第九章: 王座を目指す、この星の邪悪一位と二位

Ep.41: 会議は踊り、されど進まず

41.1 「魔力を掴んで、食っちまうような数式なんだ!」

 バリィ・アンダーソンは国際手配中の凶悪犯の追跡するさなか、大陸西部の小国オルデアを訪れていた。

 数年前に訪れたときはギルドもようやくできたばかりで、まだまだ肩身の狭かった思い出がある。

 しかしブリタの植民地となって、共通語も通じるし通貨の両替の心配もない。

 居心地がよくて数日過ごすうちに、ギルドで凶悪犯の指名手配が解除されたと知らされた。

 パルマ皇室によって冤罪えんざいが証明されたのだという。


(――やったな、ノヴェルの兄ちゃん)


 バリィの主な目的は、ノヴェル追跡網の攪乱かくらん。各地のギルドを回って、虚偽の情報をバラまいた。

 しかし手配されてすぐ、ヴァニラ海の街道沿いでファンゲリヲンと交戦した連中が全員謎の死をげたことで――バリィの気づかいは無駄になった。

 またそれによって、命をけて勇者を追おうなどという粗忽そこつ者が一歩退いたのも大きかった。

 ああも華々しく殲滅せんめつされていなければ、次から次へと賞金狙いの冒険者が命を落としていただろう。

 見せしめというやつだ。

 それからは気ままなものである。

 里帰りを兼ねて、大陸を西から回ってオルデアまで来た。

 この街は、どこかポート・フィレムに似ている。

 港も――ポート・フィレムほど繁盛はんじょうしているわけではないが。

 港を目指す彼の周囲には、いつしか沢山の少年少女がいた。


(おおっと、もうそんな時期かねえ)


 学堂の生徒たち――自分にはなかった青春を、まぶしそうにながめてバリィはうらやましい気持ちになる。

 ――征東戦線。

 あんなものに巻き込まれなければ、バリィだって違った生き方をしたに違いない。

 羨ましさの半分はバリィ自身の、もう半分はノヴェルを気遣ってのことだ。

 バリィに言わせれば、ノヴェルは本来もっと若さを楽しむべきなのだ。

 年寄りに育てられ、乱暴者に囲まれて育てばああ・・なってしまう。

 少年たちは船に乗るのだろう。

 船でブリタシアを目指すに違いない。

 ――となれば、バリィも乗る船は同じだ。


(騒がしい船旅になりそうだなぁ)




***




 魔人スティグマ。

 七勇者の指導者。

 その実態を隠すベールは厚い。


「皇家に六代前から伝えられる伝説がある。二百年前――南天の星々が飲み込まれた後、地上に聖なるきずあとを刻んだ者が生み落とされた。彼こそは代償をあがなう者なり――とね」

