49.4 「つ・か・ま・え・た」

「この戦い――どうなるのだろうな、ゾディ」

「なるようにしかならぬよ、チャンB」


 天文台の窓いっぱいに、既に浮遊要塞が見えている。

 ゆっくりであるが、こうしている間にも確実に近づいているのだ。

 ノートンが必死で調整を続けてはいるものの、位置が判らなくては強烈な魔力を浴びせることは難しい。

 それでも照射を続けた。

 あの空の島で、今も孤独に戦い続ける彼らの子孫の、助けになることを願ってのことだ。

 ノヴェルの祖父はゾディアックだけだが、広く言えばかつて彼らが守ったものは皆彼らの子孫も同じであった。


「そうだろうか。ワシは何か、変わるような気がしてならぬ。不確定要素というかな。仮にことわりに導かれたものではないとしても――ある要素が、不可能を可能にしてしまうこともある。量子ゆらぎの項のようにな」

「らしくないことを言うではないかこの歴史家かぶれめ。歴史の上では起こらぬことは起こらぬのだろう?」


 よせ、とチャンバーレインは恥ずかしそうにはにかむ。

 ゾディアックは、手にした小さな望遠鏡を逆さにのぞいてこう言った。


「――理論上、月は存在しないものだ」




***




 オレは逃げ回りつつ様子を見ていた。


「――来いよ!! 殺してやる!」


 オレの声が響く。

 セブンスシグマのハッタリが頼りだ。しかし如何せん、一時凌ぎだ。

 一度や二度ならともかく、何度も挑発して避けるだけじゃいかにも怪しく、そのうち底が知れるだろう。


(早く――早く魔力を照射してくれ!)


 オレの本当の心の声はそれだ。

 でも――照射は再開しない。

 魔力が尽きたか、それとも狙いが合わないのか。

 暴れ続けるツインズ・オメガの攻撃をくぐって、オレは壁に開いた穴からいったん外へ出た。


「爺さん! 攻撃はどうなってる!」

『――ノヴ――退け――別・ん波源――』


 ノイズが酷い。


「別の電波源!? そう言ったのか!?」

『――・イフを見ろ。反射――で・を狙――か?』


 ナイフを見ろ? 反射?

 そういえば、さっき照射中にこのナイフは確かに輝いて、反応を示していた。

 これもどうやらただのナイフじゃないらしい。


「爺さん! 攻撃は再開するんだな!?」

『――るが、一旦・れて――もしも・?・・・・・ ――を見・のだ。だがしか――聞こえま・かぁ?・・・・・・・・


 別人の声が混じった。

 リンでも女神でもない。

 知っているその声は――ホワイトローズだ。

『別の電波源』は――奴が持って行ったほうの通信機だ。


(気付かれた!)


