第135話 だしにされました

 数日後、ミリアは午後のお茶の時間にローズと共にいた。


「ミリア様はこの時間、いつもアルフォンス様とご一緒しているとお聞きしておりますが」

「はい。毎日お仕事の報告を兼ねてお茶をしています」

「その割には……」


 ローズがミリアの手元を見て眉を曇らせた。


「その割には?」

「アルフォンス様が、ミリア様の仕草しぐさひどさをご指摘なさらないのだなと思いまして」

「うっ」


 ミリアは思わず自分の胸を押さえた。


 改めて酷いと言われると言葉が突き刺さってくる。ローズがミリアの事を思って、あえてオブラートに包まない言い方を選んでくれているのがわかっているから、なおさらグサッときた。


「アルフォンス様なら、もっと厳しく指導なさると思っておりました」

あきれ果ててるってことですよね」


 ミリアは、はぁとため息をついた。


 学園でエドワードのお茶会に出席していた時は、アルフォンスはミリアに厳しい視線を向けてきていたのだ。


 それがある時から急に感じなくなったかと思うと、今ではそれを通り越し、微笑まれる始末。


 くどくどと小言を言われていたあの頃、そこまで酷くはないだろう、と思っていたが、今ならわかる。貴族の方々は本当に仕草が綺麗だ。それを綺麗だと感じさせない程に。


 礼儀作法は学んだ。そういう意味でのマナーならできている。だが、それだけでは足りないのだ。動作の一つ一つが洗練されていなければ、淑女とは言えない。


「呆れているというよりは……」


 ローズはミリアをじっと見つめて言葉を濁した。金色の睫毛まつげに濃く縁取られた真っ青な目がミリアを映し出す。


 その迫力に気圧けおされたミリアが少しだけ上半身を引くと、ローズはふいっと一瞬目をそらした。


「アルフォンス様にもご指導をお願いしてはいかがですか?」

「それは嫌なんです」


 アルフォンスなら徹底的に教えてくれるだろうが、このままでは婚約解消されそうだから淑女教育を頑張りたい、なんて言えない。


 理由を言わないにしても、今さら情けなさすぎる。知られずに密かに勉強したい。


「ローズ様にはお手数おかけしますが」

「構いませんわ。お気持ちもわかります」


 ローズが優しく微笑んだ。


 自分でお願いしておいてなんだが、未来の王妃様に助けてもらえるのは大変ありがたいことだ。余すことなく吸収しなくては、と手に力が入る。


「細かい仕草は積み重ねですから、そのまま継続して頂くとして、情報収集に入りましょう。貴族世界を渡り歩くには、何よりもまず情報が大切です」


 情報の必要性はミリアにも十分すぎる程わかっていた。


 商売は情報の有無が生き死にを決めるといってもいい。インターネットがなく情報の即時性がない分、情報を手に入れる速度が物を言う。


「ですから今日は、詳しい方をお呼びしています。そろそろいらっしゃると思いますわ」


 ちょうどその時、サロンの扉がノックされた。


 現れたのは――。


「ジェフ!」

「ミリア!?」


 ――ジョセフ・ユーフェンだった。


 近衛騎士の制服は、きたえられた体によく似合っている。黒髪がえていて、理想の騎士様そのものだった。


「ローズ嬢に呼ばれたと思ったのに、なんでミリアが?」

「わたくしもおりますわ」


 ジョセフがミリアしか見えていないような発言をしたので、ローズが呆れたように声を上げた。


「おっと、失礼、ローズ嬢。気がつかなかったわけじゃない」


 ジョセフは一瞬だけ真剣な顔をしてローズに詫びた。そしてミリアを見て破顔する。


 卒業式で求婚されて以来、ジョセフとは何度かお茶をする機会があったから、あれきりというわけではない。


 だが、多少の気まずさはあった。いまだにジョセフが、冗談交じりにせよ、自分に乗り換えないかと言って来るものだから。

 