「代償を贖う――?」


 ノヴェルはぽかんと口を開けた。

 ジャックはやや不満そうに言う。


「どうしてそういうことを早く言わないんだ」

「情報量がないからだよ。どこの話か、正確にいつの話かも判らない。ただのお話だ」

「そのお話の主人公が、人類の敵なんだぞ。各地で何かをたくらんでやがる」

「そう。広域でだ。元老院議長ハマトゥともかねてより浅からぬ親交があった」


 だがハマトゥは死亡。

 いつどこで生まれたのか。国籍はどこで、その姓名は――全て不詳。

 その正体と対策を巡って、ここ――ブリタシア帝国ロンディア市で連日会議が行われていた。


「かつてのノートルラントに長く居たのか?」

「そのはずだ。だがどこで何をしていたのかは判っていない。ソウィユノたち初代勇者の活動から類推されるだけだ」


 事実は闇から闇へ。

 蜘蛛くもの糸よりも細い。


「黒いつたを出す。どこからでも出現させ、全ての攻撃を無効化する」


 ジャックが腕を組みながらそう説明する。


「あの蔦をどうにかしなきゃならない。逆に言えば、あれさえどうにかできれば攻撃ができる可能性がある」

「スティグマがこのロンディアを襲撃した場合、想定される被害はどれほどになるか? ――この点について推定方法はありますか、ハンクス氏」


 この日は第三層にあるロンディア市警本部の会議室。

 ジャックとノートン。そしてノヴェル。

 ミラとインターフェイスは、遠くの席でずっと黙って成り行きを見守っている。

 ここにはもう一名――ハンクス警部を招いていた。

 ハンクスは終始難しい顔をしていた。

 最悪の場合、スティグマがロンディアを襲う可能性があると伝えたからだ。

 ハンクスは難しい顔をして「わからん」と前置きして語る。


「見りゃわかるようにこの街は――ひとつの大きな城から発展してできてる。大規模な避難は極めて難しい。水際防衛が基本だ。災害対策についちゃ消防の同期を紹介しよう」


 水際対策ですか――と今度はノートンが難しい顔で繰り返した。

 ノートンのその反応を見て、ハンクスは不安そうに周囲の面々を見渡す。

 そしてジャックを見つけて問う。


「なんだそのカオは。やりようは、あるんだろう? 例えばウチの警官隊を並べて鉛玉の雨を降らせてやる。どの方向からどう来てもハチの巣にできるぞ。仮にそいつが空を飛んで来ようともな」

「軍用船三隻の機関銃と大砲が全弾防がれた。今話した蔦のせいだ。鉄でも岩でも切り裂くほど鋭く、罠のようにも使える。防御に使われると鉄壁だ」

「催涙ガスは? 魔術ならどうだ。火、水、風――」

「少なくとも火と水は防がれた。唯一、これを抜けて攻撃・・できたのは、そこのノヴェルが照らしたサーチライト・・・・・・だけ」


 ジャックがノヴェルを指差す。

 ノヴェルは所在なさげに「どうも」と手を挙げた。


「――そいつは光に弱いのか?」

「そんなわけあるか。攻撃と言ったのは皮肉だ」


 資料によるとサーチライトとは、船のブリッジについていた本当にただのライトだ。

 勿論一切のダメージを与えず、効果は『不快感を示した』とだけ。

 ハンクスは唖然あぜんとする。


「もし水際防衛に失敗するとしたら――避難は難しい。出入口が一層の二か所しかないからな。中心部の十二万人が避難するのに大渋滞が起きて避難には最低でも丸一日――」

「ハンクス。その勘定かんじょうには最下層の人間は入ってるのか」

「――最下層を考えると二十五万人。避難には二日だ。だが最下層民の避難が必要か? 勇者は、あいつらを狙わんだろう?」

「そうは思わん。となると、スティグマが城を出てすぐ避難を開始できたとしても――ここまで半日かかるとして被害予想は十九万人」

「半日? たったの? ――待て待て。あくまで最悪の話、それも仮定の話だろう? そもそもなぜ勇者がここを襲う」


 ハンクスの疑問はもっともだ。

 ジャックとノートンは無言で顔を見合わせ、やや気まずそうに――その疑問への明確な回答を避けた。


「そうだな。ひとまず仮定の話にしておこう。あんたの心臓の負担、日頃からキツいだろうしな」


 そうお茶をにごすジャックの背後を横切り、ノートンが黒板の前に出た。


「オホン。え~、スティグマの攻撃につき、こちらでモートガルド外洋での戦闘を分析しました。記録は残っていないから、私の記憶によるものです。資料の十五ページをご覧ください」


 資料をめくる音が響く。


「『ブラックホール』は僅か十五分足らずで直径八百メートルまで成長しました。推定される総質量は――」

「ま――待て、『ブラックホール』と言ったのか?」

「『ブラックホール』とは言いましたが、本物の大質量天体とは異なるものです。勇者たちの使う、謎の黒い力を使っています。それについてはノヴェル君から」


 ノヴェルは立ち上がり、ファンゲリヲンから聞いた魔力と黒い力の関係について説明する。


「あの力は、魔力と同じようにヴォイドから生まれた。どちらも中間的な力で、なんというか――体系が異なる。魔力ってのは、オレはよく知らないが、女神を通じて使う、生活感のある力――いや、熱や分子間力、静電量みたいな力に変化する。でもあの黒い力は、重力や質量といった相互作用になる」

