45.3 「俺はお前らが嫌いだ」

「フルシのどこかで、ベータとアルファを合流させる。そこからはノヴェルの考えた通りだ」


 昨夜、そういう予定を立てた。

 問題はそれがどこか、いつかだ。

 オレたちは既にビッグフット・ツーを破棄、フォーとファイヴを失った。

 ペアリーズ市を貫くセレーヌ川は広く、周辺には海抜ゼロの市街が広がっている。

 ――この雄大な川沿いに最高の文明をきずく前に、最低限の堤防すら造り忘れたせいで、歴史上何度となく高潮による洪水に見舞われる羽目になった。そのたびに多数の犠牲者を出しつつも勇者に助けられてきた。堤防建設の嘆願たんがんは毎年勇者に出されているが、今のところかなっていない――。

 手元にはないが、一言一句漏らさず暗記している。『ヒッチハイクガイド』にはそう書かれていた。

 その川幅いっぱいに広がって、遊覧船団が迫ってくる。

 オレは双眼鏡でその船を見た。

 遊覧船は、まだ早朝だというのにデッキにまで人があふれて超満員だ。

 おそらく――逃げてるんだ。

 左右に逃げ込めそうな水路はない。


「減速して寄せろ!」

「寄せても通れません、サー!!」

「とにかく減速だ! このままじゃ衝突するぞ!」


 セスとジャックの意見はまとまらず、船はとりあえず減速した。

 セレーヌ川の両岸、手摺の向こうにはペアリーズっ子がひしめいて「乗せろ!」と騒いでいる。


「アンタら軍の人間だろう!? 助けてくれ!!」

「頼む!! 乗せてくれ!!」

「まだ乗れるだろ!!」


 乗れるが、行き先が違う。

 オレたちは、あんたたちが逃げてきた奴のほうを向かってるんだ。


『対面の遊覧船を回避できない! 河口まで引き返しましょう!』


 前方、ビッグフット・ワンのロウがそう叫ぶ。


「了解! 引き返します!」


 セスが答えた、そのときだった。

 船が揺れた。

 押し掛けた市民が、さくを越えてこの船に飛び乗ってきたのだ。

 一人乗ってくると次から次へ――きりがない。


「ガキと女ばかりだ! まだまだ乗れるぞ!」

「おい! 降りろ! 降りろって! あたいらは軍でもなんでも――」


 ミラが抵抗する。

 それでも暴徒と化した市民らは次々と高速船に乗り込んできて、船体がぐらぐら揺れる。

 バランスを崩したミラの腕を、暴徒が柵越しに掴んで無理矢理引っ張り上げた。


「ミラ!」


 ミラの体が持ち上がる。

 オレは慌ててミラに取りすがるが、目の前に飛び乗ってきた別の奴が邪魔だ。

 そのうちにも、船は少しずつ遡上そじょうしてゆく。


「きゃあああっ!」


 リンが叫んで、小さい体を更に小さく縮こませる。

 暴徒がリンを退かそうとする。


「やめろ! 妹に手を出すな!」


 飛び掛かったオレは思い切り殴られる。

 暴徒に抵抗しようとしたセスも殴られ、川へと投げ捨てられた。


『セス!!』


 慌ててビッグフット・ワンが旋回し、セスの救助に向かう。

 ジャックは「クソッ!」とナイフを取り出す。

 でも――ミラが、抵抗むなしく柵の向こうへと引きり込まれてしまった。


「ジャック! ミラを助けよう! 船はここで乗り捨てる! ベータは足で探す!」

「くそっ――聞こえたかロウ!」

『ビッグフット・ワン、了解しました、サー!』


 一斉に柵を乗り越えて暴徒たちが乗り込んできた――。

 オッカムが柵に飛びついて、その向こう側に倒れる。

 オレはリンを両手でかばいながら、方々に叫び散らしていた。


「押すな! 押すなって! 船はくれてやる!」

「ノヴェル! ぼやぼやするな!」


 暴徒に揉まれつつ、河川敷の柵に捕まったジャックがこちらに手を伸ばす。

 オレはリンを抱えながら手を伸ばし、ジャックの手を掴んだ。

 オレが引っ張り上げられるのと同時に、あふれるほど暴徒を詰め込んだ高速艇が発進した。


「――危ない所だった」


 オレはジャックにリンを渡し、柵を乗り越える。

 そのとき――川上から迫ってきた船団が、乗っ取られた船をき潰した。

 高速艇はただの木片になり、遊覧船の起こす大波に揺れ、飲み込まれてゆく。

 セスを救助したロウは、そのまま急旋回した。


「ロウさん! 中央広場で落ち合おう!」


 オレたちは人混みをき分けてミラを探しに向かう。


『了解しました! 安全を確保し次第、上陸して向かいます!』


 ロウがそう答える。

 途中、倒れていたオッカムを助け起こした。