 今も自分への好意が垣間かいま見えて困る。自意識過剰ではないと思う。


「ローズ様、これはどういうことですか? ジェフが来るなんて聞いてないです」


 ミリアはこそっとローズに文句を言った。


「顔を合わせにくいのはわかっておりますわ。ですが、アルフォンス様の隣に立つ以上、ジョセフ様との交流は避けては通れません。今のうちに適切な距離感をお測り下さいませ」

「それは、そうですけど……」

「それに、この役目にはジョセフ様が最適なのです」


 ジョセフがミリアの隣に座ったので、内緒話はここで終了した。


 すかさず使用人がジョセフの分のカップを用意する。


「ジョセフ様には、ミリア様に社交界での最新情報をレクチャーして頂きたくお呼びいたしました。ジョセフ様はお暇でしょう?」


 暇なわけがない。エドワードの近衛騎士の中でも最も近しい人間なのだから。常にエドワードの側にいなければならないはずだ。


「暇とは辛辣しんらつだな。確かに時間はあるけど」

「え? 忙しくないの?」

「エドが執務室にいる間は近衛が複数いるからな。自由になる時間は結構あるんだ。執務をしなくなった分、学園にいる時よりも楽なくらい。訓練はきついけど」

「そういうものなんだ」

「そ。そういうもん」


 ジョセフが紅茶のカップに口をつける。


「で、ミリアに社交界での噂を教えろって? 別にいいけど、なんかあったのか?」

「ミリア様は次期伯爵夫人としての自覚をお持ちになったのです」


 ローズが涼しい顔をして言うと、ジョセフは顔をしかめた。


「ミリアはそのままでいいと思うけどな」

「そうは参りませんわ。カリアード家にお入りになるのですから」

「アルが何か言ったのか?」

「いいえ、ミリア様ご自身のご希望です」

「ミリアはそのままでいいと思う」

「ですから、ミリア様はいずれカリアード伯爵夫人となるのでから、相応の淑女レディになる必要があるのだと申し上げております」


 自分のことなのに、ローズとジョセフだけで話が進んでいく。なぜか二人の間には火花が散っていた。


「俺もそんなに詳しくないぞ。最近は遊ん――交流してないから」


 絶対今「遊んでない」って言いかけたよね。


 ミリアはじとっとした目でジョセフを見た。


「いや、ほんとだって。大人しくしてる。女性と二人で会ったりしてないぞ」


 ミリアの目を疑いの視線と思ったらしく、ジョセフはミリアに弁解した。

 

「そんなことはどうでもいいのです」


 ローズがすぱっと流れを切った。


「令嬢方とのお付き合いがなくとも、ジョセフ様のところには情報は集まってらっしゃるでしょう? 騎士団団長として、ユーフェン伯爵は噂には目を光らせておりますもの。夫人もけてらっしゃいますわ」

