42.2 「ほら――傷口が見たいなあ。どうなってんのかな?」

「誰かぁ! おかしなのが来たぞ! 追っ払え!!」


 駅舎入り口への低い階段は、逃げ込む子供たちで混雑している。

 アルドゥイーノの声に気付いた黒服二人が、駅舎から子供たちをかき分けて階段を下りてきた。

 市民らを追う謎の女を見とがめた彼らは、それぞれ短機関銃を取り出す。

 おぅ用意がいいな、とアルドゥイーノは感心する。


「散れ散れ!」


 走って逃げてきた集団を左右に散らして、追手の女を真正面にとらえる。

 堅気かたぎでないことは誰の目にも明らかだ。

 女は背中に六本もの剣を背負っていた。

 既に一本を手に装備し――こちらへ向かっている。

 殺気が尋常じんじょうでない。

 二人は躊躇ちゅうちょなくトリガーを引き、斉射したが――銃弾をその剣で弾く。

 空気魔術式の短機関銃は弾速が低い。

 だとしても――。


「あり得ねえだろ! どうなってんだ!」

らちがあかん! 一発でキメるぞ!」


 ――あいつは勇者だ。

 その確信が、実感へと変わる。

 二人の黒服は銃をアルドゥイーノとアンジェリカに渡すと、女に掌を向ける。

「援護を頼みます」と言い残し、二人は女の前方左右に散開した。

 相手が誰であれ、アルドゥイーノは後手に回るつもりはない。

 受け取った銃で銃撃を続け――その間にブーマン・ファミリーの二人が距離を詰めてゆく。

 アルドゥイーノにとって、自分がマフィアであることも、彼らが部下であることも未だに実感できなかったのだが――もうそんなことを言っている場合ではない。

 駅舎への入り口は、ここだけ。

 避難してくる子供たちの導線を確保しなくてはならないのだから。

 片側から迫るマフィアは、細かいダウンバーストを何度も仕掛ける。

 女は人間離れしたクイック&リターンでこれを難なくかわす。

 目には見えないはずの空気魔術を、これほど紙一重のタイミングで何度も躱されることも普通はあり得ない。

 次いで、もう一人が火炎魔術を放った。

 女はその炎をも容易に切り裂くが――。

 二つの魔術は女のところで結合し、爆発が起きた。

 まず先制だ。


「――!?」


 高濃度酸素。

 事前の空気魔術で、女の周囲の酸素濃度を少しずつ高めておいたのだ。

 紅蓮ぐれんの炎が女を包み込む。

 だが――人型の炎をその場に残し、そこからつむじ風のような勢いで女が飛び出した。

 その刃先が、マフィアの首をねる。

 マフィアの首は一瞬、空中でくるりと回転し、また元の位置に戻った。


「――え?」


 彼はそう声に出して両手で頭を押さえたが――切断された頸動脈けいどうみゃくからの吹き出す血を抑えることなどできない。


「あれ? あれ?」


 そう言いながら首と頭を押さえるうち、自分の頭部を転がしてしまい、その場にどっかりと崩れ落ちた。

 女は下着姿になっていた。

 金属繊維でできた、きらきらと陽光を反射する下着だ。

 ガーダーのように伸びた金属繊維の束が、主要なけんを保護している。


「あーあ。お気に入りの服だったのに。着るの面倒なんだよ、ああいうの」


 焦げた髪の毛をぱらぱらと落とし、剣で前髪を整える。


「せっかくさぁ、あのヒト・・・の晴れ舞台だってのに。台無しじゃん? どうしてくれんの」

「なっ、てめえは一体どこの――いや、名前は聞かねえ」


 そうしてくれる? と女は語尾を上げて言った。

 この――とマフィアが魔術を構える。

 あのさ、と女は遮る。


「違う違うって。空気魔術ってのは、こう使うワケ」


 女がパッと両手を開きながら両腕で空を切る。

 すると、対峙たいじするマフィアの体中がパックリと裂けた。

 アルドゥイーノは――銃を向ける間もなかった。


「あ――あだだだだ」


 男は魔術を出そうにも、掌とひじけんを切り裂かれ、腕を動かせない。

 流れ出す血を止めることもできず、両ひざをついた。


「まぁなんでもそうだケド――こんなことができるなんてヤバいよね」


 女は誰に向けてそう言ったのか。

 流し目でアルドゥイーノを見たままゆっくりと男に近づき、その肩にポンと手を置く。

 すると、ボンッと胸がふくれ上がり、肋骨ろっこつが飛び出した。

 両肺が――破裂したのだ。

 確かめるまでもなく、二人は絶命した。

 手のほどこしようがない。


「あれ? 女神サマが来てんだっけ? ま、いっか」


 アルドゥイーノは振り向きもせず命ずる。


「――アンジェリカ! 列車に乗れ!」

「で、でもでも――」

「馬鹿野郎! でももくそもあるか!」


 アンジェリカは銃を捨て、後ずさりしながら駅の階段に足をかける。


「あんたは?」

「おれは――こいつをどうにかする」

「どうにかって――」


 聞き分けろ!! とアルドゥイーノは肩を震わせる。


