40.4 「いい旅だったみたいじゃないか」

 ジャックとミラがノヴェルたちのところへ来たのは、その少し後だった。

 ミラはもう動かなくなったファンゲリヲンを見下ろし、


「クソ親父が」


 とだけ言って肩を落とした。

 ――どうかミラの言葉が、このクソ親父に届いていますように。

 ノヴェルはそう祈る。

 それは数奇な運命を生きた彼女たち親子の、せめてものはなむけであった。

 ジャックはノヴェルの顔を見て、大人しく投降しなかったことを責めはしなかった。

 ただ、


「いい旅だったみたいじゃないか」


 と言って、ノヴェルの肩を強く何度も叩いた。


「ジャック――」

「言うな。言わなくていい」


 ジャックはしゃがみ込んで、暫くファンゲリヲンの体を検分していた。

 ミラはどこからか小さな白い花を摘んできた。

 それをファンゲリヲンの頭の周りに並べ、言った。


「――戻るぞ」


 いいのか、とジャックが静かに言うも「時間がねえだろ」とミラはぶっきらぼうに返す。


「作戦を立てなきゃならねえ」


 ファンゲリヲンの亡骸なきがら湖畔こはんに残し、ジャックが立ち上がる。

 ノヴェルもインターフェイスに肩を貸し、立ち上がった。

 朝霧で湖上の城は影となり、もうほとんど見えない。

 三人と少女は、歩き始める。

 元来た道を戻るだけだが――時間は進み続け、来たときはまるで違っていた。

 夜が明けている。

 この世界は昨日と同じようでいて、明らかに道化を一人欠いている。

 インターフェイスは橋の倒壊に巻き込まれ、瓦礫がれきに挟まれていた。

 脚に、一目で骨折していると判るほど酷い怪我を負っている。

 脚の痛みは平気なのに寒いのか、今はファンゲリヲンのマントを毛布のようにして包まれていた。


「ダリアはどこに行った。城に戻ったか?」


 ノヴェルはジャックの問いにうなずくく。


「ホワイトローズって言ってた。名前しか知らない」

「何発か撃ったはずだ。当たってなかったか?」

「ソウィユノと同じだ。自分を治療してた」


 車に戻ったとき、ノヴェルはふと、あること・・・・に気付いた。

 ここまでの旅路を思えば、それはちょっとした奇跡――あるいは天啓てんけいだと、ノヴェルはそう思ったのだ。


「なぁ。オレちょっと戻る。こいつ・・・を頼む」


 こいつとはインターフェイスのことであろう。

 すぐ戻る! とそう言い残りして二人にインターフェイスを預け、彼は小走りでファンゲリヲンのイクスピアノ・ジェミニに向かった。


「――なんだ? あいつ」


 ジャックとミラは顔を見合わせる。

 ノヴェルが紹介もせず置き去りにしたのは――異質な少女だった。

 インターフェイス。

 ジャックは、ベリルで彼女に付け回されたことがある。

 ジャックは運転席に座るなり、ルームミラー越しにインターフェイスをにらんだ。


「よう。俺はジャックってもんだ。――って知ってるか?」

「知っているわ。ジャック・トレスポンダ。新しい名前ね。おめでとう」

「正直なとこ、俺はお前を車に乗せたくない。今すぐ降りてもらいたいくらいだ。いくら渡りに船だといっても、お前は奴らの手先。だが見たとこ、ファンゲリヲンを殺されてお前も少なからずショックを――って、なぁ、聞いてるか?」


 ジャックが運転席から振り向くと、ミラとインターフェイスが無言で顔を見つめあっている。

 それを見てジャックは、ある疑問に思い当たった。


「――お前ら、もしかして――姉妹か?」

「違う」

「違うわ」




***




 ジャックの車に戻ったオレは車内が微妙な空気になっているのに気付いた。


「違う」

「違うわ」


 ん――? どうした? 何の話だ?

