43.3 「名案じゃないか! 試してみる価値はあるよな!?」

 スティグマはブラックホールを出して三層から最下層まで貫く大穴を開けた。

 ブラックホールが最下層まで到達すると、スティグマはそれを消滅させる。

 大都市の真ん中に、その縦穴は突如出現した。

 見通しの悪い高層建築が減り、各層の外周道路が分断されて、街が本来の姿を現す。

 モット・アンド・ベイリー構造。

 ブリタシアでは伝統的にこの構造の城が多い。天然の地形を利用した土塁モットの上に城をきずくのだ。

 ロンディア城が難攻不落と呼ばれたのは、各層を内郭インナー・ベイリーとして繋ぐキルゾーンの周到さ、執拗しつようさだ。

 今や、穴だらけ道だらけとなったこの内郭に、もはや城としての意義はない。

 彼は女神の力さえ手に入れた。

 これで彼の目論見通り、あの古い聖地を復活させることもできるであろう。

 彼の計画は、ここへ来て一気に進み始めた。

 彼にまつろわぬ者どもが藻掻もがけば藻掻くほど、この世界がおおい隠す構造が明らかになる。

 皮肉なことにそれは彼にとって追い風でもあった。

 スティグマの動きは、やや慎重であるように見える。

 この街に来てから、一切の迎撃がない。

 街が治安維持装置を持たぬはずもないのに。

 それはつまり、この街が彼を・・・・知っている・・・・・かも知れないということを意味する。

 攻撃は効かぬということを。

 誰かがスティグマの情報を伝えている。

 それとも――。

 スティグマは、ブラックホールの破壊によって構造をあらわにした高層建築の中で震える人間たちを横からながめる。

 逃げ隠れるばかりで、誰一人自分に向けて魔術を使う者はいない。

 単に、気概きがいを持たぬということなのか。




***




「インターフェイス、さっきのは何だ」


 ミラがインターフェイスにそう問う。

 インターフェイスは、物言わぬスティグマの代わりに彼の言葉を伝える。

 オレはアレン=ドナ城で一度見たが、ミラは初めてだろう。


「私はあのお方の口であり、耳であり、目であるのです」


 目、口、耳、鼻――七つの穴。

 何か引っかかるものがあったが、オレはかぶりを振ってインターフェイスに訊いた。


「それって、りつかれたみたいな感じか?」

「さて、『憑りつかれた』というのがどういったものか、私には判らないわ」


 オレだって憑りつかれた経験はないし、自分で言っておいてよく判らない。


「自分で喋ってることは判るのか?」

「場合によるわ。直接的でなく、私の意識に伝言を頼まれることもある。そういうときは勿論判るけど――さっきのは、判らなかった。私には、その間の記憶もない。後から、聞いた者たちの反応を見て知るの」


 つまり完全に乗っ取られる感じなのか。

 七つの穴。神経――インターフェイス。

 ということは――もしかして。

 オレはひとつ思いついた。


「っていうことはなにか、もしかして――乗っ取られてる最中に、お前に対して認識阻害を掛けたら――それはスティグマ本体に効くのか?」

「――!」


 ミラが反応を示した。


「どうなんだ、インターフェイス」

「――判らない。考えたこともなかったわ」


 奴のつたは、奴の神経。

 ミラが奴の認識に働きかけたら――その間、奴の蔦は止まるかも知れない。

 サイラスの見た通りなら、奴の蔦をくぐり抜けさえすればこちらの攻撃が通る。

 スティグマを傷つけられるかも知れない――。

 ジャックがオレの肩を叩いた。


「名案じゃないか! 試してみる価値はあるよな!? ミラ、どう思う」

「あたいはやる。あいつの意識にダイブして、あいつに見える世界を内側からぶっ壊してやる。インターフェイス、お前はどうだ」

「――私にはなんとも。でも、どうなるか関心がないと言えば嘘になりますわね」


 決まりだ、とジャックが手を打つ。

 ノートンは少し不安そうだった。


「悪くなさそうだが、いつスティグマがインターフェイスさんを乗っ取る? しょっちゅうあることなのかね?」

「言いたいことがおありのときだけです」


 つまりスティグマを上手くペテンにかけて、奴がオレたちとお喋りしたくなるような状況を作らなきゃならないわけだ。

 そんなのどうやればいいんだ?