「セブンスシグマ! 聞こえるか!? 一旦退く!」


 オレは誰もいない廊下の暗がりに向かって言った。

 セブンスシグマが、この宮殿じゅうの空気をモニターしていることを期待してだ。

 期待通り、暗がりは答えた。


「ホワイトが戻ってきたのかい? 判った。でも約束してくれ。必ず戻ってき――」


 言葉の途中で、廊下の壁が砕けた。

 無数のつたが、束になって飛び出してくる。

 それは、目の前の暗がりを完全に破壊して、ぽっかりと開いた明るい穴をひとつ残した。

 奴に気付かれた。

 オレは抜けてしまいそうな腰を叩き直し、慌てて走り出す。

 バタバタと足音が響き、息を切らせて――。


「ノヴェェェェェル!! 我にぃぃぃ何をした!!」


 後ろから蔦が伸びてきて、オレの足元の岩を砕く。

 頭の脇をかすめて前に飛び出したそれを、ナイフで切り落とす。

 ――奴にオレが見えていないのだけが救いだ。

 オレは走りながら腹から宿帳を取り出して開き、後ろを向く。

 逆向きに後退しながら、奴を見た。

 オメガの本体はすっかり廊下に出て、洞窟からい出る巨大な蜘蛛の脚のように蔦を使いながらこちらへ向かっていた。


「何をしたのだァァァッ!」


 人間みたいな口を利くじゃないか。

 瞬間、放射される魔力のビームが、上から下に奴をでた。


「ぐあああっ!」


 それはほんの一瞬掠めただけだったが、伸びた蔦――蜘蛛の脚の半分がちりのように霧散した。

 奴は崩れ落ち、石畳に体を打ち付けると表面の黒いおりわずかに砕け散る。

 心なしか、オメガが一回り小さくなったような――。

 チャンスだ。


『今のうちに逃げるんだ! ホワイトが宮殿のドアを開けた!』


 セブンスシグマの声がした。

 オレは再び走りだした。


『そっちから来る! 逆だ!』


 ――逆と言ったって。

 振り向けば起き上がろうとするオメガ。反対からは――。


「――あんた。これ何。何てことしてくれんの」


 ――ホワイトローズ。

 油断していたのか、剣は一本しか持っていない。


『窓から飛べ!』


 悩んでる時間はない。

 すきを見せたらやられる。

 オレは勢いよく駆け出し、廊下の窓に体当たりした。

 古い木枠を突き破り、められていた汚いガラスを砕いて――三階下の地面に背中から転がり落ちる。

 ――息ができない。

 明滅する意識を繋ぎとめ、自分で自分のほおを張りながら窓を見上げる。

 ホワイトローズは追ってこない。


「じ、爺さ――オレの通信機を切る。ホワイトローズは、オメガと一緒にいる! 照射を――続けてくれ!」


 通信機が複数あるのが問題なら、オレのほうを切ってしまえばいい。

 今ならこの手が使える。

 直後に、三階からオメガのうめきとホワイトローズの叫びが聞こえてきた。

 オレは四つんいになって呼吸を整える。

 とにかく、まずはここを離れよう。

 ホワイトローズから充分離れたら、通信もできるようになるかも知れない。

 がくがく笑うひざを押さえて立ち上がる。

 内郭インナー・ベイリーをゲートハウスに向かって中ほどまで進むと――背後の、宮殿の三階部分が崩落した。


「待て!! めろよ! この変な攻撃!! 殺してやる!!」


 崩落した土煙の中から響くのはホワイトローズの声だ。

 低く、太いうなりはオメガの声。

 ホワイトローズは、オメガの叫びから逃れるように耳を塞ぎ、そして叫んでいた。

 こっちも殺されるわけにはいかない。

 オレはまた走り出した。

 暗いゲートハウスを横切り、城を出る。


「待ちやがれぇっ!!」


 背後で、門扉が切断された。

 オレは森へ逃げ込む。

 周囲の木がずばずばと伐採され、倒れてくる。

 くそ――前と同じだ。

 前との違いは、朝であること。そしてオメガもいる。味方はなく、オレひとりだってこと。

 前は宵闇を走って橋へ出たが、オレたちが橋へ逃げるのはバレバレだった。

 待て。今は湖の水がない。

 別に橋を目指す必要はないんだ。

 オレは滅茶苦茶に走って、前は湖の島だった土塁モットの端を目指した。

 森を抜けた。


「どこだよ!!」


 ホワイトローズはまだ森の中だ。苛々している。

 オレはアレン=ドナ城の土塁から飛び、湖底の遺跡へと身を隠す。

 でも――振り返ったとき、空中を歩くオメガの姿が見えた。

 ダメだ。ホワイトローズから離れてしまった。

 オレは目算でおおよその距離を測る。

 全然正確じゃないが、二、三十メートル上ってところだろうと判断して、再び通信機のスイッチを入れた。


「爺さん! ダメだ! オメガが空に――マーカーから離れてる! マーカーの二十メートル上だ!」


 それだけ言ってスイッチを切る。

 廃墟の壁に背中をつけ、反対側まで移動してまた上を見る。

 すると奴は、空中をひらりと舞って魔力の照射をかわしているようだ。


(奴には目視できるのか。クソ!)