「生きて帰ってきてね! 必ずだよ!」

「……」


 名残なごり惜しそうに階段を上がり駅へ逃げ込んだアンジェリカを見送って、「あらカワイイ」と女は舌を出した。


「その服。今の彼女が選んだの? いいじゃん。どこで買ったの?」

「お前に答える義理はねえ――早く行け!」

「あら、いいの? 意外に話がわかるぅ」


 お前に言ったんじゃねえ、とアルドゥイーノは叫ぶ。

 彼は、背後の野次馬に向けて言ったのだ。

 やはり黒服たちが誘導中とはいえ――駅前でこんな騒ぎを起こしたら、足が止まってしまう者もいる。

 ここで凶行に遭遇してしまい、駅前の通りを横切れずに震えていた少年少女たちがいた。

 彼らはアルドゥイーノの声を合図に、後方を走って駅へ逃げ込んでゆく。

 ――せめてこいつらを逃せられたら。

 アルドゥイーノひとりではこの女を止められない。それは彼も判っていた。

 ――罪滅ぼし? そんな殊勝しゅしょうなもんじゃないが。

 この避難計画は、いきなり出足をくじかれてしまった。

 できることなら全員を助けたかった。

 だからこれは、彼なりの抵抗。つまり意地である。


「ちっ」


 女は舌打ちをして、子供たちの一団に飛びかかってゆく。

 そのついでに、刃先でアルドゥイーノを斬り、返す刀で少年らを。

 横からで斬りにする――はずだった。

 女は派手に転んで、地面を滑っていた。

 一瞬のことだ。何が起きたかは判らない。

 ハッと立ち止まった子供たちも、すぐにまた駅舎への階段を上りだす。

 アルドゥイーノは突き出したを素知らぬ顔で引っ込めていた。

 肩を斬られたが、浅い。

 奴はどうせくびを狙ってくる――そう攻撃を読んで、銃身で剣先をらしていたのだ。

 けない。逃げない。ならば足くらい引っ掛けられる。

 短機関銃は更に短く、半分だけになってしまったが。

 女は信じられないという顔で倒れていた。


「今のうちに行け行け! 走れ! 列車が出ちまうぞ!!」


 女はね起きる。

 群れを狙うハンターは、獲物の選別に気を取られるためだろうか。


「不覚だわ。にしてもアンタねぇ――ナメ過ぎ」

「おっとすまんな。つい足が出ちまった。ガキの頃からの癖でな」


 いずれにせよラッキーパンチだ。

 二度目はない。もう武器もない。

 アンジェリカの銃にまで約四メートル。全力で跳んで一・五秒。銃を構えて狙いを付け――。

 その間に奴は――三人は殺せる。

 しかもこの銃では、こけおどしにしかならない。殺傷力が低いのだ。

 女は刃こぼれした剣を捨て、新しい剣を背中から抜くと、次々と通りを渡って逃げる子供たちに狙いをすます。

 再びウサギの群れを襲うチーターのごとく、飛び込んだ。

 アルドゥイーノは目を閉じた。

 ――すまねえ。

 ガギン、と予想外の音が響いて、目を開く。

 子供たちはそれぞれ飛び退き、頭をかばい、倒れ、驚いているが――無事だ。

 女は中腰で固まっている。

 その剣は上から叩き折られていた。

 子供らの間をって、行列の外から打ち下ろされた、とても長いスレッジハンマーのヘッドによって。


「またこんな役回りかよ――」


 ハンマーを振りぬいた男はそうぼやいて、溜息をいた。

 バリィおじさん! と子供たちの誰かが叫んだ。


「おう、ガキども。待たせたな」


 男は名をバリィと言った。

 子供たちからすれば、行きの船で乗り合わせただけの冒険者だ。

 男からしても、行きの船で乗り合わせただけの名も知らぬガキどもだった。


「それとな、おじさんじゃねえよ。こう見えて案外、おれは若いぞ」




***




 バリィとホワイトローズの、激しい打ち合いが始まっていた。

 彼らが武器をぶつけ合い、にらみ合い、横歩きで位置取りを変えるうち、子供たちの行列もそれを避けて動きながら続く。

 ホワイトローズは、自身の強さを十全に知っている。

 それゆえ、相性の悪い相手が存在することも把握している。

 このバリィがまさにそれだ。

 ホワイトローズは鋭い剣撃を繰り出す。

 バリィはそれをスレッジハンマーで斜めに受け流して、左手にした三つ又のソードブレイカーで掴み折る。

 ホワイトローズの剣は静物ならば鉄でも石でも切り裂く。

 しかし意志をもって動くものはそうではない。両断できぬなら、素早く強い斬撃は弱点ともなり得た。

 ホワイトローズはすぐさま背中から新しい剣を抜き、バリィはハンマーヘッドを回転させて剣を叩き折る。

 半裸のホワイトローズは、そのままバク転で距離をとる。

 そして舌打ちをした。

 間に散らばる折れた剣はすでに四本。背中に三本。


「――剣を折るのぁ、おれの十八番おはこでな」


 バリィには、先ほどからこの剣士が何かを狙っているように見えていた。

 打ち合いへの集中が浅い。

 ――ガキどもか?

