第137話 それが本性ですか?

 翌日、ミリアはお茶の時間をローズと一緒にいた。


 カップを傾けながら、デート中のことを思い出して顔が緩みそうになるのを何とかこらえていた。


「――でしょう」

「え?」


 記憶の中浸っていたミリアは、ローズの言葉を聞いていなかった。


「そろそろ次の段階に進んでもよろしいでしょう、と申し上げました」

「本当ですか!?」

「ミリア様……」


 ローズがため息をつく。


「ごめ……申し訳ありません。本当でしょうか?」


 ついつい出てしまった粗い言葉遣いを改める。


 だが、ローズが浮かべた微笑みを見て、うじうじした気持ちはは吹っ飛んだ。


「三日後、お茶会を開きます。ミリア様もどうぞいらして下さい」


 綺麗な笑顔なのに、背筋がぞくりと冷える。


 ローズはミリアに試験を課そうと言うのだ。これまで学んできたことを実践しろと。


 よろしい、と言ったのは、ハロルド家のお茶会に出席しても恥ずかしくない程度には成長した、という意味である。


 学園時代に招待されたお茶会のことを思い出して、ミリアは気が遠くなった。


 我ながらあれは酷かった。


 ……と、今ならわかる。


 つまみ出されなかったことが不思議なくらいに。


 ミリアは野蛮人やばんじんにしか見えなかっただろう。


 学園で見慣れていた生徒ならともかく、学園卒業組は何事かと思ったに違いない。


 それでもローズの顔を立て、ミリアに不快感を取られないように振舞っていたのだから、やはり貴族はすごい。


「ご招待ありがとうございます。楽しみにしておりますわ」


 ミリアは丁寧に頭を下げた。




 何言ってるのか全然わからない……。


 五人の令嬢を前に、ミリアは冷や汗をかいていた。


 場所はハロルド邸の中庭。


 ミリアはローズ主催のお茶会に参加しているのだ。


 最初は、参加者についての知識を思い浮かべながら、なんとかなると思った。


 妹が最近婚約したことも、敵対している娘の婚約者が平民と駆け落ちしたことも、母親が出入りの商人にご執心であることも、ちゃんと知っている。


 地雷を踏まないように気をつければやり過ごせるだろう。


 ……そう、思っていた。ここに来る前は。


 最初は順調だった。


 社交界の噂や、婚約者の自慢話。流行のドレスや最後の舞踏会のこと。


 ミリアは振られた話題にも綺麗な言葉遣いでそつなく答えていった。


 口調も仕草もまだまだだとは思うものの、彼女たちに近づいているという実感が持てた。


 だが、次第に雲行きが怪しくなっていく。


 今話されているのは、ミリアの最も苦手な分野――芸術についてだった。


 画家の名前、作品の名前、技法。


 どれもこれもわからない。


 唯一わかるのは、売り手と買い手の名前だけだ。貴族の名前は、おおやけにされていない庶子に至るまで、真っ先に頭に叩き込んである。


「ミリア様はデルルトの作品では、どれが最もサルナートの影響を受けていると思われますか」


 隣の令嬢が話しかけてきた。


「えっと……」


 学園の講義を必死に思い出す。


 だが、デルルトが画家で、サルナートが彫刻家であることしか記憶にない。


 代表作は、なんだっけ……?


