46.3 「女神を拷問する」
同日――パルマ時間では昼食後であった。
午前中から皇女ミハエラは執務室で、二百年前の事件に関する膨大な文献の目録を頼りにアレスタの足取りを探っていた。
時計を見ると午後も三時を回っている。
そのときドアがノックされた。
「皇女陛下、ただいまブリタシア残存部隊より入りました報告によりますと――」
「ドアくらい開けてからお話しなさい、ノートン」
ノートンはもはやノックの返事も待てぬ様子だ。
殆どのメンバーはパルマに帰投したが、キュリオスチームのうち数名と、落水後救助された高速艇のメンバーのうち軽症の者は引き続きブリタシアに残り、
ブリタシアが無政府状態になっているため、
ノートンはドアを開け、皇女ミハエラに向かって第一報を上げる。
それはアレン=ドナの哨戒のため、カレドネルへ向かったチームからの報告を中心にしていた。
「カレドネルの一部――例のアレン=ドナ城を含むと思われる広範囲の土地が、土地
ミハエラはノートンの顔を見て、きょとんとしていたが、ノートンが何も言わないのでもう一度問うた。
「――ノートン、もう一度報告を」
「カレドネルの一部――例のアレン=ドナ城を含むと思われる広範囲の土地が、土地もろとも浮上したとのことです」
ノートンの口から出た言葉は、そっくり同じ。
「浮上とは、どういう状況を指しますか」
「文字通り、浮き上がって空を飛んでいるということです」
「土地が、空飛ぶ島になったというイメージを思い浮かべましたが、間違いはありませんか」
「ございません――少なくとも、報告を読む限りは」
記録によると初報はフルシのチームだ。パルマ時間の昼頃におかしなものを目撃していた。
北の空から現れた巨大な岩の塊だ。
上辺はややフラットに均したようだが、ギザギザしたシルエットは山に見えた。
海峡を越え南へ向かって空を飛んで行く大地――まるで島のようなもの。
フルシのチームは、直接パルマへの連絡経路を持たなかったため、ロンディアのチームに報告した。
ロンディアでは誰も空を見ていなかったため、精査するよう周辺のチームに連絡した。
この時点でブリタシアに駐留していたチームの間には激しく混乱があったようだ。
ロンディア北方、聖地ストーン・アレイ近くにいた分析官はそこでも空飛ぶ島が、聖地を切り取って奪い去るのを目撃していた。
一方で空飛ぶ島が飛行した経路には、大量の落下物が残されてもいる。
アレン=ドナへ向かっていたチームがその落下物を追い、時間差を置いてカレドネルに到着したとき――そこでようやく、ディラック湖周辺の土地がぽっかりとなくなっていることを確認した。
「何アールほどの大きさですか」
「皇女陛下――ディラック湖は、我が国の地図にはしっかり記載されておりませんが、巨大です。アールとかヘクタールの規模ではありません。数万エーカーの単位です。大きな街ほどの面積です」
一エーカーは約四キロ平方メートルにも匹敵する。
空飛ぶ島というのはかなり控えめな表現で――実際は空飛ぶ山地に近い。
カレドネルのチームは、深々と
「少し――理解が及びません。そのような巨大な土地が、空を飛ぶとはどのような理屈ですか」
「お言葉ですが皇女陛下。小さな島であっても空を飛ぶことはありますまい。いかなる魔術、いえ、魔法であってもです」
本当にお言葉ですね、とミハエラは珍しく不機嫌そうな顔をした。
混ぜっ返されたに他ならない。
理屈はノートンにもわからないということだ。
「そうではなく、何かアイディアはないのですか。そのようなことを可能にするトリックについて――」
「私には考えが及びません。ですが勇者たちのあの黒い力――あれが魔力よりも広く相互作用に介入できるとするなら、重力に介入することもあり得ます。ツインズのブラックホールも説明が――」
「わかりました。大賢者様のお知恵を拝借しましょう」
***
『アレン=ドナに戻せ。あれが動く』
コーマの言ったその意味は、言葉の通りだった。
ツインズ・オメガのほうはアレン=ドナへ戻り――
皇室宮殿大会議室。
そこに集められたオレたちは、机四つ分ほどもあるでかい星儀を見せられていた。