 暴徒に踏みつけられあちこち怪我をしているが、どうにか動けるようだ。


「ミラ! ミラ! どこだ!」


 ――いた。

 ミラはナイフを片手に、暴徒たちと乱闘を繰り広げていた。

 オレとジャックがミラを止めようと間に入ってゆくと――もう、ミラに挑もうという奴は残っていなかった。

 数人の暴徒がももや肩から血を流して倒れている。


「ミラ! もう止せ! 行くぞ!」


 ミラはそのうちの一人のくびにナイフを突きつけ、背中を柵に押し付けていた。


「待ちやがれ。今こいつと話してる」

「ひ、広場だ――。いきなりそこら中がぶっ壊されて――おれたちは軍に言われて広場に避難した」


 ミラがナイフを更に強く押し当てる。


「話が見えねえ。ならなんでテメエはこんなとこにいやがる」

「待ってくれ、つ、続きがある――そっ、そこに、広場に、空飛ぶ変な奴が――おれたちは、そこから逃げてきた」


 ミラはそいつの鳩尾みぞおちに思い切りひじ打ちをキメると、こちらを振り返った。


「広場だとよ」


 男をその場に投げ捨てると、倒れていた暴徒たちを踏みつけながらミラは歩き出した。




***




 スカイウォーカー、スティグマと呼ばれたその者は、今はツインズ・アルファと呼ばれる。

 彼は腕の内側の火傷を、興味深そうにながめた。

 それは彼にとって、初めての怪我だったからだ。

 電撃は鎖を抜けたらしく、火傷は鎖の跡と同じようにできていた。

 彼は水中で体勢を戻し、海上に抜けた。

 そのまま破壊された橋を越え、高く高く飛び上がる。

 高度千五百メートル。

 自らの原点ピボットを再固定し、停止した。

 彼は、一時的に自身の存在する座標系の原点を他の系に設定することで移動ができた。それが移動する列車であれ船であれ雲であれ、そこを起点にして存在することができる。

 仮に自身の位置を惑星外――例えば月――に固定することで、世界中の東西を二十四時間以内に移動することすら可能である。

 星から出るのは難しいにしろ、彼にとっては空を歩くことなど森の遊歩道を散歩するに等しかった。

 眼下に広がるアル・ペアリーズ・オ・フルシンの全図――それはミニチュアでもなんでもない。実物の風景だ。

 しかしその景色で、地上付近はまだ酷くかすみがかっていた。

 高度を二百メートルにまで下げ、海岸線に沿って入江、河口へ至る。

 沢山の遊覧船。

 そして乗り捨てられた一せきの高速船を発見する。

 乗組員がまだ近くにいるはずだ。

 空からの発見はならなかったが――彼は、光の女神に至る手がかりを見つけた。




***




 パニックになった人々の間を逆流し、オレたちは広場を目指した。

 ジャックは土地勘があるのか、先頭に立ってオレとリン、ミラとオッカムを導く。

 そういえばジャックはフルシ出身だったか。

 走りながら訊いてみると、ジャックは「クソみたいに悲惨な里帰りになっちまった」とだけ言った。

 ようやく広場にたどり着く。

 前に来たときの面影はもうない。

 山ほどの戦略兵器がゴミのような残骸ざんがいになってうずたかく積み上げられている。

 一部は焦げ、一部は砕け――。

 軍は壊滅だ。

 死傷者はとても数えきれない。

 そこに――ベータがいた。

 オレたちはひっくり返っていた赤い車の陰に隠れ、広場の様子を見渡す。

 ベータはホワイトローズを引き連れ、倒れている市民の間を歩いていた。

 喰っているんだ。

 オレ一人では見えない。それでも――きっと奴は、あのヴォイドの腕を出して、広場に溢れていたはずの沢山の輝きを平らげた・・・・


「ノヴェル……あのヒトって」


 リンがおびえた声を出した。

 オレはうなずき返す。


「あいつが誰かはもう関係ない。世界の敵だ」


 まだロウたち、そしてノートンの姿はない。

 あるのは犠牲者の姿ばかりだ。


「リン。あの、爺さんが作った薬みたいな――お前やジャックを治療した魔術は使えないのか?」


 リンは頷く。

 オレが訊いたのは、ソウィユノにやられた傷をいやした、爺さんの小瓶に入っていた光球のことだ。

 あれは光の魔術だと言っていた気がしたが――どうやらああいう複雑な魔術は、術者の技術や知識にるものらしい。


「なら、ミラはどうだ?」

「あたいもやってはみたが――インターフェイスは目覚めなかった。重傷者はどうにもならねえ」


 そうだ。彼女がインターフェイスに試していないはずはない。

 爺さんクラスでないと難しいようだ。

