Ep.45: 光と闇の交差する世界

45.1 「これはもう復讐じゃない。オレたちの未来のために戦う」

『光(Light)』


 ――と題されたその絵は大判で、暗く殺風景な部屋の印影を写実的に描いたものだった。

 右のベッドには女性が半端な姿勢で寝そべり、左を指さしている。

 女性は肉感的で色白。一糸まとわぬ姿だ。その絵を最初に見たとき、その長い手足は、神格が暴走しつつあったリンのことを思い出させた。

 今なら輸血するときに腕をとったミラを思い出すだろうか。

 左の窓から差し込む陽光が、鏡や水差しや、ナイフの刃に鋭いハイライトを加えている。


「この絵の作者は生涯を謎に包まれている。作画技法も詳しく判っていないが、一説によるとこの光の振る舞いを忠実に描くのに、カメラ・オブスキュラを使っていたと言われる。だから実際は、光は右から来ているのかも知れない」


 学芸員よろしくオレにそう解説したのは――誰だったか。

 それとも、絵の解説にあった文言を読んだだけだったか。

 たぶんそうだ。オレはそこにあったカメラ・オブスキュラの図解も見た。

 レンズで暗箱の中に光を集め、鏡に反射させて上部の転写台に映す。そこに映した像をどうするかは使い手次第だ。

 感光紙に転写すれば写真機になり、紙にペンで写し取れば製図台にもなる。

 オレは絵画に視線を戻す。

 壁際の長い姿見。窓際に置かれたテーブルの上の皿には林檎が二つあり、片方は真っ二つに切られている。それとナイフ、透明なガラスの水差し。

 水差しは空っぽだった。

 そうだ。

 オレはこの絵を、フルシの美術館で見た。

 インターフェイスと、あと――。




***




 オレは目覚めた。なんだか懐かしい夢を見ていた気がする。

 内容は思い出せない。

 船室の外は早朝だった。


『ツインズの次の攻撃は、夜中のうちに行われるだろう』


 ツインズは目撃されることを極端に嫌う。

 だからベータが回復し次第、朝までには攻撃が開始し、終了すると予測を立てていた。

 でももう朝だ。

 船内は静まりかえっていた。

 ブリッジにはもう全員が集まっていた。ただしそこにインターフェイスはいない。

 リンが朝食を作り、エイス船長以下皆に振舞っていた。

 オレも食べた。

 酷く懐かしい、宿無亭やどなしていの味だった。

 皆、押し黙って食べていた。

 一番最後に来て、オレは真っ先に沈黙に耐えられなくなった。


「――誰か、何か言えよ」

「うまいな」

「ああ」


 会話が続かない。

 何となく全員が悟っているんだ。

 これが最後の食事になるかもってことを。

 オレたちは、それぞれ事情は違っても――この勝てっこない争いに身を投じた。あるいは単に、巻き込まれた。

 その意味じゃ征東戦争で滅ぼされた山岳の小民族も同じ。

 ジャックがスプーンの先を眺めながら、いた。


「――もう一度聞くぞ、ノヴェル、リン。ノートンとエイスも」

「なんだよ」

「俺たちは、ツインズについちゃ他の奴よりは詳しい。今のうちにここを逃げだして、多少長生きするって手もある。人里離れた山奥で、少しの間は面白おかしく暮らせる。悪くない話だと思うが」