 いや、違う。

 駅舎そのものだ。

 この女は、駅舎そのものか、あるいは入り口の柱を切り崩せないか狙っている。

 馬鹿馬鹿しい話だが、かんがそう告げる以上バリィはそれに従う。


「おい! 入り口ばっか通るな! 線路から逃げろ!」


 肩越しにそう命じると、子供たちはバリィの言うことをよく聞いた。

 彼らはお互いに目配せし、二手に分かれて片方は線路のさくへ向かう。


「クソ」


 ホワイトローズは毒づく。

 彼女の腰のナイフは残る二本。

 もう一本のベルトに無数のナイフを備えていたが、燃え落ちたスーツとともに捨ててしまった。

 はるか後方にあるそれをちらりと確認すると、ちょうど黒服が回収して逃げるところだった。

 溜息がでる。


「はぁ。クッソばっかじゃん。どいつもこいつも。アンタたちって何がしたいワケ? アタシらの邪魔して楽しい?」


 呆れ顔のホワイトローズの挑発には乗らず、バリィはスレッジハンマーを肩越しに高く構えた。

 片足を上げて振りぬく構えを見せる。


「おれァお前みたいな剣士をよ、戦地で見たよ。竿さおみてえな長~い剣を持ったウルチカ族のシャーマンだったな。あいつぁ速かった。時速にして百八十キロ超だ」

「は?」

「――カーブして飛んできたが、真芯を捉えてやった。ぶっ飛んでったよ。どこまで飛んだかな」

「で?」

「あんたも作り話だって思うわけかい。誰も信じなかったよ。なら、まぁ――」


 試してみろ――バリィはそう言ってあごを引いた。




***




 オレたちが駅前にたどり着いたとき、そこで何が起きているのか判らなかった。

 子供たちは駅舎の階段を上らず、線路の柵を乗り越えて直接ホームへ入っている。

 入り口は? と見ると、そこに――ホワイトローズがいた。

 ただでさオレたちの後ろにはスティグマがいるってのに。

 奴を抑えているのはアルドゥイーノと、そして――。


「バリィさん!?」


 知り合いか? とミラが訊く。


「うちの常連だ――ってポート・フィレムで世話になったろ! あと、リンも助けてもらった!」

「思い出した」


 ゴブリンの群れが邪魔で困っていたとき、あのハンマーで行列を切ってもらった。

 今は子供たちの行列を守ってくれているようだ。

 にらみあう彼らをよそに――列車が走り出した。

 駅には次の列車が入ってくる。

 バリィさんとホワイトローズは互いに距離を置いて向かい合い、一触即発だった。


「――試してみろ。本気でよ。おめえはあのシャーマンよりか速ぇんだろ?」


 ホワイトローズは軽蔑しきった顔で、小指を耳に突っ込んでほじる。


「何? くっだんね」


 まずい――オレはいやな予感がした。


「バリィさん! 気を付けろ!」


 バリィさんは振り向かずに答える。


「その声――昼行燈ひるあんどんの兄ちゃんか。またお互い面倒に巻き込まれたなぁ。よくよく――因果なもんだぜ」

「バリィさん! そいつは素手でも強い! 見た目で誤魔化されるな! 生来の殺人鬼だ!」

「はは。この嬢ちゃんをナメてかかるようじゃ、もう殺られてら。おめえらは早くガキどもを連れて逃げな! ここはおれっちに任せろ」


