Ep.42: 人を喰う数式

42.1 「一か所に固まらずバラバラに逃げろ!! これは避難訓練じゃな――」

 予想外の女王の先制攻撃に――オレは呆然ぼうぜんとしていた。


「いいか、ノヴェル! 予定と違うが予定通りやれ。奴が動いて、パニックが起きる前に――」

「でも、あれでスティグマを倒せれば……」

「パイロットが操縦をしくじったら? 当たっても、不発に終わったら? 失敗する可能性のほうが高い!」


 オレはうなずいて、走り出した。

 ジャックと共に三万人の子供たちの間を走り、避難するよう叫ぶ。


「緊急事態です! すぐに後ろの方へ避難を!! 街へ逃げて駅へ行くんだ!!」

「ウィロウ駅だ!! なるべく建物の中を通れ!!」


 子供たちは銘々めいめいに空を見上げて、事の成り行きを見守っている。

 オレはその肩を、背中を叩いて身振り手振りを交えて「逃げろ!!」と伝えた。

 一人の少年がきょとんとしていた。

 オレが弾き飛ばすとその子は、よろよろと列から抜けたものの――こちらを振り返ったまま逃げない。


「おい、ジャック! ノヴェル!」


 そこへミラがこちらに気付いて走ってきた。


「ミラ! 丁度いいところに! ガキどもを動かしてくれ! 得意だろ!」


 ジャックが叫ぶと、ミラは即座に周囲の子供たちに呼びかける。

 彼女が呼びかけると、子供たちはぱらぱらと街の方へ逃げ始める。

 おそらく認識阻害を使ってるんだろう。効果はてきめんだ。

 それが五人でも十人でも、逃げだす子がいればオレの声も届きやすい。

 周囲の子たちも、一緒に逃げだすからだ。


「緊急事態なんだ!! ほら! あの子たちに続いて!」


 あっという間に大勢の子供たちが列を離れた。

 きちんと整列していた三万人の聴衆のうち、全体からすればほんのわずかだが――確かに崩れ始めた。


「一か所に固まらずバラバラに逃げろ!! これは避難訓練じゃな――」


 そのとき、鋭い光が空をはしった。

 ほんの一瞬――雷よりもはるかに短い時間で、本当に光ったのかも自信がない。

 それがジャックの言葉をさえぎる。

 オレたちは思わず身を低く下げた。

 何だ。

 あの兵器が爆発したのか?


