44.4 「ベータは女神アトモセムを喰った。味をしめたはずだ」

「は――? 輸血?」


 船の処置室に入ったオレたちをよそに、ミラはベッドに横になった。

 隣には処置台に乗ったインターフェイスがいた。

 豚の内臓を細胞・樹脂置換した血液バッグとぶっとい注射針を渡され――「輸血しろ」とミラが迫ったのだ。


「輸血なんかやったことない! 無理だ!」

「ミラ、輸血製剤を探せ。たぶんだが、もっとマシなやり方が――」

「時間がねえって言ってるだろ! こいつがあたいをモデルに作られたなら――血液型だって合うはずだ!」


 判るかそんなもん、とジャックは言うが――一刻を争うなら他に手段はない。


「わかった。これを刺せばいいんだな?」

「マークを付けておいた。しくじるんじゃねえぞ」


 ジャックがオレとミラの間に割って入った。


「待てよノヴェル! 本当にこんなことするつもりか!? 失敗すればインターフェイスだけじゃない、ミラも危険になるんだぞ!」


 でもミラがインターフェイスのためにならない判断をするとは、オレにはどうしても思えない。

 ミラはジャックにメモを突き付けた。


「あたいの血液型はこれだ。あたいがここで死んで困るってなら、こいつを探してきやがれ。あと製剤を扱える医者もだ」


 ジャックはうなずいて、何度か振り返りつつも処置室を出て行った。


「さあ、やれ。ぐずぐずするな。さっさとやれ」


 本当にこいつは、なんというか思い切りのいい――。

 やるぞ、とオレはインターフェイスの腕を取る。


「そっちじゃねえ! あたいから血を抜いてバッグがふくらんでからだ! 常識だろ!!」


 そんな常識を求められても困る。

 困るが――。


「わ、わかった。空気が入らないようにだな?」

「そうだ。膨らんだらバッグの下の弁を切り替えろ」


 ぶっとい針を手に、ミラの腕を取る。

 ミラの白い肌に針先を当てる。


「ゆっくり入れろ」

「ハ、ハイ」


 ぷつり、と弾力のある肌に穴の開く感覚があった。

 そのまま針をゆっくり差し込む。

 どれくらいだ。どれくらいまで中に入れていいんだ。


「おい、ミラ、まだか?」

「まだだ。血管がある。もうちょい――そこだ」


 ミラはオレの目をにらみつけたまま、悲鳴みたいな声を上げた。

 確かにちょっと違う手ごたえがあった。


「わ、わかるのか? 自分で感じるのか?」

「感じるわけあるか。おめえの動揺どうようを読んでる」


 なんでもできるな。


「少し力を入れて、慎重に突っ込め」


 ぶつり。

 刺さった。

 ミラはウッと表情をゆがめて、息をらす。


「――」

「大丈夫か」


 ミラは血液バッグを見る。

 血液バッグに空いたガラス窓からは、鼓動こどうに合わせて血液が流れ込んでいるのが見えた。

 バッグ自体も徐々に膨らんでいく。


「オーケイ、上出来だ。次はインターフェイスだ。今ので要領はわかったろ?」


 オレはインターフェイスのそばに移動して、針を取った。

 輸血針とインターフェイスのお人形みたいな腕を手にして、オレはまたまごついた・・・・・


「なぁ、こっちはミラがあらかじめ刺しとけばよかったんじゃないか?」

「……今頃言っても遅い」

「段取りが悪いぞ!」


 インターフェイスの腕の内側は、更にきめ細かくて弾力もある。

 なのに意識がないのか腕はだらんとしている。

 オレはそこにつけられた朱色の目印に針を刺し、慎重に――血管を探す。

 ――あった。

 そこにぷっつりと針先を進める。


「――これでいいのか?」

「さっきあたいで試しただろ。自分を信じろ」


 ミラの指示に従い、針をテープやバンドで固定した。

 輸血バッグの弁を切り替える。

 流入が始まった。


「――よさそうだ。ミラ」

「あ――ああ、すまねえ。気分が悪い」

「大丈夫か?」

「だ、大丈夫だ。でも、少し、そばにいろ」




***




 ジャックが血液製剤と医師を見つけて戻ったのはそれから小一時間ほどした頃だ。

 医師はロウたちのチームに同行して、街で怪我人の対処に当たっていたらしい。

 オレはずっと放心していた。


「輸血ショックもなし。容体は安定しています。止血は――ちょっと見直しておきましょう」

「この子の意識が戻らない」

「――お約束できることはありません。ここは海の上です」