 バリィさんは高々とハンマーを構え、ホワイトローズと向き合ったままだ。

 その隙にアルドゥイーノが落ちていた短機関銃を拾った。

 ここの子供たちを逃がす、その時間を二人で稼ぐつもりなのか。


「いくぞ、ノヴェル。あいつの言う通りだ。俺たちは優先することがある」


 ジャックがそう言った。

 理屈は判る――でも。

 ジャックがオレの肩を強く引っ張る。


「行くぞ!」


 ――くそ。

 ホワイトローズが地面を蹴って、一瞬で恐ろしい速度に達した。

 横からのアルドゥイーノの銃撃など全く気にもめずに、まっすぐにバリィさんを捉える。

 バリィさんは長いハンマーでそれを流すが――流しきれなかった。


「ッ!?」


 ハンマーヘッドの根元が斬られて、くるくると回転する。

 続くホワイトローズの回し蹴りを危うくかわすが、腰を蹴られてソードブレイカーを落とされてしまう。

 バリィさんはスレッジハンマーを上下逆さに持ち替え、棒術のように突きの連撃を繰り出す。

 上、下、左――右から回して殴打。

 突きを躱し切ったホワイトローズは、最後の殴打を読み切れずに側頭部に打撃を受け、地面に激しく転倒した。

 ――強い。


「早く行け!! リンちゃんによろしくな!!」


 ソードブレイカーを拾いながら、バリィさんはオレを見た。

 有無を言わさぬ――そういう目をしていた。

 オレは何度もうなずきながら、後ずさる。


「きっと無事で!! またウチに泊まりに来いよ!! 来なきゃ承知しないからな!!」


 オレは、背後を通る子供たちを急かし、さくを越えて線路に飛び込んだ。




***




「さぁて――と」


 バリィは、拾ったソードブレイカーを腰に戻す。

 その向こうで、頭を押さえたホワイトローズが立ち上がっていた。

 既に背中の剣を抜いていた。

 ハンマーヘッドを失った長柄のスレッジハンマーを構える。

 棒術はかつて山岳民族の若者に習ったきりであった。

 ――斬撃頼みで来てくれるとありがてえんだが。

 リーチはこちらに利があるとはいえ、相手は速い。

 五歩向こうからの、ノーモーションの素早い刺突。

 剣がバリィを貫く。


「!」


 バリィはそれを――脇で挟んでいた。

 ――あっぶねえ。

 それをソードブレイカーで素早く奪い、折る。

 ホワイトローズが腰の二本のナイフを両手で抜く。

 懐ほどの距離だ。

 バリィは棒で打とうと回すが――これはホワイトローズのブラフだった。

 躊躇なく右手のナイフを捨てると、打ち下ろされた棒を掴む。

 左手のナイフで、バリィの右腕を刺した。

 慌てて飛び退いて間合いを確保するも――傷が深い。

 手首の内側をやられた。

 両手で棒を握るのが難しく、流れ出る血でグリップも甘い。

 棒術の力の源は、二点の支えだ。その片方が、だいぶ怪しい。

 敵の残る剣は背中の一本。

 最後のナイフはバリィの腕に深々と突き刺さったままだ。

 ホワイトローズは、背中から最後の一本を抜いた。

 ラスト一本。

 一本だが――。


(そう甘くはいかねえみてえだなあ)


