48.2 「あいつはとんでもないクソ野郎だ! お前らはそれを知ってるのか」

 異界の赤黒い砂に腰まで埋まって、オレはイグズスを見上げた。

 身長四メートルの巨人は、こうして見ると元の世界で見るより遥かにデカい。


「でな、あっちだ。逃げろ」


 イグズスが片手で、軽々とオレを地面から引き抜く。


「イグズス――! お前――」

「早よぅ逃げろ。また来るぞ。ここじゃ、もう死んだ奴らはいくら殴っても死なねえし」

「イグズス! オレは――お前に謝りたかったんだ! 知らなかったんだ! 本当に――あんなつもりじゃ」

「わかってる」


 イグズス――。

 話したいことがあった。話すべきことがあった。

 オレは声を震わせながら、後ずさりする。

 そこへ――ソウィユノの黒い拳骨げんこつが降ってきた。

 イグズスはそれを、打ち上げたハンマーヘッドで弾き返す。

 ソウィユノは二十メートルほど離れたところから黒く、長い腕を繰り出していた。

 衝撃がそこまで伝わって、ソウィユノの本体がよろける。


「ぐぬ、イグズスよ。邪魔だてするつもりか」

「邪魔。でな、邪魔っていうけどよ。ガキ一人に何だ。寄ってたかって」


 言ってもわからぬか――とソウィユノは顔を伏せる。

 諦めたように黒い腕を引っ込め、消滅させたのだが。


「勇者でありながら勇者のことわりそむき、凡夫のみちを求める――強欲な」


 朗々と口上を垂れながら、奴はゆっくりと近寄ってくる。

 ソウィユノ! とオレは叫んだ。


「お前の言ってた『あのお方』って奴に会ったぞ! あいつはとんでもないクソ野郎だ! お前らはそれを知ってるのか」


 崇高だの何だの、こいつは言っていたけども。


「『クソ野郎』――? 君たちには理解できぬだけ。あのお方の目指す地平は、遥か彼方かなたにある」

「そいつは半分になって、半分は宮殿のベッドで寝てるぞ! 何もかも洗いざらい話させる! お前らのやってきたことをな!」

「半分」

「もう半分は空の上だ! 城を飛ばして世界中をぶっ壊している! 理由は知らないが――そんなのが勇者か!?」


 半分――と、薄ら笑いを浮かべたまま小首をかしげて固まっていたソウィユノは、それを聞いて可笑おかしそうにわらい始めた。


「ククク。そうか、そうであるか。遂にアレン=ドナを浮上させ、新世界を目指す計画をお進めになられた」

「知っていたのか」

「あのお方は無口である。私も自らの必要以上のことをる欲を持たぬ。だが私はあのお方の右腕――自ずと気付きを得ることもある。天命であることよ」


 聞いてはいないが知ってはいたということか。


「イグズスは?」


 イグズスは首を傾げて「わかんね」と言った。

 ソウィユノは、溜息を一ついたように見えた。

 奴はまだ十メートルほど遠くだ。

 すると突然、オレの足元がぐわっと持ち上がった。


「――なっ」


 掌だ。ソウィユノが今度は、地中から黒い手を出現させた。

 巨大な手の指の間を、赤黒い砂が滑り落ちてゆく。

 その手がオレの肩から下を包み、握り潰さんとする。

 あの時の爺さんと同じようにだ。


「アレン=ドナが動きだしたか。ならば尚のこと――邪魔だてさせるわけにはいかぬな。許せ」


 ノヴェル! とイグズスの声がした。

 イグズスはハンマーを構えて、オレを握る巨大な手を打とうとするが――。


「ちょっ――ちょっと待て!! 今打たれたらオレが死ぬ!」


 思いとどまったようだ。

 その代わり、ソウィユノ本体を向いてハンマーを振り上げる。


「ソウィユノォォォッ!」


 でも、そこに――ゴアが戻ってきた。

 ゴアは二刀を手にイグズス目掛けて降下し、容赦なく剣を突き刺す。

 二本の剣がイグズスの背中に突き刺さり、よろめく。

 しかし倒れることはなく、身をよじって空中のゴアの羽を鷲掴わしづかみして地面に叩きつけ、ハンマーのを突き刺す。

 ソウィユノは、オレを握ったこぶしを振り上げた。

 オレの視点は高く高く持ち上がり――。


「おいっ! ソウィユノ! 何をするつも――」


 そのままイグズスを殴りつける。

 恐ろしい加速と衝撃で、オレは気絶しそうになった。ロ=アラモのテーブルマウンテンからとロンディア三層からのダイブを同時に味わう気分。

