40.3 「そうか――私は、

「――おはよう若人たち。年寄りの朝は早くてな」


 早すぎる朝を告げるかのように、真っ暗なホールに強烈な光が飛び込んでくる。

 激しい逆光でもすぐにわかった。

 そこに立っていたのは、勇者・放蕩ほうとうのファンゲリヲンだ。

 いきなり警告なしの銃撃を浴びて、背後の女はひるんだ。

 インターフェイスは、そのすきを見逃さない。

 素早く立ち上がってファンゲリヲンの背後に転がり込む。

 オレもそれに素早く続く。


「ホワイトローズよ。拙僧せっそうの抹殺ではなく、客人やインターフェイスに手を挙げるとはどうした了見であるか」

「手? あんた何か勘違いしてるよ」


 ホワイトローズと呼ばれたその女は、体表にめり込んだ銃弾を丁寧にほじりだす。

 繊毛せんもうのように黒い糸が、もやもやと傷口をおおって修復してゆく。

 ソウィユノの、あの自己治療を思い出す。

 一目でわかる。

 こいつは――普通のやり方じゃ殺せないタイプの勇者だ。


「……あたしの剣の軌道にぃ、たまたまその子たちがいただけさ」


 ファンゲリヲンは銃口を下げず、ホワイトローズを狙ったままだ。

 有無を言わさず、再び乱射を始めた。

 ホワイトローズは半身はんみになって銃弾を逸らしつつ腰からナイフを取り出す。

 二刀の構え。

 そして信じられないことに――打ち出された銃弾を次々と弾いてゆく。


「こんなことが――!?」

「引くぞ! キリがあらぬ!」


 ファンゲリヲンがオレたちを振り返る。

 手ごたえが無いなぁ、とホワイトローズはつぶやいた。

 ファンゲリヲンは、弾を撃ち切ると同時に足元のランプを拾い、投げつける。

 ホワイトローズは空中のそれをも切断する。

 ランプは燃料式だった。

 内部の可燃物が飛び散って、ホワイトローズの周辺に火を放つ。


「あたしに火は切れないってぇ?」

「そうは言わぬ」


 ファンゲリヲンはきびすを返し、「逃げるぞ」と走り出した。

 同時に一陣の風が起きて、ホワイトローズの周りの炎をあおる。

 オレたちは逃げだす。

 アーケードを走り、ゲートハウスから外へ出た。

 月で外はやや明るい。

 そのまま森を走る。


「ファンゲリヲン! どうしてお前が狙われてんだ!」

「元々嫌われておったのだ! ヴォイドの神も作れんだったしな!」

「ヴォイドの神で、お前は何をしようとしていた!」

「延命である! あのお方の体を支える物質――それを生むヴォイドの減少を防ぐためであった! 我らが力を濫用らんようしたことで、あのお方のための貯蓄が減っていたのだ!」


 ヴォイドの減少?

 つまりスティグマの体に刻まれたあの黒い模様――あの黒い力を生み出すヴォイドは、奴の中にあるっていうのか?

 そしてそれがファンゲリヲンのいう『予算』の『原資』。


「ヴォイドから生まれた魔力をヴォイドにかえす! そうして拙僧らは、あのお方を守ってきた! だが返しても返しても帳尻ちょうじりが合うことはなかった! 神なき限り――再契約を迫らぬ限り、滅びは宿命づけられていたのだ!」


 エントロピーの増大――熱力学第二法則ザ・セカンド・ロウ

 役人の『出費』は『収入』に匹敵するまで増大する――それは何だったか、たしか――バーキンズの第二法則。

 ファンゲリヲンや爺さん流にいえば、勇者たちは『予算』を限界まで使ってしまうことで、本来守るべきだったスティグマの存在をおびやかしていたっていうことなのか?


