42.3 ――神罰を執行します――

 風と大気の女神アトモセムは怒りに震えていた。

 女神が相対あいたいするのは――人間。

 ただしここは、ベリーロングアイルの上空三百メートルの空中だった。


「なぜただの人間が――、揚力ようりょくも推力もなしに空を歩けるのです」


 男は何も答えず、ただ長い白髪と銀の鎖を揺らしていた。


「答えるつもりはないということですか、人間」


 眼下には逃げ惑うブリタ軍人、そして子供たち。

 一体何者がこの状況を予見したものか、子供たちは避難が早く犠牲が小さい。


「人の行為だと静観するつもりでしたが――彼らは、小さくもわたくしに宣誓を立てた者たちです。これ以上の虐殺を、わたくしは好みません」


 ――神罰を執行します――


 そう、女神はおごそかに言って天を指差した。


「あなたと、愚昧ぐまいなる女王の血統に」


 その指を男に向けて振るう。

 次の瞬間、その場に巨大な空気のかたまりが墜落した。

 本来、目に見えにくい空気の魔術であるが――このときは屈折率の違いがはっきりと見えた。

 巨大で透明な、虹色の神の鉄槌てっつい

 男の下の空気が真空となり、落雷のような音と共に――彼はウインドソーラー城へ墜落した。

 グレートウォールの残りは内側から破裂するように完全倒壊し、内郭インナー・ベイリーにいた軍人らが地面にぐっしゃりと押しつぶされた。

 女神は掌を開く。

 同時に起こる空気の大爆発。

 城の瓦礫がれきは爆散し、四階建てのパレスはその八割を失った。

 女神は風を起こし、立ちめた土煙をすっかり払う。

 だがそこに男の姿はない。

 どこへ消えたのか。

 女神はひらりと空中を飛んで、高度を下げながらグレートウォールだった場所を過ぎ、内郭へ至る。

 すると突然、真下の空気密度が爆発的に上昇した。

 彼だ。

 下から彼が猛スピードで飛び出した。

 内郭に空いた四つの縦坑たてこうのうち一つから――女神を目掛けて。

 四十もの空気のバリアを重ねて張るが――追いつかない。

 彼は、その全てのバリアを突き抜けて飛び掛かってきた。

 黒いつたむちのように振るって、女神を切り裂く。

 女神は八つに切断された。


「――ふむ」


 切断面はほつれた布のようになって量子ゆらぎが小さくなるが――即座に再構成を始める。


「わたくしを人間のようにお考えですか。あなたと同じ人間であると、そう愚弄ぐろうしますか。よろしい。あなたの血中の微細な気体を、これより――」


 かつてこの惑星には、もっと多くの神々がいた。

 しかし人の自然への関心が微小世界へと移り替わるうち――彼女たちは存在をうしなった。

 四大要素のうち、水、風、火――流体という神秘のベールに逃れたものだけが、現存する。

 だが――男に掌を向けたまま、固まった。

 アトモセスはそうして、男の正体を探ろうとしていた。

 体内の気体の量、位置、種類。それを読み取って――女神は驚愕きょうがくした。


「あ、あなたは――まさか――あなたの半分は――何でできているのですか」


 男の体内から飛び出した二本の黒い腕が、女神の欠片かけらを掴む。

 そして胎内へ奪い去った。

 女神は確信する。


「あ――あな――たは」


 女神の部分を構成する量子ゆらぎの項がゼロになった。

 誤差が極大化し、切断された部分のいくつかが、再構成しない。それは宇宙が誕生して起きた事象の逆行ともいえた。

 男の半分は無表情のままであったが、男の黒い半分だけが、唇を歪めた。

 ゲフゥ――と満足げにげっぷ・・・を吐き出す。

 女神が男のうちに見た器官は形こそ見分けがつかない程、人間のそれであった。

 ただしそれは――現存する物質でできていない。

 理論上の存在。

 言うなれば数式であった。

 男の半分は、女神と同じ数式でできているのだ。

 半神。それも、言うなれば水でも火でもなく土でもなく――人と、人の神からなる半神だ。

 だが半神のまま、安定して存在できているなんて――。


「そんなの――そんなの理屈に合わない!! あなたは一体――」


 ともかくアトモセスの理解が正しければ、女神などこの男の餌に過ぎない。

 下を見ると人間たちはパニックを起こし、ひたすら敗走を続けている。

 意識的観測者がいない。