ブリタシア島の上に魔力球が光点として浮かんでいる。
それを背にして姫様が語られたことは――驚きを通り越していた。
釣りあげられた魚っていうのはこういう気分なのだろうか。
海の上に世界があったんだ、みたいな。
「どうしたノヴェル。釣りあげられた魚みたいな顔して」
「いや――ジャック、お前は釣りあげられた魚みたいな気持ちにならないのか?」
「俺はどっちかっていうと足が生えてきたオタマジャクシみたいな感じかな」
「あは、言えてる」
静かにしやがれ、とミラに
「その足が生えたオタマジャクシだが――君がそうならどこを目指す? ジャック君」
「まぁ、まずは――何はなくとも餌を探すだろうな」
その通り、と姫様の代わりに前に出たノートンが光球を動かして見せた。
現地のチームからの情報をまとめると、と前置きしてノートンは説明する。
「生存したツインズ・オメガはアレン=ドナ城を浮上させ、まず四百キロ南下し、ストーン・アレイ周辺を切断し、浮上させた後、島の一部に結合した」
ストーン・アレイ。それは聖地――だった場所だ。
つまり泉がある。
現地チームの報告によれば、死んだはずの泉は輝いていたらしい。
彼らは見た。
地中から黒い
まるでパンケーキの真ん中、バターやメープルシロップのかかった一番おいしいところだけをほじくり出すように――。
ストーン・アレイを含む土地は浮かび上がり、上空の空飛ぶ三万エーカーの土地――約十キロ四方の島に衝突し、一つになった。
ガイドブックに書かれた史跡ストーン・アレイを、一度はこの目で見てみたいと思っていたのに、それはもう叶わない夢になってしまった。
ツインズ・オメガに奪われてしまったのだから。
「現地の混乱と電波状況の劣化があり、報告までには約四時間のラグがありました。最終目撃地点は海峡を越えたフルシ西部――更に情報を集めていますが、超長距離通信の配備の遅れがありまして――」
ノートンは気まずい表情でそう語る。
まぁ情報室長としては肩身の狭い思いがあるんだろう。
「現在の予測地点はこのあたりと考えられます。この光点を中心に半径二千キロのどこかです」
光点は、大陸西部の洋上に移動した。
オレたちのいるパルマとは反対方向へ行ってくれたわけだ。
海を越えた先には南北へ広がるモートガルド大陸がある。
しかし半径二千キロとなるとだいぶざっくりだ。どこを目指して飛行しているのかまでは判らない。
爺さんが重い口を開いた。
「箱舟だな。奴めは――アレスタの悲願を、違った形で叶えたのだ。箱舟を建造して生き物を集めるより、環境そのものを箱舟にしてしまったほうが早い」
重く、諦めたような口調だ。
二百年前、宇宙の彼方に生まれたヴォイドが、周囲の真空にエネルギーを与えて真空崩壊を起こした。
アレスタ・クロウド――大英雄になれなかったその科学者は、爺さんたちとは意見を
ツインズはその息子たちだ。
彼らは女神病を通じてヴォイドの神を引き継ぎ、更には箱舟の夢も引き継いだんだ。
筋は通る。でも筋以外は何も通らない。動機も方法も見えない、途方もない話だ。
「しかしいかに女神の泉を奪おうとも、これほどの大魔術――考えられぬ。ヴォイドに
どれくらいの魔力でどれくらいの島を飛ばせるのか、それはオレには判らない。
もっとも、この場の誰にも判らなかっただろう。
「これも奴らの黒い力のせいなのか? 爺さん、これをしでかすのにどれくらい魔力があれば足りるんだ」
「――島を見ておらぬから何とも言えんが、報告の通りだとして――今この瞬間にある世界中の半分の魔力を集めれば、せいぜい浮かせて、世界を一周してみせるくらいのことはできるかもな」
「不可能じゃないってことか?」
「事実起きておるわけだが――理論上は不可能だ。世界の魔力の半分を集めるなど、
そうだ。
奴らがあの黒い力を振るい、身に
イグズスもメイヘムもそれを奪い合っていたくらいだ。
「待ちやがれ。ストーン・アレイだと? そこの女神の泉は死んでたんじゃねえのか」
ミラの疑問にはノートンが答えた。
「オメガはロンディアでアトモセムを殺した。彼女の力を奪ったとみて良いだろう。奪った女神の力で、泉を復活させたと考えられる」