「訊いていいか? 相互作用とは?」


 ハンクスがノヴェルに質問したが、ノヴェルが答えにきゅうしているのでノートンが答える。


「量子の間に働く力のことです。重力、物質、電気――宇宙のあらゆるものが四つの相互作用で説明できます。我々は、宇宙が生まれて冷えるまでのわずかな間に、一つの力が四つの相互作用に分かれたと考えています。魔力や黒い力は、その埒外。宇宙が充分冷えてから、真の真空のエネルギーを未分化の力とし、そこから生み出されたものと考えられます」

「ファンゲリヲンは、ヴォイドがどこからか借りて魔力や黒い力を生み出してたと言っていた」


 ――ヴォイド? とハンクスは怪訝けげんな顔をした。

 借りて、か――とジャックが言う。


「ヴォイドについちゃよくわかってない。魔力の源。いや、ことによると宇宙の源かも知れん。だが『借りて』というのは気に入った」

「――信じられんな」

「もっと信じられないことを、ノヴェル君は聞いてきました。続けて」

「ファンゲリヲンは――魔力や黒い力を『ヴォイドから生まれてヴォイドにかえる』と言っていた。勇者は魔力を回収している」


 魔力を? とハンクスは目をいた。


「マジだ。サイラスという少年が同じ趣旨の話を、スティグマから聞いている。もっともスティグマは喋れない。言葉はそのインターフェイスの口から」

「回収だと? なぜそんなことをする。判らん。魔力なんてものは飯を食って寝てれば勝手に回復するだろうが」

「魔力はそうだ。だが奴らの使ってる力は、魔力とは異なる体系のものだ。たぶんその力をヴォイドから得るのに、代償が必要なんだ」

「何がたぶんだ。憶測でモノを言うな。きちんと報告しろ」


 ハンクスは憤慨ふんがいする。

 おそらくジャックの刑事時代を思い出しているのだろう。

 ノヴェルが、ファンゲリヲンの言葉を思い出しながら補足する。


「ファンゲリヲンは――なげいていた。奴らの黒い力には『予算』があって、勇者が濫用らんようしたせいで枯渇こかつしかかってるらしい。そこで魔力をヴォイドにかえし始めたけど、帳尻が合わないって」


 聞いたとおりだ、とジャックがいう。


「だが実際のとこ――奴らが人間から回収しているものが魔力なのか、人間の中にある魔力の元みたいなものなのか、それは判らん。本来、魔力なんてものは渡したり取り上げたりできるものじゃないからな。俺たちが魔力を生み出せる以上、もしかするとヴォイドは俺たちの中にもあるのかも」


 自分たちの中で魔力を生みだすもの。

 根源。あるいは、根源からで、根源に還る、未分化のもの。

 しばらく自分の掌を見詰めて、ハンクスはハッとした。


「じゃあ回収ってのはその――つまり殺すってことなのか? 信じられん。取り立て屋じゃあるまいに」


 ジャックはその発言を聞いて少し笑った。


「『取り立て屋』。そいつは言え得て妙だ。だが取り立てる相手が違う。スティグマはその力の『運用』に失敗した。勇者は『予算』を使い込むばかりで、奴はその『返済』に追われてる。『破産』寸前だ」


 ノートンが首を斜めに振って「その例えはどうかと思うが」と前置きしつつ、丁寧に頼む。


「借金苦の人間がどういう手段に出るか、犯罪捜査の観点からも分析していただきたい。警部殿には――」


 待て、とジャックがノートンの発言をさえぎった。


「官僚さん、そりゃいいアイデアだが、ハンクスにはもっと踏み込んだ話をしたい」

「――彼は部外者だぞ」

「この件に部外者はいない。ハンクス、署長を説得して、軍を出してくれ。なるべく早くだ。そしてその時がきたら、街から全員を逃せ。俺たちも協力する」

その時・・・って何だ。さっき言ってた、スティグマって奴がここを襲ったらっていう『仮定の話』か?」

「ああ。そうだ。今説明したとおりだ。奴らの狙いは大量の魔力。そのためには手段を選ばないと思え。大都市を襲撃するとかな」

「そんな」

「これが初めてじゃないんだ。前はもっと狡猾こうかつにやったもんだが――備えておく必要がある」

「――信じられん。いくら勇者でも、もしそんな手段に出れば世界中を敵に回すことになるんだぞ」

「そうだな。仮にやっちまえば、今までの努力がパァだ」


 パァ、と両手を開いてジャックは言った。


「そんな話じゃない、ジェイクス。いいか。確かに最近の勇者の動きには、おれだって思うところはあるよ。でも勇者、特にそのボスはこの国にとって恩人だ。連絡橋だってそう。リトアの海峡だって奴らが作った」