「それがそのまま俺に流れてくるわけじゃないぞ」


 ジョセフはそう言ったが、ローズは沈黙でもって答えた。暗にジョセフの言葉を否定している。


 実力主義派のユーフェン伯爵がジョセフを通してエドワードを支援していることは、自分も知っているのだと言っているのだった。


 ローズといいアルフォンスといい、社交界の情報といえばジョセフ、というのは鉄板のようだ。


「まあ、ミリアの頼みだって言うなら協力するさ」

「お願いします」


 肩をすくめて言ったジョセフに、ミリアは頭を下げた。


「ではさっそく――」


 ローズがにこりと笑った。


 あ、これぶっこんでくるやつだ、とミリアは身構えた。


「――リリエント嬢の現状を」

「ぐっ」


 予測できていなかったジョセフが、紅茶を吹き出しそうになってむせる。


「いきなりそれかよ」

「あら。今社交界で最も大きな関心ごとですわ。ジョセフ様はご存じなのでしょう?」

「ローズ嬢は知らないのか」

「ええ、わたくしは存じ上げておりません」


 もしかして、自分はローズの情報収集のためのしにされたのではないだろうか。


 一瞬、なんだかな、と思ったが、協力してもらっているわけだし、ミリアには何も返せないのだから、文句は言えない。


「わかった。代わりにローズ嬢も何か出してくれよ」

「もちろんですわ」


 片手で目を覆ったジョセフがため息をつき、ローズが晴れやかに笑って応じた。


「リリエント嬢は、アルがミリアと婚約したショックで寝込んでいることになっているが、実際は隣国で婿むこ探しをしている」

「王国ではもう良縁は望めませんものね。なぜアルフォンス様との婚約を解消したりしたのかしら」

「リリエント嬢がアルを試そうとして解消を持ち出したというのが有力だが、真相は謎。アルも何も言わないし」

 

 ミリアは帝国の皇子クリスが関わっていることを知っているが、もちろん口には出さない。


「それが本当のことだとしたら、浅はかすぎますわ。アルフォンス様にもカリアード家にも婚約を続けるメリットなんてありませんもの」

「そうなんですか?」


 ミリアはアルフォンスがリリエントを愛しているとまで思っていたのに。


 思わず上げた言葉に、ローズとジョセフは目を丸くした。


「カリアード伯爵とミール侯爵は部下と上司という間柄ではありますが、婚約の成立時はいざ知らず、伯爵はすでに王宮内で地位を確立しています。別のポジションに移ることもできますわ」

「家同士で見ても、カリアード家はミール家の後ろ盾を必要としていない。むしろ、リリエント嬢を一族に加えることのデメリットの方が大きい」


 そんなに酷いのか。


 わがままで高飛車なのは知っているが、家格が上の令嬢を迎えることよりも大きいデメリットとは一体何なのだろうか。


 リリエントのことをあまり知らないミリアには、ぴんとこなかった。だが、アルフォンスも、再婚約はあり得ないということを吐き捨てるように言っていたので、相当なのだろう。


「その後がミリアだとは思わなかったけど……」

「そうですわね。まさかアルフォンス様がミリア様に求婚なさるとは思いませんでしたわ。寝耳に水です」

「アルの方は裏で進めていたみたいだけどな」


 ジョセフには悔しそうに、ローズには意外そうに見られて、ミリアは小さくなるしかなかった。


 婚約者にと望まれた理由が、アルフォンスの婚約者という地位に見合っていないことは、ミリアが一番わかっている。分不相応なことも。


「それはそうと、ミール侯爵が隣国と繋がりを持つというのも厄介ですわね」

「相手によってはな」


 話が不穏な方向へと向かっていったが、この話はここで終わった。それ以上話を深める材料がなかった。


「次はわたくしから。何がよろしいかしら」


 ローズが、あごに指を当て、目線を上に向けた。




 交代の時間だからと言ってジョセフが退出するまで、ジョセフとローズは非常に濃い内容をやり取りしていた。


 下手をすれば国を動かせてしまえるのではないのだろうか。ほにゃらら子息は最近秘密裏にカツラを入手した、という些細ささいなことでさえ、使い方によっては大きな影響をもたらす。


 横で聞いているだけのミリアは冷や冷やしていた。


 学園で仕事のときにアルフォンスが出してきた国家予算しかり、この秘密の会合しかり、なぜお貴族様方は重要事項をミリアから隠してくれないのだろう。


 いくら情報収集が大切だからと言っても、こんなことまで知る必要はないと思うし、知りたくなかった。


 最終的に、ミリアへのレクチャーは定期的に行うことになっていた。二人はこの場を使って、互いの情報交換をするつもりなのだ。やはりミリアはいいように使われているのだった。


 だが、ミリアとて、ただで使われる気はない。


 どこまで商会じっかに報告しようかと、頭の中で情報を整理し始めていた。

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