43.2 「待て、判ったぞ。あの聖痕は――ただの模様じゃない」

「バリケードを造ったのに!」


 聖堂に入るなり、オレたちは集まっていた連中にいきなりそう怒鳴られた。

 見ると聖堂の入り口には長椅子が集められ、両開きの大扉をがっちりと封鎖している。


「意味あるかこんなもん!!」


 思わず悲鳴みたいな声で叫んでしまった。

 ダメだ。ここの連中は、事態が飲み込めてない。


「何やってるんだ!? 逃げろよ!! ノートンさんまでいてこのザマは何だ!?」


 ノートンは申し訳なさそうに「私は反対したんだが――」と、前のほうのアトモセムを見ながら言う。


「一網打尽だぞこんなの!!」


 聖堂に集まった人間は軽く五百人以上。

 そこをき分けて、オレは思わずアトモセムを指差して問い詰める。


「どういうつもりだ! スティグマはあんたを追ってきたんだぞ! 出ていけ!」


 女神はオレを見ることもなく、「不敬な」と冷たく言い放った。

 集まった奴らが「やめろ」と、背後からオレの肩や腕を掴む。


「いいや、やめない。あんたなら風の魔術か何かで皆を逃がせるんじゃないのか! どうしてこんな自殺行為を」

「追い出しなさい。ここは聖堂。女神と、その信奉者のための場所です」


 慌てた様子のノートンが飛び出してきて、オレと女神との間に入った。


「ノヴェル君。落ち着くんだ」

「落ち着いてる時間はない、ノートンさん。ここにこもってたら判らないかも知れないけど、外はもうスティグマに攻撃されてる。アトモセムを突き出すんだ」

「いいや落ち着くんだ。スティグマに女神を渡すことがどんな事態を招くか、我々は考えていない。それに逃げ道はない」

「ある! 三層の墓を抜けて尾根を下っていけば――うう」


 言いかけて、オレは思いとどまる。

 確かに地面もしっかりしているからあそこまで行ければ多少は落ち着く。

 でも遠くに逃げられるわけではないし――第一、今となってはそのルートを通るにはスティグマの目の前を通ることになる。

 大勢がだ。奴が見逃してくれるはずはない。

 となれば聖堂裏から第三層へ逃げられそうだが――ここに集まった連中は老人が多く、時間がかかりそうだ。


「ノヴェル君、ここにはアトモセム様がいらっしゃる。知恵を出し合おう。スティグマからは逃げられない。倒せるはずもない。追っ払う方法を考えるんだ。ジャック君も、ミラ君も」