「たしかに、巨視的に見れば、勇者は人類のために貢献してきた。何のために公共工事までして人を増やしてきたんだろうな。リトア海峡がなきゃ、征東戦争は起こらなかったかも知れん。フルシ連絡橋がなけりゃロンディアもここまで発展しなかったろう。だが奴の目的が、人類の平和じゃなく、人類の増殖のためだったとしたら?」

「ジェイクス――。お前一体、何を言ってる。自分が何を言ってるか、判っているのか?」

「とんでもない面倒を持ち込んだのは悪かった。今は少しでも力が欲しい。警官隊、消防隊、軍隊。だが、あんたの部下の命の保証まではしてやれない」


 おいおい、とハンクスは集まったメンツを見る。

 おいおい、本気なのか――と。

 無理もない。

 いきなり途方もない巨悪が来て、街を壊滅させるのに備えろと言われて対応できる警察官はいない。


「どうやらマジらしい。上の説得はしてみる。だがもう少し情報をくれ――この資料をもらってもいいか?」


 すかさずノートンが別の冊子を取り出す。


「公開用はこちらに。お手元のものは、退室の際に回収します」

「で――スティグマっていう勇者のボスが、ヴォイドってやつのために魔力をかき集めてるって話か? そのヴォイドってのは、いい加減何なんだ。はっきりさせろ」

「ハンクス。そこまでは判らないって言ったろ」

「正解じゃなくていい。上を説得するのに必要なだけだ」


 ジャックは再び腕を組む。


「そうだな――二百年前、南の星空を破壊したものだ。真空に力を与え、真空爆発を起こした。魔力を生み、勇者に力を与え、途方もないエネルギーを持っていて、他の宇宙も作れる――っていう説明でいいか?」

「さっぱりわからんが――二百年前? それは、宇宙の遠くにあるんだろ?」

「ああ。でもそれだけじゃない。どうやらこの星にもあって、スティグマが持っている」

「馬鹿げてる。宇宙を作ったり壊す力をどうやって持ってる? ポケットに入れてか?」


 ハンクスはノヴェルを見て訊いた。


「べ、別の――宇宙――とか?」


 それに答えたのはノートンだ。


「仮説の段階ですが――資料の九十ページを見てください。この数式は、ゼータ関数を用いて量子を構成する構造が、空間に更に高次元の空間を内包することを示しています。最低でも六次元の――」

「――判るように言ってくれんか?」


 再びハンクスは、鋭い視線をノートンからノヴェルに向けた。

 ノヴェルは言葉を選びながら、ファンゲリヲンの言葉を思い出し、答える。


「さぁ、細かいことはわからない。でもヴォイドは、真の真空にひそんでると――」


 文学的な表現だ、とノートンがさえぎる。


「文学的? そうじゃない。オレは――見た」


 ファンゲリヲンの輝きを掴み、根こそぎ奪い去ったあの手。


「君が見せられたものは『手』だろう? それはヴォイドそのものでなく、例の黒い力なのではないかね」

「違う――。オレはどっちも見たんだ。似てても、違うのは判る! ヴォイドは、オレたちが想像するどんなものとも違う! あれをどんなものとも思うな!」

「少なくともモンスターではない。恐ろしいが、エネルギー源だ」

「違う! 『エネルギー源』だと? それってどんなものを思い浮かべる? 燃料か? バッテリーか? 火薬か? それとも数式? ――仮に数式でも、それはただの数式じゃない! その数式には腕がある! 人の魂を、魔力を掴んで、食っちまうような数式なんだ!」


