Ep.48: 暗視野航路

48.1 「それにしても健気な孫じゃわい」

 星の間のような空間だ。

 ところどころ重力で光すら歪んだような空間をオレは落ちて行った。

 暗いのと眩しいのの繰り返し。落ちているのか、浮かびあがっているのかそれは勿論判らない。

 合わせ鏡のようにオレの手はどこまでも延々と繰り返してゆくが、ひとつとして同じに見えるものはない。それは一直線に並ぶのではなく球面状に――天頂へ向けて連綿と続いている。

 声は出せず、音もない。

 早く気絶したいけれど、そもそもオレの意識は今、あるんだろうか?




***




「行ってしまったか」

「私たちも準備を始めましょう、電子の神よ」


 残された神々はきびすを返し、泉を離れた。

 歩きながら、ふと、マーリーンが疑問を口にした。


「そういえば、孫の持っていたあの本は何であったか。大事なものかのう?」

「お爺ちゃん、あれウチの宿帳でしょ!」

「はて。なんでそんなものを後生大事に――。少しは商売っ気がでてきたのだろうか」

「ゾディアックよ、あれはあなたがエンチャントを施したものでしょう」


 大賢者は階段を上がりながらふと宙を仰いで、思い出したようだった。


「そうだったそうだった。忘れておったわい。死んどったし」

「もー。ゾディ爺ちゃん、しっかりしてよね」

「それにしても健気けなげな孫じゃわい。言ってくれればのう、服にでもエンチャントしてやったのに――」


 リンとノートン、フィレム、スプレネムが階段の途中で足を止めて、大賢者を振り返る。


「……えっ?」

「――? なんだお主ら。そんな顔をして」

「……」


 無言で責めるような目だった。


「おい、なんだ、そんな目で見るでない」




***




 不意に、全てが収束しはじめた。

 おかしな座標系に無限に展開していたオレの手や足はあっという間に一つに統合してゆく。それはまるで怒涛どとうだ。

 次いで――。

 次元の海にドボンと落ち、泡に包まれるようにしてオレはたった一人の人間に戻っていた。

 そこはどうやら地面。落下の衝撃はなかった。

 仰向けになっているのか? 高い高い天井が見える。

 飛び起きる。

 そこは荒野だった。

 海底世界――いや、息は吸える。なら地底世界か?

 赤黒い地面は砂漠か砂丘。石くれ・・・だらけで、石に触るとサラサラと崩れてゆく。

 天井のように見えていたのは、空だった。

 ただし空一面には超超超巨大な黒い立方体らしき物体が浮いている。

 周囲を一通り見まわすと、何もない砂漠の地平は、空中の立方体の間に真っ白な空らしき光がある。

 ドボンと落ちた感覚のせいもあるけど、たぶん空に浮かぶそれこそが、ここが海底のようでもあり地底でのようもであり、そのどちらでもないと思わせる原因だ。


「おーい!! 誰かいるか!!」


 答える者はない。

 声だけはよく通る。

 ところで空中のあれは空をおおいつくすほどの大きさなのに、どうしてそれが立方体と思ったのだろう?

 おそらく、地面と天井じみた立方体の間を飛び交う無数の立方体からの連想だ。

 小さく無数の立方体が音もなく縦横無尽じゅうおうむじんに飛び交う。

 ここが異界――。


「フィレム様! 爺さん! リン! おーい!!」


 待て――泉は、ここから出口にまでつながっているはずだ。

 オレは足元を見た。

 そこに、石ころやら赤黒い砂の隙間からぼんやりと泉の光が見える。

 消えてしまいそうだ。

 オレは慌てて石ころを手で退ける。

 すると――砂の下のロープを引き揚げるように、ある方向に向かって一筋の砂が舞い上がった。


「そっちでいいのか!? フィレム!!」


 浮き上がった一筋の砂は落ちても尚、浜辺に描いた線のようになってオレを丘へと誘っている。

 オレはそれを辿たどって丘へ歩き出した。

 歩くのはつらくない。

 体がとても軽く感じる。

 歩き始めてみると、ここがまるで屋内の砂漠だと感じる。

 でもどこまで歩いても壁はなさそうだ。無限に続くならそれはもう屋外なわけだが、普通外に天井はない。

 半空間――というんだったか?