「女神は? どうしてここにフィレムたちが居ない? 奴らは何か言わないのか?」
ジャックが訊くと、ノートンは妙な表情で首を横に振った。
女神の泉は――勇者たちの悲願だった。
女神の遺跡を巡って、メイヘムがどれほどの血を流したか。
でもその意味は、オレにはまだよく判らない。
「聖地か。ならばわしらの作った天文台もあるな」
「ご指摘の通り。ですがストーン・アレイは、聖地としては既に女神を失い、天文台も現在は別の施設に転用されています」
「別の施設――とな?」
ノートンが取り出した書類は、姫様が所蔵していた論文だった。
「先ほど大賢者様の仰ったように、魔力は
姫様がその論文について解説をしてくださる。
「これはブリタアカデミーとパルマアカデミーの共同研究で行われた、魔力を封じ込める実験に関するものです。皆さま、魔力ドレーンはご存知でしょう」
魔力ドレーン。
それはファンゲリヲンの『祈り』の力で動かした死霊から魔力を取り上げるのに使ったチューブだ。
本来は医療用に開発されたものと聞いた。
「この実験では、魔力ドレーンを大規模に連結し、巨大な閉じた輪を作ることで魔力を保存しようというものでした」
ふむ、と爺さんが首を
「面白いが、上手く行ったのかね」
「いきませんでした。
「なるほどなるほど。経路を長くしさえすれば、戻ってくる間に惑星の自転によって『同じ場所に戻る』ことは避けられるだろう、というわけであるな」
「その通りです。まさにこれは、そういうアイディアでした。地下に巨大な穴を掘って、そこに螺旋状にドレーンを通したのです」
アイデアは悪くないが難しかろうな、と爺さんは
「そこの星儀の上の光球と同じだ。魔力は、魔力として出現させた途端に術者の
ストーン・アレイが奪われたということは、その施設も奪われたということだ。
ツインズ・オメガは、なぜ今更失敗した実験施設を奪ったのだろう?
爺さんは気まずそうにオレのほうをちらちらと見ながら、溜息を
「つまり魔力として収束する前であれば、その限りではない。魔力の源――
オレは二つの意味で驚いた。
頑固な爺さんがオレの意見を自説に組み込んだ。
もう一つ、魔力プールとは――概念上のものじゃなく、実体を持った施設を指していたんだ。
「それって、例の魔力プールってことだよな!?」
「かも知れぬ。だが予断は禁物だ。魔力プールとやらが、ひとつとは限らぬ。わしなら――燃料タンクは複数用意する」
ジャックが口を挟んだ。
「ブリタの女王が奴に提供したんだろうな。いずれにせよ、昨日今日の代物じゃない」
「さよう。いくつかブレイクスルーはあったにせよ、何年も何十年もこのために準備をしてきたのであろう」
何のためにだ、とジャックは苦々しく言う。
「何のためにこんなことをする? 多量の魔力を集めた。それを安全に保存する方法も見付けた。箱舟もできた。一体何のためにこんなことをしたんだ。オメガは、親父の言いつけを守ったのか?」
全員が、集中治療室の方を見た。
見えはしないが、全てはそこに寝ている男が知っているはずだ。
報告を終えたノートンが、結論だと言わんばかりに眼鏡を直した。
「まさにそれだ。どのようにかは
「対応って――逃げる以外にどうするんだよ!」
「この世界のどこにも安全な場所があるとは期待できない。もしそんな場所があれば、私がもう皇女陛下を逃しているだろう。惑星全体が、奴の攻撃範囲だ」
たしかに、ノートンの言葉には説得力があった。
ここにミハエラ様がいるってこと自体が、どこにいても絶望的って意味だ。
「浮遊する島――アレン=ドナは聖地ストーン・アレイを奪いました。次に狙う場所はおそらく、モートガルド大陸南部、中立国エストーアの聖地です。ノートン、モートガルドとの超長距離通信の準備を。可能ですか?」
オメガが次も聖地を狙うとするなら、ルートからみても間違いはなさそうだ。
ノートンが眼鏡を直しながら星儀を回転させる。
「超短波を使った通信なら――ザリア自治領との連絡は実績があります。ですがエストーアとは直接連絡が取れず、ザリアを拠点に、更に中継する必要がございます。試験中のネットワークはございますが――それも
「時間がかかりますか?」
