Ep.50: エンドゲーム

50.1 『今、僕は君たちの仲間に見えてるだろうか?』

 ベリルの宮殿で、ツインズ・コーマの右側が目覚めるのより少し前。


「あの黒い力が何なのか――私たちにも判らぬ。ヴォイドの力か、魔力なのか、おそらくはその両方だ」


 コーマは、彼の軌跡を振り返るなかで、その力についても語っていた。

 黒い力――それはミハエラにとっても関心事のひとつではある。

 ただ早く彼らの計画について聞き出すほうが優先度が高かったため、そのときは軽く流してしまった。

 その後間もなくコーマの右側が起床し、錯乱することになる。だからミハエラの判断は結果的に正しかった。


「確かなことは、主にヴォイドの力を使っているということだ。ただしその才の発現には魔力も影響している。死地を経て、強い魔力をようする者であれば、あちら側・・・・で力を得て戻る。――生きてこちら側へ戻る信念があれば」

「ヴォイドの発現であるなら――あの力を使い続ければヴォイドはいずれ消滅する――と?」


 ミハエラがそう訊くと、コーマは小馬鹿にしたようなわらいを浮かべた。


真逆まぎゃくなのだお嬢さん。ヴォイドの力は負。負債だ。強大だが、使えば使うほどに――ヴォイドを膨張ぼうちょうさせる結果になる」


 思わず耳を疑う。

 ミハエラはそこだけは軽く流すことはできなかった。

 使えば使うほど増える負の力。シンプルで、しかし信じたがたい力。

 なるほど、それは確かに無限に見えて無限大ではない。この宇宙は有限なのだから。


「使用者の中にヴォイドが? あなたのように?」

「使用者の中ではない。勇者は、私たちのヴォイドであの力を使役している。つまり」


 ゾディアックの実験でそれは確認できた。

 魔力が介在してじ曲げた相互作用。その隙間に、ヴォイドは生まれる。

 ――魔力がもたらしたエントロピーの増加の裏に存在する仮想の力。

 それこそアレスタが、過剰な期待を寄せた理由だ。

 熱力学第二法則ザ・セカンド・ロウを打ち破るかも知れない唯一の存在。それがヴォイド。


「七勇者に与えた力は、使うほど私たちのヴォイドを増やした。私は、負債のように積み上がるヴォイドを押さえるため、相応の魔力を常に消費し続けなければならなかった」


 つまり魔力のエントロピーを増やすことなく、対消滅させることが必要ということか。

 なんということだろう、とミハエラは眩暈めまいがした。

 浪費に等しい。

 彼自身の魔力タンクには、穴が開いていたも同然である。




***




 先ほど、浮遊要塞が何かにぶつかったように激しく振動するのが確認された。

 音はなかった。

 フィレムの森の天文台から、ノートンに目視できたのだから確かだ。

 それから突如、その要塞は空中に停止した。

 丁度ポート・フィレムの真上である。

 ノートンは手持ちの小型望遠鏡を下ろし、ひたいに上げた眼鏡を戻す。


「まだ停止しております。ノヴェル君たちが――やったのでしょうか」


 望遠鏡がなくとも、もう島は手に取るような距離に見える。

 彼が見ていたのは島の上部、そこに見える木々の根や、崖だ。

 そこにノヴェルたちの姿を探していた。


「まだみたいです」


 答えたのは、リンだった。


「み、見えるのかい!? いえ、見えるのですか?」

「少し、ほんの少しです。距離が――まだ遠すぎるみたい」


 ゾディアックが顔を上げる。


「リンよ。上がどういう状態か判るか?」

「こっちから出してる魔力の中を、たぶん――逃げてるみたい。鉄の箱みたいなもので。でも――追われてる」

「ここに映し出せるか?」

「やってみる」


 そう言ってリンはテーブルの上にあったものを退け始めた。

 ここに、とすかさずノートンが大写しにした地図を広げる。

 そのとき、ノートンは気付いた。

 並んだメーターのうち一つが、減少を続けているのだ。


「クォルタネム様、そのメーターは一体なんでしょう」

「その呼び名はやめてくれんか。お主しかそう呼ばんもの」

「大賢者様、そのメーターは……」

「これか。これは、この星の魔力の総量・・

「――えっ!? も、もう殆どではないですか! 一パーセントもない!」

「慌てるな。計算値じゃよ。それも二百年前の統計にもとづく。アテにはならん」


 しかしノートンは気付いているのだ。

 迫りくる巨大な島に、先ほどから照射し続けている光――それが目に見えて弱弱しくなっていることに。


「慌てるなと言われましても――」


 テーブルの上に、おぼろげながら像らしきものが浮かび始めていた。

 光点らしきもの。

 南へ向かっているらしい。島の中央のほうだろうか。

 ――なんだかさっぱり判らない。


「皆様にはこの映像が、見えるのですか?」


 ノートンの問いに答える者はない。

 彼は勢い、その像の上で両手を振ってき消す。


「やめです! やめてください! こんなことに魔力を使っている場合ではありません!」

「うむぅ。孫がせっかく――」

「孫可愛いは結構ですが、今はこんなことをしている場合ではない! お忘れですか! この星に泉はここしかない! もしこの星の魔力が切れてしまったらどうするのですか! どうかしている!」