 イグズスは両腕で体をかばいつつも、一撃を受けて砂地に沈む。背中に剣を刺したまま。

 足元が悪い。

 この砂地じゃ、いかにイグズスが両脚をあの力で補強していても、奴の実力を発揮できない。


「イグズス!!」


 オレは叫んだ。オレ自身を握った拳が何度もイグズスを殴打する合間に。そうしないと気絶しそうだ。

 ――クソ。オレがいるから反撃できないんだ。

 オレは、何とか身じろきして隙間を作る。ソウィユノの巨大な手で握るには、オレは少しばかり小柄過ぎるんだ。

 その隙間で腕を動かし、ナイフを探す。

 あった。

 ソウィユノは再びオレを振り上げていた。眼下に埋まりつつあるイグズスに、トドメを刺すつもりだろう。

 オレはナイフを握ったまま腕を引き抜く。

 悪あがきだ。

 そもそも奴の黒い力に、ナイフなんかが通るとは思えない。いくら最初の勇者、大アリシア様の遺品だとしてもだ。

 だいたい、刺さったとして奴の手の大きさからしたら、針くらいの程度だろう。

 それでも――黙って見ているよりはずっといい。

 オレもろとも振り上げた拳――そいつを振り下ろす瞬間を狙え。

 高々と振り上げられた長い腕。

 そこでオレは巨人を見下ろしている。

 遥か下方のイグズスと目が合い――オレはナイフをきつく握る。

 ソウィユノが拳を振り下ろす。

 暴力的な加速度で、イグズスに向かう途中――オレはナイフを振り下ろした。


「――ィッ!?」


 小さな悲鳴。

 ソウィユノが――手を開いた。

 オレはそこから滑り落ち、イグズスのそばに転がり落ちる。

 イグズスは、地上に残ったハンマーを支えにして自ら砂から脱出していた。


「通るのか。どえれぇ・・・・ナイフだ。でな、名匠の業物わざものか?」

「貰い物だ。わからないが――名品みたいだ」


 オレも、効くとは思わなかった。

 イグズスはハンマーを持ち替えると、背中に刺さったままの剣も気にせずに砂地を転がって間合いを詰め、ソウィユノに迫る。

 その勢いで、ソウィユノを真上から砂に打ち込んだ。

 まるで釘打ちだ。


「イグズス! 止すのだ! 悲願の成就じょうじゅは近いのだぞ! 我ら七勇者は、このためにこそ――」

「わかんねえなぁ。お前の話はよ。難しくて」

「やめ――」


 何度か打ち込んで、ソウィユノはすっかり見えなくなった。

 でもあの腕がある限り、遠からず奴は自分自身を掘り出すだろう。

 イグズスはやれやれという感じに腰を伸ばす。


「でな。ノヴェル。行くとこがあるんだろ? 早よ行け」

「イグズス――話したいことが。お前と話したいことがいっぱいあるんだ」

「さっきも言ったでな。『わかってる』ってな。友達ってやつだろ?」

「あ――ああ、そう、友達だ」


 それが言いたかった。


「モートガルドは滅んだ。あっちじゃ、皆そこそこ幸せだ。巨人差別がなくなるのはずっと先だろうけど――見ていてくれ」

「あんなクソみたいな世界でな、生きるのなんて――やめたほうがいいと思ってたでな。おれにはよ――殺してやることだけ――それしかできなかった」


 イグズスは訥々とつとつとそう語って――オレを見た。


「生かしてくれ。お前たちでよ」


 ソウィユノの黒い指が、もぞもぞと穴からい出ようとしていた。


「早よ行け!」


 イグズスが、這い出した腕を叩き潰しながら叫ぶ。

 激しい衝撃で地面が波打つ。

 オレは――背中を向けて走り出した。

 イグズス。

 そうだ。オレは逃げるんじゃない。

 お前の求めた世界を、守りに行く。




***




 ジャックたちも命からがら獣道を抜け、ポートフィレムの北門へ到着していた。

 西門は混雑のため避け、北へ回り込んだのだ。

 三輪バギーのスロットルを全開にしたまま北門を抜け、ハンドルを握るセスが叫ぶ。


「このまま元老会庁舎まで乗り込みましょう! つかまっててください!」

「いや、いい! 一旦停めてくれ!」


 セスが急ブレーキをかけると三輪は横滑りし、後部座席のジャックとミラは振り落とされそうになる。

 やがて三輪は停止した。

 ジャックはバギーから降りると――ふらふらだった。

 ――コイツが観光用だって? 正気か?


