第3話 アンテレナ=カーマインの憂鬱



 すれ違う人たちから向けられる軽蔑の視線に耐えながら、ミヤビが行き着いたのは工廠二階の奥に位置する部屋。この工廠を取り仕切るマルク=サンクリングの工廠長室である。

 

 ドアの前に立ち、ノックしようとミヤビが手の出した時、男女の話し声が聞こえてきた。見れば、ドアが少しだけ開いており、声は室内から漏れている。

 

 先客がいるのだろうか。不躾に入室して会話を遮ると怒りを買う恐れがある。あまり気乗りはしないが、ミヤビはドアから離れ、部屋の窓から内部の様子をうかがうことにした。

 

 「悪いな、いきなりやってきて。無理難題を押し付けて」

 「水臭いこと言うなよ。オレとアンナの仲だろう?」


 中にいたのはマルクと、数人の取り巻き。それと対するのは、癖のついた長い赤髪が特徴的なグラマラスな美女。その人には見覚えがあった。第二世界サカムツキのソラリハ、アンテレナ=カーマインである。

 

 聖伐軍にとって重要なソラリハの1人。そんな女傑がどうして工廠長室を訪れているのだろうか。

 自然、ドアの隙間から漏れてくる声に意識が向く。

 

 「よかったよ。正直、あまりに急だから断られると思ってたからね」

 「まあ、確かに急な話だがね。でも、それで訓練生たちの身を守れるのなら、そのくらいお安い御用さ。……オレに出来ることはサポートくらいだからな」

 「……くらい、だなんて言わないでくれよ。アンタたちには本当に感謝してるんだ。マルクたちがいなかったら今頃あたしは…………はぁ、」

 

 何かを言いかけて、アンテレナは崩れ落ちるように近くのソファに腰を落とした。言葉にも覇気が無いし、理由は知らないがかなり疲れているようだ。

  

 「おいおい、大丈夫か?」

 「ああ、すまないな……最近、ほとんど寝てなくてね。ライゼンがほら、まだほとぼりを冷ましてないからさ」

 「まだ怒ってんのか? はぁ~……レンヤくんに負けたことを相当、根に持ってるみたいだな」

 「ああ。だから自室にも帰れなくてね……ここんトコはずっと資料室で寝てるよ。半分、家だな。もはや」

 「それじゃあろくに休めないだろう? せめて、どこか空いてる部屋にでもな……」

 「いやぁ、住めば都だよ、あそこも。それに、訓練生の講習用の教材を整理するのにもちょうどいいしね。まあ、指導役を任せられた以上、泣き言なんて言ってられないさ。なんたって半年であいつらを一人前の軍人に育て上げなきゃならないからねぇ……」

 「ああ……上の連中も無茶なこと言うよな。本来なら新規入隊者の訓練期間は一年間の行程でやるはずなのに、それを今期は半年でやらせようとするなんて……」

 「それだけ今の聖伐軍は人手が足りない、ってことさ。人の命を消耗品のように考えてるようで腹立たしいが……上層部の連中はあたしに耳を貸さないからね。まあ、命令されたからにはやるしかない。あたしに出来るのは訓練生を鍛え上げ、この過酷な世界をなんとか生き抜いてもらうことだけだ。そのためならあたしは鬼でも悪魔でもなるさ…………その結果、憎まれることになろうともね」

 

 寂しげな声で話を締め、アンテレナはソファから立ち上がった。

 

 「それじゃあさっきの件、よろしく頼んだよ」

 

 マルクに手を振り、アンテレナはドアに向かって歩き出す。

 やばい、と思ったミヤビだったが、時すでに遅かった。どこかに身を隠す前にドアが開き、廊下に出たアンテレナに見つかってしまった。

 

 「ん? アンタは……」

 「どうした?」

 

 足を止めたアンテレナを不審に思ったマルクが部屋から顔を出す。そして、彼女と同様にミヤビを目にして、納得するように頷いた。

 

 「ああ、ミヤビじゃないか」

 「ミヤビ……ああ、そんな名前だったな。去年、いろいろとやらかした問題児……そうか、ルーククラスに配属されたんだったな。で? そんなヤツがなんでここに?」

 「オレが呼んだんだよ。ちょっと頼み事をしててな」

 「頼み事? こいつに?」

 

 アンテレナが怪訝な顔付きになる。工廠の長たるマルクが、工廠のはみ出し者であるミヤビに依頼することが信じられないようだ。

 

 「ああ。昔はいろいろとあったかもしれないけど。今は普通に働いてくれてるよ」

 「……皆が参加しなきゃいけない会議に顔を出さないとか、部屋に引きこもって何をしてるか分からないとか、そういうのがたまに耳に入ってくるんだが……」

 「んん~~……まあ、問題点も無きにしも非ずだけど、そういうのはゆっくり直していけばいいんだ。これからだよ。なあ?」

 

 マルクはアンテレナから庇うようにミヤビの前に立ち、彼の肩を抱き寄せる。その際に付け添えたウィンクは、彼の気安い性格の表れなのか。

 それを見受け、アンテレナは呆れるように嘆息した。

 

 「アンタも大概、甘いねぇ……。まあ、アンタがそこまで言うなら、これ以上あたしは何も言わないさ」 

 

 そして、アンテレナはミヤビを睨み付ける。

 

