第2話 七つの世界 6人の王



 それの正体がなんなのか。明言できる者は1人としていない。ある日、脈絡もなく世界に現れた。

 それは、自然災害のような理不尽さ。……あるいは、社会構築の過程に生じた軋轢あつれきに端を発する一揆いっきのような必然さ。

 

 とにかく、それは突然、人々の前に現れた。そして、人類が築き上げた既存の社会の条理を、不条理を以て否定し始めた。

 

 どこから生まれたのかも。どういう思想を抱いているのかも。どこへ向かおうとしているのかも。全てが謎のまま。

 唯一つ、その目的だけは明確だった。


 人類の根絶――血塗られた指針を掲げて、その者は躊躇無く人々に己が力を振るった。その威力たるや百の人を一瞬で消し飛ばし、一つの村を更地に変えた。

 

 もちろん、人々は立ち向かった。が、その者との実力差はまさに人と蟻。例え何千という多勢で挑もうと、その者が一度、攻撃を行えば、1人残らず肉塊に変わっていく。

 人を探し、見つけては殺し、また探し始める修羅の道。気付けば、死体と血で埋め尽くされた大陸に存在する者は、たった独り。歩き始めてから32日後の事だった。

 

 大陸から逃げおおせた人々は、その地を支配する原住民に、保護と警告を兼ねてその者の脅威を説いた。己の恣意しいを押し通し、絶対的な力でそれを成立させてしまう。彼らがその者を『おう』と呼んだ理由は、それ以外に適当な名称を思い付かなかったからだ。

 

 王の存在は瞬く間に周辺地域に広まっていった。しかし、だからといって人類が王の討伐に動いた、といえばそうではない。村という少数共同体が専らだった時代、侵略や防衛のために派遣される軍隊のような組織は無く、人知を超えた存在に対して、人々に残された手段は唯一神に祈ることだけだった。

 


 果たして、その祈りは見事に報われることになる。



 女神セルフィス。あらゆる願いが叶う楽園より世界を見守りし創生の主。人々の願いを聞き届けた彼女は、王が支配下に置いた、その者を別世界に隔離した。

 

 こうした神の御業みわざにより、人類は平和を享受することができた。しかしそれは、人類史にありがちの、時代の相中あいなかに生まれた小康期間に過ぎなかった。

 

 世界が切り離されてから一年も経たずして世界は争乱に見舞われた。始まりは限りある資源の所有権を求めての村同士の争いである。時を経て、国が出来れば貧富の差による迫害と、それに反旗を翻した者たちの暴動。やがていくつもの国が乱立する群雄割拠の時代になると、戦争の炎は瞬く間に世界を焼き尽くした。

 

 あらゆるものは灰へと変わり、それは天に昇って雲を作る。そうして世界に悲しみの雨が降る度に、冷たい水の底から新たな王が這い出てきた。その都度、女神は王を世界ごと切り離し、それを繰り返すこと計六回。


 今や世界は七つの小さな世界に分断され、その内の六つをそれぞれの王が統治している状態になっている。そして、人類の根絶という共通の目的を持つ六王は連合を組み、七つ目の世界に逃げ込んだ人類に対して宣戦布告をした。

 

 王連合軍という未曽有の危機に直面した人類は、それに対抗するための軍隊、フロンズ聖伐軍を結成し、生き残りを賭けた戦いに明け暮れている。

 

 

 ――これが、現在、人々に伝えられている世界の歴史である。

 

 

 それが真実なのか、そうでないのかは定かではない。人類が七つ目の世界に逃げ込んでおよそ100年。当時を知る人間はおらず、文献もほぼ残っていない。過去を知るには、絶望と殺戮の運命に翻弄される人々が決して絶やさずに守り続けた宗教の神話や伝承に、その残滓を見るしかなかった。

 

 それこそが『アマミラ教』。女神セルフィスを崇拝することが王連合軍に抗う唯一の手段であると説く宗教組織である。この思想は人類の共通認識となり、神話や伝承は多少、形を変えて、史実として受け入れられている。現実として世界は七つに分かれていて、人類は王連合軍に脅かされているのだから、今さら女神セルフィスを疑う者は皆無だった。


 故に、そのもまた、人々に信じられている。



 ――人の世に未曾有の危機訪れし時、時空の彼方より1人の男、現る。その者、女神に祝福されし乙女たちと絆を結びて力を解き放ち、世界を覆う闇を払うだろう。そして、勇者は乙女たちと共に平穏の世を見守り続ける――




 アマミラ教に古くから伝わる、女神セルフィスが詠んだとされる詩。人類が未来に直面する危機と、その勝利を祝したものとされる、ただの伝承でしかなかったそれが今、改めて注目を集めていた。

 

 後に〝女神の天啓てんけい〟と呼ばれるその神託しんたくが人心を統一させ、アマミラ教を精神的支柱から人類の進むべき善導ぜんどうへと昇華させたのは疑いようのない事実である。

 そして、人類を勝利に導くとされる勇者を『サティルフ』、女神に祝福されし乙女たちを『神祝者ソラリハ』と定義し、サティルフを見つけ出すことが現在のフロンズ聖伐軍の軍政方針となっていた。

 

