48.3 「ここまでやれるとは思ってなかった。お前や、ノヴェルと出会えたからだ」

 どこまでも続くような異界を、オレは必死に走った。

 ソウィユノとゴアをイグズスに任せ、少しでも出口に近づこうと。

 荒野の地平は丸く見える。

 走っても走っても頭上をおおいいつくす超巨大立方体の直線的なエッジは少しも変わって見えない。

 女神の道標みちしるべだけが頼りだ。

 地面を確認すると、シュッと砂が他の砂をき分けるように盛り上がった。

 砂の跡は、オレを導くように果てへと伸びてゆく。

 ――きっとフィレムだ。

 オレはそれを追って走る。

 まだか。出口はまだか。

 どれくらい走ったか。

 ふとオレが追っていた導きが、急に止まった。


「――?」


 スッと砂に隠れるように――いや、導きも砂なんだから砂が砂に隠れるっていうのもおかしいが――とにかくオレにはそう見えた。


「――おい!! ちょっと――フィレム様!?」


 反射的に上を向くが、そこには真っ黒な超巨大立方体があって、その子分こぶんが飛び交っているだけだ。

 空間に穴が開いてそこから女神様が見下ろしているなんていうことはなかった。

 ――どうして、と思っていると、ふいに再び導きが動き出す。

 ふらふらと、自信なさそうな動きだった。


「まさか道が判らないなんてことないだろうな!?」


 動き出した導きを追おうとすると、急に砂がこちらに向けてターンし――戻ってきた。

 何かがおかしい。


「おい! まさか本当に道が――」


 砂のわずかな隆起は、黒い砂漠に線を残しまっすぐオレに向かってくる。

 隆起はどんどん大きくなっていた。

 何かが変だ。

 オレは思わず横に飛び退いた。

 その瞬間だった。

 砂から――一匹の鮫が、大口を開けてオレの居た場所を飲み込む。

 鮫は、砂だけを頬張ほおばって再び砂の海に潜って消えた。


「おいおいおい――まさか――オーシュ!? お前か!?」


 過ぎ去ったその黒い背鰭せびれがまたオレに向かってくる。

 オレはまた逃げだした。


「くそっ! どうなってんだ!」


 ズバァと砂を突き破り、オーシュが飛び掛かってきた。

 命からがらそれを飛んでかわす。

 ぺっぺ、とオレは口から砂を吐き出す。

 さっき『まさか』と口走ったけど――まさかも何もあるものか。人生で他に思い当たる鮫はいない。

 オーシュはオレを探して地面の下を泳ぎ回っている。

 泳ぎじゃかないっこないが――ここは一応、陸だ。

 オレは大きな岩のような塊に隠れた。

 息を殺し、そこから身をのぞかせて様子をうかがう。

 奴は、まだぐるぐると砂の下を回ってオレの位置を探っているらしい。

 あいつはああ見えて頭がキレる。学もある。その上用意周到だ。

 しかも進化した。

 ここには海がないから、奴は砂の中を泳ぐ鮫に進化したんだ。

 今なら逃げられるだろうか。いや――その前に試してみることがある。

 オレは周囲に手ごろな石がないか探した。

 でも見渡す範囲には砂ばかり。

 そこで、今身を隠している大きな岩を掴みとってみると、そこから少しだけ削り取ることができた。

 ――よし、これは石だ。まぎれもない、石だ。

 オレはその石を、オーシュから少し離れたところへ放り投げる。

 するとオーシュの背鰭が沈んで、見えなくな――。

 そう思った瞬間だ。オレの投げた石は、下から周囲の砂ごと食い付かれていた。

 滝を上る魚のように奴は異界の空へ飛びあがり、数度身をよじると頭から砂の中へ潜ってゆく。

 なんて感度だ。

 でも――思った通り、音だ。奴はオレの足音を追っている。

 逃げられないじゃないか。

 この砂地だ。静かに歩くつもりでも――砂のきしみがどれほど響くかはやってみないと判らない。

 もっとマズいことには、オーシュの攪乱かくらんにハマって、オレは完全に女神の導きを見失ってしまった。

 異界の砂漠で、どこへ向かえばいいのかも判らない。

 詰みかけてる――でも奴らから少しでも離れたい。

 音さえ立てずに慎重に移動すれば――。

 ――待てよ。

 オレは短く詰めたローブのすその下をまさぐり、ベルトにつけたそれ・・に手を伸ばす。

 ダイナマイト。

 至近距離でこいつを爆発させてやれば、オーシュを倒せるんじゃないか?

