47.4 「幸運を祈ってくれ!」

 朝四時。出発の時間が迫った。


「おい、ノヴェル。早く行くぞ」


 ベリルを発つ前に、オレは手紙を書いた。

 誰かに宛てたものじゃない。ポストに投函するつもりもない。

 それは瓶に入れて、崖からまだ暗い海へ投げ捨てた。


「あっ、悪い。待ってくれ!」


 慌てて振り返ると、ベリルの急な坂を下りてゆくジャックたち。

 オレは走って合流した。

 インターフェイスとコーマは皇室で治療を続けている。

 姫様は宮殿に残ってコーマの尋問を続けるそうだ。当初全く応じなかったコーマも、左側だけは従順になりつつあるらしい。

 多少残念ではあるものの――当たり前と言えば当たり前だ。一緒に戦ってきた姫様だけど、わざわざ危険なところに連れてゆくわけにもいかない。

 そのかわり、姫様はオレたちを手厚く見送ってくれた。


「ノヴェル。何があっても決して命だけはてぬよう――お願い申し上げます」


 そう仰られ、オレは勲章をたまわった。

 ロイヤル・パルマ勲章――『オーダー』。

 盾とメダル。

 そして――ナイフ。


「『我が君、皇女ミハエラ。ここにつつしんで叙勲じょくんを賜り、生涯を御身おんみに捧げることを誓います』――っていうんだぞ」

「我が君、皇女ミハエラ。ここに謹んでじょ、叙勲をたまり、たまわり――」


 ジャックに言われてオレは精一杯かしこまったが、姫様には笑われてしまった。


「いいのですよ、ノヴェル。何も騎士というわけではないのですし――」


 あれ? オーダーというからてっきりオレは騎士になるんだと思ったけど。


「あなたに授けたいのはこのメダルではありません。こちらのナイフです。これはただの飾りではありません」

「わかりました。このナイフで、必ずオメガを討ちます」


 紫色の分厚い布に包まれたそのナイフは、ナイフというにはあまりにも立派で、刃渡り四十センチ。牛でもさばけそうな得物だ。

 古く――なのに磨き込まれていた。

 刻まれたは――『アリス』と読める。


「ひ、姫様、これは――」


 姫様はそっと唇の前に指を立てた。


「カーライルに知られたら面倒です。正式な叙勲は――全てが終わってからに致しましょう」


 そうしてオレは頭を深々と下げた。

 手紙を海に投げ、オレは孤独な戦いの身を投じる覚悟を決めた。

 でも――。

 誰もいないと思った駅は、意外に騒々しかった。

 オレたちを迎えたのは、意外な連中だ。


「よぉ、昼行燈ひるあんどんの兄ちゃん。どこで何するのか知らねえけどよ、俺たちも付き合うぜ」


 バリィさん――そして元海賊やザリアの亡命者。

 チャンバーレインに呼ばれたという身長二メートルの巨人もいた。

 そうしてこの列車は出発した。


「なぁジャック、オーダーってのは騎士爵がもらえるんじゃないのか」

「あぁー。ノートルラントじゃな。ロイヤル・パルマ勲章じゃオーダーは勲章のみで爵位じゃない。残念だったな」

「気を落とすな、ノヴェル君。ミハエラ様は、もっといい褒美ほうびを用意してくださる。そこのジャック君よりもいい褒美をな」

「いや、別に気落ちしちゃいないけどさ――」


 なにせ、最初の勇者アリシア様のナイフを貰った。こればっかりは、どんな爵位よりも上等なはずだ。

 客車は一台のみの予定だったが、二台になった。

 オレ、ジャック、ミラ、ノートン、ロウとセス、爺さんとリン、フィレムとスプレネム。

 それだけじゃない。

 バリィさんや海賊の皆まで、ベリルじゅうに助っ人を呼びかけてくれた。

 ブーマン・ファミリーからも連絡がきたらしいが、生憎間に合わなかった。

 そして列車の運行チーム。


「ゾディ爺ちゃん!! 機関車です!! 動いてます!!」

「あ、あの、あのあの、わた、わたし、れっ、列車なんて、はじ、初めて」


 とんでもないスピードと揺れだ。これが普通の列車だなんて思われたら困る。

