第136話 平民街でデートです

※ここに「第107話【番外編】互いの呼び名 1/3」「2/3」「3/3」が挟まります。

https://kakuyomu.jp/works/1177354054892933006/episodes/1177354054894776501




 ある日、お茶の時間にミリアが報告を終えると、アルフォンスが顔を強張こわばらせた。


 何かまずいことを言っただろうかと、心配になる。


「リア……明日、王都に出ませんか」


 何の脈絡もなく言われた言葉に、ミリアは一瞬何を言われているのかわからなかった。


 まだ愛称呼びに慣れていないというのもある。意識がそこに集中してしまって、肝心の中身が頭に入ってこない。


 今、王都に出ないかって言った?


 王都に出ると言っても、寮から出なかった引きこもりの学園時代と違って、ミリアは王宮に住んでいるわけではない。毎日別邸から王宮まで王都の中を移動しているのだ。


「ええと……?」

「嫌ですか?」


 どういう意味かと思って聞き返そうとしたミリアに、アルフォンスがさらに問う。


 嫌とかいう前に、何を聞かれているのかわからない。


「どこであってもお供します。私と一緒に休日を過ごして下さいませんか?」


 ここまで聞いてようやく、ミリアはアルフォンスに出かけようと言われているのに気がついた。つまりはデートのお誘いである。


 なんで急に?


 その理由にはすぐに思い至った。


 カリアード領に行った時のことがあって、ミリアはアルフォンス……というかカリアード家に相応しくないという声が大きくなっているのだ。


 当のアルフォンスとしては――いずれ解消するつもりにしても――それまでの間は解消の噂が立つのは良くないと考えたのだろう。


 ここらで一発仲が良い所を見せておきたいわけだ。


 理由はなんであれ、一緒に出掛けられるのは嬉しかった。好きな人とのデートである。嬉しくないわけがない。


 明日も講師を呼んでの勉強の予定があったが、キャンセルしようとと思った。頑張っている自分へのご褒美ほうびということで。


 ただ、前の時のようなのだけは嫌だった。


「服飾店や宝飾店に行かないのなら」

「ええ、甘い物でも食べに行きましょう」

「なら行きます」

「よかった」


 ミリアがにこりと笑うと、アルフォンスが微笑み返してきた。




 次の日。


「どうぞ」

「ごめんなさい」


 馬車を降りる時に、当然のように差し出された手をミリアは断った。馬車のステップを一人で軽快に降りる。


 アルフォンスの深い緑色の瞳が曇った。


「なぜです?」


 不安そうに聞くアルフォンスに、ミリアはため息を返した。


「アル、ここは平民街です。不自然ですからやめて下さい」


 そう。ここは王都の平民街である。それも貴族街から離れている、ド庶民の生活圏だ。


 当然周りには平民しかいない。そんな中、馬車を降りるタイミングで優雅に手を差し出されては、目立って仕方がない。


 まあ、名門カリアード伯爵家の家紋付きの馬車で来ておいて今さらなんだけど。


 派手な装飾のない小型の馬車で来てはいたが、ぴかぴかに磨かれたそれはどう見ても貴族の馬車だ。


 しかも目の前の青年は超が三つくらい付くイケメンである。


 ただの平民でないことは一目瞭然いちもくりょうぜんだった。


 わざわざ平民用の服を取り寄せたはずなのに、アルフォンスが着ると上等な物のように見えてしまうから不思議だ。


 ミリアの方はと言えば、紺色のワンピースを着て、ピンクブロンドの髪を同じ色のリボンでハーフアップにしていた。


 レースの装飾がついていて、裕福な所のお嬢さんには見えるだろうが、貴族街に行くには少々勇気が必要な程度。つまり普通の街歩きの服装だった。


「そうですね。では歩くときもこちらでしょうか?」


 アルフォンスはまた手を差し出した。


「エスコートするのも不自然です」

「ですからこちらでしょう?」


 断ったミリアの手を、アルフォンスは取った。そして自分の手に乗せるのではなく、優しく握り込む。


「えっ?」


 驚いたミリアはびっくりして手を引き抜いてしまった。


 アルフォンスが困った顔を見せる。


「リア、私たちは婚約者です。そして、二人で街に出かけて来たのですから、これはいわゆるデートいうものではありませんか? そういう場合、平民は手を繋ぐのが自然なのでは?」


 ミリアと同じくデートだと思ってくれているのは嬉しかった。たとえ二人の仲を誇示するためだったとしても。


 アルフォンスがミリアの婚約者であることは確かだし、普通そういう男女は手を繋ぐものだろう。


 何も間違ってはいない。間違っていない、が――。


 アルフォンス様と手を繋いで歩くの? 私が? 嘘でしょ?