 オレは黄色いダイナマイトを一本抜き、ポケットを探ってライターを取り出す。

 巻き付けた導火線を外して伸ばすと、これが意外に長い。五十センチくらいある。まぁ用途から考えれば仕方がないだろう。

 オレはライターの火打石をった。

 シュッシュッと音が響けども――火がかない。


(くそっ!)


 逆様にして振ると、黒い砂がサラサラと出てくる。


(ああっ、クソ! 砂まみれだ!)


 音が奴に聞こえやしないか、ひやひやしながらライターと格闘していると――。


「使うかね」


 そう、横から火のついたマッチ棒が差し出された。


「あ――ありが――えっ?」


 思わず振り向くと、煙草をくわえたファンゲリヲンがニヤニヤしながら立っていた。


「ファ――ファンゲ――」

「シッ。オーシュの奴に気付かれるぞ? 火も消えてしまう」


 そうだ。

 オレは慌てて導火線に火を点ける。

 導火線は、中にも火薬が入っているのか存外勢いよく燃え始めた。

 そのときだ。

 奴がこちらに気付いたらしい。急旋回したオーシュが、こちらへ向けて泳いできた。


「逃げるぞ!」


 ファンゲリヲンが先に立って駆け出した。

 オレは火のほとばしるダイナマイトを片手にその後を追う。


「早くそれを投げるのだ!」

「引き付けないと意味ないだろ!」


 走りながらダイナマイトを見る。

 導火線はまだ半分。いやもう半分なのか――とにかくこれは、タイミングが難しかった。


「寄られ過ぎである! もっと走るのだ! 頑張れ!」


 ファンゲリヲンは逃げ足が速い。

 オレは一瞬振り向くと、オーシュの背鰭まではせいぜい三メートル。

 追いつかれるまでおそらく五秒かそこら。

 でも導火線の残りはおそらく余裕で二十秒くらいはある。


「ファンゲリヲン! 頼む!!」


 オレはダイナマイトを投げた。

 ファンゲリヲンのほうへだ。


「おおうっ、何だ! 危ない!」


 慌てた様子でファンゲリヲンがダイナマイトをキャッチするのを見て――オレは横に跳んで地面を転がる。

 全く同じタイミングで、ズバアッと飛び出したオーシュが空間をかじってまた砂に潜った。


「ファンゲリヲン! そいつを寄越せ!」


 火のついたダイナマイトを、ファンゲリヲンがやや躊躇ためらいながらこちらへ投げる。


「熱っ!」


 オレは一度落としてしまったが――必死にそれを拾う。

 爆発までおそらく――十五秒。

 再び砂に潜ったオーシュは、ゆったりとカーブを描いてオレのほうへ狙いを澄ます。

 来い――十五秒後に来い!

 オーシュは警戒しているようだ。

 オレが足を踏み鳴らしても――少しフラフラと軌道をぶらしながら、まだオレとの距離を一定保っている。

 ――匂いか?

 導火線の燃える匂いを、奴に気付かれたか?

 それともファンゲリヲンの煙草の匂いで誤魔化せたか?

 十秒。

 ようやく奴がオレのほうへ泳いでくる。

 オレはきびすを返して走り出す。

 八秒。

 距離二メートル。

 奴が潜った。

 早い。まだあと七秒くらい――こっちの都合などお構いなしだ。奴は全力で走るオレの背後で、砂から高く飛び上がった。

 砂をまき散らしながら、奴は空中からオレの背中を狙って口を開ける。

 デカい口だ。

 鮫ではありえないほどの大口。

 開き角は上下に百六十度。

 その奥、オーシュ本体のとがった頭が、その下で光る血走った目と目が合った。

 六秒。

 オレは、砂地に足を突っ張らせてかかとで滑った。

 そして逆方向、奴の口に自ら向かうように飛び込む。飛び上がった奴の下をくぐるんだ。

 奴がオレの上を飛び越える瞬間――オレは奴の口にダイナマイトを放り込む。

 奴は再び砂に刺さった。

 五秒。

 ドン!