「ジャック、そのことならもう――」


 それについては昨夜もう答えた。

 オレたちにとって、そんな暮らしはもうリアル・・・じゃない。リンも危険を承知で了承済みだ。

 気が付けば何もかもが変わってしまった。

 オレの家族は死んだり死にかけ、神になってしまった。

 ほんの一時いっとき、親父みたいな存在もできたが、それも奪われた。

 友人は――皇女様も友人に含めてしまうが――遠い故郷の国で、きっと心配しているだろう。

 でも少なくとも敵を倒し、オレやその友人たちの安全が保障されるまでは何一つ元に戻らない。

 ジャックやミラだってそうだ。

 彼らの――絶対に復讐を果たすっていうその決意は、変わっていない。

 オレは彼らみたいに固い決意で始めたことじゃなかったけれど――今は決意じゃ彼らにも負けないつもりだ。


「言った通りだ。オレもリンも逃げない。オレにとって、これはもう復讐じゃない。オレたちの未来のために戦う」

「私もだ。ジャック君」

「あたしらはこれが仕事でやすからね」


 ノートン、エイス、ロウ、セスも――この戦いは皇女様を守るという点では目的は同じだ。

 オレはジャックに向いて改めて答えた。


「決着をつけよう」

「ああ。そうだな」


 通信機のランプが光った。


『キング・ミステス・ワンからナイト・ミステス・ワンへ。ブリタ=フルシ連絡橋でツインズ・ベータ、および勇者・慈愛のホワイトローズを確認。フルシへ向かっている模様』

「了解」


 エイスの返答は短かった。

 キング・ミステスは、ドノバの市民を粗方あらかたフルシ側へ送り届け、そのまま連絡橋へ向かった。

 このドノバ港から連絡橋は、船で九十分の距離だ。


「予想通り、ベータとホワイトローズは行動を共にしている。連絡橋に現れたということは――」


 何通りも考えたうちの、二番目がヒットした。

 このシナリオでは、アルファがこちらへ来る。

 昨日作ったトンネルを通って――。

 オレが窓から外をみたとき、それは起こった。

 ドドド、ザザザ、と地滑りするような轟音が響いて、港近くの倉庫がすっかり陥没した。

 煙が上がる。


「ごちそうさん。うまかったよ。名残しいが食事はしまいだ」

「ああ。今度ポート・フィレムに行くときはお前ん家を予約するぜ」


 その中から飛び出してきたのは――ツインズ・アルファ。

 オレンジ色の朝日を浴び、輝くような闇が、地中から現れた。

 自分の左半身を、ヴォイドの神化した魔人。

 人の死に場所に現れる死神であり、自身の死の運命を逃れるため、第二法則にあらがって多くの人間を殺してきた。

 勇者――それに力を与え、導く者だ。

 でもその導く先には、何もない。

 虚無こむだ。

 ――笛を吹くように、人々を虚無へいざなう。


「アルファ確認。こちらナイト・ミステス・ワン。ドノバ港でツインズ・アルファを確認。第二シナリオでの計画を進める」


 決戦の時だ。




***




「この作戦では敢えて高速救命ていを使う。キュリオスはバックアップだ」


 ジャックが昨夜そう話した通り救命艇に乗り込む。

 高速救命船団――暗号名ビッグフット――五せき

 十人くらいまでは余裕で乗れるが、機動力のため乗員は最低限だ。

 ビッグフット・ワンにはロウとその部隊、ツーにはジャックとオレとリン、スリーにミラとセス、フォーとファイヴにはナイト・ミステスの船員だ。それぞれに高位の船員がついて、魔術で推力をサポートする。