 つまりチャンスは一度。

 そして目の前の犠牲者たちを、救う方法はない。


『トレスポンダ卿、ノヴェルさん、ミラさん』


 不意に、耳のイアーポッドが反応した。

 ロウたちが通信範囲内に入ったのだ。


「ロウさん。オレたちは広場だ。南門の塔の近く、赤い車の陰にいる」

『西のストリートから近づいています』

「アルファは――」


 オレは車の陰から広場の西側を見る。

 訊くまでもなかった。

 ロウたちを追って――ツインズ・アルファが広場に来た。

 奴は、通りに並ぶ洒落た建築の上の空中を、悠然ゆうぜんと歩いていた。


「アルファだ!」


 アルファとベータを、同じ場所に集めることができた。

 ジャックを見る。


「まだノートンさんがいない。オレたちだけで作戦の残りは実行可能――だよな?」

「できるが、ホワイトローズが邪魔だ。奴を排除しなきゃならん」


 作戦では、その場合はロウとセスのチームが『なんとかする』予定だった。


「――オレがやる。ここからの作戦にオレは必要ない」

「秒で殺されるぞ! 手も足もでない――なぜかわかるか? 斬り落とされるからだ!」


 ジャックは、ナイフの背でオレの手足を切る真似をした。

 でもオレは退かない。


「隣――あそこに美術館がある。そこにホワイトローズを誘い込む。オレは中の構造を知ってる。逃げ込めればこっちが有利だ」


 話しながらオレは、落ちていた短機関銃を拾う。

 カートリッジを抜いて火薬式かどうかと見ていると、ジャックにそれを取り上げられた。


「武器に頼ろうとするな。奴には効かん。逃げることだけに集中しろ」


 お前のほうこそ銃にばっかり頼ってるじゃないか。

 そうは思ったが、オレは言わなかった。


「リン。お前はここで待っていろ」

いやです!! もう留守番はしませんっ!!」

「だめだ! 危険すぎる! 聞き分けろ!」


 オレが必死で説得しているのに、ジャックの奴が「いや、リンちゃんの言う通りだ」と横から口を挟む。

 ジャックは割とマジな顔でオレを見て言った。


「ノヴェル、お前は悪運で生き延びちゃいるが、役立たずだ。得意の車も、ここにはない。そこいくと妹は女神だ。リン――どうかノヴェルを頼む」

「おいおい! そうじゃないだろ!! リンがここにいなきゃ、作戦に響くだろ! お前らはここで、ツインズを引きつけなきゃいけないんだぞ!」


 ジャックは、「俺のことは心配するな」と、シャツをまくって見せた。

 腹から胸にかけて、紐で本をくくりつけている。

 昨日の作戦会議の席上、ミラが突然思い出したのだ。

 爺さんがエンチャントしたという、物理的に破壊不可能な最強の物質である宿無亭やどなしてい宿帳・・――。

 たしかにそれはジャックの命を何度か救ったらしい。

 彼らがベリルをった際、ジャックに渡すようミラがノートンに託されていたものだ。

 それを思い出し、『やっべえ、忘れてたぜ』と出したのでジャックは顔を真っ赤にして怒っていた。


「聞け。こっちにはミラがいる。ツインズをおびき出すことにはひとまず成功した。妹を隠せ。ここじゃ奴らに近すぎる」


 ――確かにそうだ。

 オレは頷くしかない。

 悔しいが。


「くそっ。でもジャック――『車がない』って? そうとは限らないぜ」


 お前の眼は節穴ふしあなかとばかりに、オレはオレたちが隠れている車を叩いて見せた。

 こいつをひっくり返せば、きっと助けになる。




***




 せーの! で、ひっくり返した車に、オレとリンは飛び乗った。


「奴らに見つからないように頭を下げてろ! 何があっても上げるなよ!」


 リンには、爺さんの古ローブを切ってこしらえた上着を被せていた。

 イグニッションをかける。

 思った通り、内燃機は調子よく始動した。土埃をかぶっていても、新車はすぐに判るものだ。

 既にジャックたちは別の瓦礫がれきの陰に移動している。

 オレは親指を立ててジャックとミラに合図を送ると、車を走らせた。

 ツインズとホワイトローズはもうこちらに気付いてる。

 オレはブレーキを掛けたまま、アクセルをべたべたに踏み込む。

 ファンゲリヲンがやったようにだ。車はうなりを上げて横滑りを始めた。

 横目でホワイトローズを見る。

 奴が剣を抜いた。

 ――レディ。


「いくぞ!」


 ブレーキを離してアクセルをゆるめ、タイヤに地面を噛ませる。

 ホワイトローズが突進する。

 バン!