 誰か、人の多い場所に行かなければ――。

 五万人、いや十万人。

 誰か――。

 女神の残った部分は、大都市へ向けて逃げだした。

 男はそれを追った。




***




「マルローとクラグハック――こっちは二人やられた」


 アルドゥイーノは列車の最後尾の柵越しに、遠ざかるウィロウを見ていた。

 首を切断されたのがマルローで、肺を破裂させられたのがクラグハックだったと語る。

 その横にアンジェリカが寄り添っている。

 オレとジャックは連結扉のところから顔を出した。


「済まなかった。お陰で助かった」


 そう謝られて、アルドゥイーノは「聞こえてたのか」と面食らったようだ。


「あのクソ女とやりあって――ガキどもを守った。おれたちの死に場所としちゃ上等すぎるくらいだ」


 やめてよ、とアンジェリカが言う。


「いいや。はっきりさせとく。連中はいつでも死に場所を探してるってことだ。娼婦の元締めとは違う」


 アルドゥイーノは車両に戻る。

 列車は比較的空いていた。

 客室係がいないので窓のシェードは全部降りたままで、客室は薄暗かった。


「よく聞こえたな。耳がいいのか?」


 アルドゥイーノがそう問うと、ジャックは耳を指さす。

 強面のマフィアは赤面して耳からイアーポッドを取り出した。

 忘れていたようだ。


「つけておけ。まだ終わってない」


 どうやら小型通信機は復活しつつあるようで、ノートンや他の車両とも連絡が取れた。

 核爆発の影響であるらしい。

 ロンディアのノートンと、中継しているナイト・ミステスは通信できていたらしい。

 アルドゥイーノは空いてる座席にどっかりと座って、眉間みけんしわでた。


「ガキどもを全員助けられなかった」

「仕方がない。ああなったら全員は助けられなかった。スティグマにこっちの動きがバレたら、せっかく列車に乗せた二万人が危ない」


 スティグマの攻撃開始前に避難を始めるのが最低限のラインだった。

 でも女王の先制攻撃で、あの場の全員が混乱してしまった。

 前線ではパニックも起きた。


「アルドゥイーノ、お前たちはこのまま列車で離脱しろ。子供たちについていてやれ」


 各車両にはマフィアが常駐している。

 あまり頼りにはならないが、引率の大人やブリタ軍人もいる。

 でも子供たちは、黒服によく懐いて頼りにしているように見えた。

 まだ終わってないとジャックは言った。

 その通りだと思うが、そうだとしてオレも礼を言いたかった。


「とにかく助かった。これでファンゲリヲンに借りは返せたと思うぜ。オレたちはイレザーヘッドで降りてロンディアで仲間と合流する」


 生意気いいやがって、とアルドゥイーノは憤慨ふんがいした。


「家に帰ってママに『ただいま』って言うまでが殺し合いだ。この車両に見張りを立てる。予備の通信機を渡せ」


 次にオレたちは最前の客車で応急処置中のバリィさんのところへ行った。

 バリィさんは横たえられ、輸血の準備が進められている。


「――ホワイトローズってのかい、あのイカレ女は」

「バリィさん、よくあいつと戦って無事に――無事じゃないが――戻ってくれた」


 応急処置をしているミラに容体を訊くと「あたいは医者じゃねえが」と前置きしつつ、答えてくれた。


「脇の傷が深ぇ。内臓をやられてる。一応できる限りのことはするが、ちゃんとした医者に見せろ。一刻も早くだ」

「――うっへ。耳に入れたくねえ話だなァ」


 喋らねえほうがいいぞ、とミラが凄んだ。


「アルドゥイーノ、連絡橋のフルシ側に病院がある。そこまで頼めるか」


 橋を渡るのにファンゲリヲンが死体を調達したところだ。

 ここからイレザーヘッドまで四十分はかかる。

 フルシの駅から行くより、イレザーヘッドから車で橋を渡ったほうが近い。


「バリィさんもイレザーヘッドで下ろそう。そこからなら車で橋を渡ってすぐ――」


 そのとき、小型通信機が鳴った。


『ノートンだ。今――実は聖堂に来ている。四層の、ノヴェル君が壁を壊したところだ』


 そこは言わないでも判る。


「なぜだ。インターフェイスは?」

『インターフェイス君も一緒だ。市長に呼ばれたのだ。女神アトモセム様がここに現れた。手負いだ。スティグマにやられたと言ってる』


 神が――?