 少し冷静になれ、と――会議が始まってからずっと黙っていたミラが言った。


「言ってることが支離滅裂しりめつれつだ」

「すまない。オレが言いたいのは――勇者の黒い力は、オリジナル・・・・・じゃないかも・・・・・・ってことだ。ソウィユノの黒い手。オーシュの内臓。モデルがある。それがヴォイドだ。ヴォイドに形がないとして――ヴォイドは形を求めている」


 インターフェイスがびくりと反応した。


「ふむ。面白い意見だ。スティグマの蔦にもモデルがあるのか?」

「判らないが、たぶんある。それが判れば、対処法も判るかも」

「蔦。蔦。――なんだ」


 あのさ、とミラが挙手せずに言う。


「この中で、スティグマを見てないのはあたいとその警部だけだ。だからあたいには、いまいちイメージがつかねえ」

「俺達の記憶を覗けばいいだろ」

「あのな、そんな写真みたいにいくかよ。深層意識にダイブでもしなきゃな。やるか?」


 やめておく、とジャックが降参する。


「絵に描いて説明したものが資料の五十五ページに――」

「だ・か・ら、これを見てもわからねえから聞いてんだ。あんたらは蔦だっていうが、あたいにはなんだか判らねえ。お前らは一体、これをどうして『蔦』だと思った?」


 蔦。

 蔦だと思い込んでいた。

 ノヴェルは手元の資料に目を落とす。

 スティグマの蔦が図に示されている。ジャック、ノートン、ノヴェル、サイラスの証言にもとづくものだ。

 蔦でないとすれば――これはなんだ。

 会議室は静まり返った。

 ハンクスが咳払いして、言った。


「とにかく――ヴォイドが何か、判らないということだけは判った」




***




 終わり際、ノートンがスティグマの情報をベリルに問い合わせると話した。

 ベリルとの通信網は確立している。

 現在のところ電文のみであれば、信頼できる情報網ができたようであった。


『資料の到着まで数日要するが、元老院の例の『ボルキス・レポート』の中にスティグマに関する記述があった。一枚だけ写真もあったはずだ。ミラ君にも、警部殿にもそれを見てほしい』


 インターフェイスとミラは退室した。

 会議が終わって軽く立ち話をした後、ハンクスは資料を置いて出て行った。

 彼が廊下を歩いていると、ジャックが走って追いついてくる。


「――ハンクス。どうにか説得できそうか?」

「わからんが、とにかくその、ヴォイドか? ヴォイドについては伏せて説明するつもりだ」

「頼む。それでいい。上の連中は一度勇者には煮え湯を飲まされてる。もし、彼らが要求を聞き入れなければ――『フィル巡査とジェイクスの妻を覚えている』と言え」


 ジェイクス――! とハンクスは立ち止まった。


「ハンクス、俺はあんたを恨んじゃいない。仕方がなかった」

「お前は――変わってないな」

「いいや。俺は変わった。俺を悪者にするな。いいな?」




***




 オレは殺風景な廊下の椅子に座っていた。

 ジャックが目の前を走って行く。

 ハンクスと何を話しているのか聞こえないが――和気あいあいと昔話に花を咲かせているように見えた。

 かと思ううちに、二人は肩を叩きあって、ジャックがこっちへ歩いてきた。


「長丁場お疲れ。珍しく自分の言葉でモノを言ったな。『数式には腕がある!』か」

「悪かったよ。変な空気にさせっちまった」

「いや、いいんだぜ。俺の心にはバッチリ響いた」


 ジャックは半笑いで言っていたが、急に真顔になって、


「見た奴にしか判らんことってのは、あるからな」


 と言った。フォローのつもりなんだろうけど。


「そんな顔するな。実際、さっきのはノートンの野郎が悪かっただろ。あいつが張り切り過ぎたから話がややこしくなったんだ。まったく、自分の分野だと思うと大人げなくなる」