 考えてみれば当然のことだ。

 奴が自由に動ける限り、攻撃を続けることは難しい。

 再びスイッチを入れた。


「――ダメだ! 奴は城の外で、フリーだ! 躱され――。聞こえてるか! 爺さん! ノートンさん!」

「ノヴェルぅ~。あたしは無視かよ!」


 答えたのはホワイトローズだ。姿は見えない。

 声を聴くだけで心臓が縮み上がり、息が止まる。

 怖い。強い。異常だ。

 オレは湖底の遺跡の家々――廃墟から廃墟へ、窓やら壁の穴を通って逃げ続ける。

 床の代わりにヘドロが積もっていて、走るたびにグチャグチャと不快な音を立てる。

 屋外もそれは変わらない。

 身を低くしたまま、傾いた木の扉に体当たりし、もろくなった窓枠を崩し、更に隣へと。

 そうして辿り着いた一番端の廃墟の窓から、外を見た。

 もうすぐ湖底の果てだ。

 ここからはヘドロより砂利が増え、色も黒から灰色になって乾いた浅瀬になる。

 その先に、一台の車が見えた。

 湖の浅瀬が緩やかに続き、岸からすぐ尾根になったその上だ。

 ファンゲリヲンのイクスピアノ・ジェミニ34CV。

 ――しめた。あれが動けば距離を稼げる。

 稼いでどうするか? 爺さんたちと作戦を練り直す。それしかない。

 まずは車まで行かなければ――。

 オレは窓枠から外に出、念のため振り仰いでヘドロに埋まった廃屋の屋根を見上げる。

 そこに、ホワイトローズが立っていた。


「ビ・ン・ゴ」


 クソ――車に釣られた!

 ホワイトローズが剣を振り上げる。


「つ・か・ま・え・た」


 彼女は激しい怒りを無理矢理勝ち誇ったような笑顔に変えた。

 そのとき――銃声が響いた。

 ホワイトローズの頭が半分ほど薔薇のように咲き、血煙を噴いてよろめく。


「――アァ?」


 まさか。

 こんなところに。

 オレは振り向く。

 イクスピアノ・ジェミニの陰で、狙撃銃のレバーを起こすジャック。

 そして双眼鏡を覗くミラ。

 頭を半分失ったホワイトローズがグチャッとヘドロに落ちた。

 ――死んだのか?