 いや待て、その女神はさっきウインドソーラー城のベリーロングアイルに居たはずだぞ。

 そう言うと、ノートンは『アトモセム様は神出鬼没だ。風の流れさえあればどこにでも行ける』と言った。


「でもなんでロンディアに――待て待て! スティグマに追われてか!?」

『そのようだ。スティグマを止めようと交戦したが――負傷なさった。命からがら逃げてこられたようだ』


 神と戦って――スティグマが勝ったということか。

 核攻撃を防ぎ、女神さえ退しりぞける。

 ブリタはそいつを敵に回した。

 ――逃げ場なんか本当にあるのか?

 というか、神って負傷したりするのか? ロンディアで何をするつもりだ?

 いやな予感する。


「それで、ノートンさんはなぜ聖堂に――」

『女神様と話をしてくれと頼まれた。アトモセム様は、神格に大きなダメージを受けておられる。信徒を集めよと仰るが――』

「だから待ってくれ、そいつはまずいだろ!」


 厭な予感が的中した。

 誰であれ、スティグマに追われてるかも知れない奴がいるのに、ロンディアの最上層に人を集めるなんて自殺行為だ。

 ジャックも血相を変えてノートンに呼びかける。


「ジャックだ。ノートン、そいつの言うことは聞くな! そいつを街から追い出せ! 神ならスティグマにやられたりしないだろ!」

『それが――あ』


 突然、通信が切れた。

 ノートンの説明じゃ、この無線機は電話と違って回線交換方式じゃないらしい。電波が悪くなって会話が途切れることはあっても、こんな急にプッツリ通話が切れることはないはずだ。