 それでもフィレムは「だいたいの場所が判りました」と言った。


「おそらく島の中央に向かっているのだと思います」

「そうですか。それはよかった」


 ノートンは苛立ちを隠せない。

 場所が判ったからといってどうすることもできまい。

 ツインズ・オメガは女神でも殺す。


「どど、どうするって。わた、わたしもす、少し、具合がそ、その」


 魔力の照射開始以来、フィレムとスプレネムは不安そうにしていた。

 スプレネムは顔色が悪い。少し水を浴びてくると言って下階へ降りた。




***




「おい、ノヴェル。どこへ向かってるんだ」


 ここはアレン=ドナ城南の平原だ。オレはイクスピアノ・ジェミニを飛ばし、更に南へ向かっていた。

 魔力炉――それがどこにあるのかオレにも判らない。

 でも、オレならきっと島の真ん中に設置すると思っていた。

 今、少しだけオメガとホワイトローズの追撃を振り切っている。

 振り切れるはずはない。

 オメガにはジャックたちがきっと島のどこに逃げても見えるし、ホワイトローズには全員が視認できる。

 オレは全力で走らせてきた車を停めた。


「二手に別れよう。オレはオメガを引き付ける。二人はホワイトローズを頼む」

「引き付けるって――お前はあいつから見えないだろ!」


 オレは、輝き続けるナイフを見せた。

 魔力に反応しているんだ。

 ホワイトローズの通信機を破壊して、今やマーカーはオレひとり。


「このナイフがあれば、魔力を反射してあいつに場所を知らせられる。オレは城に戻って、セブンスシグマを連れ出す」


 セブンスシグマさえ人質にすれば、オメガとも交渉の余地はあるかも知れない。


「――そうか」

「悪い手じゃねえ」


 ――めてくれないのか。

 行こうぜ、と二人は揃って車を降りた。


「お――おい! なんかないのか。『危険だ』とか『行くな』とか」


 二人は車の後ろに回り込んで、半開きになっていたトランクを開けている。


「そんなの今更だろ?」

「いや、そうだけどさ――」

「行くなって言っても、行くんだろ?」


 調子狂うな、と思っていると、ジャックがトランクから取り出したそれをオレに見せた。

 液体を満たした円筒形の、分厚いガラスでできた水槽。

 それは、セブンスシグマだった。


『やあ』

「ミラが裏から忍び込んで確保した。やるもんだろ?」

「まぁ、あいつらはお前に気を取られてたからな。楽勝だったぜ」

「ミラ――!」

「人質があればもう城に戻る必要はないな?」


 ジャックは、オレにセブンスシグマを渡すと真面目な表情になった。


「いいか。人質にしてもいいが――チャンスは一度。奴が応じなきゃそいつを殺せ。妙な温情は無しだ。これは姫さんの命令だ」


 セブンスシグマは、水槽の中で口笛を吹くような真似をした。


『まぁ、彼が説得に応じるなんてことはないというか――彼には、二人の人間が同居してるんだ。信用しちゃいけない』

「助言をどうも、元王様。さ、できれば車を貸してくれると助かる」

「ジャック、お前らは――」


 オレはセブンスシグマを抱えて車を降りる。

 入れ替わりにジャックが運転席に座って言った。


「俺たちはお前の作戦通り、ホワイトローズを始末する。任せろ」


 時計を見る。

 八時四十分。


「九時だ。あいつに魔術を照射してだいぶ弱らせたお陰か、この島はだいぶゆっくりになってる。それでも九時にはこの島はフィレムの森に着く」


 残り時間は――二十分。


「それまでにオメガと接触できないか、説得できない場合はその水槽を壊し、魔力炉を爆破しろ。後のことは考えるな。世界を守ったと思え」


 そうすれば島は墜落する。ポート・フィレムはぺしゃんこに潰れて、オレたちも助からない。

 でも奴らは宇宙へは行けず、太陽は無事だ。