 ならあの巨大立方体は天井などではなく超平面――もはや空だ。

 黒い空と赤黒い砂漠。

 生命は存在しそうにない。

 そんなことを考えながら丘を登る。

 登りきる瞬間――丘の向こうの死角から、何かがブワッと飛び上がった。


「うおっ!?」


 なんだ――と、オレは振り返ってその有機的なシルエットを追う。

 まるで有機物など何一つ存在しない惑星のようなその世界にあって――それは明らかな異物だったから。

 丘の稜線りょうせんから飛び出したその影は、勢いよく空を舞う。

 オレは、その影を――知っている。


「ようやく堕ちて来やがったかガキ!!」


 鼓膜こまくを打つ胴間どうま声。

 その声も知っている。

 オレたちが――最初に殺した勇者。


「ゴア!! お前なのか!?」


 なら、ここは地獄だっていうことになる。


「ここが地獄なのか!?」


 ゴアは頭上で旋回している。


「なんで俺様がいると地獄確定なんだコラ!!」


 奴は、二本の剣を抜き空中から直滑降で飛び掛かってきた。

 オレは腰のナイフに手を伸ばしたが――勝負になるわけもない。

 慌てて駆け出した。


「おい! 待ちやがれ!」


 オレは丘の稜線を飛び越え、先へ逃げる。

 その先は急斜面――ちょっとした谷だった。

 斜面を尻で滑り降り、底の部分にごろごろと転がってから立ち上がり、谷に沿って逃げる。

 ――走りにくい。

 足の下で、石が砂塵さじんになって流れてしまうからだ。

 谷は左右から覆いかぶさる壁のように続いているが、奥の方は様子がやや違って見える。


「くそが!! 上がってこい!!」


 見上げると、二本の剣を持ったゴアが谷のふちを歩いている。

 オレはやっとの思いで谷を抜けると、そこからは谷の双璧が鍾乳洞しょうにゅうどうの高い高い石筍せきじゅんのようなものが点在する不気味な平原だった。


(出口は――!? どっちだ!?)