 いいや、まだだ。

 奴の背中から出た数千本の黒い細糸が菌糸のように広がって、飛び散った頭蓋骨や脳漿のうしょうを拾い集めている。

 通信機だ。通信機を奪わなきゃ。


「この野郎! 返せ!」


 オレはホワイトローズの手から小型通信機を取り上げようとした。

 でも奴はそれを強く握り込んでいて、とてもじゃないが引き離せない。

 オレはナイフで奴の手の通信機を突き刺し、破壊した。

 ――ナイフがまた光っている。

 ホワイトローズの位置を狙った魔力の放射に反応しているんだ。

 上を見ると、銃声に気付いたオメガが、ジャックたちのいるほうへ体を向けていた。

 まずい。


「オメガ!! こっちだ!!」


 オレはナイフを上に向けて叫ぶ。

 このナイフは、魔力を鏡のように跳ね返す。

 ならば――。


「ぐぬぉっ!?」


 突然、思いもよらぬ方向からの魔力のビームを受けて、空中でオメガが身をよじった。

 オレが反射した魔力は、奴の出した蔦、そして本体を撫で斬りし、奴は真っ逆さまに落下する。

 廃墟の屋根をぶち破って、白煙を立てた。

 そのとき浮遊要塞全体が少し揺れたような気がした。

 鳥の群れが森から飛び立ってゆく。


「ノヴェル!! 早く! こっちだ!!」


 ジャックの声に導かれ、オレは走り出す。

 浜だったところの泥を跳ね上げ、イクスピアノ・ジェミニの運転席に飛び込んだ。


「ジャック、ミラ、乗れ!! どうしてここに!?」


 ジャックとミラがドアを開けて乗り込む。

 車の鍵は刺さりっぱなし。イグニッションをかけると、セルは回転するが内燃機がスタートしない。

 ホワイトローズが立ち上がった。

 頭部の修復はまだ不完全だ。


「ホワイトローズが立ち上がった! 少し荒っぽくいくぞ」

「グッロ――」


 荒っぽくいくぞとは言ったけど、肝心の車が動かなきゃどうしようもない。


「燃料は――あるのに! なんで動かないんだ!」

「落ち着け! どうせバッテリーだ!」


 ジャックは助手席の窓から手を出し、ボンネットの隙間から火魔術を撃つ。

 ボン! ――と小爆発が起き、煙とともにボンネットが開いた。

 ミラが「やりすぎだ」と怒鳴り、ジャックは慌てて開いたボンネットを押し戻す。

 内燃機がスタートした。

 オレはアクセルを全開、後輪を回せるだけ回してその場で車体を反転させる――が、地面が滑る。

 バックミラーに、ホワイトローズがこちらへ迫るのが見えた。


「掴まれ!!」


 オレはそう叫んで、ブレーキを離す。

 車は弾かれたように飛び出し、尾根から跳んで低木の茂る森へと突っ込んだ。

 すぐに低木は立派な木々になり、車はその間を高速で駆け抜ける。

 いや、オレが自分で運転してるんだ。『駆け抜ける』じゃない。駆け抜け続けなきゃならない。

 少しでも距離を稼いで立て直す。

 ジャックが横で、後ろを振り向きながら声をあげた。


「今のでオメガは死んだのか!?」

「ホワイトローズはまだあの黒い力を使ってる! 生きてる! ちょっと静かにしてくれ!」


 オレはステアリングホイールにしがみつきながらヒステリックに答える。

 森の木々を避けるので一杯一杯だ。

 ここいらの森は、木の育ちが悪いぶん密度が高い。


「ヤローが死ねばアレの力は消えるってのか!? 判るかそんなもん!」


 後部座席のミラが叫んだ。

 ジャックは助手席でただの愚痴を垂れる。


「まったくいい加減にしやがれ! あの力は一体何なんだ!」

「頼むから黙ってくれ!」


 どうにか森を抜けると今度は小屋だ。

 レッター・ラテファン村。

 小屋に突っ込んでどこかの家の納屋を通り抜ける。

 助手席で、ジャックは思い切り顔面をぶつけていた。


「シートベルトをしろ!」

「先に言えそういうことは!」


 バックミラーを見ると、今通り抜けてきた納屋が壁からバラバラと崩れ、屋根が落ちて枯草をまき散らしながら倒壊した。

 ホワイトローズだ。

 奴が復活した。


「オメガは!? オメガはいるか!」


 後ろの席でミラが双眼鏡を取り出す。


「――上だ! 畜生、しぶといヤローだ」


 レッター・ラテファン村の家々は、どういうわけか最初から壁に派手な穴が開いていた。

 オレはその中へ突っ込んで、減速を避けつつホワイトローズの視線を切る。


「ジャックとミラはどうやってここへ!?」


 助手席でジャックが答えた。


「気球だ! 飛びさえすりゃロープをこの島が引っ掛けてくれると思ったが、言うほど簡単じゃなかった! 乱流で死ぬ目に遭ったぞ!」

「じゃ、じゃあ今はもう――」


 気球はもしもの場合、ジャックたちが軌道上の『アグーン・ルーへの止まり木』から飛ばし、この浮遊要塞に引っ掛けて上陸する予定だった。

 つまりそれは、この島がもう最終防衛線を越えたということだ。

 ジャックは、冷酷な事実を宣告した。


「ああ! ポート・フィレムの真上だ! どうする! もうこいつは落とせないぞ!」


 ――。

 間に合わなかった。何のアイデアもない。

 奴を殺して、島を落とさない方法――無理だ。この島がどうやって飛んでいるのかもわからない。

 奴を殺さず、太陽の破壊を諦めてもらう方法――。


「奴の狙いは宇宙だ! このまま行かせてやるって手も――」

「ノヴェル、そいつはダメだ! 奴の目的はそれだけじゃない。世界そのものを巻き込むつもりだ! 太陽が無事でも、いつか宇宙のヴォイドを活性化させる!」

「やってみないと判んないだろ! 人質だ! セブンスシグマを人質にとる! それか魔力タンクだ!」

「やめろ! あのヤローが応じるわけねえだろ!」


 クソ――どうすればいいんだ。

 どうすれば――ポート・フィレムを潰さずに世界を救える?

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