「追っ払う、方法」


 群衆が割れて、その間をアトモセムがこちらへ歩いてきた。


「あなた方はあの者を追っていたのでしょう? 何か対策を考えなさい」


 女神の高圧的な態度に、ジャックとミラは不愉快そうに無言で抵抗を示す。


「ジャック君。スティグマはどこだ」

「表だ。今、向かいの議事堂を潰した」

「でもここへ入るときは姿が見えなかった」


 オレはそう補足する。


「――もしかしたら自分に関する資料を探して、始末してるのかも」

「病的な野郎だ」

「だとすれば少しは時間がある。どうする? 考えろ。どうすれば奴を追っ払える」


 アトモセムが不審そうな表情をした。


「あの者は何者なのです。半神のように見えましたが」

「勇者たちのボスだ。半神――つまりリンと同じようなものか」

「ならそいつは不安定なんじゃねえのか」


 そのはずだ。

 不安定、不安定――。

 不安定だとどうなる? リンは――手足が長く伸びていた。

 まるで何かになろうとしているように――。


「リンさんのケースとは違うかも知れないが、半神が存在し続けるトリックがありそうだ。それを探せばあるいは――」


 そこでアトモセスが割り込んだ。


「人間に見せるのは屈辱くつじょくですが――状況が状況です」


 これをごらんなさい、と肩にかけた長いショールを取り払う。

 前腕の八割ほどが、ほつれた布のようになって裏側の景色が透けている。


「あの者に奪われました。部分的にとはいえ、わたくしの存在を」


 おお――と集まった連中がひざまずく。

 跪いた群衆をひと通り見渡して、アトモセスは続ける。


「皆のお陰で存在を取り戻しつつありますが、まだ完全ではありません」

「量子ゆらぎの獲得だ! 私は、マーリーンの転生で同じものを見た!」


 ノートンはやや興奮気味に、まじまじと女神の腕を手にとって眼鏡を直す。

 おやめなさい、とアトモセムは恥ずかしそうにした。


「『腕のある数式』『ヴォイドに形はない』『ヴォイドは形を求めている』――そう言ったのは――ノヴェル君、君だったか」


 オレが答える前に、「なんてことだ」とノートンは何かに納得した。


「君は正しかった。――正確だという意味ではないが、示唆しさ的だという意味で――いやそう」

「ノートンさん。それは、ソウィユノの腕のことか?」

「オーシュの肺。それからイグズスって野郎の筋力や骨も支えていた」

「メイヘムの外骨格もだ」

「ファンゲリヲンのは見えなかったが――魂とか、心とか何かそういうものか?」


 ファンゲリヲンの力は他の勇者とは違っていた。

 もっと抽象的な、それでも人にとって大事な何かだ。

 それはもしかすると、オレたちの中の『輝き』そのもの。


「待て待て! ホワイトローズは!?」

「髪か。いや、あいつのい跡――あれは、植物かも知れない。花とか」


 ヒトに限らないのだ。

 セブンスシグマの能力をオレは知らないが――何か自然界のものに関連するものに違いない。


「植物? スティグマの模様と関係があるのか?」


 オレはウインドソーラー城の襲撃を思い出す。


「たぶん、おそらく――奴のつたは、木のようにも見えた」


 木、木、木――とノートンは、呆然と繰り返す。

 何か、ひらめきを得つつあるようだ。

 木、植物、人体――とそう、呪文のように何度も繰り返し、うろうろと歩き回る。

 群衆の間を歩いて、聖堂を教壇のほうへ歩いてゆく。

 聖堂の奥、星系の略図模型のところで足を止めて、天を仰いだ。


「待て、判ったぞ。あの聖痕せいこんは――ただの模様じゃない。あれはフラクタル構造だ」


 フラクタル構造――?