 スプレネムを完全に無視して、ジャックは座席の間の通路を歩き始めた。


「オルソーまで三時間。段取りの確認を確認するぞ。既にポート・フィレムには厳戒令を出して、避難を始めている」


 段取りはこうだ。

 ジャックとミラ、ロウとセスは助っ人チームを率いてポート・フィレムへ行く。通信機を持ってだ。

 そこで衛兵と合流して町民の避難の最終確認をとる。


「避難は順調か?」

「それが――どうも難攻してるようだ」


『アグーン・ルーへの止まり木』の尖塔を接収して、最上階から浮遊城アレン=ドナを確認する。

 天候次第ではそこから熱気球を飛ばす作戦も準備する。

 オレが失敗した場合のバックアップだ。

 オレは女神や爺さんと共にフィレムの森の聖域に入り、チャンバーレインと合流する。


「フィレムの森には魔物も多い。バリィ、マーリーンたちを頼む」


 幸い天文台の状態はまずまずで、フィレムの泉さえ開けば使える状態にあるらしい。


「フィレムが泉を開き、ノヴェルが飛び込んで異界を通り、島へ行ってオメガの居所を通信機で知らせる。正確な居場所はロウとセス、頼む」


 全員がオレを見ていた。

 注目慣れしてないオレは「どうも」と手を挙げる。


「異界は時間の流れが違うらしい。こいつが異界でくたばらなければ、こっちの時間じゃ数分で空の要塞に出られるはずだ」


 フィレムが泉を開き、オレはそこに飛び込んで異界を抜けて浮遊要塞のいずれかの泉に抜ける。

 出口に迷うことはないはずだ。残る異界に通じる泉は、全てあの空飛ぶ島にあるのだから。

 女神たちは天文台から爺さんとオレをサポートする。

 そこで泉を維持しながら、出口までの道を示してくれるわけだ。そうしなければオレは作戦が成功しても浮遊要塞から地面に戻ってくることができない。

 正直なところもっと踏み込んだ助けがほしいが――異界は無数に存在し、女神にとっても予想できないらしい。同時に複数人で飛び込んでも、同じ異界に出るとは限らないという。

 つまり飛び込んだが最期さいご、オレは孤立無援だ。

 この作戦を話したとき、全員が反対した。


「無謀だ」

「冗談にしちゃエッジが立ちすぎてるぜ」


 特に姫様は強く反対した。


「死にに行くようなものです。このような作戦は許可できません」

「姫様、オメガにはオレが見えない。オレしかできないことなんです!」

「オメガだけでありません! あの場所には、勇者・慈愛のホワイトローズもいるはずです!」

「三度、いや四度――オレは、ホワイトローズの攻撃を四度しのぎました! アレン=ドナ、ウインドソーラー城、イレザーヘッド駅、フルシの美術館で! 次もくぐって見せます!」

「一人でなんて――無茶です!」

「お願いします! オレにやらせてください! やっと見つけた――オレにしかできない、皆のためにやれること――チャンスなんです!」


 奴を見つけ出し、どうにかして釘付けにする。

 可能なら奴の目を盗んで背後から刺し、動きを止める。

 通信機で連絡し、爺さんたちが照射を開始。それでオメガを消滅させる。

 もし問題が起きたら――ダイナマイトで魔力プールを破壊し、浮遊島全体を海へ落とす。できればポート・フィレムに到着する前に。

 姫様の許可がなくても、オレはフィレムを縛り上げてでもやるつもりだった。

 幸い――短い間に姫様は決断してくれた。

 発破用のダイナマイトも数本提供してくれた。

 これで足りるのかと思ったが、充分すぎるほどらしい。魔力炉は経路長を稼ぐため螺旋らせん形状をしているが、伸ばせば一本の輪だ。どこか一か所でも途切れれば、用をさなくなる。

 それからこの、重たいほどのメダルだ。

 皇女陛下の名のもとに、死ぬ許可を貰えたわけだ。


「――基本的な作戦は以上だ。この作戦では、星全体の魔力のうち大部分を照射する。女神の存在には影響があるかも知れない。他も、一時的に魔力が使えなくなるかも知れない。各自、慌てずに火力や電力のバックアップに切り替えろ」