 奴が砂に潜ると殆ど同時に――ダイナマイトが爆発した。周囲の砂が突き上がって柱のようになる。

 思ったよりずいぶん早かった、

 オレは思わず腰を抜かしていたが――ファンゲリヲンが進み出て、砂漠にぼっこりと出現したクレーターの底を確認した。


「――危ない所だったじゃないか。まったく冷や冷やさせる」


 そううそぶいて、クレーターに煙草を放り投げる。


「し、死んだのか?」

「まさか。死んでここへ来た者はもう死んでいて、二度は死なぬ。君は気を抜くな」


 立ち上がってクレーターのふちまでゆくと、下では鮫の口からオーシュの上半身がはみ出して、ノビて・・・いた。


「衝撃で気絶しただけであろう。耳が良すぎるのも考え物であるな」

「ファンゲリヲン、オレ、行かなきゃ。でもどこが出口か――」

「やれやれ。相変わらず君はまた厄介ごとに首を突っ込んでおるのだな」

「お前がオレをここへ呼んだんだろ! あの絵の暗号で! ここは一体何なんだ!」


 はて、とファンゲリヲンはしらばっくれるように首をかしげ、苦笑を漏らす。


「身に覚えのないことであるなぁ。だが出口なら――女神の魔力を追える。ここではピュアな魔力は異物だ。砂にたずねてみよう」


 そういうとファンゲリヲンは、周囲に手をかざす。

 赤黒い砂が――まるで指揮された楽団のように沸き立った。


「なんだこれは」

「この黒い砂は全部――魔力だ。この次元では、魔力はこのように物質として存在するのだ」

「この、じ、次元――? これが魔力?」


 オレは思わず、地面の砂を拾ってポケットに突っ込み始めた。

 ファンゲリヲンがこちらを見て笑う。


「そのようなことをしても意味はないぞ。それに――君は魔力がないからここに来たのであろう?」


 そうだった。

 オレはポケットを逆様にして砂を吐き出す。

 魔力といえば、とファンゲリヲンは続ける。


拙僧せっそうの、私の力は――魔力の調律。魔力に与えられた方向を、時間を、私は操作することができた。だからここでは、砂を操作することもできる」


 オレは思い出す。

 ファンゲリヲンは、魔術師の光球を掴んだり、ポケットに入れて持ち歩いたり、好きなタイミングで発火させていた。


「やらしいけど便利な力じゃないか? やらしいけど」

「魔力が発動する条件を変えたり、死者の『輝き』を現世にとどめたりもな。その代わり自身の魔力は、とても弱い」

「な、なるほど」


 ろくでもない戦い方しかできないわけだ。オレが逃げたり待ち伏せしたりしかできないように。

 しかもお陰で銃だの剣だのには滅法めっぽう弱い。


「そう――私は弱すぎた。勇者になれば人を救えると思ったのに、見たのは地獄ばかりだったよ。戦場、災害、事故現場――なにせ私のこの力は、あのお方が効率よく魔力を集めるのに必須のものだったのだからね――」