 でも気付くと、その場の全員がオレを見ていた。


「よせよ! あいつと話すネタなんかあるわけないだろう!」

「だが、君はアレン=ドナでスティグマと話したのだろう? それで生きて戻った。一番確率が高い」

「確率の話はよしてくれ! ジャックはどうなんだ! セブンスシグマって共通の話題があるだろ!」

「そんな話したって機嫌をそこねて八つ裂きだ。『共通の話題』ならファンゲリヲンのほうがいいだろ。だよな? ミラ」

「あたいに振るな。クソ親父のことなんか思い出したくねえし、あたいは話が下手くそだ。こういうのはノヴェル向きだ」


 決まりだな――と全員がオレを向く。


「ぜ、全員でやろう。ノートンさんだってそうだ。姫様のネタを出せば食いつくかも知れない。あいつの爺さんは大皇女の仲間だったんだから」


 ダメ元で言ったつもりだったが、ジャックは一考してくれたようだ。


「まぁ、全員で話しかければ、一人くらいは生き残れるかもな。だがミラは外す。ミラの認識阻害がなきゃこの作戦は成立しないからな。三人でかかるぞ」


 ハンクス――とジャックは昔の上司を振り返る。

 夕陽に照らされたハンクスは、がっくりと肩を落とし、例の『殉教者たち』の絵を思い出させる。

 日暮れが近い。


「装備は借りてくぞ」

「――餞別せんべつだ。それくらいくれてやる」


 全員ロープを取れ、とジャックは言った。

 オレたちはそれぞれ、束になったロープの一端を腰にわえ付ける。

 そこは第三層――市警本部の前に出現した巨大な縦穴のふちだった。

 ロープの先は、横転した警察車両のタイヤに巻き付けられている。

 オレはそれを引っ張って強度を確かめた。


「じゃあなジェイクス。街を――頼む」

「今更だが、俺のことはジャックと呼べ」


 降下! とジャックの声を合図に、オレたちは穴へ飛び込む。

 スティグマがこしらえた穴だ。

 降りれば必ず奴がいる。

 やや不安になるようなスピードでロープは伸び続ける。

 オレは二層の、中身が丸見えになった高層アパートの断面を見る。

 泣きじゃくる人々。

 呆然ぼうぜんとした人々。

 もう倒れて動かない人々。

 ウインドソーラー城では後ろに置き去りにしてしまった人々だ。

 あそこでは多くの子供たちを救うことができたのに――この街では何もできなかった。

 相手が悪すぎた。

 でも今は違う。

 ――オレたちには考えがある。

 奴を止めるんだ。




***




 スティグマはアレスタの遺志をいだかも知れない――。

 大賢者の意見ではそうだ。

 だがそのアレスタの遺志とは何か、その点をミハエラは知らない。


「――今それを話したところで、孫たちの助けになるかのぅ」


 大賢者は懐疑的だ。

 しかしミハエラはわずかでも情報が欲しい。


「何でもいいのです! 何か、あの男に繋がる情報を――! 彼らに伝えなければ!」

「お姫さん、気持ちは判るが――ワシは知らぬのだ。アレスタの死から百五十余年。何代変わったかも判らん。アレスタのことは、そのスティグマには繋がらん。予断を与えるだけになってしまうかも知れん」


 では質問を変えましょう、とミハエラは膝の上で手を握る。

 この搦手からめては、ロ=アラモでノートンが使った手だ。


「大お祖母様――アリシアは、アレスタ様のことをよくご存知でしたか」

「まぁな。五人しかおらなんだもの。アリシア、ジェイ、チャン、アレスタ、そしてワシ」


 二百年前、真空崩壊によって滅びを運命づけられたこの世界を救った大英雄。

 アリシア、ジェイ、マーリーン、チャンバーレイン。

 彼らは皆、大魔術師であるばかりでなく大学者であった。


「星を救われた大英雄ですね。しかし、ちまたでは大英雄は――四人と」

「そうだ。アレスタは入っておらぬ」

「なぜなのです」

「アレスタとは――道をたがえた。ワシらは、真空崩壊を調べるうちにその根っこにあるヴォイドの存在をつきとめた。だから宇宙の彼方にあるヴォイドに、光の特性を利用して魔力を送り、中和させようと考えたのだ。そのための装置を、世界中の聖地に作ってな」


 人智の及ばぬ場所にある聖地。

 そこを探検して、彼らは天文台を作ったのだ。

 それで崩壊の連鎖を止めれば、再び連鎖的崩壊を起こすまでは安全になる。


「その準備にあまり時間はなかった。何しろ宇宙の彼方だ。実験もできん。だが――ワシらには女神という存在があった。そこでヴォイドを知るために、ちょっとしたずる・・をしたわけだよ」


 ずる。つまりそれこそが――。


「ヴォイドに近しい現象、ヴォイドと考えられるモデルを用いて――疑似スードヴォイドの神を作り出した。神格は全く高まりようがないからな、胎児ほどの・・・・・、小さなものだ。自分では何もできん」