 ノートンはキュリオスに搭乗した。

 小型通信機と、耳のイアーポッドを確認。


『キュリオス・ワンのノートンだ。ビッグフット全船、作戦を開始せよ』

『ビッグフット・ワンから全船。アルファを連れて連絡橋へ向かえ!』

『こちらナイト・ミステス・ワン、海域を一時離脱しやす。ご武運を!』


 見る見るうちに辺りは霧の船団の造る濃い霧に包まれる。

 それを破って――オレたちは高速で飛び出した。

 空は晴天だ。

 船底が波を叩いて、海上を跳ねる。

 海は鈍色にびいろからオレンジ色に複雑なグラデーションをもって、夜明けをいろどっていた。


「アルファはこっちへ来てるか!?」


 オレは双眼鏡で後方を確認する。

 ばっちり、アルファはオレたちを追ってきていた。


「作戦通りだ!」


 作戦――。

 他に言葉がないからそういうが、実のところこれは作戦なんて呼べる代物じゃなかった。

 この作戦の中核を考えた人間は、もうこの世にいない。

 いないんだ。




***




 対地速度七十ノット――時速で約百三十キロの世界は、会話はおろか息もシールドなしじゃままならない。

 このスピードでなら連絡橋まで一時間弱で到着する。


『奴は後ろか!?』


 双眼鏡を使うまでもない。

 ツインズ・アルファはオレたちのすぐ後ろ、上方二十メートルあたりをピタリとついてきている。


「ああ! バッチリついてきてるぞ!」

『加速します! 捕まってください! 風防シールドの陰から顔を出さないように!』


 船尾の推力ブースターのところでそう声を上げたのはオッカム――ジャック邸で世話になったロウの部下だ。

 操縦桿そうじゅんかんを握るジャックが応じた。


『了解! ぶっ飛ばせ!』

「リン! 捕まってろ!」


 高速艇はぐんぐんスピードを上げる。

 この速度じゃ海面はコンクリートと同じ固さだ。

 海中のキュリオスからノートンが叫ぶ。


『ジャック君! つたが来るぞ! 合図で進行方向右へ六十センチ避けて、五秒以内に元の軌道に戻れ! 三、二、一!』


 船体がぐっと傾く。

 まず右へ――そして突然海上から突き出した、サンゴのような黒い蔦をオレたちはかわした。

 クイック&ターン。

 四秒で船が左へ戻って一秒後、右前方の海上を突き抜けて次の蔦が飛び出した。

 戻れなかったら船底を串刺しにされていたところだ。

 ヒヤリとしている余裕もない。

 舳先へさきか蔦か、切り裂いた波頭の飛沫しぶきが顔にビシビシと当たって激痛がする。


「ノートンさん! 助かった! よく予想できたな!」

『コツを掴んできたのもあるが、下から丸見えなのだ――って前方!! 上に何かあるぞ! 気を付けろ!』


 前方の空を見上げた。

 青くなり始めた空を、真っ黒い巨大黒体が落ちてくる。

 それはり付ける朝日を浴びて尚、無限に黒い。

 先行するビッグフット・ワンがその下を抜けてゆく。


『全船! 前方のブラックホールを回避しろ!』

『加速だ加速! まだまだいけるだろ!』


 前にはブラックホール。後ろにはアルファ。

 黒体の下を潜り抜けるしかない。

 ジャックは全身で操縦桿を曲げる。

 目いっぱい船体を傾け、更に加速してブラックホールの下を抜けきった。


「やったぞ! 抜けた!」


 そのまま次々と後続の船がブラックホールを避けてくる。

 一隻、二隻――。

 でも最後の船が、け切れずに後部をブラックホールにえぐり取られ、ふわりと浮き上がると――乗組員をバラまきながら逆様に着水した。

 ブラックホールの落下は容赦ようしゃなく、それを大量の海水と共に蒸発させる。


『ビッグフット・ファイヴがやられた!』


 ブラックホールは、何事もないかのように沈んでゆく。

 抜けきったオレたちも、不快な減速を始めていた。まるで砂浜で足元を波にさらわれるような感覚だ。

 船の下の水が、急速に逆流しているのか。


『クソ!! 火を食らわせろ!!』


 ジャックが後ろを振り返りながらそう叫ぶ。

 ビッグフット・フォーの魔術師たちが、一斉に魔術を放つ。

 打ち出された多量の光球は、しかしツインズへは向かわない。

 大量の蒸気を噴き上げて海水を飲み込み続けるブラックホールへ向かって、全弾が発火した。

 ドーン――と、超強力な爆弾のような爆発が起きた。

 爆風は蒸気を巻き込んでふくれ上がり、海に咲いた真っ白な華のように破裂する。


『やっ――ぁっ! 水素爆――だ!』


 衝撃波で船が暴れ、イアーポッドの通信が途切れた。

 オレたちはブラックホールの吸い込む海水の流れのせいでだいぶ減速しているが、ツインズはそれ以上だ。

 突如下からの爆風にあおられ、ツインズは空中でくるくると回転していた。

 アルファはそのまま後方の海へ落水する。


「やったぞ! 奴をとした! 一発食らわせてやった!」

『一発だけだ! 気を抜くな!』

「ノートンさん! キュリオスは無事か!?」

『無事だと――いところだが――潮流に巻き――れてぐるぐる回っ――先に行け!』

「先に行けってのは後から来るってことだよな!?」

『多分――が万が――頼む! とにかく――行け!』


 ノートンの声が聞こえなくなった。

 通信範囲から出たんだ。

 頼む――上手く行ってくれ。

 アルファは戻ってくるだろう。

 残り四隻。

 皆、無事でいてくれ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る