第一章 どうして無力な少年は戦うことを選んだのか

第1話 夢に消えた未来



 ――だから、待ってて。


 

 灰色の世界の中、少女の声が響く。



 ――わたしはあなたのことを忘れないから。絶対に、あなたのところに帰ってくるから。


 

 2人だけの花畑の式場。

 交わされる蔓の指輪。


 

 ――その時は、今度こそ本当の結婚式をしよう!


 

 そして、小鳥がついばむようなキス。

 愛も恋も、誰かと共に歩くという意味も、何もかもを知らなくて。

 ただ、彼女の笑顔を見ているだけで、自分はここにいてもいいんだと感じていた。

 


 ――約束だよ……ルナちゃん。


 

 「――フィオ……!」

 

 離れていく彼女の笑顔を抱き寄せたくて、必死に手を伸ばす。

 だけどこの手が誰かの温かさを感じることは無く、恋しい笑顔はカビの生えた天井にいつの間にか変わっていた。

 

 「…………はぁ、はぁ……」

 

 見慣れた天井が、全ては夢であったと明確に告げている。そこは甘い匂いに溢れた花畑ではない。僅かに生ゴミの異臭が漂う、衣類や生活用品、そして何かしらの素材・部品が乱雑に置かれた汚部屋……ルナサノミヤビの私室だった。

 

 「…………また、あの夢か」

 

 掲げていた右腕を下ろし、ミヤビはベッドから起き上がる。熱くもないのに全身が寝汗でずぶ濡れだった。この夢を見るたびにいつもこうだ。

 

 喉の渇きを覚えて、ミヤビはベッドから出て部屋の隅に設置されている台所に向かう。

 

 その途中にあるのは、三段式のチェスト。天板の上にある蔓を巻いただけの指輪に飾られている花は、うの昔に枯れ果てていた。

 

 

 

 

 

 七つ目の世界『アースレディア』。世界の端から伸びる大陸の断片が全てであるこの地に春の風が吹き始めたのは、ほんの三週間前のことである。

 大地を覆っていた白銀は若々しい緑に栄え、動物や虫が活動を始める季節。大陸唯一の都市である『フロントーラ』もまた、新たな年度を迎えたことへの盛り上がりに活気づき始めていた。

 

 フロントーラは『中央司令基地』を中心に発展した軍都である。基地の敷地内には様々な軍事施設の他、所属する軍人が寝泊まりする寄宿舎も併設されている。その数ある寄宿舎のうち、ひときわ古めかしい建物から身支度を終えたミヤビが現れた。

 

 外は早朝の白さに際立っている。最近、温かくなってきたとはいえ、まだ星を微かに残す空の空気は服に沁み込み肌を冷やす。ミヤビは凍える体を丸めて歩き出し、いくつかの建物を外回りした先にある工廠こうしょうという大きな建築物の中に入った。

 

 早朝であるにも関わらず工廠内には作業している人がちらほらと見受けられた。入り口のロビーには2人組の男がソファに座って談笑していて、ミヤビを視認すると、彼らは煩わしそうに舌打ちしてさっさと立ち去ってしまう。


 なんとも失礼な態度だ。しかし、これが日常であるならいちいち腹を立てることも無い。ミヤビは玄関から出ていった2人を意に介さず、ロビーの受付の横に伸びる通路に入っていった。

 

 みっちりと連なる作業部屋の合間を走る通路を抜けて、辿り着いたのは一階最奥にある広い個室。ミヤビの作業部屋である。室内は足の踏み場も無いほどたくさんのゴミやガラクタで散らかっていた。初見ならば、仕事場をよくもここまでぞんざいに扱えたものだと、ミヤビの粗雑さに呆れかえるだろう。

 

 だが、この状態は決してミヤビの仕業ではない。ここにあるゴミやガラクタは、工廠に勤める同僚たちによってバラまかれたものである。部屋の壁には外側からしか開けられない蓋の付いた小窓があって、彼らはそこから作業の過程で出た不要物を投げ捨てていくのだ。

 

 ただ、その行為は単なる嫌がらせによるものではない。……いや、その気も多少はあるのかもしれないが。

 ここ、工廠は、想生獣ガルディアンズという特殊な生態の動物から採取された素材を用い、『アルニマ』という武器や装置を製造する建物である。物資が何かと不足している現在では、製造の過程で出た素材の余りを鑑定し、リサイクルできる物とできない物で分けなければならない。その作業が実に面倒なので、それらを一まとめにしてこの部屋に捨てていく――要はミヤビに押し付けているのだ。


 「今日もまた大量だな……」

 

 蟻塚のようなゴミの山に溜息が零れる。これから始業時間を迎え、工廠が本格的に稼働すれば、ゴミの投棄はどんどん増えていくだろう。そのことについて、彼らは恐らく罪悪感の欠片も抱いてないはずだ。

 

 それくらい自分は皆から嫌われている存在だと、ミヤビは自覚していた。全ては自ら蒔いた種だ。入隊した当初から他者との交流を避け、自分の都合で軍紀を乱し、上官に逆らって同期たちの足を引っ張り、行き詰まれば感情的になって当たり散らす。そんなことを続けていれば人が寄り付かなくなるのも当然で、孤独はますます深まるばかり。今やもう、ミヤビに好感を持って接してくれる者は1人もいない。


 だから、この状況はむしろ有り難いことだった。例え、面倒事を一手に背負う役回りだって。自分には利用価値がある、という存在意義になるのだから。

 

 大勢が一つの枠組みの中で動く時、必ず一定数のが出てくる。それに明確な条件は無い。些細なきっかけで誰もがその役に追いやられ、理不尽な日常を強いられる。

 本来は正すべき悪習であるはずなのに、組織が体制を維持していくためにはそのような掃き溜めが必要になってくるのだ。感情を発散させる場所。共通の敵。「みんなもやってるから」という自己弁護で良心を包み、一緒になってそれを踏み躙ることで人間関係はより強固に、より円滑に構築されていく。

 

 そんな人の弱さが今のミヤビを繋いでいる。だからこそ、生きていける。

 

 素材の残りどころか、生ゴミや食べ終わった弁当の容器なども混じるようになってきても。

 ただそこにいるだけでわらわれ、近くを通っただけでさげすまれた目で見られることになっていても。


 不満は漏らさない。ひたすら従順に与えられた役目を遂行する。そうしている限り、自分がここから追い出されることはない。

 

 ミヤビは必死だった。必死に今の立場にしがみついていた。


 でも、それは単に見返してやりたいとか、見直してほしいとか、そんな自分に回帰する目的ではない。

 

 ミヤビには夢があった。夢、というよりも願望。いや、執着というべきか。

 とにかく、叶えたい未来があった。守りたいものがあった。そのためにここから追い出されるわけにはいかなかった。


 

 フロンズ聖伐せいばつ軍。

 からアースレディアを侵略しようと企む『王』たちが率いる連合軍と戦う、人類唯一の希望。

 

 

 人類は今、絶滅の危機に瀕している。 

 

 

 

 

 

 

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