 電源を切らない限りは。




***




「――些末さまつな者の声に耳を貸してはなりません」


 女神アトモセムはノートンの目の前で、卓上通信機の電源ボタンを押したまま言う。

 高圧的な、有無を言わさぬ迫力があった。


「それより早く、街中の信徒をここに集めるのです」


 女神は、ショールを左肩にかけて自身の腕の先が輪切り状になって消滅しかかっていることを隠していた。




***




「おい、なぜ切れた。こんな切れ方はおかしいだろ」


 ジャックはそう言って怒るが、オレに言われても困る。

 慌ててノートンのチャンネルを呼び出したが、ノートンは応答しない。

 そう言っているうちに、別の通信機のランプが点滅した。

 呼び出しだ。

 そのチャンネルにダイヤルを合わせると、アルドゥイーノの声がした。


『――ノヴェル! 大至急だ! あいつが――さっきの女が――追ってきてる!』

「なんだって!?」

『まだ距離があるが――走って追いかけてくる!』


 本当に不死身なのか。


「機関士! スピードは上げられないのか!」


 ジャックがそう機関士を呼んだが、物理的に前が詰まってしまっている。

 火力や魔力じゃどうしようもない。

 走って追ってきただと――? とジャックは額に手を当てる。


「俺たちはロンディア行きに乗り換えたいが、この車両はフルシまで止められない。どうする? 飛び降りるか?」


 このまま無事にイレザーヘッド駅へたどり着いても、停車すればこの列車そのものが狙われる。

 オレたちは何とか飛び移ったり飛び降りたりできたとしても、バリィさんは無理だ。

 ミラが顔を上げた。


「走行しながら車両を開放して惰性で走らせながら別の機関車に連結する方法があるぜ。昔、山岳を越えるときの高出力機関車に接続しなおす実験をしてたらしくってな」

「ああ、そういうマニア好みしそうな方法以外で・・・頼む」

「二十五秒で連結可能だ。上手くいきゃあな」

「――二十秒でできるか?」

「あたいがやるんじゃねえ!」

「待て、二人とも。上手く分離できたとして――それでホワイトローズがこっちを狙う保証があるか?」

「ないが奴も手負いだ。遅い方を選ぶ可能性は高い」

「スティグマの動きとも関係するか? スティグマは今どこにいるんだ」


 スティグマ。

 奴の現在地はどこだ。

 ジャックは別の、船を中継する卓上通信機を使って、ウィロウ駅を呼び出した。


「――ウィロウ駅。こちらジャック。スティグマはそこにいるか?」

『それが――さっき空を見たら、どこにもいねえんで』

「いない? いないだと? どこへ向かったか見ていた者はいるか?」

『それもさっぱり――。たしかにこっちに向かってるとこまでは見たんですが』


 スティグマが目標を変えた。

 ロンディアに向かったんだ。


「すぐ連絡する! とにかく後続の避難の列車は止めろ! 線路上に勇者がいるんだ!」


 そう命じてジャックは通信を切り、「ノヴェル、ノートンに連絡しろ」と言って自分は背中に背負った長いケースを床に置いた。

 それを開けて狙撃銃を組み立て始める。

 オレは中型通信機をノートンのチャンネルに合わせる。


「ノートンさん! ノートンさん! 応答してくれ! スティグマがそっちへ向かった! ――ノートンさん!」

「呼びかけを続けろ!」


 オレは言われるままノートンを呼ぶ。

 列車が少し減速するのが判った。

 同時に、小型通信機が叫んだ。


『おい! スピードを上げろ! 追いつかれるぞ!!』


 ジャックが「できた。いくぞ」と立ち上がる。

 ノートンは応答しない。

 オレはその場を居合わせたマフィアに頼んだ。

 バリィさんを頼む、とミラに託し、オレもジャックに続いて最後尾車両を目指す。


「緊急事態だ! 前の車両に詰めろ!」

「戦える軍人は武器をもってついてこい」


 途中の車両でそう言いながら、オレたちは後部へ向かった。

 最後尾車両にたどり着くと、後部連結扉の向こうでブーマン・ファミリーが短機関銃を乱射していた。


「アルドゥイーノ! 応援を連れてきた!」


 途中で捕まえたブリタ軍人は八人。他にも志願者は居たが、各車両の護衛を頼んだ。


「あと二十分でイレザーヘッド駅だ! それまで持たせろ!」

「偉そうに!」


 ジャックの指示にアルドゥイーノは毒づく。

 外を見るて、オレは驚愕した。

 本当にホワイトローズが走って追いかけてきている。

 その距離はもう十メートルほどにまで迫っている。

 ――馬鹿な。百キロだぞ!?

 それでもまだ余裕があるのか、短機関銃の射撃を躱しながら、右から左から少しずつ追い上げてくる。

 しかもあいつは、いくらあの力で自己修復できるとはいえ、さっきまで足を折っていたんじゃないか!


「あと二十分!? 逃げ切れるか!?」

「あいつが長距離走が苦手なことを祈ろう」


 祈ろうなんて言いつつも、ジャックは狙撃銃を構える。

 どけ、と連結扉から出て一発撃つ。

 ホワイトローズは急激に減速して射線をかわしていた。

 少しだけ距離が開いた。

 ボルトを引いてもう一発撃つ。

 今度は、剣で銃弾を弾いた。


「空気魔術を使え!」


 二人のブーマン・ファミリーが、そういわれて空気魔術を放つ。

 ダウンバースト。

 ホワイトローズは側転してこれを躱し、続く空気の壁も横に避ける。

 しかし片腕が空気の壁に当たったらしく、バランスを崩して減速した。


「いいぞ――もっと壁を作れ! 分厚い奴を頼む!」


 ジャックはスコープを覗き込んで、狙いの定まる瞬間を待っている。

 車両は揺れ、相手は高速で走っている。

 空気の壁なんて魔術は、普通じゃまず使い道がない。

 でも今日、この場に限り――。

 空気抵抗は速度に二乗に比例する――んだっけ。


「使えてよかった!」

「アトモセム様万歳!」

「ブーマン・ファミリーは永遠!」


 二人のマフィアはそう叫んで、タイミングよく互いに空気魔術を重ねる。

 今日は随分と無茶ぶりしたのに、頼もしい奴らだ。

 アムスタでこいつらを死なせなくて本当に良かった。

 分厚い壁が出現した。

 それは見えないが、屈折率の違いがはっきりと判る。

 ジャックは狙いをすますだろう。

 でも――。

 それは一瞬のことだった。

 ホワイトローズも、おそらく見ていた。

 見えない壁の、屈折率の違い。その境界を。

 くるりと前転して壁に乗ると、そのふちに足をかけ――飛んだ。

 その跳躍は、見えない壁を利用して――こちらへ。

 バン!

 車両の天井が鳴った。

 こんなバカな。


「クソ!!」


 ジャックが叫んだ。


「前の車両へ逃げろ!!」


 全員――といってもアルドゥイーノとアンジェリカだけだ――が前の車両へ逃げ込む。

 スパン、スパンと小気味のよい音がして――客車の壁と天井がバラバラに砕けた。

 オレとブーマンの二人もすんでのところで前車両に移る。

 ――ジャックは!?