 右手がこれ・・では次撃をしのぎきることは難しいだろう。

 自分が躱せても、隙を見せればこの女は子供を殺しに向かう。

 バリィは覚悟を決めた。

 ホワイトローズが飛び込んでくる。

 肉を切らせて骨をつ。

 首を斬らせたらもう骨を断つことはできない。

 ――斬らすのは肉だけ。肉だけだ。

 バリィは、敵の動きに全神経を集中した。




***




 オレは、ジャックとともに侵入防止の柵と、張り巡らされたワイヤーを切断した。

 柵を壊したことで避難が早くなる。


「早くこっちへ!!」


 道路の向こうから、顔を出して機会をうかがっている集団を呼ぶ。

 その更に向こうの空には――浮遊するスティグマがいた。


「スティグマだ!! こっちへ来てる!!」


 妙にゆっくりなのは――避難する列の最後尾を、食いながら・・・・・追ってるからだ。

 オレには判る。顔が見えなくても――あいつは今、狂った笑いを浮かべているのに違いない。


「早く! 早くホームへ!」


 オレは子供たちを誘導する。

 列車のところにいたマフィアが赤旗を振る。

 いっぱいになったんだ。

 ホームにはもう次の列車を待つ避難者があふれていて、これ以上はまずい。

 オレは両手をクロスして、道路の向かいに「待て」と送る。

 でも――子供たちはオレのサインに気付かなかった。

 列をなして道路を渡ってくる。


「違う! 待て! 今は来るな!!」


 列車は出発し、オレの背後を速度を上げて通り過ぎる。

 オレは必死に子供たちを止める。

 戻れ、と。

 でも――。

 道路を渡って走ってきた子供たちの一団に――ホワイトローズが突っ込んだ。


「――子羊ちゃぁん! もう逃がさないんだから!」


 素早い。

 だいぶダメージを受けて尚、あまりにも素早い動きだった。

 ホワイトローズの左右、子供たちのうち二人が喉から血を噴き出しながら倒れる。

 なんてことだ。

 バリィさんは――ここからじゃ駅舎の影だ。


「バ――バリィさ――」


 叫びかけたとき、駅舎の影からバリィさんが飛び出してきた。

 血を流しながらも、彼はホワイトローズに追いすがる。




***




 バリィは、子供たちの間を縫ってスレッジハンマーの柄を突き出し、ホワイトローズの右肩甲けんこう骨を粉砕ふんさいする。

 彼女はバランスを崩しながらも、回転しながらナイフで、太った子供の腹を切り裂く。

 振り向きざま、血と脂に濡れたナイフをバリィに投げ、バリィはそれを素手で受けた。

 ナイフが左手の甲を貫通する。

 さっきまで彼の右腕に刺さっていたナイフであった。

 もっとも――負傷しているのはホワイトローズも同じだ。

 左腕も、片足も叩き折ってやった。普通なら立っていられないはずだ。


「なぜ動けるんだ!? おかしいだろうがよ!!」

「は? 痛みなんか――とっくに感じね~よ!」


 ホワイトローズは空いた手を伸ばし、腰を抜かしていた華奢きゃしゃな少女の首を掴む。

 バリィは棒でその手を打ちすえる。

 確実に折った手応えなのだが――ホワイトローズはまだ少女の首を掴んだままだった。

 この女は、痛みを感じない。

 ある種の暗殺者は、拷問に耐えるためにそのような手術をしていることがある。

 征東戦線では、バリィもそれらしき蛮族と戦った。


「――無痛化手術か!?」

「整形って言ってくんね!?」


 そのまま握力だけで少女の首を折る。

 彼らの周囲を、残る子供たちは全速力で駆け抜けてゆく。

 ホワイトローズは少女の体をポイと投げて寄越すと、身を低く構えて子供たちの間に滑り込んだ。

 そのまま避難者の列を逆行する。

 バリィはそれを追って、丸出しの背中の脊椎せきついを狙って、棒を突いた。

 だが浅い。ホワイトローズはまだ逃げる。

 逃げながら両肘で、手刀で、正面から来る子供たちを掻き分け、傷つける。

 彼女にとっては未だ狩りの途中なのだ。

 その中に、子供たちを押し退けながら、我先にと逃げてきた軍人の一団があった。

 ホワイトローズは素早くその軍人のあご膝蹴ひざげりで砕き、腰にさしていた剣を奪った。

 その瞬間――ホワイトローズのキレが戻る。

 肘鉄ひじてつと、蹴りで、軍人を殺し――彼女は剣の刃を口にくわえ、ひらりと地面に舞い降りる。


(くそったれ――)