 この世界の出口だ。あるはずだ。

 慌てて周囲や空を見上げ、フィレムの道案内らしきものを探す。

 でも――見つからない。


「どこ見てやがる!!」


 すぐ上で、ゴアの声がした。

 高い石筍の上にゴアがいる。

 オレが慌ててまた逃げだすと、奴は両脚でひらりと宙へ飛び上がる。その反動で石筍が崩れて黒いちりになった。

 奴は空を舞い、オレの逃げようとした先の石筍に着地した。

 高さ十メートルかそこら。

 そこで大袈裟な仕草で退屈そうにした。


「暇してたんだぜ? この世界にゃ、玩具おもちゃがないからな!」

「くそっ! こっちにはお前と遊んでる暇はない!」


 オレはまた走った。

 奴のとまって・・・・いる石筍へと。

 そしてその石筍に体当たりすると、脆くも崩れた。


「おっ!? おおっ、この――!」


 ゴアは落下した。

 背中の羽から思い切り地面に激突し、赤黒い砂ぼこりを巻き起こす。

 今だ――とオレは滅茶苦茶に走り出した。

 出鱈目でたらめに走っていると、前方の石筍がいくつか自然に壊れ始めた。

 それは一直線に、北か南か知らないが、とにかくある方向に向かっている。

 きっと女神の道標みちしるべだ。


「逃げろ逃げろ! でもな! ここにゃ出口も逃げ場もねえぞ!」


 後ろの空を振り返ると、ゴアがひらりひらりと左右に舞いながら追ってくる。

 石から石へと、次々破壊しながら飛んでいるのだ。

 くそ――とオレは必死に逃げる。

 真っすぐ、道標の示す先へ――。

 と、そこに人影が見えた。

 青みがかった銀色の長髪。長く白いローブのすそを、異界の砂で汚している。


「おやおや、これはこれはこれは」

「ソウィユノ!?」


 ソウィユノは――背後からあの巨大な腕を出す。

 オレは慌てて石柱の間を曲がった。


「おや、少し無礼ではないかね? 君は私に名乗りもせず――」


 言葉の続きはない。

 奴の長口上なんか聞いてられない。

 その代わりに、オレの走る右のほうから巨大な手が追い上げてくる。

 まるで地津波だ。

 無数の石筍を、雑草のようになぎ倒しながら迫る。

 避けようにも逃げようにも――デカ過ぎた。

 風圧――。

 その風圧だけで、オレは空中へ放り上げられていた。

 指が一抱えほどもある奴の巨大で黒い指先が、オレのかかとを掠める。


「うおああっ」


 オレは数メートルも飛んで砂の中に着地、いや墜落し、滑りながら転がった。

 地面は柔らかいが、しっかり痛い。


「なかなかにすばしっこいではないか」


 腕を振りぬいたソウィユノは、後方、たっぷりの間合いをとったところでわらう。

 避けたわけじゃない。単に体が小さくて軽かったのが幸運だっただけだ。

 砂塵さじんがオレたちの間を駆け抜けてゆく。

 空からはゴアの、ブヒャヒャという下品な嗤いが降ってくる。

 尻を地べたにつけたまま、オレは後退しつつ武器を探す。

 ダイナマイト。そしてナイフ。

 オレはそれを手で確認したが、結局また立ち上がって逃げだす。

 ソウィユノの腕が巻き起こした風は、あちこちに赤黒い砂煙を立てていた。

 その砂塵を抜けてまた砂塵へ、身を隠しながらだ。

 ゴアが追ってくる。


「腰抜けのチビ助!! てめえはまだチョロチョロと逃げ回るだけか!? 『雑魚』って言葉はまさにてめえの為にある!」


 何とでも言え。

 死んだ奴と喧嘩したって意味はない。守るべきものはこの世界にはないんだ。


「――ソウィユノ! 俺様を放り投げろ!」


 そう聞こえて、オレは思わず「なんだって!?」と振り向いた。

 石筍から飛んだゴアを、ソウィユノの巨大な腕がキャッチしていた。

 そして――それを高々と放り投げる。

 弾丸のように飛び出したゴアは、銀の翼を開いて飛んだ。


「上から丸見えだぞ! ガキ!」


 ――なんてこった。

 ゴアとソウィユノ――意外と息が合ってるじゃないか。

 砂煙を立てて身を隠そうにももう間に合わない。せっかく稼いだ距離がパア・・だ。

 奴は一直線にオレを目掛けて降ってきた。

 クソ――。

 奴の振り下ろした剣の一撃を、オレはアリシア様のナイフで受け止める。

 がぎんと酷い音がして、オレの足元が大きく陥没した。

 奴も両脚で着地する。

 きっと自慢の剣技でケリをつけるつもりだ。

 続く左手の剣も真上から――わざとナイフを狙う様に打ち下ろされた。

 がぎん。

 また足元が沈む。


「ぶひゃひゃひゃ! 鬼ごっこはもうしまいだな!」


 たしかに――オレの足元はもうすねの真ん中まで沈んでいた。

 奴はそれが面白いのか、盛大に嗤った。


「いいかガキ。まずお前は、俺様のことを誤解している」

「誤解!? 何の話だ!」


 更に打ち下ろされる剣。

 ナイフで弾いても――オレの足元は埋まってゆく一方だ。


「お前は俺様を血も涙もない悪党だと思ってるだろ! それが間違いだ! 俺様をよく見ろ! そんな風に見えるか!?」


 一応オレは両手で掲げたナイフの下から、ちらりとだけゴアの顔を見る。


「――ああ! み、見えるね――」

「ぶひゃひゃひゃ!」


 ゴアは楽しそうに、オレを地面に打ち込み続ける。


「あのな! こう見えて俺様は、慈善事業が好きだ! 金になる事業のほうがもっと好きだがな! 俺様は、世界中の若者からセンスのあるやつ、ないやつを選別をして投資・・をしてきた! 飛行機の実用化と航空会社の設立だ! 夢があるだろ!」


 奴は訳の判らない話をしながら、両腕の剣を次々振り下ろし、オレの足は――いや腰は埋まっている。

 もうピクリとも動かない。

 ナイフを押さえる手もしびれて、限界だ。


「ゴア――何を言ってるのか判らない」

「誰もが空を飛べる時代が来るんだよ! お前だってそういうのは好きだろ!? でもお前はセンスのないほうだ!」

「だから――! だからオレをどうしようって――」

「んなことも判らねえからセンスがねえって言ってんだ! いいか、お前みたいなのは――いしずえだ。こうやって地面に埋まって、いしず――」


 そのときだ。

 ゴアが言い終える前に、奴の横っ腹を恐ろしいほどの速度でひとさらいする衝撃があった。

 にぶい音がして、ゴアは遠くまで回転しながらぶっ飛んでゆく。

 振りぬかれたのは禍々まがまがしいハンマー。

 そこに立っていたのは――巨人、潰滅かいめつのイグズスだった。

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