 三度みたび差し出された手から視線をアルフォンスに戻せば、微笑みを浮かべてミリアを待っていた。


「ええと、私たちが婚約していることは、ここの人たちにはわからないと思うんですよ。だから、別に手を繋ぐ必要はないのではないでしょうか」


 ミリアの容姿は中の上だし、この服装なら平民にしか見えない。この超絶イケメンと一緒にいたとして、婚約者だと思われる可能性は皆無だ。


 アルフォンスが眉をひそめる。


「ですがリアが私の婚約者であることはまぎれもない事実です。それに他の貴族がいないとも限りません。繋いでいないと不自然に思われます」


 思われないと思う。むしろカリアード伯爵家の嫡男ちゃくなんが、平民みたいに手を繋いで歩いている方がよっぽど事件だ。


「注目を集めてしまっているようですから、早く移動しましょう」


 言われて周りを見れば、確かにミリアたちは注目を集めていた。伯爵家の馬車の前でまごまごしているのだから、当然だった。


 ほら、とアルフォンスがかすので、仕方なくミリアはアルフォンスの手を取った。


 さっきよりも少し強く握られて、まるで今度は離さないと言われているようで、ミリアはどきりした。


 緊張で手汗かきそう……。

 

 冷や冷やしているミリアをよそに、横に並んで歩き始めたアルフォンスはとても上機嫌に見えた。平民街に来るのがそんなに楽しみだったのか。


 そうだよね。せっかくだもん。楽しんだ方がいいよね。


 ミリアは高鳴る鼓動はそのままに、アルフォンスとのデートを楽しむことにした。




「アルが刃物好きだったなんて知りませんでした」

「刃物好きと言われると語弊ごへいがありますが……。ナイフはつかさやの装飾が好きで集めています」


 ミリアたちは広場のベンチに座ってワッフルを食べていた。


 平民街こんなところでアルフォンスと並んで座っているなんて、変な感じだ。


「貴族街では宝石がついた物が多いので、先程の店には彫刻をらした物が多くて興味深かったです」


 アルフォンスが話しているのは、最初に寄った刃物店のことだ。ミリアの実家であるスタイン商会の大口の取引先で、頑固な親方が店主をしている。


 アルフォンスのリクエストで行ったのだが、アルフォンスはじっくりと吟味ぎんみした後に二本も買っていた。


「随分悩んでしまいましたが、リアを待たせることにならなくて良かったです」


 アルフォンスが悩んでいる横で、ミリアは親方と商会の仕事の話をしていた。


 まだ学園にいた頃に、スタイン商会が孤児院から引き取った子どもを徒弟として工房に入れてもらう契約をしていて、その子の現在の様子を聞いていたのだ。


 王宮に就職した今は他の従業員に引き継ぎ、報告は受け取っていたが、直接話が聞けて嬉しかった。


「仕事の話ばかりですみません……」


 その後立ち寄った他の店でも、結局ミリアは店員と商売の話ばかりしていた。


「どれも興味深かったです。私も会話に入っていけたらよかったのですが」

「いえいえ! 内輪の話ばかりしていたのが悪いんです。せっかくのデートなのに。――あっ」


 ミリアは自分で言った「デート」という言葉に反応してしまった。それを見たアルフォンスが嬉しそうに笑う。


「リアはデートだと思って下さっているのですね」

「さ、先にそう言ったのはアルじゃないですか」

「ええ。私はデートだと思っています」


 アルフォンスがミリアの髪を一筋取って口づけた。


 ちょっ。


「そういうのは、平民はしません!」

 

 赤面したミリアは、アルフォンスの手から髪を奪い取った。


 アルフォンスがきょとんとミリアを見る。


 かと思うと、口元に手を当てて、そっぽを向いてしまった。


「すみません。やりすぎました」


 やりすぎました、じゃない!