「設備だけなら一両日中にはなんとか。しかし人手が足りません。可能な限り伸ばしても、最後は人間が手紙を持って移動することになるでしょう。数時間のラグがあります」
ザリアは言わずと知れた、モートガルドの犠牲者だ。
パルマからは海を挟んだ丁度反対側の沿岸で、モートガルド帝国崩壊後は晴れて独立の道
オレが――街を飛び出して最初に訪れた異国で、『アイ・ラブ・ザリア』シャツを着て腰の引けた演説をかましたオレを温かく迎えてくれた、今でも他人とは思えない国だ。
爺さんが割って入った。
「リンの光魔術を上手く使えば延伸の手間が省けるだろう。光魔術の使い手はおらぬか?」
「はい、二名ほど……、その、ちょうど新たにトレーニングした光魔術師を送り込んでおりますが――このようにクリティカルなミッションを想定した人選ではなく――ベティノア・ローランドとキャスパー・クリッチュガウです」
ノートンが自信なさげにそう言うと、姫様が「あの二人……」と片手で額を隠した。
爺さんだけが「ベティとキャスか。孫がよくしてもらったよ、ホホ」と嬉しそうだ。
「いずれにせよ、アレスタの倅らが聖域を侵したのなら、女神らが黙ってはおるまい。彼女らをここへ。味方になってくれるはずだ」
爺さんの提案に、ノートンは「それが……」と
それを見て姫様が答えた。
「フィレム様は宮殿においでで、既に状況を説明してお声がけしております。スプレネム様は居所が知れず――昨日のうちにノートンのチームに捜索を命じました」
そっちはロウとセスだろう。
しかしスプレネムはふらふらとまたどこかに行ってしまったのか?
「スプレネムはここにいなので? てっきり宮殿においでだと思ってましたが」
「つい二日ほど前までお見えでしたのに……」
「フィレムのほうは協力的なんだろうな、姫さん」
それが――と、今度は姫様がノートン同様に口籠った。
「女神の存在が危ぶまれる事態が起きたと、それどころではないご様子でした」
「はあ? あいつ、こんなときに何言ってやがる」
ジャックは相当腹に
「勇者に関して、不介入はやめるって約束したんだろう。ミラやノヴェルやノートンが、あいつの
姫様に怒っても仕方がないが、オレは渋々
ジャックは舌打ちしながらその場の全員に向き直った。
「まぁいい。姫さんとノートンは、マーリーンと一緒にオメガの軌道を予測してくれ」
「いいえ。わたくしとノートンは、ツインズ・コーマを説得します」
「そうか。じゃあ、マーリーン。軌道の予測は頼む。フィレムの件は俺たちに任せろ」
「どうするつもりですか、ジャック」
ジャックはそれには答えず、会議室から出て行った。
***
「ジャック君! 待ってくれ! 話がある!」
オレとミラがジャックを追って出ると、後ろからノートンが追ってきた。
「ジャック君、何か感付いているだろうが――女神たちの様子がおかしい。特にフィレム様だ」
「ああ。そうみたいだな」
ロ=アラモで神罰を起こすと
大皇女アリシア様の友人だったフィレム様は、アリシア様を殺されて激怒した。
神罰でモートガルド全土を焼き払うと宣言したせいで、オレはそれをやめさせるために飛んだり落ちたり沈んだりしたんだ。
その代償に、彼女はオレたちへの協力を約束した。
女神にとって契約とは、約束とは最も重いものだったはずだ。
この騒ぎで、フィレム様が
「何か隠しているご様子だ。おそらく、この事態も予想していた可能性がある」
「オメガが聖地に手を出した時点で感付いていてもおかしくないからな――となるとこれはまずいな」
「スプレネム様は姿を隠し、フィレム様はだんまりだ。他にも不審がる者がいるかも知れない。ただでさえ何も情報がなくてピリピリしているのに――女神が信用できないのは問題だ」
ジャックはオレとミラの顔を交互に見て、溜息を吐いた。
「わかった。さっきも言ったが、フィレムの件は俺たちでどうにかする」
「心強いが――一体どうするつもりだ?」
決まってるだろう、とジャックは言った。
揺るぎない、至って真剣な表情で。
「女神を拷問する」
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