「説明しろ官僚」

「自然界の物は、植物や気象――宇宙、そうした一見不規則なものでも――自己相似そうじ性を持っていることがあるのだ」

「自己相似性?」

「ある部分と、全体が似通っているということだ。全体は、部分の繰り返し。部分は、全体でもある」

「人体に、そういう部分があるのか? あるとしたらなんだ」


 ノートンは眼鏡の下の汗を拭きながらあえぐ。


「人体のフラクタル構造。それは――」


 それは。

 何かを言いかけたのに、ノートンは頭を振ってうずくまってしまう。


「――いや科学的じゃない。あくまでそういう説があるというだけだ」


 ズン、と重たい音が外から響き、聖堂が揺れた。

 釣り下がったシャンデリアが揺れ、ぱらぱらと何かが落ちてくる。


「何でもいい! 早く言え!」

「それは――脳神経・・・、そして血管」


 オレたちが蔦だと思っていたもの――その正体は、神経や血管――。

 そのときだ。

 インターフェイスに異変が起きた。




***




「『アトモセムよ。最後通告だ。姿を現せ』」


 インターフェイスの声ではなかった。

 まるで別人のような表情で、真っすぐにアトモセムを見詰めている。


「……」


 アトモセムは何も答えず、その視線をけて群衆に紛れ込む。


「『怯えているのか、地上の神よ。神でありながら人をかえりみぬ道化よ。そちらが来ぬならこちらからこう』」


 メキメキと聖堂の壁が鳴った。

 メインストリートに面した聖堂の壁が縦横に切り裂かれて、それぞれが正方形の欠片になって崩れ落ちる。

 陽光が聖堂を満たす。

 そこに浮遊するものは――ヒトの神になろうとする者。

 スティグマだ。

 聖堂に集まった人々が騒然とした。

 オレは混乱に乗じて、インターフェイスをかばう様に抱える。

 ミラもオレと同じように動いた。


「インターフェイス! しっかりしろ!!」


 オレとミラはインターフェイスを抱え、聖堂の奥へと逃げ込む。

 騒然とした群衆は、逃げだそうと崩れ去った聖堂の壁だったところを目指す。


「ジャック! ノートンさん! こっちだ!」


 殺戮さつりくが始まっていた。

 瓦礫がれきを乗り越えようとした人たちは、黒い蔦に切り裂かれてゆく。

 それはおそらく、スティグマの意志とは無関係に――反射的に目撃者を破壊するようにできているのだ。

 オレたちは聖堂の奥、教卓の陰に滑り込んで身を隠す。

 左右を見るとどちらにも小部屋らしきドアがある。

 オレたちはそこへ転がり込む。

 そこは物置らしい。袋小路だ。

 外を見るとジャックと、通信機を抱えたノートンが反対側の小部屋に飛び込んだ。


「ジャック! そっちから出られないか!? ジャック!」

『――や――だ』


 イアーポッドが動かない。

 これは空気の魔術を応用しているらしい。たぶんアトモセムが近くにいるせいだ。

 ミラは必死に、インターフェイスを起こそうとしていた。

 やがて――ハッとしたようにインターフェイスが飛び起きる。


「わ、わたしは――また」


 何が起きたのか判らないというように手をばたつかせ、ミラの腕を逃れようとしている。


「落ち着け! 大丈夫だ!」

「ああ! 大丈夫だから!」


 オレもそう言ってなだめるが――本当に大丈夫なわけはない。

 ドアから顔を出して聖堂の様子をのぞく。

 空中のスティグマと、アトモセムが対峙たいじしていた。

 何かを話しているようだが、吹き荒れる風で内容は聞こえない。

 建物全体が揺れていた。

 風と埃が電気を起こし、そこらじゅうを小さい稲妻が走っている。

 向かいの小部屋から、ジャックが『こっちだ』と合図した。


『そっちから逃げられるのか!?』

『裏口がある! こっちへ来い!』


 身振り手振りで、たぶんジャックはそう言っているのだが――。

 オレたちの間を長椅子が転がってきて、教壇と教卓を叩き潰す。

 飛び散った天体の模型がくるくると回転した。


「クソ! 出られない――! ミラ! ジャックが呼んでる! タイミングを見てあっちへ移るぞ!」

「無理だ! こいつを連れて出られない!」

「インターフェイス! 自分で動けるか!?」

「――わ、わたしは、だいじょうぶです」


 クソ――大丈夫じゃない。確かに、この部屋の外は大荒れだ。

 外を見ると、そこへ今度はアトモセムが吹き飛んできた。

 彼女はすぐにまた態勢を立て直し、風を起こして飛んで行く。

 ふと、風が止んだ。

 出るなら――今だ。


「チャンスだ! ミラ! 今のうちに!」


 オレとミラは、インターフェイスの脇を両側から支えて立ち上がった。

 小部屋を飛び出し、向かいへと飛び込む。

 そのとき、オレは見た。

 空中で、女神アトモセムが無数の蔦に捕らえられていた。

 それはアトモセムを貫き――バラバラに吹き飛ばした。

 きらきらとした、緑色の小さな輝きが舞い落ちる。


「ノヴェル! 早くしろ!」


 その声でオレは我に返り、反対側の小部屋に飛び込んだ。


「――アトモセムがやられたぞ! ちくしょう!!」


 いいから逃げるぞ! とジャックは小部屋の奥の扉に手をかける。

 それを引っ張ると――扉が倒れた。

 その扉のあった場所には、壁。

 それは出口ではなく、壊れた扉をそうして壁に立てかけているだけだった。


「ジャック!!」

「てめえ!!」

「ジャック君!!」

「なんだよ! 俺が悪いのか!?」


 オレは小部屋から身を乗り出して、スティグマを見る。

 スティグマは、背中を向けていた。

 蔦を出して、床に倒れている人々を片っ端から――捕食していた。

 女神だけでは飽き足らず――。

 ウインドソーラー城の式典を襲い、ロンディアを襲い、女神さえ殺し。

 今日一日で、どれほどの多くの犠牲を出した?

 恐るべき悪夢の飽食だ。

 奴はいったい、それほど多くの輝きを集めて何をするつもりなんだ。

 やがてその場を狩りつくした奴は、床を破壊して三層に降りて行った。


「下へ降りた! 奴は食事を続けるつもりだ! クソッ!!」


 オレたちは、ようやく小部屋を飛び出した。

 人間だけじゃない。

 女神だったもの・・・・・欠片かけらが散らばる聖堂。

 もうこの聖堂は、誰のためのものでもない。

 聖堂そのものも半壊。

 破壊の爪痕つめあとは、見れば見るほど現実感が遠のいてゆくほどだった。

 その床に、真円に切り取られた大きな穴があった。


「ここから下へ降りた」


 床の下は板組、盛り土、鉄板、コンクリート、鉄骨と複雑な層になっていて、その向こうに第三層が見える。


「追うのか? ここからは無理だ」

「――追う? 追ってどうする。ここから山頂を越えれば――いや、だがこのままには――」


 ジャックは考えがまとまらない様子だった。

 山を越えて逃げるか、無策にスティグマを追うか。

 いずれにせよ、スティグマが狩りに夢中になっている今しかない。

 待ってくれ、とノートンが言う。


「少し時間をくれ。まず皇女陛下にご報告が先だ」




***




 皇女ミハエラは、カーライルからの伝言を受けた。

 通信機の手配を命じ、ソファに沈んだままの大賢者に伝える。


「ノートンたちから報告がございました。全員無事で、ひとまずスティグマの手を逃れたようです。ですがアトモセム様が――」


 アトモセムは消滅した。

 ロンディアから集めた信徒をもってしても修復には至らず、スティグマと戦って敗北したのだという。

 女神が消滅しても、すでに契約した魔術は使える。

 未だ土の魔術師が増えているように、消滅したあともしばらくは知識として残るためだ。

 その知識も形を変え、いずれは消えてしまうのだろう。


「奴は情報を喰うのか」

「――」


 ミハエラには、否定も肯定もできなかった。


「ノートンが気になることを言っていました。スティグマはヴォイドそのものを有し――半神としてヴォイドに操られているようです。かの者は、人体や自然界のものを求め、黒い力に模倣もほうしていると――」


 なるほどなぁ、と大賢者は遠い目をする。


「――再現するつもりなのか。どうあっても、アレスタめの遺志を継ぐ――つもりなのかも知れぬな」


 再現、とは――?。

 ミハエラは訊いた。

 アレスタの遺志とは。

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