***




 七時少し前。

 予定より少し早くオルソーに着くと、既に街はちょっとしたパニックになっていた。

 ポート・フィレムの町民や宿泊客が一斉に逃げてきたらそういうことになるだろう。

 避難者はまだまだ続き、街道にあふれている。


「――参ったな。まだこんなに避難者が溢れてるとは。これじゃ車が通れない」

「森の中の獣道を通ることもできます。私が案内しましょう」


 フィレムが前に出た。

 ずっと黙っていたが――彼女も覚悟を決めたようだ。

 そこへ、ノートンが走ってきた。


「三輪バギーを四台ほど借りられそうだ。火力なのがネックだが」

「この期に及んで、私もそう話の判らぬことは申しませんが――妹の方・・・はどうでしょうね」


 フィレムはそう言って、神聖な森のほうを眺めた。

 ノートンが三輪、といったのはまるで機械の一頭立て馬車だった。

 タイヤが三つ着いた馬のような背中に乗って、後ろに二人乗りのかごを引く。まるで古代のチャリオットだ。


「これ――もしかして観光用か!?」

「これで中々馬力があるのだ。走破性も高いらしいぞ」


 ウキウキしているのはノートンだけで、他は戦う前に死ぬんじゃないかという顔を浮かべていた。

 カッコはいいが頼りない。

 まぁでもこれで森を抜けるしかない。

 四台の三輪バギーに、天文台チームとポート・フィレムチームがそれぞれ二台ずつ分乗する、

 こちらはオレとノートンがそれぞれ運転し、ポート・フィレムチームはロウとセスが先行する。乗り切れない残りは街で合流だ。

 オレのバギーには爺さんと、膝にリン。そしてバリィさんが乗った。

 ノートンのバギーにはフィレムとスプレネムが、不愉快そうな顔で乗っている。

 またがって、ハンドルを兼ねたスロットルを握ると、力強い振動がうなりをあげる。

 エグゾースト・パイプが黒い煙を吐いた。

 周期的で軽快な駆動音。

 ――なかなか暴れそうだぞこいつは。


「ノヴェル! 先に行け!」


 ジャックに言われて、オレはスロットをった。

 走り出す。というか飛び出す。

 車と違ってとんでもない加速だ。

 激しく上下にバウンドしながら、バギーは飛び出した。


「ノヴェル――! 安――転で――ぞ!」


 爺さんが何か言ったが聞こえやしない。

 物凄い勢いで森へと突っ込む。

 風を切って木々の間を走り抜け、枝で傷だらけになりながら獣道らしき道にでる。


「乗ったぞ! どう行くんだ!」


 乗ったなんていうとまるで街道に出たみたいだが、獣道だ。

 両側の木々が近い。

 振り向くと、爺さんが小型無線機でフィレムと話している。


「こっち!!」


 リンの甲高い声が響いて、前方の分かれ道にリンの幻影が出現した。

 オレはリンに導かれるように道を左へ進む。


「ゴブリンだ!」


 木の上から落ちてきたゴブリンが道をふさいだ。

 スレッジハンマーを手にバリィさんが立ち上がったが、オレは避け切れずゴブリンを跳ね飛ばし、後輪に巻き込んでいてしまった。


「やっちまった!!」

「問題ねえ! 前見ろ!」


 言われて前を見る。

 前方では、更に沢山のゴブリンが木の枝に足でぶら下がり、逆様に手を伸ばしていた。

 まるでブドウか、藤の花だ。


「伏せろ!! 爺さん! リンを守れ!!」


 樹上から手を伸ばすゴブリンは、人攫ひとさらいだ。子供を狙っている。

 バリィさんはスレッジハンマーを一振りし、樹上のゴブリンを後ろの地面に叩き落とし、フィレムがそれを焼き殺す。


「おらあああっ」


 バリィさんの雄叫びは続く。

 ぶんぶんとハンマーを振り回しながら、熟れたブドウを刈りとるように次々ゴブリンを叩き落としている。

 道はどんどん悪くなっている。平らなところなどない。

 むき出しの地面、張り出した木の根――その振動をダイレクトに伝えて暴れるハンドルにしがみつき、オレは走り続けた。

 前方に、段差だ。

 どれくらいの落差があるか判らない。


「――全員掴まれっ!!」


 飛んだ――。

 三つのタイヤが全て地面を離れ、騒音も悲鳴も消える。

 それも一瞬のことだった。

 タイヤは再び地面を掴み、オレは転倒しても放り出されてもいない。

 振り向くと、ノートンや、ロウやセスの車両が次々段差を飛んできた。

 横から獣道へゴブリンが飛び出してきた。

 そのゴブリンは真っすぐオレを狙って飛び掛かってきたが――その頭が、銃声と共に砕けた。これはジャックだ。