「荒かったですかね? 三輪はずいぶん勝手が違いますね。道も悪かったですし」

「いや――たぶんそういう問題じゃない」


 ――この女は――運転させると性格が変わるタイプだ。

 ジャックはそう確信した。

 続けて到着したロウたちは、スムースに停車した。

 ジャックが『お前ら、知ってただろ』という視線をロウとミラに送ると、二人は明後日の方向を向いてしらばっくれた。


「とにかく町民を逃がしながら行くぞ。ゆっくりだ」


 休む間もない。

 再び乗り込み、ジャックは通りを流しながら首を伸ばして家々の様子を見る。

 北側の高級住宅地の連中は逃げ足が速く、残っているのは殆どが使用人だった。


「皆さん! その家は潰れるかも知れません! 仕事も恩も忘れて、今すぐ避難を!」

「もう何分もありません! 衛兵や元老会の指示に従って、今すぐに街を離れてください!」」


 路肩で荷物満載の台車と格闘している若者にも声をかける。


「何してる! 荷物なんかててゆけ!」

「旦那様が船でお待ちで――」

「旦那も棄てていい! 皇女陛下がそう言ってる! 西門からオルソーへ逃げろ!」


 若者は血相を変えて逃げていった。

『皇女陛下』は抜群に効く・・


「ミハエラ皇女陛下からのお願いです! 皆さん、今すぐ避難してください!」


 使用人たちも次々家を棄てて走りだす。


「いいぞ! よし、ロウとセスたちは乗り合わせて元老会の庁舎へ向かえ。俺とミラは二人で『アグーン・ルーへの止まり木』へ向かう。荷物をこっちへ」

「私たちもそこで設営を開始します」


 ロウとセスは元老会庁舎に位置測定のための簡易な電波塔を設営する。

 なぜ庁舎かというと、詳細な設計図がベリルにあったため測量の手間がはぶけ、事前の調整ができたからだ。

 気球の装備を積み込み、ジャックはハンドルを握る。

 ロウに声をかけた。


「そういうタイプの女は苦労するぞ」

「は――? なんですか? トレスポンダ卿」

「よーく考えろ。じゃあ健闘を祈る」


 ジャックは、ミラと荷物を載せて走り出した。




***




「チャンよ、首尾はどうであるか」


 大賢者たちが階段を上がって三階へ上がると、そこは赤道儀せきどうぎ室――天文ドームだ。

 そこで計器類を調整するチャンバーレインの姿があった。

 円形の床、球形の天井。

 そこをぐるりと囲む、書架と計器類。

 床を這う無数のケーブルはうねりながら、中央の望遠鏡につながっている。


「ゾディ! お前、死んだと聞いたぞ! 老いれおって!」


 大賢者には名前が多い。生名ゾディアック、他称マーリーン、そして誰もその名で呼ばないが神名クォルタネム。


「お互いに生き恥をさらしておるな。ようやく死ねたと思ったのに、アリスの奴に呼び戻されたわ」

「パルマの皇女様から、神がどうこう言われて魂消たまげたぞ。お前のことだったとはなぁ!」


 積もる話もないではないが――と大賢者は口籠くちごもる。


「まずは孫たちを紹介させてくれ。孫のリンだ」

「あのときの子か! 大きく――はあまりなっておらんな。どういうことだ」


 チャンバーレインは顔をほころばせつつ、目を白黒させた。


「光の女神になった。色々あってな。孫はもう一人おるんだが――今は異界の旅だ。泉から、空の島を目指す」

「ノヴェルだな。知っとるわい」

「それからノートン君――皇女様の懐刀ふところがたなだ。食えんぞ」