「モデル――ですか」


 女神から得られた知識は、魔術ばかりではなかった。

 理論物理、量子論という大きな武器を得たのだ。

 そしてヴォイドに関する知識も――。


「実物と同じかは判らぬな。だがワシらは同じと考えた。そうでなければ手も足も出んもの」


 ヴォイドの神は小さかった、と大賢者は二百年の時を越えて思いをせる。


「実験で色々なことがわかった。ヴォイドの内部には外よりも巨大な空間があること、あらゆる相互作用以前・・の力があり、魔力もそこに封じ込めておけること――ワシらの常識は何も通用しなかった。あれは、真の真空にひそんでおったのだ」

「難しいお話です」

「あの官僚君が聞いたらこう思うだろう。『ヴォイドの中には別の宇宙がある!』とね。あり得ん話ではないよ。だがそれはわからん。――しかしな、二百年前にも、そう信じた・・・・・人間がいた・・・・・のだよ。それが――アレスタだ」


 皇女は絶句した。

 大賢者が次に何を言うか、理解したからだ。


「奴は、この宇宙を捨ててヴォイドの中の宇宙を目指した」


 この宇宙の裏側へいける、とな――。

 そう語る大賢者は、少し寂しそうに目を落とした。




***




 オレたちはロープで、スティグマの開けた大穴への降下を続けた。

 第一層を通り抜け、最下層へ降りる。

 話には聞いていたが実際に訪れるのは初めてだった。

 グッと暗くなる。


「止めろ、ハンクス」


 ジャックが小型通信機でそう指示すると、ぴたりとロープが止まる。

 オレたちは最下層のバラックの上に宙づりになった。

 この地下世界には傾いた陽の光が入っている。でもそれは穴の周囲だけだ。


「――いる・・か? ノヴェル」


 オレは腰から双眼鏡を取り出し、最下層の様子を見まわす。

 ――暗い。とても暗い。

 眼も慣れないこともあって、殆ど何も見えない。

 手前には低いバラックの屋根がずらりと並んでいる。

 もうほとんど音がしない。誰の声も。

 ここの人間は余程逃げ足が速いのか、すっかり誰もいないようだった。

 地下水路を通って逃げていたのかも知れない。

 スティグマの姿も見えない。


「ダメだ。暗すぎて見えない! 眼が慣れるまで待ってくれ」


 オレがきつく目をつむっていると、横でインターフェイスがきっぱりと言った。


「いいえ。いらっしゃるわ」


 彼女も同じく宙づりのままの――ねっとりとした最下層の暗がりを真っすぐに見詰めている。

 暗くても彼女には見えるのだ。


「作戦開始だ」


 ジャックはそう言ってロープを切断し、地面に飛び降りる。

 ミラとインターフェイスもそれに続く。

 ノートンは勢いをつけてバラックの屋根に飛びつき、ロープをほどいた。

 オレは――双眼鏡を持っていたせいで上手く解けない。まずは双眼鏡をベルトに戻して、ナイフを――。

 もたもたしていると、インターフェイスがこっちを見上げた。


「いらっしゃるわ!」


 そう叫ぶ。

 オレは、前を見た。

 前方の暗い宙の中からスッと――スティグマが現れた。

 オレは急いでロープを切ろうとして、手が滑った。

 ナイフが、落下してゆく。


「し、しまっ――」

「ノヴェル!!」


 オレはジタバタと足を振り回したが――どうにもならない。


「スティグマ!! 待て!! オレは丸腰!! 丸腰なんだ!!」

「……」


 近い。

 奴の顔はアレン=ドナで謁見えっけんしたときと同じ――向かって左半分がアラベスク模様の聖痕せいこんに侵され、真っ黒になっている。

 連絡橋の記念写真で見えたのとは逆だ。

 あの写真を見たとき一瞬変に感じたのだけど――カメラ・オブスキュラの像は鏡像になるためだ。最近の写真機とは違う。

 オレはそれを、さっき連絡橋を見て確認した。


「スティグマ!! 話をしよう!! なっ!?」

「……」


 悟りきったような薄目を開け、会話以前にこっちの声が聞こえているのかどうかすら判らない。

 でも、こっちの声は聞こえるはずだ。アレン=ドナで、会話ができたんだから。


「お前の、お前の写真を隠してある!! お前の大嫌いな写真だ!!」

「……」


 奴は――まるで珍しいものを見つけたように、オレの周囲をぐるぐると回りはじめた。


「し――信じないか!? いいさ!! オレたちはお前をずっと付け狙ってきたんだ!!」

「……」

「何とか言えよ!!」


 こうしてオレは一人だけ宙づりのまま、世界最強の邪悪――魔人スティグマと対峙たいじするに至った。

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