「ジャック! 今のって――」

「いいから逃がせ! そっちを頼む!」


 ジャックは呼びかけを続けている。

 衝撃の残り香・・・のようなものが、ピリピリピリと城から町へベリーロングアイルを駆け抜けていった気がする。

 あたりをうかがっていると――やがてドーンという遠雷のようなうなりが空に響いた。

 山でも地面でもなく、空から音が降ってきた。

 軍人らは「成功だ!」と歓喜の声を上げて騒然そうぜんとする。

 ただ――壇上の女王は怪訝けげんそうに空を見ていた。


「――なんだ。爆発――?」

「アレン=ドナは九百キロ北だ。今光ってから音が聞こえるまで百秒かそれくらいか――?」


 アレン=ドナで爆発したのなら、音まで聞こえるはずはない。

 つまりそれは爆発は三十キロかそれくらいの地点で起きたってことだ。

 近すぎる。


「ノートン! ノートン!! ――くそっ! 通信機の調子がおかしい! とにかくガキども逃がせ」


 ジャックは通信機を仕舞って、「これをつけろ」とイアーポッドを渡してきた。

 オレはそれを耳に入れ、うなずく。

 子供たちは皆空を見上げて騒然としている。


「――とにかく逃げてくれ!! ここは危険だ!!」


 オレたちは再び彼らの間に入って、叩いたり揺すったりして呼びかける。

 危険だ、という言葉がさっきの音と光で説得力を持った。

 彼らは弾かれたように避難を始める。


「押さないで!! パニックにならず、速やかにこの場を離れて!!」

「おい! そこの奴!! ぼさっとするな!! ガキどもを逃がせ!!」


 必死の訴えが通じたのか、引率者らしき大人も子供たちを誘導し始めた。

 百人、二百人、四百人――避難は大きな波となって、ベリーロングアイルを城下町のほうへと動き始める。

 その先には黒服のマフィアたち。


「黒服の人たちの誘導に従って!!」


 避難計画は、とりあえず三万人を動かし、三方向に散らす。

 それぞれの先ではブーマン・ファミリーの連中が点々と定位置にいて、子供たちを街の安全なルートへ誘導する。

 その先は駅だ。

 大量輸送でイレザーヘッドへ送り、ブラフの車両と合流してそのまま大陸へ逃がす。

 それ以外の無関係な列車の運行は、ブーマン・ファミリーがおどしたり暴れたりして止めていてくれるはずだ。

 正直なところ全員を逃せるかは判らないが――じゃない、全員を逃す。

 ここからだ。

 オレは――振り返った。

 ウインドソーラー城のシンボル、ラウンドタワー。

 その上に、スティグマが現れた。

 背後に巨大なブラックホールを伴っている。

 いくらなんでも早過ぎる。

 奴はきっとオレたちの予想通り、ここへ向かっていた。

 その途中で、女王の祝砲・・とやらを邪魔したんだ。

 逃げろ!! とオレは叫び続けていた。

 ブラックホールがラウンドタワーにかかると、タワーが砂糖菓子のように崩壊してゆく。

 軍部首脳らしきひげの集団がわめきだす。


「げ――迎撃しろ!!」


 爆撃が阻止されたのなら、もうここが地獄になることは避けられない。

 たちどころに軍人たちが組織化し、飛来したスティグマを迎撃すべくグレートウォールの向こう側、城の内郭インナー・ベイリーへ駆けてゆく。

 残った軍人もこちら側の避難誘導に参加し、女王を守ろうと報道陣を散らしに動いた。

 グレートウォールの上にも部隊が展開。

 迎撃が始まった。

 魔術、銃撃、砲撃、弓矢。

 ひとたび迎撃が開始すると、女王も、軍人も、報道陣も空を見上げた。彼女らは――まだ迎撃が成功すると、信じているのだ。

 軍人を含め、誰も奴の恐ろしさを知らなかった。

 オレは走り、叫びながら、一人でも多くを逃がす。

 全兵科の集中攻撃も、スティグマは少しも意に介さない。

 ゆったりとした速度に落として――品定め・・・を始める。


「攻撃有効を確認! 減速しているぞ! 続けろ!!」


 城壁の上で、旗を持った軍人が叫んだ。

 ――そうか、そういう風に見えるのか。

 スティグマは腕すらも動かさずに、背後の巨大ブラックホールから小さなやつを千切って分離させた。

 あのブラックホールは奴の意のままに動くのだ。


「た、退避――退避!!」

「女王陛下をお守りしろ!」


 首脳らは身構える――スティグマの攻撃は、彼らを完全に無視していた。

 切り出された小さなブラックホールへ集中して、展開した部隊が魔術を繰り出す。

 でも効果はない。水なら多少の冷却効果があったのに――ここにそれほど多くの水はない。

 ブラックホールの欠片かけらは、グレートウォール越しに、こちらを狙って投げられた。

 それはグレートウォールを破壊しながら落下した。

 落下地点に居たのは――報道陣。そして女王。

 大きさは、集まった報道陣をすっぽりと包み込むのにぴったりだった。

 石の焼ける匂い、そして幾筋いくすじもの稲妻が蒸気の中を走る。

 やがて蒸気が薄まると――そこには地面が無かった。

 地面ごと、一瞬で蒸発させていた。

 ブリタ女王ルイーザ・ヘルメス四世は、たった今、スティグマに消された。

 後にはぽっかりとえぐられた地面が残ったのみ。

 丁度、報道陣が集まっていた範囲が包まれていたのだ。

 でも――生き残りがいた。

 たった一人、ぎりぎりのところで攻撃をまぬがれた記者だ。

 地面にへたり・・・こんでいた彼は、慌てて立ち上がってこちらへ逃げてくる。

 スティグマは、上からそれに気づいたようだった。

 地面からつたが伸びた。

 蔦は一瞬で、木のように咲く。

 記者は走りながら、その木に体を突っ込んだ。

 真っ赤な花が咲き乱れるように、両手両足を切断された。

 時間はゆっくりと流れ――崩れ落ちた記者の残骸ざんがいは、ブツ切りになってボタボタと地面を転がる。


『――ル! ノヴェル!! 無事か!?』


 一時的に聴力も失っていた。

 オレは――咄嗟とっさに動けなかった。

 何が起きたか、答えることもできない。

 スティグマの攻撃で、女王は死んだ。


「ス、スティグマが――女王を」


 待て。

 それは正確か? 本当に正確な情報か?