 車が勢いよく飛び出した。

 後ろを振り向くと後部トランクが切断され――置き去りになっている。

 ホワイトローズが剣を振り下ろしていたのだ。

 危ない所だった。


内燃機エンジンが前で良かったな!!」

「何言ってんのかわかんない!」


 バックミラーにはもうホワイトローズが映っていた。

 タイミングを合わせてオレはステアリングホイールを回す。

 飛び掛かってきたホワイトローズは車を外し、遥か前方にまで転がって壁を突き破った。

 通信機越しとはいえ、あいつと沢山会話したせいか――攻撃のタイミングがある程度読める。

 なんというか、呼吸だ。

 広場をぐるりと取り囲む階段に乗り上げ、更に上の歩道へ。

 オレはブレーキを踏んで後輪を滑らせる。

 歩道の地面は崩れていて、車がとにかくよく滑る。

 オレは真っすぐ前方に美術館をとらえる。

 ツインズは――と一瞬だけバックミラー越しに流れる景色をのぞき見た。

 奴らは死体漁りに忙しいようだ。

 これも予想通り――奴らは、オレごときの始末に手をかない。

 だからホワイトローズだけを引き離せる。


(あとは頼んだぜ、ジャック、ミラ)


 オレはグリップを戻した車体を、美術館の豪奢ごうしゃなメインエントランスに向けて――暴走させた。




***




「ノヴェルの野郎は行ったか」

「ああ」


 美術館へ突っ込んでゆく赤い自動車を見送って、ジャックとミラは立ち上がる。

 ホワイトローズは崩れた瓦礫から出てくると、ノヴェルを追って美術館のほうへ消えた。


「俺らも仕事をしようぜ」


 ジャックは物陰から出て、ツインズに向けて声を張り上げる。


「よぅ兄弟! 俺はジャックってもんだ! って――そっちの奴は知ってるな!? ベリルじゃ世話になった!」


 ツインズがジャックを見た。

 ベータは死者の間に立って、アルファは上からジャックを見下ろしている。

 ――アルファを地面に下ろす。それがこの作戦の、最後のトリガーだ。


「マジでそっくりだな! どっちが兄貴とかあるのか!? どっちがベッドの上で寝るか、どうやって決めるんだ!?」


 ジャックは喋りながらフラフラと前にでる。


「そっちの飛んでる奴! 俺たちはお前のことをアルファって呼ぶことにしたんだ! 厭でももう変えられない! 会議で決めたからな!」


 アルファを指差すが、聞こえているのか居ないのか、何の反応もない。


「聞こえてるか!? 歳だから、耳がちょっとアレか!? 若作りしてるがもう百五十だもんな! 空ばっかり飛んでると、ゴアみたいに耳が悪くなるぞ! 降りて来いよ!」


 アルファとベータは高度差を越えて互いに顔を見合わせ、いで目を細めて胡散うさん臭い男を眺めた。


「ああーもしかして世間話は嫌いか? だがな、こいつは存外、重要な示唆しさだぜ。お前らが本気を出せば、俺たちなんか簡単に殺せたはずだ。俺が今ここでこうして記者よろしくプライベートな質問ができるってことは、お前らがサボってた・・・・・ってことだ! そうだろ? なら当然のこと、お前らはその間何をしてたかって思うよな? 仲間の命より大事なことか? ああ!?」


 ツインズは何も答えない。

 だが二人は黙って、じっとジャックを見詰めている。

 ベータは地上、アルファは空。その距離は未だ三十メートル以上。


「――揃って無口な野郎だな! でも聞かせろよ。そっちの奴は、なんだってベリルで俺を探してたんだ? 新しい勇者のり手を探してたのか? 生憎あいにくだな! 俺はそれほど強くなくってな! それにそもそも――」


 ジャックはゆっくり息を吸って、両手の指でツインズをそれぞれに指差した。


「俺はお前らが嫌いだ」

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