 バリィも深く負傷している。

 それでもホワイトローズを追った。

 前方から続く悲鳴。そしてバラバラに乱れ逃げる子供、軍人。

 奴は、奪った剣でまた次々子供を切り裂いている。

 ホワイトローズの狩場は、城の方へ連綿と続いていた。

 まだ一万人近い子供たちが逃げ遅れているはずだ。

 奴に追いつこうとしたとき、バリィにとって輪をかけて変なものが見えた。

 向かう先の空中を――何者かがゆっくりと歩いてくる。

 あれが――ノヴェルたちの敵。


(けっ、昼行燈の兄ちゃんには過ぎた相手だぜ)


 行かせるかよ、とバリィは狙いをつけ、ホワイトローズの後頭部を棒で突く。

 奴は振り向きざま、剣を振った。

 その剣が横を通り抜けようとした子供を少し斬って、更にバリィへ迫る。

 棒で受け、一歩下がる。

 続く回し蹴りと、二段構えの剣撃を躱しながら、更に下がり続ける。


「バリィさん! 戻れ!!」

「こっちだ!!」


 ノヴェルとジャックが背後から呼んでいる。

 何の策があるのか知らないが、バリィは乗ることにした。

 棒を回してホワイトローズの攻撃を受けながら、バリィは退がる。

 折ったはずの奴の腕は、もう骨がくっついたかのようだ。


「どうなってんだよ! おめえの体はよ!」


 彼らは激しく攻撃を応酬しながら、線路に入った。

 棒で剣で弾くと、くっついたかと思われたホワイトローズの右腕が、またポキリと折れた。

 前腕の真ん中に、新しい関節ができたかのように下を向く。

 更に繰り出した殴打を、ホワイトローズは蹴りで跳ね上げた。

 棒を蹴り上げられ、大きく脇を晒しながら、バリィは後ろへよろめく。

 ホワイトローズは――がら空きの脇を見逃さなかった。

 サディスティックな笑みを浮かべる余裕すらあった。

 だらりと下がった右腕の先の剣を左手で支え――そして。

 全身の力で、バリィの脇腹を――刺す。


「ぐぅっ――」

「おらおら。どうだ? 痛えか?」


 ホワイトローズは剣をぐりぐりと動かしながら、どんどん深く剣を差し込む。


「い――痛ぇ」

「久しぶりだよ。そんな顔見るの。近頃、皆一瞬で死ぬじゃん。欲求不満でさ」


 ほらほら、もっと苦しめ――。

 そう言いながら、ホワイトローズは全身の力をめ、更に深く剣を押し込む。

 痛み。それは彼女が捨てたものだった。

 痛みは人を何より支配した。

 それを他者に与えると、人は面白いように動く。


「ほら――傷口が見たいなあ。どうなってんのかな?」


 のみならず――傷と痛みは人を永遠の安静へと導く。

 痛みは慈愛。

 痛みは神聖。

 だからこそホワイトローズには、それ――『肉を切らせて骨を断つ』――が理解できなかった。


「ねえねえ、さっきの、もいっかいやってみせてよ」


 ねぇってば――とホワイトローズは剣を抜こうとした。


「わざとでしょ? アンタだったら避けられたのに。わざと斬らせといて――棒で叩くなんて」


 またホワイトローズは剣を強く引く。

 だが、剣は抜けない。

 名も知らぬ大男は、全身の筋肉を硬直させて、体全体で剣を掴んでいた。


「――やってるぜ」

「――!?」


 大男は、急にその筋肉の緊張を解く。

 剣が抜け、血飛沫と共にホワイトローズはよろめいた。

 ホワイトローズは、行為に夢中で気付かなかった。

 彼女は立っているのは、線路の真上だ。


「ちょっ! アンタ、いきなり――」


 ドンッ。

 横から何かが、ホワイトローズを襲う。

 バリィが最後に見たのは、女の唖然とした顔だった。

 殺人鬼は吹き飛んで、遥か先のカーブの向こう、地面に案山子かかしのように転がった。

 彼女を襲ったのは――黒鉄くろがねの機関車だ。


「バリィさん!! 早く乗れ!!」


 機関室へと続く足場を駆けてきたノヴェルが手を差し出す。

 バリィはその手を掴んだ。

 血まみれの左手は、激しく痛む。

 それでもバリィは笑った。


「あ、ああ――助かったぜ」


 ホームに居た人間を詰め込み、列車はその地獄から抜け出した。

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