 オレはやむなくうなずいた。

 ジャックが「健闘を祈る」と言って車を出したとき――気付いた。

 車の死角から、剣を抜いて飛び掛かってくるホワイトローズだ。

 オレは慌てて、トランクに飛び乗る。


「どうした! 二手に別れるんじゃなかったのか!」


 ジャックが運転席から顔を出した。


「もう遅い! 奴らが来た!」


 空に浮かび上がるオメガ。

 クソ――もうやるしかない。

 オレは輝くナイフを向けて、空のオメガを狙う。

 オメガは、出現させた黒いつたを残して、反射をひらりとかわす。奴がこちらへ向けて放ったつたを切断することはできた。


「飛ばせ飛ばせ!!」


 ホワイトローズが、人間離れしたスピードで迫る。

 オレは、ナイフの反射をホワイトローズにも浴びせた。

 すると奴は自分の眼と頭蓋ずがいを押さえてひるむ――奴の縫合ほうごう糸だ。縫合したばかりの糸を消せば、奴の頭はバラバラになる。

 でも奴ばかり構ってはいられない。上にはオメガが――。

 急に車が曲がって、オレはトランクの中を転がる。


「気を付け――」


 前を見ると、そこに蔦が出現していた。

 ジャックがそれを避けたのだ。

 蔦の本数は減っている。

 奴の力――ヴォイドを確実に削っているのだ。

 オレは、ナイフで魔力を空に跳ね返しながら、セブンスシグマの水槽を高くかかげた。


「オメガ!! 見えてるか! セブンスシグマはここだ! この車を壊したらどうなるか、わかるな!?」


 おどしが通じたかどうかは判らない。

 でも――奴は次の蔦を出さなかった。


『ノヴェル君! 後ろ!』


 再び車の後ろを見ると、ホワイトローズが手にした剣を放り投げた。

 それはオレの脇の下を通って、トランクの蓋、そして車のリアガラスを突き破る。


「大丈夫か! ミラ!」

「大丈夫だ!」

『ノヴェル君! あれを見ろ! 魔力タンクだ!』


 セブンスシグマが叫んだ。

 一瞬だけ、前方を見る。

 車の進行方向だ。

 平原の色がそこで変わっていた。

 緑の草地がぽっかりと荒れた砂地に変わっている。

 明らかに、別の土地をめ込んである。

 島の中央をくり抜いて、そこにストーン・アレイから分離した土地を嵌めたんだ。

 その土地の真ん中には暗い巨大な立坑たてこうがあって、周囲を大きく高いフェンスが囲っている。

 フェンスの向こうはコンクリート。中央には立坑。その穴のそばには場違いな建物。

 あれは天文台――それを流用した、実験施設だ。

 それはともかく、気になるのはその土地と、この平原との間の落差だ。


「――おい!! ちゃんと繋がってないぞ!?」


 嵌め込まれた土地は、くり抜かれた穴よりも小さい。

 ギャップがある。

 近づけばすぐに判った。

 そこは浮遊する島の中央の――更に浮島なんだ。

 オメガがこしらえた大穴の、その中に浮かんでいる。

 血の気が引く。

 谷だ。


「ジャック!! 谷だ!!」

「飛び越える!!」


 有無を言うチャンスはなかった。

 車は草地の地面を離れ――宙へ飛び出す。

 トランクの縁から下が見える。

 それは谷なんてものじゃなかった。

 底がない。

 島の中に島を、無理矢理くっつけてできた亀裂きれつだ。

 真下、はるか五百メートル以上も下に、懐かしのポート・フィレムが見える。

 ――ああ、故郷の街は上から見てもわかるもんだ。

 衝撃。

 サスペンションのクラッシュ音。

 車は激しく着地し、横滑りしながら減速した。

 オレは下から横からの衝撃にあおられて、叫び声ひとつあげることすらできずにトランクで転げ回る。

 そこへ――勢いよく、ホワイトローズが乗り込んできた。

 車を追っていた奴は、続いてギャップを飛び越えたんだ。

 奴はオレに馬乗りになる。


それ・・。ウチらのだから。返せ」