 そういうことをされると勘違いしそうになるからやめて欲しい。


 ミリアはアルフォンスと婚約はしているが、それは政略的な意味合いのものだ。アルフォンスはミリアを王宮に入れて自分の部下とするために求婚をした。


 ミリアはそれをわかっていて、それでもアルフォンスといたくて婚約を受けた。


 だから勘違いをしてはいけないのだ。アルフォンスはミリアを想ってくれているわけではない。利益があると考えただけだ。


 アルフォンスはミリアが必要だと言ってくれた。平民として、商人の娘として生きてきたミリアを。


 だけど、それだけだ。


 そしてミリアはそれだけでいいと思っている。


のどが渇きませんか? 飲み物を買ってきます」


 アルフォンスが、気まずさを振り払うようにして言った。その視線の先には、果実水を売っている屋台があった。


「私も行きます」

「いいえ、リアはここで座っていて下さい」


 アルフォンスは腰を上げかけたミリアを制止して、一人で果実水を買いに行った。


 その背筋の伸びた姿勢のいい後姿を見て、やっぱり平民街には馴染めていないな、と笑ってしまう。


 と、ミリアの視界に、麻袋をかついだ青年が映った。ふらふらとおぼつかない足元で広場の脇を歩いている。


 危なっかしいなと思っていると、青年は大きくふらついて、肩の上の麻袋をどさっと落とした。


 ミリアはさっと立ち上がり、しりもちをついた青年の元へと駆け寄った。


「大丈夫ですか?」

「ああ、すまない」


 青年は真っ青な顔をして、額に汗が浮いていた。


「おい、どうした?」


 後ろから、同様の麻袋を担いだ男がやってくる。


「ちょっとつまずいた」

「顔色が悪いな。戻っていろ。代わりに誰かよこしてくれ」

「わかった」


 青年はふらふらと壁に手をつきながら元来た方へと戻って行く。


 男は青年の分の麻袋も担ぎ上げた。


 両肩に乗せて少し重そうではあるが、荷運びは慣れているのだろう。ミリアは商会の従業員たちを思い浮かべた。


「嬢ちゃん、ありがとな」

「ううん、私は何も」


 ミリアが首を振ると、男は片手を軽く上げて去っていった。


「リアっ、何かありましたか!?」


 アルフォンスが果実水を両手に走ってきた。


「いいえ、大したことじゃないです」

「ベンチにいなかったので何かあったのかと思いました」

「ごめんなさい」

「リアが無事だったのならいいのです」


 こんな所で何かあるわけないのに。


 心配性だな、と思う反面、貴族ならどこであっても身の危険を警戒していないといけないのかもしれない、とも思った。


 ミリアはアルフォンスと連れ立ってベンチに戻った。


 買ってきてもらった果実水を飲みながら、今あったことを話す。


「そろそろ次に行きましょうか。どこにしますか?」


 一通り話し、果実水を飲み終わったのを見計らって、ミリアは立ち上がり、アルフォンスへと手を伸ばした。


 アルフォンスがその手を握る。その手の温かさがじんわりと伝わってくるのが嬉しくて、口元が自然とほころんでしまう。


「リアが行きたい所はないのですか?」

「少し歩きますが、貴族街寄りの方へと行ってもいいでしょうか」

「もちろん」


 アルフォンスがふわりと笑った。その瞳にはミリアが映っている。


 それで十分だ。


 この幸せを大事にしよう、とミリアは思った。



 * * * * *



 帰りの馬車の中で、向かいの席に座るミリアを眺めながら、アルフォンスは幸せに浸っていた。


 断られる覚悟で誘ってみてよかった。


 カリアード領でのことの埋め合わせをしたいと考えていたが、高価な贈り物は受け取ってもらえない。


 思いつくのは甘味かんみしかなかった。


 しかし、毎度お茶の時間には用意しているのである。これ以上のものをとなると、どこかに食べに行くのが最適だ。


 行き先には平民街を選んだ。高級な物でなくとも、きっと喜んでもらえると思った。


 前回のような、ミリアを着飾りたいという自分勝手な行動はとらないと誓った。


 今日のミリアはリラックスしていて、ずっと楽しそうだった。貴族街だと少し窮屈そうにしているのだ。


 特に最近は、監査長補佐という役職の重さからか、常に気を張っている様子が見えた。


 場所に不慣れな自分がリードできないのは不甲斐なかったが、ミリアは全く気にしていないようだった。それどころか、アルフォンスを案内できるのも嬉しそうだった。


 それに――ミリアと手まで繋げた。


 恋人同士の平民は手を繋ぐものなのだという。


 ミリアは気乗りしないようだったが、最終的にはアルフォンスの希望を聞き入れてくれた。


 愛称で呼び合い、恋人同士のように振舞う。仮初かりそめであっても、心を通じ合わせた関係のように過ごせた。


「アル、これ、本当にありがとうございました。家にたくさん手紙を書くので、とても嬉しいです」


 ミリアはアルフォンスが贈った便箋びんせんを手に、満面の笑顔を見せた。


「喜んで頂けたのならよかった」


 ミリアが望む物なら何であっても手に入れる気でいるのに、ミリアは何も要求してこない。


 便箋も、ミリアが買おうか迷っていたのを、アルフォンスから贈らせて欲しいと言ってやっと受け取ってもらったのだ。


 これは自分の一方的な想いだ。


 ミリアがアルフォンスの求婚を受けてくれたのは、王太子妃になりたくなかったから。


 エドワードでさえなければ、ミリアは恐らく誰でもよかったのだ。同じタイミングで求婚したジョセフでも、ギルバート王子でも。


 アルフォンスを選んでくれたのは、卒業パーティの会場に戻りたくなかったのと、すでに両家の承諾を取っていたことで一番面倒がないと考えたからなのだろう。


 アルフォンスはそれでもいいと思っていた。


 ミリアが自分を想ってくれていなくてもいい。隣に立つことを許してくれて、その笑顔を向けてくれるのなら。


 この幸せを大事にしよう、とアルフォンスは思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る