 後ろのドアを開けて勝手に乗り込む。


「私に人間オーガニックの姉妹はいないわ」

「あたいにこんな妹がいるわけねえだろ」

「――いや、俺が首を突っ込む話じゃないけどな? だってお前ら、よく似てるっていうか――」


 オレは電撃が走ったような感覚があった。

 そうだ、それだ!

 インターフェイスを初めて見たとき、どこかで会ったことがあると思ったのは――ミラだ。

 ミラが若かったら、きっとこんなだ。


「ああっ! そうだ! ミラがもっと若ければ――」


 最後まで言う前にオレは、助手席から飛んできたミラの鉄拳に思い切り顎先あごさきを殴られ、シートから車外に転落し、気絶した。




***




 気が付いたとき、もう車は走り出していた。

 ジャックはオレが気付いたのをルームミラー越しに見て、「大丈夫か?」と一応気遣いを見せた。


「まぁ、なんだ。言い方には気を付けろ」

「わ、悪かった。でも――」


 でもなんだ、と助手席のミラが凄む。


「そっくりだ。本当に妹じゃないのか?」


 ミラに訊いたつもりだったが、答えたのはインターフェイスだった。


「いいえ。私はオーガニックじゃないの」


 そうだった。インターフェイスはホムンクルスだ。

 ジャックが言葉を選びながら言う。


「その辺の話は聞いた。おそらく――ファンゲリヲンは、自分の娘に似せて君を造ったんだろう。ホムンクルスなんてものが本当に作れるんだとすれば、だが――」


 ひど冒涜ぼうとく的な話に聞こえるが、相手があのファンゲリヲンならやりかねないという気もする。

 ホムンクルスを造るのに難儀したとは聞いた気がする。ミラに似せたことで成功したのか、それともミラに似せることに苦心したのか、それは今となっては判らない。

 でもどちらにしても、オレには運命的に思えた。

 ジャックは続ける。


「そうなんだとすれば、妹ってことをそんなに否定しなくてもいいんじゃないか? まぁ、今すぐ答えを出す必要はない」

「血の繋がりはないわ。誰とも。放蕩ほうとうの者も、私の造り主ではあるけれど、親ではなく――」

「俺とトリーシャ――勇者に殺された俺の妻だが、彼女は家族でも元は他人だ」

「それを言うならオレとリンだって実の兄妹じゃない」


 インターフェイスは困っているようだった。


「血縁など大した問題ではないと、そう言いたいのかしら」

「さぁ。ひとつの事実だ。結論は用意してない。自分で考えろ」


 インターフェイスを見て、オレは思った。


「インターフェイス。教えてくれ。オレはホムンクルスか?」

「いきなり何を言うのかしら。自分で判らないの」

「オレは魔力を持ってない。君と同じだ」

「――そんなことを気にしていたの? あなたはオーガニック、ただの人間よ、ノヴェル・メーンハイム」


 ――そうか。

 オレは安堵あんどしてシートに体をうずめる。

 安堵してみると、自分が何を不安に思っていたのかも馬鹿馬鹿しくなった。

 自分が何者であっても、別にそんなことは大した問題じゃないじゃないか。

 大事なのは、自分が何をすかだ。




***




 一時ロンディアに戻ると、遅れてやってきたノートンと合流した。

 爺さんもリンも、分離が成功して安定状態にあると聞いてオレは心底安心した。

 サイラスとミーシャが連れてきた女神フィレムのお陰らしい。

 オレの指名手配も解除されたそうだ。

 休む間もなく、すぐに対策会議が開かれた。

 冒頭、ノートンから『神と人々の家』事件の捜査状況が報告された。


「――教団幹部のジム・ノックスだけ、例の毒で死んだのではなかったよ。背後から鈍器で撲殺。明らかに他殺なのはノックスだけだった。ノックスは、サマスから入手した例の毒物をオルソーの支部に保管していたことも判った」


 ノートンはそう捜査報告を伝える。


「毒物についてだが、集団自殺に使われた毒物はサマスが用意した。彼が元居た診療所から入手し、独自に栽培された植物の根だ。アレンバラン男爵暗殺に使われたものの近種だね。彼の私室からサンプルが見つかった」


