繰り返しで人類は徐々に追い詰められていきながらも、聖伐軍はより強く、より精鋭化していった。


 そして、現在。フロンズ聖伐軍の主戦力であるナイト級を率いるは、歴代最強の勇者候補と称されるライゼン=リージャマタ。


 そのライゼンを打ち負かした、新規入隊者の勇者候補レンヤ=ナナツキ。

 

 そして、もう1人。新規入隊者の中にはソラリハがいる。

 レンヤと同じく、第六世界ゴルドランテからやってきたフィオライト=デッセンジャー。

 

 ソラリハとしてレンヤを健気に支え続けるパートナーにして、ミヤビと将来を誓い合ったの幼馴染である。

 


 

 

 


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