「還す!? 還すってどういうことだ!!」

「言葉の通りだ! この惑星に、局所的に存在するヴォイドには管理が必要だ! 惑星に散らばった魔力が多すぎるのだ!」

「放蕩の者よ! ノヴェル・メーンハイム! 今はそんなことを言っている場合ではないわ!」


 ファンゲリヲンに続いて走っていたインターフェイスがそう叫んだ。


「いいのだ! 聞け、ノヴェル君! 拙僧は、その管理のための契約を変えようとしたのだ! だが成らなかった! あのお方は、最後の手段に出ようとしている!」


 ザザザザと不穏な音が、森の中から聞こえた。

 木が。

 森の木が倒れてくる。

 それはずどんと倒れて、オレたちの前方をふさぐ。

 それを飛び越えた。

 一本飛び越えても、続き二本、三本と――次から次へと木が倒れてくる。

 それを飛び越えたり、潜ったり――。


「あっ!!」


 倒木が、前を走っていたインターフェイスをかすめ、ザザーンと地面を打った。


「大丈夫か!」


 オレは木を乗り越えて回りこむと、インターフェイスが座り込んでいた。

 倒木の枝が、彼女のフリフリしたドレスに引っかかっている。

 茨のような枝がレースにがっちりと食い込んで、がそうとしてもオレの手に血がにじんでゆくのみだ。

 戻ってきたファンゲリヲンはそれを引きちぎると、自らのマントで包みインターフェイスの体を隠す。


「行くぞ!」


 再び走り出すと――突然、視界が開けた。

 島の出口に着いたのだ。

 だがそこに橋はない。

 行き止まりだ。


「橋が戻されておる! 少し待て!」


 ファンゲリヲンが再び何かの合言葉を唱えると、湖上に泡が立つ。

 少し待てと言われても――敵が待ってくれるとは望めない。

 月光を反射する水面が揺れて――早く、早く上がって来い!

 背後を振り返ると、剣を持ったホワイトローズが森の中から悠然ゆうぜんと出てくるところだった。


「ホワイトローズよ! 尊公そんこう心得こころえ違いをしておるぞ!」

「……」

「聞け! 尊公らの目論見もくろみは失敗する! あれを動かすだけの魔力はもうないはずだ! 今こそ、我ら七勇者が一丸となって魔力を集めるべきなのだ!」

「……大賢者たちに逃げられて、聖地の確保にも失敗したあたしたちがぁ? ……七勇者が聞~て呆れまーす。も、あたしとお前、それと生首だけよ」


 振り返る。

 橋はまだ見えない。


「そんでお前ももうすぐ死ぬし。あと何秒かで」

「勇者はまた作れよう! 今は息をひそめ、機を見て」

「機。何が。聞く耳ないね」


 ブワッと水をき分け――橋が浮上し始めた。


「飛べ!」


 ファンゲリヲンの合図で、湖面に現れた石のアーチに飛び降りる。

 ファンゲリヲンもインターフェイスも飛んだ。

 オレだけが着地に失敗し、びちゃんっと顔面を水っぽい石畳に打ち付ける。


「ノヴェル君!」


 オレは「大丈夫」と掌を上げて伝え、すぐに起き上がって走り出した。

 どんどんと浮上を続ける橋の上を、オレ達は全力で走る。

 このままなんとか――なんとか車まで。


「……逃げんなって!」


 振り返る。

 剣とナイフをカチャカチャと振り回しながら、歩いてくる。

 あいつは歩いているのに――逃げ切れる気がしない。

 なんだ。

 何なんだ、あいつは。




***




 突如とつじょ泡立ち始めた湖面の下で、大量の水が動いている。


「おいっ! なんだっ!? 揺れてるぞ!」

「掴まれ!!」


 即席のボートのへりにしがみついて、ジャックとミラは泡から離れてゆく。


「離れてくぞ! 戻れ!」


 やってる! とジャックは、なけなしの水魔術で懸命に流れに逆らうが――その努力もむなしくボートはどんどんと流されてゆく。


「ミラ! お前ちょっと重くなっただろ!」

「ふざけんな! 草ばかり食わされてせまくりだ!」


 やがて、すっかり遠くなった湖面から巨大な橋が姿を現し始める。

 そのごつごつとした装飾の多いシルエットは、巨大古生物の背骨を思わせた。


「見ろ! 橋だ! 伝承は正しかったんだ!」

「言ってる場合か!」


 その橋の上を――騒がしい三人が走っている。

 二人は子供だ。


「ノヴェル!」


 彼らを追う殺気立った人影。

 スティグマではない――勇者だ。

 ミラには不思議とそれが判った。総毛立ち、ミラは両腕で自分の肩を抱き、二の腕にびっしりと立つ鳥肌を抑える。

 彼女の中に眠るソウィユノの半分が、彼女に警告している。


『――あれに近づいてはならない』


 ジャック、勇者だ――と告げる。声が震えた。


「ああ。判ってる」


 最後の勇者。

 ならばそれが誰だとして、ジャックのやることは一つ。

 狙撃銃を向ける。


「――ここから狙えんのか!?」

「揺れが激しい。だが当たっても外れても――」


 ジャックはボルトを起こし、引く。

 スコープをのぞく。

 まだ夜明けまでは時間がある。

 空は濃紺で、うっすらと夜明けの気配を匂わせるのみ。


(――見えねえ)