 オレが振り返ると、ジャックもこちらに飛び込んでくるところだった。

 その向こうで、床に着地した裸のホワイトローズ――その周辺にバラバラと崩れ落ちる車両の破片。

 奴は――こちらを睨んでいた。

 オレはジャックに押し飛ばされて通路に転ぶ。

 ジャックは、一人で連結部に残り、連結器のナックルを操作していたが――上手くいかないようだ。

 ホワイトローズは立ち上がってこちらへ歩いてくる。

 途中、引っ掛けてあったアンジェリカの服に気を取られながらも――。


「ノヴェル! お前が切り離せ! 知ってるだろ!」

「見てただけだ!」


 泣き言を言ってる場合じゃない。

 オレは床の上を這うようにして連結部に戻り、連結器を操作する。

 ええっと――垂直に引っかかってる錠を引っ張り上げて、ナックルを開放するんだっけか。

 コツがあるとロウは言っていたが――棒、棒が必要だ。


「これを使え」


 ジャックが渡してきたそれは、狙撃銃だ。

 オレは狙撃銃の銃口を連結器に突っ込んだ。先端の照準器を金属の輪っかに引っ掛けて銃身を|梃子《》にし――なんとか切り離す。

 がごんと、シャーシだけになった最後尾車両が揺れて――ゆっくりと離れ始めた。

 運よく丁度線路はカーブしていたせいか、鉄の車輪が金切り声を上げて惰性を損ない、後続車両は急激に距離を広げてゆく。

 ジャックが叫ぶ。


「楽しい旅を!!」


 オレは銃を握りしめたまま慌てて車両に戻った。

 振り返るとジャックも飛び込んできた。

 最後尾車両が離れてゆく。

 ――でも、そこにホワイトローズはいない。

 ホワイトローズは――。

 急にジャックが悲鳴を上げて、連結部から外に向けて引き戻される。


「ジャック!!」


 オレは咄嗟に、ジャックの手を掴んだ。

 オレの体も引っ張られる。

 そのオレを――アルドゥイーノが掴んだ。


「お前ら、何やって――」

「くそ! 脚だ!」


 叫んでいるジャックの足を見ると――それは連結部から車外に投げ出されていた。

 その足を掴む手がある。ホワイトローズだ。

 その体はしなやかに風を受け、線路から浮いている。

 ――引っ張られる。

 ジャックが、オレが、そしてアルドゥイーノが。

 誰かが手を離せば、そいつは助かるかも知れない。

 でも――。


「離すんじゃねえぞ!!」

「判ってる!!」


 もうジャックの体は半分以上が外にでていた。

 ジャックはオレを見る。


「撃て!! ノヴェル!!」


 そうだ。

 銃は今――オレが持ってる。

 オレは、風に乗って暴れるホワイトローズに狙いをつけた。

 これは火薬式。オレにでも撃てる。

 たぶんこれは、オレにとって最初で最後の――かたき討ちの機会だ。

 ――ファンゲリヲン。

 そのオレを支えているアルドゥイーノも、きっと今日、そのためにこの場所に導かれた。

 やるしかない。

 やるかやらないか、そんな選択肢はオレには最初からなかったんだ。

 実弾なんか撃ったことはない。しかも片手はジャックを掴んでいる。

 でもそんなことはもう関係ない。

 オレは引き金を――引いた。

 カチャッ。

 弾が出ない。


「なんでだ! 火薬式だろ!?」

「ボルトだ! ボルトを起こして引け!」

「あ――ああ、そうか」


 ジャックがよくやってるじゃないか。

 オレは片手でどうにかボルトを引いて次弾を装填する。

 照準器越しに狙いを――いや、そうじゃない。


「ホワイトローズ!」


 オレはそう叫んで、腕を伸ばす。

 腕の先の長い銃。

 銃口はもう絶対に外さない位置でホワイトローズを捉えていた。

 オレは奴の、嘲笑ちょうしょう憤怒ふんぬの入り混じったような顔を見えた。

 以前人に銃口を向けたときは――目をつむるな、とジャックに怒鳴られたからだ。


「ファンゲリヲンの仇だ!」


 オレは引き金を引いた。

 強烈な反動が背中まで駆け抜ける。

 どこに命中したのか、あるいは外れたのかも判らなかった。

 しかしホワイトローズの体は、壊れたおもちゃのように線路上を何度も転がりながら――遠く離れていった。

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