 報道陣は全滅し、女王も死んだ。それは間違いない。

 でもオレの目に見えた事実は少し違う。

 今の攻撃は、正確には報道陣を狙っていた。それに女王は巻き込まれた。

 そうだ。伝えることが明白になる。


「――スティグマの攻撃で、前列の記者たちが全滅した! 女王も巻き込まれた!」


 同時に、オレの時間が戻った。

 絶叫がオレを包む。

 それは残った王室関係者と軍人、そして子供たちの叫びだ。

 すっかり大パニックになっていた。

 今慌てて逃げ出そうとした者が、前線から逃げてきた集団に呑まれ押され、倒れ、踏まれ――。

 幸い、子供たちは半分ほどがすでに避難の態勢に入っていて、そちらは大きく乱れていない。


「お陰でパニックだ! どうする!」

『了解! ノヴェル! ミラ! 前線は諦める! 俺たちも撤退だ!』


 既にうかうかしてるとこっちまで巻き込まれそうな人の波だ。

 自慢じゃないが、オレの体格は十三の子供とそんなに違わないんだぞ。

 オレは後方にある町の方へ――ベリーロングアイルの出口目指して全力で走り始めた。

 人波に乗って前線を離れる。

 思えば人波に逆らってばかりいたような――でも今は波に乗る。

 背後のほうで何かが爆発するような音がした。

 振り向くと、ブラックホールがグレートウォールに墜落していた。

 急速に風が渦巻く。

 バリバリという雷鳴、バキバキという崩壊音。

 それに暴風の音が加わって、あたりが暗くなるほどの大量の砂ぼこりが巻き上がる。

 スティグマの姿も見えない。

 以前、ブラックホールが海に落ちたときは、周囲の水を巻き込んだ。

 あの規模のものが地面に墜落したら、何が起きるのかは予想できない。

 オレは必死で走った。

 先のほうでは黒い蔦が、逃げる軍人をまとめて切り裂いていた。

 だめだ――蔦を避けてオレは方向を転換する。

 前線はどうなったか――と、少しだけだけ振り返った。

 最前までわめいていた部隊が残存しないことは、もう誰も奴を攻撃していないことから明らかだ。

 奴のブラックホールは、すっかりグレートウォールを破壊しつくし、地面を抉りながらどんどん深く――しかもこちらへ向けて進む。

 蒸発し、飲み込まれゆくベリーロングアイル。

 芝生や並木が波打って、地面もろとも前線のほうへズルズルと動いている。

 地面が崩れているのだ。

 夜空の暗い星は、今地上にある。

 それはどんな攻撃よりも効率よく地上をう人間たちを吸い込んでゆく。

 軍人でも、子供でも。

 渦巻く土煙の合間に、スティグマが見えた。

 奴は、悠然ゆうぜんと下を見下ろしていた。地獄と化した地上をだ。

 インターフェイスがここにいれば、またオレにもあの腕・・・が見えたかも知れない。

 スティグマが無数の黒い腕で、逃げ遅れた数千から一万の人間の輝きを掴み、むさぼっている様が。


『ノヴェル! こっちだ! 右へ抜けろ!!』


 走りながらジャックの誘導に従って、右へずれる。

 バラバラに弾けて飛んで行く軍人たちの間を抜けて――並木の外にジャックとミラが見えた。

 物陰に隠れて、こちらを手招きしている。

 オレはそっちへ行こうといったん並木の大木に背中を預けて立ち止まったが、地面が動いているため勝手にジャックたちから離れてゆく。

 すぐにまた全力で走り出し、ジャックたちのところへ飛び込んだ。


「ノヴェル! よく戻った!」


 振り向くと、ブラックホールはすっかり地中へ没していた。

 地形そのものが変形し、クレーターの中へ逃げ遅れた人々を飲み込んでゆく。

 スティグマはその上方の空を歩いていた。

 蔦を出し、目ぼしい人間を次々蹂躙じゅうりんしながらだ。