 見えないが。

 鋭く月光を反射する剣とナイフ。

 その根元なら――狙える。


(あのガキを助けさせてくれ。トリーシャ)


 トリーシャが、そっと彼の腕に触れる。

 ブレが。

 迷いが。

 消えた。

 ジャックは祈りながら引き金を引いた。




***




 ズダン、と大きな銃声が山々に木霊こだました。

 夜明けを告げるはずの山鳥が、ギャアギャアとわめきながら飛び去る。

 オレは急停止し、振り返った。

 追ってきたホワイトローズが左腕を押さえてうずくまっている。

 狙撃だ。


「ジャック!!」


 どこだ――オレはその姿を探して、対岸の岸を見渡すが、暗くて見えない。

 とにかく渡りに船とはこのことだ。

 でも、ホワイトローズはぎらりと目をいている。

 こんなに暗いのに、その目はまるで発光しているようにぎらぎらと――オレたちに殺意を突き刺している。

 ズドン!

 もう一度銃声が響き、ホワイトローズが倒れる。

 ――やったか!?


「……誰だぁ」


 ホワイトローズがうめいた。

 だめだ。

 倒れても尚、オレたちをにらむ目。

 片膝を立てて立ち上がる。

 更にもう一度。

 ズダン!

 三度目の銃撃を――ホワイトローズは剣で受けていた。

 ダメだ。

 ――位置がバレた。


「ジャック!! 逃げろ!!」


 オレは、見えないジャックに向けて力いっぱい叫ぶ。

 そして逃げる。

 背後では、きっとあいつが自己修復を始めている。

 橋はせり上がってきて、もう狙撃はできないかも知れない。


「もうすぐ岸だ!」


 前方でファンゲリヲンが走りながら叫ぶ。

 オレは一番最後を走る。

 橋はすっかりせりあがっていた。

 ふと不安に駆られ、オレは一瞬背後を振り返った。

 そこに――ホワイトローズがいない。

 ホッとしたが、同時に言い知れぬ不安に心臓を掴まれる。

 どこだ。

 奴はどこに――。


「ファンゲリヲン! 気を付けろ! 奴が消えた! 先回りされているかも知れない!」

「なんと。インターフェイス!」


 インターフェイスは、呼ばれてすぐさま湖面を指差した。


「水の上に――」


 オレは湖面を見る。

 水上を、何かがすごいスピードで走っていた。

 身を回転させて何かを切り刻みながら――。

 直後に、足元がガガンと下がった。

 橋だ。

 奴は橋脚きょうきゃくを斬ってる。


「逃げろ!! ファンゲ――」


 言い切る前に足元が崩れた。

 橋が崩れ、飾りのアーチが砕けて落ちる。

 インターフェイスが、ファンゲリヲンが、次々瓦礫がれきと共に落ちてゆく。

 ダメだ――。

 オレたちは、橋を造っていた石くれと共に、飛沫しぶきを上げて水中に没した。




***




 暗転。

 ――でもない。わずかな、本当にかすかな光。泡。

 ここはどこだ。

 オレは一体――どこにいる。

 暗い水の中。

 たぶん気絶してる場合じゃ、ない。


「ぶはあああっ」


 オレは水中で二度、三度身をよじって、水面から顔を上げる。

 幸い――水深はそれほどじゃない。せいぜい腰までだ。


「ファンゲリヲン!」


 ホワイトローズ。

 奴の狙いはファンゲリヲンだ。狙撃を警戒して、オレたちをこれ以上泳がせる・・・・のをやめたんだろう。

 バシャバシャと激しく水音のする方を見た。

 膝までほどの水深のところで、ファンゲリヲンは戦っていた。

 ホワイトローズは両手で一本の剣。

 ファンゲリヲンは腰に構えた短機関銃。

 ホワイトローズの見えない斬撃も、水飛沫を上げてしまえば見切れるのか。

 ファンゲリヲンは、繰り出される斬撃を紙一重のところでかわし、至近距離から短機関銃を腰撃ちしつつ間合いを広く取る。

 間合いはファンゲリヲンに一方的に有利だ。

 しかしホワイトローズは魔術で水の幕を張って弾速を殺し、その幕を自ら突き破ってファンゲリヲンに斬りかかる。


「ぐっ」


 不意打ちだった。

 老人はその一撃を躱し切れず、一刀を浴びる。


「ファンゲリヲン!」


 来るな――とこちらに掌を向ける。

 更に浴びせられる斬撃をしゃがんで躱し、水に手を突っ込む。

 動きが大きすぎる。

 ホワイトローズは、容易にその背後を取って、トドメの一撃を繰り出す。

 ファンゲリヲンはしゃがんだまま、水に突っ込んだ手で仕掛けた魔術で、水の柱を作り出す。

 それは攻撃とは言えないような貧弱な柱だったが――勢いよく繰り出されたトドメの一撃の、右手を弾いた。

 絶妙なタイミング。

 狡猾こうかつだ。

 戦い慣れた古狸でなければ絶対に合わせられないタイミングだったことだろう。

 事実――ホワイトローズはきょを突かれ、よろけた。

 その手から剣が離れ、飛沫をあげて水中に落ちた。

 チャンスだ。

 そう思った。

 しかし次の瞬間、ホワイトローズは身を回転させながら水中から飛び上がっていた。

 ホワイトローズの回転が周辺にまき散らす激しい雨。

 痛いほどの強烈な水滴に、オレはたじろく。

 ホワイトローズはそのまま――捻りを込めた拳で、ファンゲリヲンの側頭に一撃を加える。


「ぐぬあっ」


 頭から水に倒れこむファンゲリヲン。

 ホワイトローズはすぐさま馬乗りになり、起き上がろうとするファンゲリヲンを沈める。

 ダァン!