 オレが奴の部屋を調べたときに見たものだ。

 それらの情報は、ファンゲリヲンの話を裏付け、彼が集団自殺を主導したのではないことを示していた。

 ――何でもかんでも理詰めかよ。

 ――何でもかんでも背負しょいこみやがって。


「――? どうした、ノヴェル。お前が見聞きしたことについて話せ」


 ジャックに呼ばれて、オレは顔を上げた。

 アレン=ドナ城で見たこと、聞いたことを話した。

 どこから入手したのか知らないが、ジャックは城の見取り図と突き合わせてオレの話を聞いていた。


「結構、正確じゃねえかその地図。想像で描いたもんとは思えねえぜ」

「想像じゃない。伝承だ。スティグマはこの、パレス二階の貯水池に居たんだな? この上はどうなってる」

「水があふれたときのためのヘッドルームだ。窓がひとつだけあった。月明りが入って――そこに、セブンスシグマって勇者がいた」


 セブンスシグマ! とジャックは驚いて、ノートンと顔を見合わせる。


「――生きていたのか」


 オレは配られた資料に目を落とす。

 セブンスシグマは正統王シドニアとしてスティグマの暗殺を試みて失敗し、『ホワイトローズ』という名の不詳の人物に殺害されたという。

 ホワイトローズ。

 その名は忘れられない。

 本名ダリア・アルジェント。生名ダリア・ギルバート。

 ジャックの話ではかつてこの街で暴れた殺人鬼『仕立て屋ギル』の正体で、オレと同じくらいの歳で征東戦争の英雄『戦場の天使』になった。

 剣技が恐ろしく立つだけでなく、人体の構造にめっぽう詳しい。

 ベリルで首を切断して殺したはずのセブンスシグマを、アレン=ドナに持ち帰って生かしていた。

 目撃者は――サイラスだと? あいつ、どれだけ危ない橋を渡ってるんだ。


「奴――セブンスシグマは、そこで何を? 首を切断されて、どうしてまだ生きているんだ?」

「首だけだ。水槽の中で、チューブに繋がれて、手がなくて普通の魔術は使えないみたいだった。そこで――計算? だかを――」


 計算とはなんだ、とジャックがインターフェイスに厳しい視線を向ける。

 ノートンが「こちらのお嬢さんは?」と訊くが、誰も答えない。


「――それを知る権限は私にはないわ。放蕩の者の権限でも、それを知る権利はなかった。勝手に調べていたみたいだけれど」

「あんたはスティグマの口なんだろ」

「あのお方が発言するとき、私の耳は目は切断されているの。私は自分の口から出ている言葉を知らない。それは、あのお方の言葉だからよ」

「話すつもりはねえってことか」

「知らないと言ったつもりなのだけれど?」


 拷問は効かない。

 今だって、足の骨が飛び出るほどの怪我を簡単な処置でケロリとしている。

 痛くないのかと訊くと、「痛いけど、それがどう?」という調子だった。

 オレはおずおずと挙手した。


「奴らは魔力を集めてた。人や聖地から。元々の計画は、爺さんと、聖地を奪うつもりだったらしい。でもそれが全部失敗して――奴らは窮地きゅうちに立っている。仲間同士で力の奪い合いをしなきゃいけないくらいに」

「窮地とは具体的にどういうことだね」

「スティグマが死ぬ」


 ミラがサディスティックな笑みを浮かべる。


「放っときゃ勝手に死ぬのかよ。そいつはいいぜ」

「――そうは思えない。ファンゲリヲンによれば、奴にはまだ何か、策があるらしい。残った魔力で何か・・を動かすつもりだとか」


 何か。

 何かとは――と全員がインターフェイスを見たが、彼女は澄ましてお茶を飲んでいるだけだった。


「とにかく、ファンゲリヲンはそれを避けるため、別の方法でこの窮地を抜けようとしていたんだ。それが『ヴォイドの神』。でもそれも失敗した」


 ふむ、とジャックが資料を閉じる。


「これでサイラスの聞いた話にも裏付けができた。間違いないだろう。勇者はスティグマの主導で魔力を集めていた。それが行き詰まって、今は別の何かを企んでいる。残りの魔力でそれを実行するのに、セブンスシグマで何かを『省力化』するつもりなんだ」