 ローズを含めた五人がじっとミリアを見つめている。


「ええっと……」


 ミリアが何も言えないでいると、令嬢の一人がころころと笑いだした。


「嫌ですわ。デルルトが影響を受けたのはセナートです。サルナートはデルルトよりも後の時代の彫刻家ではありませんか」

「そうでしたわ。わたくしったら、お恥ずかしい」


 質問した令嬢は、口に手をあてて、ふふふっと笑った。


 試された――。


 ミリアは恥ずかしさに顔を赤くさせた。


 作品名を答えるのではなく、それを指摘しなくてはならなかったのだ。


「デルルトと言えば――」


 口を開いたのはローズだった。


 ミリアはすがるような目でローズを見た。


「――先日のオークションでメイグ伯爵が『月夜の舟』を落札したそうですわね。ミリア嬢はあの価格は妥当だとお思いになりますか?」

「え……」


 ローズは薄く微笑みながらひたとミリアを見ている。


「わたくしもミリア様の見解をお聞きしたいわ」

「価格についてはお詳しいでしょう?」

「何と言ってもミリア様のお父様はスタイン商会の会長様ですものね」

「さあ、お答えになって」


 期待に満ちた――ように見える――瞳がミリアに向けられる。


 落札された絵画の値段なんて知らない。


 そのオークションの参加者や、最も高額な落札品と落札者なら知っているが、絵画のことは何も知らなかった。


 ミリアは観念した。


「私、絵画のことにはうとくて……」

「まぁ!」


 言った途端目を丸くした令嬢が大きく声を上げた。


 びくりとミリアは肩を震わせる。


 ローズを除く四人がくすくすと笑った。


 何を笑われているのかわからないミリアは、羞恥しゅうちに震えた。


「ミリア様、『月夜の舟』は絵画ではなく、花瓶かびんですわ。デルルト唯一の」


 ローズが目を細めてにこりと笑った。


 それから先、令嬢たちはミリアをいない者のように扱った。


 主催者のローズの態度から、ミリアの扱いを決めたようだった。


 時折ローズが気を遣うようにミリアに話を向けてくれるが、ミリアはそのことごとくをはずした。


 そのたびにくすくすと笑われる。


 楽しそうに笑っている仮面の下で、ミリアを嘲笑ちょうしょうしているのは明らかだった。


 無知を笑われるのは、貴族らしくない、アルフォンスに相応ふさわしくないと言われるよりも、ずっと心にこたえた。


 ミリアは勉学はできたし、ここにもそれなりの知識をたずさえてやってきたつもりでいたのだ。


 これまでは嘲笑わらわれても、住む世界が違うのだから、いつか平民に戻るのだから、と頓着とんちゃくしてこなかった。


 だがミリアは、アルフォンスの隣にいたいと願ってしまった。


 それが身のたけに合わない願いなのだと突きつけられる。


 ローズも、呆れてため息でもついてくれればいいものを、にこりと笑って訂正するだけで、その内心はうかがえなかった。


 いつもの気さくな感じは欠片もない。

 

 あのローズ様は演技で、これが本当のローズ様なんじゃないの……?


 膝の上で手を握りしめ、悔しさに唇をかみしめるミリアは、ローズのことがわからなくなっていた。


 悪役令嬢、という言葉が頭に浮かんだ。


 ミリアをおとしめるためにこのお茶会を開いたのではないか、とまで思ってしまう。


 涙が出そうになったところで、お茶会はお開きになった。





 次の日の昼は、ローズとジョセフに会う約束だった。


 ローズと顔を合わせるのが気まずかったミリアは、ローズから今日は行けないという言伝ことづてを受け取って、ほっとしてしまう。


「浮かない顔だな」


 サロンに現れたミリアを見て、ジョセフは眉を寄せた。


「使用人は置いておくけど」

「違うの」


 自分と二人きりになるのを嫌がったのだと思ったジョセフに、ミリアは首を振る。


「昨日の茶会?」

「知ってるんだね……」


 ジョセフは申し訳なさそうに眉を下げた。


 ミリアは使用人がそそいでくれたティーカップに口をつけた。


「あの人選じゃ無理もない」

「だよね。気がつかなかった」


 ローズが集めた令嬢たちは、みな芸術に造詣ぞうけいを持っていた。


 家族に絵画を集めるのが趣味の者がいたり、複数の芸術家の支援をしているような家だったり。


 知識ばかりを詰め込んでいたミリアは、その繋がりに気がつかなかった。気づいていれば、まだ心の準備もできただろうに。


「参加者をローズ嬢にたずねなかったのが敗因だな」

「はい」


 聞けばローズは教えてくれたかもしれない。


 秘密だと言われたとしても、それはそれで心構えができただろう。


「芸術は教えてこなかったからな。そっちはアルの方が詳しい」

「知ってる」


 アルフォンスは芸術が得意だ。というか、不得意なものがない。苦手なのは小動物くらいだ。


「アルに聞けばいいのに……っていうのは無理か」


 ジョセフが苦笑した。


 アルフォンスに協力をあおげるなら、ミリアだってとっくにそうしている。


「アルのためだって言えば、喜ぶと思うけど」


 ミリアは首を振った。


 淑女しゅくじょになろうとしていると聞いてアルフォンスが喜ぶとすれば、婚約者の見栄みばえがよくなるからだ。アルフォンスのためだからじゃない。


 アルフォンスの婚約者でいたいがためにやっているのだから、あながち間違いではないが、婚約者としての体裁を保つためなのだとは思われたくなかった。


「カリアード家の人にも認めてもらいたいの」


 領に行った時の待遇。


 ミリアにとっては居心地がよかったとしても、本来ならばあり得ない扱いだ。


 ここでミリアがアルフォンスの力を借りたからといって、離れた領にいる彼らにわかるわけもなく、そしてアルフォンスを頼ることはちっとも悪いことではない。


 だが、自分の力でなんとかして一矢報いっしむくいたいという気持ちがあった。


「何かあったのか?」


 さすがにカリアード邸の中のことまではジョセフにもわからないらしい。


 ミリアは使用人にされたことを愚痴ぐちった。


 だんだんとジョセフの顔が曇っていく。


「ミリア」


 急にジョセフが真面目な顔をした。


「俺を選んでくれないか。ユーフェン家に入るなら、こんなことはしなくていいし、そんな扱いもさせない。そのままのミリアでいてくれればいいんだ。ミリアならみんな歓迎するよ。貴族だの平民だのとうるさくいう奴はいない。身分なんて馬鹿げていると思わないか?」

「それを次期伯爵様が言ったら駄目でしょ」


 ミリアは笑ってその話を終わりにしようとした。


 だが、ジョセフはさらに食い下がる。


「本気で言っているんだ」

「ジェフ……」


 ミリアは困った顔をした。


「私は、アルフォンス様が……アルが好きなの」


 ジョセフは痛みをこらえるような顔をした。


「そんなにはっきりと宣言されたのは初めてだな」

「ごめんなさい」

「いや、いいよ。悪いのはいつまでも未練を引きずっている俺の方だ」


 ジョセフは目を閉じて、ふーっと息をついた。


「実は、俺に婚約の話が来てる。迷ってたけど、受けるよ。今度は不誠実な真似はしない」


 政略結婚でいいの、とはミリアには言えなかった。ジョセフの想いにこたえることはできないから。


「――では、ミリア嬢、本日の講義を始めましょうか」


 晴れ晴れとした顔で気取って言うジョセフに、ミリアは微笑みかける。


「よろしくお願いいたしますわ、ジョセフ様」

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