 ジャックの狙撃だ。

 ホワイトローズはその場を飛び退いたが、どうやら被弾はしていない。

 ようやく水から出たファンゲリヲンの頭を横から蹴り飛ばし、首を掴んで引き揚げる。


「ホワイトローズって奴!! おい!! もうやめてくれ!! 充分だろ!!」


 オレはばしゃばしゃと腰まである水を掻いて、なんとか近づこうとする。


「……やめてってさ。どうする?」


 ファンゲリヲンは横目でオレを見て、また『来るな』と手を挙げた。

 容赦ようしゃなく――ホワイトローズはファンゲリヲンの腹に拳を打ち込む。


「ふぐうっ」


 それは何度か位置を変え、着実にまずい・・・部分のみを破壊するようなパンチだった。

 それはもうただのパンチじゃない。

 連続で繰り出されるその拳は、まるで吊るし切り――。


「……そら一丁上がり。疲れたわ」


 ばしゃんと、ファンゲリヲンの体を放り投げる。


「ファンゲリヲン!!」


 オレは名を叫びながら、近寄る。

 水深は膝までになっていた。


「……あーノヴェルっつったっけ。あんたの処分は決まってないんだ。決まったら知らせに行くから。待ってて」


 すれ違いざま、ホワイトローズはオレの肩に手を置こうとした。

 オレは全身を捩ってそれを避け、湖面に浮かぶファンゲリヲンに取りつく。

 とにかく水から出さないと。


「インターフェイス!! インターフェイス、どこだ!! 手伝ってくれ!!」


 返事はない。

 オレはファンゲリヲンを引きずって、何とか岸まで連れてゆく。

 もう空が白んでいた。

 山々が吐き出す白いかすみが斜面を下りて、ディラック湖の上を塗りつぶしてゆく。


「ファンゲリヲン――ファンゲリヲン! 死ぬな!」




***




 オレは胸を押して水を吐かせる。

 でも血の方が多く出る。


「――ぐぼっ――ノ――ノヴェル――どうし――逃げ――ないのだ――馬鹿な子だ――」

「ああ! そうさ! しっかりしろ!」

「や、奴は――ホワイトロー……」


 ホワイトローズは、水の中から自分の剣を探し出して、眺めていた。


「あいつは向こうだ。剣を探してる」

「あ奴め――無茶をしよって――刃こぼれした剣などで――拙僧を」


 ファンゲリヲンは手を動かして、何かを探している。


「銃は――」

「落とした! 逃げよう! な!? あいつには勝てない! スティグマもいるんだ!」

「放蕩の者よ」


 声がしてそこを見ると、濡れたマントを肩から下げたインターフェイスがいた。


「インターフェイス! 無事か!?」

「気を失っていたけど――ホワイトローズは戻って行ったわ。これは――」


 インターフェイスはファンゲリヲンに目を落とし、絶句する。

 明るくなって怪我の容態ようだいが明らかになる。

 頭部、腹部、手足――特に腹と頭は致命傷だ。


「インターフェイス! 何とかならないのか!」


 インターフェイスはファンゲリヲンを見下ろしているが、その顔には困惑が浮かんでいた。


「――私には特別な力はないわ。放蕩の者を助ける力はない」

「ああっ! クソッ!」


 祈るモノが欲しい。


「く……か……。ノ、ノヴェル、教えてくれ」

「喋るな! 出血がひどい! ジャックとミラが来てるんだ、今助けを――」


 立ち上がろうとしたオレの腕を、ファンゲリヲンは強く掴む。


「助からぬ」

「判るか! 車もあるんだぞ! 村まで戻ろう!」


 ファンゲリヲンは小さく首を振る。


「教えてくれぬか――拙僧は――私は、何者――なのだろう」

「教えてやる! 教えてやるから――! 喋るな! お前は――」


 老獪ろうかいで残忍な勇者。