 つまり、セブンスシグマの能力を利用して、それまでの失敗を帳消しにできる目途めどが立ったということか。

 サイラスは、その場でもう一つ重要な話を聞いていた。

 勇者の存在意義レーゾン・デートル

 その話とオレが見聞きしたこと合わせると、ようやく勇者の狙いが明らかになったわけだ。

 ポート・フィレム。

 モートガルド。

 聖地ロ=アラモ。

 アレン=ドナ城。

 繋がった。

 それぞれを繋げていたのは――ゴア、ソウィユノ、オーシュ、イグズス、メイヘム、ファンゲリヲン――勇者達だ。


「とにかくこれ以上は、マーリーン――もとい、電子の神クォータネムに話を聞くべきだ」


 そうノートンが言った。


「もう間もなく、通信基地局が開通する。こことパルマの通信が可能だ。あとは人手の問題だ」

「正気か? どれだけ離れてると思ってるんだ」

「我々は電子の神を手に入れたのだよ。おかげで大幅な効率化が可能になった。パルマからここまで、たった四基の海上基地局で通信が可能な計算だ」


 おそろしく信頼性は低いがね、とサラッと厳しいことを付け加えた。


「とにかく、俺たちの目的はホワイトローズって勇者と、そしてスティグマだ。世界で最も邪悪な生物の一位と二位だ。ホワイトローズは恐ろしく刃物と獲物に詳しい生来の殺人鬼だが、水と刃こぼれに弱い。戦いようはある」


 ジャックがそう言った。

 そうだ。

 戦いようはある。

 まだ諦めない。

 今度こそ、死んでいった者たちのためにオレは戦う。


「――済まない。オレはスティグマをスパイしに行ったのに、奴についちゃ何も判ってない」


 いいんだ、とインターフェイスを除く全員が言った。


「俺たちを甘く見るな。スティグマは、もう何十年も勇者を組織してる。探せば情報くらい――」

「良くない。ジャック。謝らせてくれ。撃って済まなかった」

「そういう話は後でゆっくり聞く」

「ジャックだけじゃない。ミラ、ノートンさん。オレにはもう、皆と勇者を追う理由はないと思ってた。リンを助けることだけを考えてた」

「その点についてはもう了承済みだ。いいじゃないか」


 ノートンも頷く。

 ジャックの屋敷で、ミラ、ノートンとジャックに対してオレは離脱宣言をしたのだ。

 でも――とオレは続ける。

 ジャック、ミラ、ノートンに向き直って。


「改めて、仲間に入れてくれ! オレは――ファンゲリヲンのかたきを討つ!」


 インターフェイスが、少し驚いたようにオレを見た。


「あたいも、あたいの敵を横取りしやがったあの女を許すつもりはねえ」

「ふざけるな。あいつは俺の仇だ。お前らにはやらん。だが――」


 仲間はいつでも歓迎だ、とジャックは言った。




***




 霧深い、早朝のディラック湖。

 そのほとりに、勇者・放蕩のファンゲリヲンは横たえられていた。

 彼の愛車イクスピアノ・ジェミニのボンネットに、エンブレム代わりにされた古ブリタ十字があった。

 あれほど激しく街を駆け抜けて尚、その十字が失われなかったことは一つの奇跡であったかも知れない。

 少なくとも、ノヴェルはそれを奇跡だと信じた。

 人の救い、あるいは自らの救いの象徴として選ばれた十字――それは今、ここにある。

 胸の上で組まされたファンゲリヲンの両手。

 その手には古ブリタ十字が握られていた。

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