 オレとジャックは、その場を医者に任せて船室を後にした。




***




 夕方、オレたちはツインズの再襲来に備えて作戦を立てた。

 結論としては、ツインズは次こそ海峡を越えて大陸に進出――フルシを襲うだろうということだ。

 それがいつなのかは、ツインズの異常な機動力を考えると予想しにくい。

 明日か、それとも今夜か。


「それまでにミラ君は復帰できそうか?」

「おそらく一、二時間で戻るだろう。インターフェイスはまだ意識不明だ」


 君は戦えるのかね、と尋ねられてジャックは自分の怪我を思い出したようだった。


「あ――ああ。おかしいな。もう傷がふさがってる――」


 ジャックは自分のい跡を確認して目を白黒させている。

 たぶんホワイトローズと揉みあった影響だ。

 ファンゲリヲンの力が『祈り』ならホワイトローズの力は――。


「奴の『いやし』の力は、無差別に発動するのか――?」

「判らんが、そうだとすれば驚きだ。そのホワイトローズとアルファが合流した。今頃ベータの治療に当たってるはずだ」


 ベータは今日時点ではまだ動けなかったようだが、時間の問題だろう。


「ホワイトローズがロンディアまで往復五時間、治療に三時間かかるとしても、最速で今夜中には次の襲撃が予想される。夜明け前には襲撃を終えるだろう」

「君のその予想はどれくらい確かなのだ」

「正直なところまったくアテにならん」


 そうジャックは断言しつつ、「だが――」と続けた。


「フルシに向かうルートのほうが重要だ。奴は今日ここまでトンネルを開通させたが、フルシを狙うなら連絡橋のほうが近い。トンネルルートか、連絡橋ルートか、それとも二手に分かれるか」

「連絡橋はフルシ軍が封鎖している。ホワイトローズ単独で連絡橋に向かう可能性は低いだろうな」


 ホワイトローズは連絡橋でフルシを目指すだろう。

 ノートンのいうように、ホワイトローズが単独でフルシ軍と戦うのは不合理だ。

 つまりツインズとホワイトローズが三人で連絡橋を通るか、アルファかベータのどちらかがトンネルを通るか、その二択だ。

 もちろん可能性だけなら他にいくらでも考えられるが――軍隊なんて奴らにかかれば良質なえさでしかない。だから奴らは忌避きひしない。後は単に効率の問題なんだ。


「俺は二手に分かれると思う。俺たちにとって最も都合の悪いルートを想定して対策するべきだ」

「なぜ分かれるのだ。同時に攻めたほうが効率がよかろう」


 それについては、オレも何となく別れる予感があった。


「たぶんだけど――オレも二手に別れると思う。奴が別々のブラックホールを複数出すのを見たことがない。一個のブラックホールから小さいのを千切ったりはしたけど、大きいのは一つだ」

「ああ。ノヴェルの言う通り、奴は大技を出し渋ってる。何か理由があるはずだ」

「あれほどの高温なら水素爆発が起きるかも知れないな。奴が警戒しているかはともかく――」

「理由はわからんが、奴らが敢えて別れるならこっちは合流させるよう仕向けるべきだ」


 おとり作戦か、とノートンは言う。


「他にアイデアはないのか」

「ない。俺たちが後手に回るしかない以上、これが最善だ」


 ノートンは足を組み替えた。


「しかし釈然しゃくぜんとしない。奴はもうインターフェイスを排除した。ここを通る理由はないのではないか?」


 オレは、ジャックとノートンの両方を盗み見る。

 その結論は、オレの最も恐れるものだ。

 考えたくない可能性。

 だから自分で言うことにした。


「奴は――アルファは今日、ここでたぶん、見付けちまったんだ。リンを」

「ベータは女神アトモセムを喰った。味をしめたはずだ。奴らも知らない光の女神を見つけて混乱しただろうが、次来るときはきっと違う」


 女神アトモセム――昨日ウインドソーラー城の式典を襲ったベータは、期せずして女神アトモセムと戦ってその味を知った。

 それは奴にとっても禁断の果実だったはずだ。


「ああ。どちらかが、リンを喰いにここに来る」


 ベータに女神の味を聞いてアルファが来るか。

 アルファに新しい女神の話を聞いて、ベータがおかわりに来るか。

 兄弟で分け合うとは思えない。どちらか片方だけが、絶対にここに来る。

 それだけは、確実に起きる未来だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る