 狡猾で冷血。

 あらゆるものを利用して生きているひるのような老人。


「お前は――」


 多くを手に入れようと、自分の守るべきものを全部手放した道化。

 いきがってあちこち顔を突っ込んでも――生者の多くはこいつをかえりみない。

 ――無力。

 オレと同じ、無力。

 どれも正解だ。

 どれもこの男だ。

 わからない。どれか一つを選んで吟味ぎんみしたところで、それだけがこの男の正体だとは、思えない。

 そうしているとファンゲリヲンが、あご先の動きだけでインターフェイスを呼び、何かを命じた。

 インターフェイスが、そっとオレの頭に手を置く。


「これであなたにも見えるかしら。ノヴェル・メーンハイム」


 眼を閉じなさいと言われ、オレは逡巡しゅんじゅんした。

「早く」と急かされ、オレは片目だけを閉じてみた。

 するとなぜか――閉じた目に光が見える。

 この光は――なんだ。


「み――見えるか。これが、魔力。私が、見えるか」


 大地が、湖が柔らかく光る。しかしインターフェイスや、オレの手足は影のようになっている。

 魔力がないんだ。

 ファンゲリヲンを見ると、ひときわ強い光が見えた。

 輝き――これが魔力。

 しかし。

 そこには巨大で真っ黒な手もあった。

 それが今、体の上からファンゲリヲンの輝きを鷲掴わしづかみにしていた。

 オレは、恐ろしくなってその場に腰を抜かした。


「こっ、これは――なんだ!?」

「わ、私が、君に教えてあげられる、最後の、ことだ。見て……いたまえ」


 腰を抜かした瞬間、輝きもそれを掴む黒く巨大な手も消えていた。

 またインターフェイスがオレの頭に手を乗せると、再び見えるようになった。

 爺さんを掴んでいた、ソウィユノの手にそっくりだ。

 教え――。

 その言葉がふと、木の葉のようにオレのなかの記憶の濁流を下って、ぽつんと浮かんでいた。

 その葉っぱが濁流を収斂しゅうれんさせてゆく。

 空っぽになった記憶の空洞に、たったひとつ、ひとつのワードだけが残っていた。

『父親』――たぶんその言葉は、そういう形をしている。


「お前は――父親だ」


 オレの親父が生きていたら、きっとこんな奴だった。

 こいつみたいに、旅を、たのしみを、音楽を教えてくれた。

 過ちや、後悔、無力を乗り越えて、仮に卑怯ひきょうでも不幸でも笑って見せただろう。


「お前は――オレの親父だ」

「――ああ。最高だな――」


 老人は笑った。

 震える手。

 すっかり冷たくなった手が、オレの頬をでる。


「そんな顔をするな――強くあれ。わ、私は」


 ファンゲリヲンの目が。

 意識が。

 魂が――その体を離れようとしている。

 重ねた罪の重さをどう勘定かんじょうするとしても、こいつの魂は許されない。

 でも――その瞬間、その男の表情は――勝手に救われたように見えた。


「そうか――私は、君のような――息子が、欲しかったのだ、な――」


 直後。

 巨大な黒い手が、ファンゲリヲンの輝きを握りつぶした。

 指の間に漏れた輝きは細かいくずになって空間へ溶けてゆき、その掌に残ったものを――城のほうへ。

 その手は、遠く、城から延びていた。

 声を上げる間もない。

 それは一瞬のうちに、ファンゲリヲンの輝きを奪い去ってゆく。

 後に残されたファンゲリヲンの肉体に、もう輝きは残っていなかった。

 オレはもう、彼をなんて呼べばいいのか判らなかった。

 オレは、その男の冷たい頭を抱いて、吠えるように泣いた。

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