 ノートンが謙遜けんそんしたように笑いつつ、チャンバーレインと握手する。

 後はよかろう、と大賢者は投げた。


「フィレム様、スプレネム様、ご無沙汰ぶさたしております。チャンBことチャンバーレインです。大崩壊の後は物書きのようなことをして暮らしております」


 さて準備のほうはどうだ、と大賢者が問うと、チャンバーレインは状況を説明する。


「二系統損傷だ。使えるのは六系統のみ。出力の低下が心配だ」

「ケーブルか?」

「念のため交換したが導通どうつうは問題ない。トランシーバーだろう」

「ならば我が孫に接続させよう。リンよ、ケーブルを両手に持ってそこに立っておれ」

「後はこの部屋だ。ギアと動力は問題ないが、まだ動かしてはおらん」


 大賢者は「ならば試してみよう」と言った。

 もうあまり時間はないのだ。

 チャンバーレインは壁の大きなレバーのところまで歩いた。


「――では、始めるぞ」


 レバーを押し下げる。

 がごん、と音が響いて下階に通じる階段に格子こうしが降り、封鎖される。

 すると部屋全体が、細かく振動し始めた。

 リンとノートンは丸い天井を見上げ、身構える。

 二人の年寄りは顔を見合わせ、にやりとした。

 部屋全体が、せり上がり始めたのだ。

 ケーブル類が引っ張られ、伸びて緊張を高める。

 ドーム状の天井が中央から二つに割れた。

 リンとノートンはその裂け目に駆け寄って外を見る。

 風景が変わっていた。

 視点は三階のそれではないほど高く、森を眼下に見下ろす。

 赤道儀室それ自体が森から突出とっしゅつした塔となり、立地の悪さをカバーするのだ。


「高度調整機構、異常なし」

ヨー角・・・調整はどうだ」


 チャンバーレインが別のレバーを動かすと、赤道儀室は重々しい音を立て、今度は左右に首を振る。


「南東東を向けよ。ノートン君、方角はどうかね」


 ノートンは双眼鏡を取り出したが、チャンバーレインは「これを使いなさい。太陽フィルターが付いている」と高倍率の小型望遠鏡を手渡す。

 ノートンはそれをのぞき、フィルターによる暗い海上を見る。

 船が見えた。

 次に朝日を見た。

 強烈な光――フィルターがなければ目が焼けてしまう光だ。

 それにまぎれて、空中に影があった。

 太陽黒点ではない。

 それは、上手く紛れているが――明らかに空に浮かぶ影、異物である。


「――来た! 浮遊要塞だ! 丁度、太陽の方向です!」


 ノートンは肩にかけた中型通信機を置いて、すぐに連絡した。


「天文台より全船! ノートンだ! オメガの空中要塞らしき影を確認! 距離不明! 全船、太陽の方向に注意せよ! 奴は、太陽の光に紛れて接近している!」


 ノートンは通信を切り、大英雄の二人と神々を振り向く。


「太陽の方向に敵影を確認しました。距離は不明ながら、こちらへ向かっていると考えられます。どうか、我々をお守りください。この世界を――」


 はじめるぞ、とチャンバーレインは言って、別のレバーを操作する。

 すると、巨大な天体望遠鏡がゆっくりと半回転し、ひっくり返った。


「試し撃ちをするか?」

「奴めに警戒されるとまずかろう。チャージを開始せよ」


 大賢者は、全員に対して宣言した。


「射程に入り、奴めの位置が判明し次第攻撃を開始する。全員、魔力をかき集めるぞ」

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