 魔術を使える死霊を作れる。それは言い換えれば、普通なら消えてしまうしかない死者の『輝き』を維持できるってことだ。

 奴らがそれを集めることを目的にしていたなら、きっと便利な能力だったことだろう。

 そのとき、地面から数センチ沸き立っていた砂が沈み、一筋の道だけが残った。

 その先に――小高い山が盛り上がった。

 山は砂の中からでて尚、砂でできていた。砂を落としながらも成長して、ちょっとした高さになった。

 空中を飛び交い、あるいは静止するあの無数の立方体に届きそうなほどの高さだ。


「あの山の上だ。出口はそこにある」


 言われてみればふんわり光っているような、そうでないような。

 あれが――出口。

 ここから出ても、終わりじゃない。

 オレはそこで、ツインズ・オメガを探して釘付けにする。

 オメガ。

 ファンゲリヲンは先に立って歩き出そうとしていた。


「なぁ。お前の力は、女神病ってやつの治療には使えたのか?」


 女神病を知っているのか、とファンゲリヲンは少し驚いた様子だった。

 でも彼は力なく首を横に振った。


「不可能であった。もしそれができれば、あのお方も救えていたはずなのだ。歩きながら話そう。ここにいるともっと厄介なのが来る」




***




 ポート・フィレム。朝八時十一分。

『アグーン・ルーへの止まり木』尖塔のペントハウス。

 ジャックとミラはそこに辿たどり着いていた。


「久しぶりだな」


 銀翼のゴアと戦った、思い出の場所だ。

 戦いの傷跡がまだ残っていた。

 捜査員の張った立入禁止テープが生々しい。

 昇降機は修理されていたが、最上階の昇降機ホールは客室ドアがかろうじてふさがれている程度。

 室内も崩れた天井、凹んだ床のまま、大窓も仮補修してあるだけだった。

 二人は大窓の補修板と封印を蹴り破り、最上階ルーフバルコニーへ出る。


「ここからノヴェルが現れて、ゴアの腕をバッサリ斬り落とした。見たか?」

「あたいは見た。あんたはそこの床でノビ・・てた」

「起き上がっていただろ」

「いいや、白目いてノビてた」


 何にしても――とジャックは話題を変える。


「ここまでやれるとは思ってなかった。お前や、ノヴェルと出会えたからだ。この街で、風向きが変わったんだ」


 尖塔からはポート・フィレムの街が一望できた。

 フィレムの森まで見える。

 その中央に突き出した天文ドームが見えた。

 以前ここから見た景色にはなかったものだ。


「てめえに礼を言われる筋合いはねえよ。マーリーンたちもおっぱじめたらしい。あたいらも仕事をしようぜ」

「ああ」


 バルコニーの反対側へ回る。

 太陽フィルターを付けた望遠鏡で海を見ると――。

 そこに浮かぶ島があった。


「ノートン。こちら尖塔ペントハウスだ。オメガの浮遊要塞を目視した」

『了解。現在詳細な距離を測定中だ』

「ノヴェルからの連絡は?」

『女神の話ではそろそろのはずだが――まだ何も』

「そうか。また連絡する」


 通信機を切り、ジャックは首を振った。


「ノヴェルからの応答はない。予定より遅れている。気球の準備を始めよう」




***




「なぁ。もひとつ聞いていいか?」


 赤黒い砂の上を歩きながら、オレはファンゲリヲンに訊いた。


「あの時、『お前みたいな男の子が欲しかった』って言ってたけど――あれは本気か?」


 それか、とファンゲリヲンは口籠くちごもる。


世迷言よまいごとというやつだ。そんなことを言っても始まらぬものをな。全ては終わったことだ」

「もしもだ。もしもオレみたいなのが居たら、あんたは変わってたか?」

「……」

「あいつの言うことに耳を貸さず、勇者になんかならなかったか?」

「……どうであろうな。過去は変えられん。意味のない仮定だ」


 オレは先を歩くファンゲリヲンの肩を引っ張った。


「もちろん仮の話だ。たらればだ。でも――マジに答えてくれ」


 ファンゲリヲンは小さく「ああ」と言った。

 そしてまた歩き出す。


「ああ。本気だ。だが私は、半端者だ。父として、医者として、宗教家として、勇者として――どこにも居場所のなかった道化者だ。根本的には変わらぬよ」

「そうかも知れない。でもあんたは、色んなものになれた。フラフラしてただけって言うかも知れないけど、あんたは色んなものになって、色んなものを救いもした。違うか?」

「壊しもしたし、殺しもした。目もあてられんやり方でな。ネグレクト、医療過誤、異端、悪党――なかったことにはできぬ」

「なかったことにしろなんて言ってない!」


 たぶんそれは、なかったことにしたいっていうファンゲリヲンの後悔の現れだったんだろう。

 背中がそう言っている。

 オレはその背中に向けて叫ぶ。


「少なくとも、あんたはオレを救った! あんたが善人か悪人かなんて関係ないんだ。あんたはオレの――」


 ファンゲリヲンが足を止めた。

 その先に――よろいの巨漢が立っている。

 背中に大剣を背負い、脇にも剣。

 禍々まがまがしい鎧の上には兜はなく、せて不健康そうな、不釣り合いな頭が載っていた。

 仰々ぎょうぎょうしい意匠いしょうのパイプを片手に。


「お前は――メイヘム!」


 いかにも、とメイヘムは答え、奇怪にじれた、しかし金色に輝く立派な王冠を取り出して――頭に載せた。


「我こそがモートガルド皇帝ディオニス二世。そして勇者・戴冠たいかんのメイヘムである」


 メイヘムは背中に背負った長い剣を抜く。


「道なかばにして果てた屈辱、晴らさぬまま置く男ではないわ」

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