「前線はもう、たぶん全滅だ!」

「あの女王ってやつぁ、死んだのか」

「ジャックには言ったが、女王も死んだ! ああ――あれは記者たちを狙ったんだ!」


 息を切らし、オレはミラにも状況を伝える。

 間違いない。奴は軍人よりなにより先に、報道陣を丁寧に皆殺しにした。

 ひとつはっきりしたことがある。


「奴は! 奴は、絶対に自分の写真を外に出されたくないんだ! でもなぜ」

「落ち着け! 奴のブラックホールはもうすぐ消滅しそうだ。新しいのを出される前に駅でアルドゥイーノたちに合流するぞ」


 オレたちは息を整える間もなく、また走り出した。




***




 城下町ウィロウも、パニックにおちいっていた。

 突如とつじょ街へ逃げ込んできた三万人近い子供たち。

 彼らはマフィアの指示通り、家から家へ建物の中を通って駅を目指していた。

 アルドゥイーノとアンジェリカは駅前で、臨時列車へ彼らを乗せ、大陸まで逃す役割だ。


「切符だぁ? そんなもん要らねえ! さっさと乗れ! 乗れるだけ乗ったら出発だ!」

「こっちこっち! 席あるよ、席!」


 まだ友達が来てないんです、と少女数名が困惑顔で訴える。


「列車はまだ何本もあるからフルシで会え! ここで待ち合わせするんじゃねえ!」


 空から爆発らしき音が響いたあと、見たこともない巨大な黒体が墜落して、凄まじい煙が上がるのはそこからも見えた。

 スティグマの姿までは見えずとも――ウインドソーラー城が大変な状況にあることは想像に容易たやすかった。

 先ほどから駅へ逃げてくる子供たちの数は急激に増えてゆく一方で、逃亡兵の姿も目立つようになっている。

 ただし、今のところはまだ予定通りの規模だった。


「今何人くらいだ?」

「――わっかんないよ! 数えてないし、数えきれないもの!」


 既に十五両編成の列車が二回出発している。一万人以上逃がした計算だ。


「覚えとけ! 一両当たり、詰め込みゃ三百人以上乗れる! 次の列車は――」


 突然、絶叫が聞こえてアルドゥイーノはそちらを見た。

 街の南側から駅へ来る道のほうから、子供や大人たちが走ってくる。

 ウインドソーラー城とは反対だ。

 アルドゥイーノは思わず手元の地図を確かめたが、そこに書きこまれた予定の三つの避難ルートとは違う道だ。


「なんだぁ? あっちから逃げてくるなんて――」

「ここの住人っぽい人もいるよ! きっと予定のルートをはぐれたところで戻ってきたんだよ」


 そうとしか思えないがそれにしては――様子がおかしい。

 必死に叫びながら、全速力で走ってくる。

 スティグマがいるのとは逆方向から、一体何から逃げているのか。


「――やつら、何から逃げている?」


 必死の形相ぎょうそうで逃げてくる市民と子供たち。

 その隙間の向こうに、女がいた。

 ショートの髪を横に流したアシンメトリー。

 ぴっちりとした皮のスーツに身を包んだその女は、大量の剣を背負っている。

 腰に回した二本のベルトに更に大量のナイフを備えていた。


「な――なんだありゃあ――聞いてねえぞ」


 美人だが客のつかなそうな女だ、とアルドゥイーノは思った。

 女はその肢体したいと似た細身の剣を振り回しながら緩急かんきゅうを切り替えつつ、いたぶるように迫ってくる。

 その背後、道の左右に複数のむくろを転がしていた。


「じょ、冗談じゃねえ。荒事はごめんだ。おい誰か! 撃ち殺せ!」


 知らずとも判った。

 ――あの女は勇者だ。

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