 そのために軍は人類皆兵制度を施行している。第七世界アースレディアを除く六つの世界はそれぞれの王によって支配されているが、全ての人類が死滅させられたわけではない。『聖域』という女神から守護された土地を築き、細々と生活を営んでいるのだ。

 人類皆兵制度とは、第一世界アマニチカイを除いた五つの世界を対象とし、15歳になった者を徴兵する制度である。そして、徴兵された者たちが集う場所こそ第七世界、すなわちフロントーラなのだ。

 

 今年度もまた、世界徴兵が行われた。今日よりおよそ二週間前のことだ。第五世界からの新規入隊者を乗せた船が襲われるというトラブルに見舞われたものの、それ以外の入隊者を無事に中央司令基地に迎えることができた。

 

 「今期は当たり年だ」という言葉が工廠内で聞かれるようになったのはその頃からだ。戦士として優れた素質を持つ者が例年よりも多く、しかも第六世界からはソラリハが送り出された。

 

 なにより、勇者と見込まれる候補生がいること。

 

 王連合軍との長い闘いによって疲弊し、劣勢に追いやられている人類にとって、久しく訪れた朗報。人々が色めき立つのも無理はなかった。

 

 工廠もこれからますます忙しくなるだろう。今期入隊者は現在、訓練生として毎日、厳しい特訓に明け暮れている。その中には自分用の武器アルニマを求めて工廠を訪れる者も出てくるはずだ。

 武器を含めたあらゆる機器の開発・整備等をつかさどる工廠の人間と、戦場に出る兵士の関係性は深い。特にアルニマを主戦力としている兵士にとっては死活問題であるし、制作側にしても、自身が手掛けたアルニマを使った兵士が活躍すれば、それは評価に繋がる。そのため、優秀な兵士と専属契約を結ぶ者も少なくない。

 



 「まあ、俺には関係ない話だが、な」

 

 大量のゴミを詰めた袋の口を固く結びながら呟き、ミヤビは一息ついた。

 

 整理しようと並べれば、床一面を埋め尽くさんばかりの廃棄物。全てを分別し終える頃には、工廠は始業時間をとっくに迎え、部屋の周囲は大勢の人気に満ちていた。

 作業音の中に混じる、男たちの笑い声や靴の音。ものづくりという共通の職務で繋がる人々は、それ故に仲が良く、ケンカのような威勢の会話や下品な冗談で工廠内は実にはなやぐ。

 

 だが、そんな和気藹々の空気は飽くまでミヤビの部屋の外の出来事。好きこのんで彼と関わろうとする者など皆無だ。外との接点があるとすれば、時折、小窓からゴミが投げ捨てられるくらいか。

 

 ミヤビにこの広い作業部屋が与えられたのも、ひとえに厄介者を誰とも関われない奥の部屋に閉じ込めたかったからだ。ミヤビもそれを理解しているから、なるべく誰とも会わないように、出勤は始業時間よりもずっと早い時間帯を選んでいる。

 

 このような嫌われ者。

 大勢から敬遠され、雑用を押し付けられている人間に仕事を依頼するような好事家こうずかなどいない。ましてや、専属などあり得ない。

 


 とはいえ、仮にそんなもの好きがいたとしても、ミヤビは仕事を受け付けるつもりは毛頭ないのだが。

 


 どんなに過酷な処遇を課せられようとも、フロンズ聖伐軍の一員という立場にしがみついているミヤビだが、だからといって軍に貢献しようという気は欠片も無い。もっと言えば、人類の絶滅とか王連合軍との戦争とか、正直どうでもいい。

 

 たった一つ。

 他でもない、自分自身に誓ったたった一つの想い。それを成し遂げるために、ミヤビは自分が出来ることを精一杯やろうと決めていた。

 

 現在の待遇は、むしろ願ったりと言える。誰も関わってこない環境は、ミヤビに目標達成のための研鑽けんさんに没頭する時間を与えてくれる。そのための代償が侮蔑と屈辱ならば、安いものだった。

 

 そうして、ミヤビは毎日を過ごしている。皆がまだ夢の中にいる早朝に出勤し、それから終業時間まで部屋に引きこもり、粗方あらかたが寮に戻ったのを見定めてから帰路に就く。

 

 スッと現れ、気付くとすでに消えている。存在感が希薄で、いるのかどうか分からない。

 そんなミヤビを人々は不気味がり、つけられた渾名が『旧寮舎の亡霊』。

 

 酷い言われようだな、と思いつつも、言い得て妙、という感想を、初めて聞いた時に抱いて自嘲したミヤビである。

 

 「おい、亡霊」

 

 そうして今日も誰とも関わらないように籠っていた部屋のドアが突然、荒々しくノックされた。ミヤビが「はい」と応えると、不機嫌な声がドア越しから続く。

 

 「マルク工廠長がお呼びだ。さっさと行け。分かったな?」

 

 そう一方的に告げた声の主は、返事を待たずしてそそくさと歩き去ってしまった。

 

 「はいはい……いま行きますよ」

 

 離れていく足音が完全に消えた頃、ミヤビは溜息混じりに言い、作業台の上にある布で保護した二つの包みを抱えて部屋を出ていった。


 

 

 

 

 

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