 あいつの悪い所だ、と言いながらジャックは椅子の横の水差しから二つのコップに水を入れ、片方をくれた。


「警部の協力は期待できるのか?」

「どうだろうな。市警の手には余るだろうよ。だがグズグズ言わせない」

「警部にあそこまで話しても良かったのか?」

「少なくとも、彼らには知る権利がある。ここを守るのはあいつらだ。そのためにはスティグマの先手を打たないとな」


 それに――とジャックは続ける。


「もし俺たちが失敗して全滅したら、後を託す人間が必要だ。よそじゃなく、他でもないここにな」

「――そうか。ブリタの軍隊が動いてくれるといいな。世界最強の軍隊なんだろ?」

「ああ。市長が話を聞いてくれるといいが――だがカレドネルに軍隊を送るとなると、飽くまで犯罪捜査の為だって話の持って行き方がいい」


 なるほど。難しい部分はありそうだ。

 そこへ、早々とハンクスが戻ってきた。


「ジェイクス、ひとつ思い出した。その勇者のボス――スティグマか? そいつの資料なら、議事堂の公文書室にあるかも知れないぞ?」

「どういうことだ」

「昔親父に一度聞いたきりだが――六十年前、フルシとの連絡橋が完成したときに勇者たちと記念に撮った一枚がある」


 そういえばファンゲリヲンが言っていた。

 海峡や橋などの公共事業に関わっていた。

 でも記念が残っていたなんて。


「写真か?」

「たぶんそうだ。連絡しておくから行ってみるといい」




***




 ロンディアから西、八十五キロ。

 鉄道で二時間。

 丘と山々を越えたところに、ウィンドソーラー城がある。

 女王ルイーザの居城である。

 城下町ウィロウから続くベリーロングアイルの木立では、週末に迫った式典の準備が進められている。

 ベリーロングアイルの終わりには城門、グレートウォールがある。

 その先には広大な内郭インナー・ベイリーがあり、奥にはウィンドソーラー城の特徴的な低くどっしりしたラウンドタワーが見える。

 ゆったりとカーブするラウンドタワーの外周回廊。

 銃眼が点々と落とす西陽の間を、スティグマは歩いた。


「――聖痕の者ですか」

「……」


 女王ルイーザは、午後の公務を終えて一人、紅茶を飲んでいた。

 女王が一人きりになるのは、一日の間でこの、たった十五分の間だけ。

 扉の影から音もなく、スティグマが入室する。


「あなたにしては、少し後手に回りましたわね。たった今、議会でアレン=ドナへの軍事介入を決議したところよ」

「……」

「通訳のお嬢さんはどうしたのかしら? 彼女がいないと不便ね」


 スティグマは、勧められた椅子にも座らない。

 立ったまま女王をじっとにらむ。


「あら。そんな顔をしないで。私だって可愛い軍人らを、みすみす死なせたくはない。くまで内部の疑いを晴らすための、事件捜査よ。今回はね・・・・

「……」


 でも――と女王は毅然きぜんとスティグマを見返した。


「もしアレン=ドナに、ノートルラント正統王の首があるのだとしたら――いくらあなたでも、私にはもうかばいきれない。大変なことになるわ」

「……」

「――あるの?」


 スティグマは何も答えない。

 首を動かすこともない。


「黙っていちゃ判らないわ。もっとも、今のところ極秘扱いです。市長にも釘を刺したわ。だからもし、そんなものがあるのであれば早急に――処分を」

「……」

「――できないの? これは最低限の譲歩です。いいこと? もし軍隊がアレン=ドナを捜索して――他国の王の死体を見付けたら、事はもう一国の問題では済まない」

「……」

「ロンディアに、パルマの小娘の飼い犬が来ているの。小娘ではあるけれど、モートガルドを倒した今、世界屈指の大国。諜報網もある」


 女王は溜息をいた。

 お茶を飲み切り、テーブルの上のベルに手をかける。


「――もうお行きなさい。給仕を呼ぶわ」

「……」


 仕方がない、と言うように、女王は深く項垂うなだれた。


「――お行きなさい。パスコードは『lzPmW4ggB2h7f』。W-108房の、二十人だけよ」


 スティグマはきびすを返す。

 その背に向けて、女王は言った。


「これで最後にして頂戴。いくら戦争捕虜とはいえ、私にも良心があります」

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