「そこを左だ!」


 爺さんが叫んで、再び奥にリンの幻影が出現した。

 ゴブリンたちがリンの幻影に群がる。

 背後から飛んだフィレムの火魔術がそのゴブリンどもを吹き飛ばして――オレは減速し、後輪を滑らせながら曲がった。


「ノヴェル!! ポート・フィレムで待ってるぞ!!」


 車体から身を乗り出して、狙撃銃を構えたジャックがそう叫んだ。

 ミラもこちらに手を伸ばし、親指を立てて合図している。

 オレも親指のハンドサインでそれに応じ、すぐにまた運転に集中する。

 そうだ。

 オレは――死にに行くんじゃない。

 必ず目的を果たして、また出会う。

 ポート・フィレムで。




***




 そうしてオレたちはたどり着いた。

 フィレムの森の、最深奥さいしんおう

 オレは場違いな、石造りの建物を見上げた。

 神殿のようで神殿でない。頂上の丸い屋根がある。あれが天文ドームなのか。

 あれがオレたちの最終兵器――光学式天体望遠鏡――それも二百年物だ。

 二百年前には、電気も神学も今ほど研究されておらず、科学者たちはひたすら空を見上げ宇宙の研究をしていたという。


「ここへ来るのも――随分と久しぶりです」


 フィレムは懐かしそうに森を見渡す。


「――いるのでしょう?」


 きっと妹だ。

 妹の姿を、森の木の間に探してしまうから――彼女はここをててロ=アラモへ移ったのに違いない。

 ジャックは元刑事のかんを頼りにこの女神を断罪してみせたけど、やっぱりオレたちの倫理や理屈では計り知れないものがあるのではないかとも思う。


人跡未踏じんせきみとうの聖域です。心しなさい」

「ひぃぃぃっ」


 悲鳴を上げたのはオレじゃなくてスプレネムだ。居心地が悪いのだろう。

 オレは、古い靴が片っぽだけ落ちているのに気付いた。


「人跡未踏と言う割には――靴が落ちてるけど?」

「長いこと留守でしたから、そういうこともあるでしょう」

「チャンBのか?」


 爺さんがかがんで確認したが、首を横に振った。


「随分サイズが大きいのう。それに時間が経っておる」


 おそらく――あのロイってやつのだ。

 ここに潜入して、ここでソウィユノに殺された。


「行こう」


 オレは先に立って神殿みた天文台に入る。

 中は一層暗かった。


「気を付けなさい。足元に泉があります」


 フィレムが手をかざすと、足元に円形の光が宿る。

 それは薄緑色、青色、赤色――様々な色の粒子が細かく踊り、きらめき、さざ波のように緩やかに揺れた。

 ロ=アラモや地下研究所で見たあの簡易な泉とは違って――神々しかった。

 時計を見る。

 時間は丁度、オンタイムだ。

 オレは腰のナイフと、四本のダイナマイトとライター、そして小型の双眼鏡を確認する。それから念のため、ジャックから返して貰った宿帳を服の下に仕込む。


「爺さん、リン――今までありがとう」

「よもや最後だなどとは言うまいな。そのようなつもりでお前をここに連れてきたわけではない」

「お兄ちゃん!! ちゃんと、あいつを止めてきて!! 待ってるから!!」


 そして小型通信機。

 ホワイトローズがまだ通信機を持っている場合にそなえて、傍受ぼうじゅを避けるために使用は最低限にと言われている。


「――いや、念のためだよ。オレだって死ぬつもりはないから。そうだ、リン。オレが戻るまでこいつを持っていてくれ」


 オレは、姫様からもらったメダルをリンに渡した。


「上に着いてもすぐには連絡はできない。次に話すときは、オメガを止めてからだ」

「判っておる」


 ノヴェル、とフィレムが言った。


「異界があなたにとってのような世界であるか、何も保証できません。ですがあなたが異界で過ごす時間は、こちらの世界ではごくわずかです。何があっても決して慌てず、確実な行動を心がけてください」


 あなたが頼りです、と小声でフィレムは付け加えた。


「よーし、じゃあ、いっちょ行ってくるぜ」


 空元気を最大にして、オレは片足を泉の上に出した。

 ジャックやミラがいれば背中を蹴ってもらえるんだけど。

 今は自分で自分を放り投げるしかない。


「幸運を祈ってくれ!」


 オレは――息を止めて、輝く泉に飛び込んだ。

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