「降りろ!! 定員オーバーだ!!」

「何気に初めてじゃね? ちゃんとこうして話すの」

「や、やめろ――この!」


 オレはセブンスシグマを抱えながら、両足でホワイトローズを蹴り上げる。

 でも全然効かない。

 魔力の照射の中で、奴の頭の縫合は消えている。

 オレはその傷跡を狙って思い切り殴りつけた。

 頭蓋が浮いて、白い脳が見え――すぐにふさがる。


「うわああっ」


 殴っているはずのこっちが悲鳴を上げる始末。

 黒い糸は奴の体内を通って、内側から縫合を続けているんだ。

 ホワイトローズは上体を起こし、トランクの蓋に突き刺さったままだった剣を抜く。


「にしてもさ。やってくれたじゃん。あのヒトのこと」


 くそ――!

 オレは片手で、ホワイトローズの腹にナイフを突き刺す。


「うわああああっ」


 叫びながら、何度も突き刺す。

 ホワイトローズは血をだらだら垂らしながら、意にも介さない。

 そうだ。こいつには痛覚がないんだ。


「もー、死んで。楽になっちゃえ」

「セブンスシグマ――頼む!!」


 オレが叫ぶと、セブンスシグマは空気魔術を爆発させた。

 ホワイトローズが吹き飛んで、空中をくるくる回る。

 数秒走って、車が止まった。


「ノヴェル!! 大丈夫か!」


 ジャックが飛び出してくる。


「な、なんとか――ん?」


 オレはトランクから降りて、自分の腹がぐっしょり濡れていることに気付いた。

 血だ。

 でもそれだけじゃない。

 透明な、粘性の高い液体。

 セブンスシグマのケースにひびが入り、そこから中の液体が漏れていた。

 空気魔術を至近距離で攻撃に使ったせいだ。

 この水槽は、ホワイトローズとオレの腹に隠した宿帳の間に挟まれていた。


「セブンスシグマ!! 水槽が――おい! これは、ど、どうすればいい!?」


 オレはガラスの水槽を、額をつけるようにのぞき込み、幾分いくぶん生気を失った王の首と向かう。

 おい揺するな、とジャックが横から言う。


『ね――ねえ、ノヴェル君、ジャック君。僕たちは、まるで仲間みたいじゃないか? 今、僕は君たちの仲間に見えてるだろうか?』

「見える! 仲間だ! だから教えろ! どうすればいい?」

『まだ――大丈夫さ。それより僕は今、嬉しい。最高に、嬉しいんだ』

「ふざけんな! 死なせないぞ!」

『僕はずっと、こうなりたかった。ああ――』

「やめろ! まだ役に立ってもらうぞ! 死ぬんじゃない!」


 オレは、セブンスシグマをトランクにあったクッションで包む。

 後部座席に飛び込むと、それを「押さえていてくれ!」とミラに託し、座席の間からスイッチを押して車の屋根を収納する。


「車を出せ! 魔力炉はすぐそこだ!」


 車が走り出す。

 目指すは目の前に並んだフェンスの向こう――実験場の魔力炉だ。


「交渉の時間がない! セブンスシグマが死ぬ!」

『だ、大丈夫――僕が死んでも輝きはしばらく残る。うまく誤魔化してくれよ? もしバレたら――』

「やめてくれ! 喋るな!」


 オメガが追い付いてきた。

 オレはナイフの角度を調整して、オメガを狙うが――上手く反射できないのか、オメガは平然と追ってくる。

 魔力の反射角、強度。それが最大になる角度が見つからない。


「爺さん! もう少し上にくれ!」


 こっちも車で移動してるから難しいんだろう。でも頼む。無理でも頼む。

 掴まれ! とジャックが叫んだ。

 フェンスが目前に迫っていた。


『ブリタシアアカデミー私有地につき立ち入り禁止』


 と立て札がある。

 その立て札を弾き飛ばして、広々と並んだフェンスをなぎ倒しながら、オレたちは魔力炉に到着した。

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