 「感謝しなよ、マルクのような上司がいてくれることに。日頃から世話になってるんだろ? そうでなくても今までさんざん周りの人に迷惑かけてきたんだ。その分、真面目に働いて少しでも恩返しするんだな」

 

 叱るような口調で告げ、最後にマルクに一言添えた後、アンテレナは踵を返して颯爽と歩き去っていった。

 その背中に軽く手を振っていたマルクは、ミヤビの肩に腕を回したまま工廠長室に引き返す。

 

 「離れろ」

 

 そして、ドアを閉めた途端である。自分から引き寄せたはずのミヤビを、マルクは強く突き放した。

 あまりに突然のことだったため、ミヤビは床に倒れてしまう。うまく手をついてなければ顔面をぶつけていただろう。

 

 「いつまでも引っ付いてんじゃねえよ気持ち悪い。ってかさ、タイミング悪すぎ。客が来てんだからもう少し遅れて来いよ。そのせいでアンナに、オレとお前が仲良し、みたいな印象与えちゃったじゃん。ざけんなよマジで」

 

 ゴミを払い落とすかのようにミヤビが触れていた胸元を手で叩きつつ、マルクは倒れたミヤビを跨いでソファに腰掛けた。その後ろに佇む取り巻きの2人組は、倒れたミヤビをニヤニヤと眺めるばかりである。

 

 誰にでも分け隔てなく優しく、工廠の現場責任者という立場でありながら偉ぶることもなく、むしろ人が嫌がる作業を進んで行う人格者、マルク=サンクリング。彼を知る者は、口を揃えてその菩薩のような品位を称賛するだろう。

 

 しかし、それが彼のであることは、ほとんどの者が知らない。選民思想に基づく不遜で陰湿な本性を知る者は、気心が知れた友人(取り巻き)と、ミヤビのみである。

 

 とは言え、その差別的思想は、現在の世相に通ずるものでもあった。突き詰めると〝女神に選ばれし者〟というステータスである。



 それは、フロンズ聖伐軍にある四つの役職に起因する。


 一つが【ナイトクラス】。王連合軍との戦闘や要所の防衛などを行う聖伐軍の主戦力。

 一つが【ビショップクラス】。アマミラ教の聖職者として様々なまつりごとを取り仕切る宗教組織。

 一つが【ルーククラス】。『想生獣ガルディアンズ』から採取した素材などで様々なアイテムを開発・製造する技術者集団。

 一つが【ポーンクラス】。農業や畜産業、いろんなサービス業を営む一般人たち。


 

 聖伐軍に入隊した者はこれら四つの役職に振り分けられるのだが、そのうち、個々として強い力を持つナイト級やビショップ級は、女神セルフィスの恩恵を授かった者と見做され、尊敬の対象になっている。伝承でソラリハが《女神に祝福されし乙女たち》と称されたことにならい、彼らは〝女神に選ばれし者〟と表現されていた。

 

 一方で、力が無い者。能力はあるが実戦では役に立たない者や、怪我や病気などで戦力外と見做された者はルーク級やポーン級に回されることになる。それでもルーク級はまだ、ナイト級のサポート役という地位を確立することができた。

 

 しかし、ポーン級はそうはいかなかった。戦う力が無いから農業やサービス業をやらされている。それが彼らに対する〝女神に選ばれし者〟たちの認識であり、やがて〝女神に愛されなかった者〟と呼ばれ、愚弄されるようになってしまった。

 

 無論、戦時中において、兵糧の安定的な供給は重要である。それを一手に引き受けるポーン級は決して見下していい存在ではない。

 しかし、戦場で命を削るナイト級や、アマミラ教の使徒であるビショップ級が実権を握る現代では、どうしても歪な力関係が正義になってしまう。

 

 そうした選民思想が、今の世界には蔓延している。ミヤビが虐げられているのもきっと、人間のそんな弱さのせいだろう。皆、この鬱屈した世界の底でストレスをぶつけられる場所を求めているのだ。自分より劣る者を見つけて安堵する。そのようなヒエラルキーの最下層に追いやられた人間は、ルーク級だけではなく、他の三つのクラスにもいるという。

 

 だが、大多数の人間が持つその思想とマルクのそれは、根本的に違っている。大多数の人間が精神的安定を求めているのに対し、マルクは純粋に弱者を甚振りたいだけなのだ。選民思想はそのための方便に過ぎない。

 

 そんな捻じ曲がった嗜好を持っているからこそ、マルクは善人の仮面を全うする。絵に描いたような優しさを振る舞い、誰からにも愛される存在になる。全ては、自身の本性を隠匿いんとくするために。


 そういう意味では、ミヤビはまさしくうってつけの人材だった。マルクとは真逆の、誰からにも嫌われる存在。仮に彼がマルクの残虐性を訴えたとしても、その声を真に受ける者は1人もいないだろう。

 

 だから、マルクはミヤビをルーク級に置いている。決して逆らわない奴隷として。自分の都合で遊び、壊れたらすぐに捨てられるオモチャとして。そのために職務評価を捏造し、ギリギリの点数を与えてルーク級に辛うじて留まらせている。

 

 そうした自分本位の行為が、実はミヤビの理想を叶え、結果的にWin-Winの関係を築いていることなど、彼は露とも気付いていない。

 






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